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神様と悪魔のダンス








「余命半年なんだ」
 一瞬、何の話なのだか、十代には分からなかった。目はカルテを広げた白衣の医師を通り過ぎて、窓の外をぼんやりと上の空で見ていた。アークティック校付属病院の中庭は、ようやく雪が解けはじめ、春の予兆が訪れている。
 もうすぐヨハンが卒業する。一月前に卒業した十代は、あてのない旅回りを続けていた。
「何の話ですか?」
「死ぬんだ、彼は」
 医師は流暢な日本語で、辛抱強く繰り返した。十代の気持ちが良く分かるというふうに、いたましい目付きが眼鏡の奥に見えた。
 医者は聞き覚えのある病名を口にした。連れ合いの教師の死因をふと耳にする機会があって、その時に聞いた覚えがある。
「ヨハン本人は?」
「まだ知らない。あの子は毎朝毎晩祈りをかかさないのに、神の慈悲はないのか」
「神様なんか信じてません」
 十代は硬い声で言った。
「助けてくれない」


 親友が面会に来たと知ると、ヨハンは嬉しそうな顔を隠しもしなかった。個室のベッドの上で、恰好がつかないというふうに頭を掻いている。
「わざわざ見舞いなんか良かったのに。退院してからでさ」
 そう言いながら楽しそうだ。退屈していたのだろう。
「お前にはあんまり恰好悪いとこ見せたくないんだよな、俺。コーヒーでも飲むか?」
 立ち上がろうとするのを、静かに止める。
「寝てろ。オレがやる」
「俺の面倒を見る十代なんてすげえレアカードだな。誰かに頼んでビデオを撮ってもらいたいところだ」
「なんだよ、元気そうじゃないか」
 声は、いつも通りを装えているだろうか。
「場所分かるか? ポットの下な、棚の中だ。インスタントのコーヒーが入ってる」
「へえ、面白いな。読めない文字が書いてある」
「お前世界中を飛び回りながら、その台詞何回言った?」
 自分で煎れたコーヒーの味は分からなかった。馴染んだ味のはずだが、味のしないただの水のようだ。
 ヨハンは美味そうに飲んでいる。
「あちっ」
「どうした?」
「猫舌なんだよ俺。火傷しちった。……なんだよ、その泣きそうな顔。いつから十代はそんなに心配性になっちゃったんだ」
「……口の減らない奴」
「あはは。それより十代、今暇か?」
「オレはいつだって予定なんか立てない」
「うんそうだ。じゃあさ、近くへ寄った時でいいんだ。学校の医務室から俺のデッキを引き取ってきて欲しいんだけど」
 ヨハンはアークティック校の授業中に倒れたらしい。急に意識を無くして病院へ運び込まれたそうだ。
 柄にもなく入院したと聞いて、退屈しているだろうから、デュエルの相手にでもなってやろうとここへ来て、聞かされたのがヨハンの命はもう長くないということだった。
「あとできれば下着の替えもな」
 ヨハンは何も知らない。脳天気に、メモに用事を書き付けている。
「オレはお前の小間使いかよ」
「知ってるか? 病人は甘えても赦されるんだぜ」
「知ってるさ。しょうがねーな、甘えられてやるよ」
 ヨハンからメモを奪うように受け取って、ポケットに突っ込む。
「わるいな」
 悪いと思ってもいないような笑顔でヨハンが手を振った。「おう」と応える。そっけないふりをして、病室を出た。
 ファラオは、アークティック校の寒さには我慢がならないという顔で図書室にいた。薪ストーブの火で尻尾を暖めている。
「先生!」
 猫の首筋を捕まえて大徳寺を呼んだ。ファラオの口が開いて、中から光の玉が出て来る。
「どうしたのにゃ、十代くん。そんな顔をして」
 大徳寺の幽霊が、心配そうに眉を下げた。
「友達が死んじまうかもしれない時に、どんな顔をすればいいのかなんてわからない」
 目を逸らして、何もない床を見つめた。
「先生。死ぬかもしれない人間を助けるにはどうすればいい?」
「私が、それを知ってるかと思いましたにゃ?」
 大徳寺の声は優しい。アカデミア一年生の頃に戻ったような気持ちになる。
「なんでもする」
「十代くんはどうしたいのですかにゃ」
「ヨハンを助けたい。病気を治してやりたい。だってまだ早過ぎる」
「人は皆が寿命を全うできるわけではありませんにゃ。死は平等ですが、生は不平等です」
「知ってる。でも」
「十代くんの心構えがまだなんですにゃあ」
 肩が跳ねる。きっとその通りなのだろう。
「いつかはそんな日が来るって知ってるさ。オレはもう背が伸びない。歳も取れない。人間のみんなとは時間の流れ方が全然違うんだって、良く実感することがある。でも、『それ』はあと百年後のことだって思ってた。勝手に思ってたんだ。みんなが歳取ってオレを置いていなくなっちまうのって、せめてすげえ長生きしてくれて、オレがひとりになっちまうのはその後だって、きっとオレはそう思いたかったんだ」
 動揺が過ぎたせいだろう。ファラオの尻尾を強く握っていた。ファラオは毛を逆立てて、十代の顔をひっかいた。ふてぶてしい足取りで離れていき、十代の手が届かない本棚の上に居座る。知らない土地の知らない学校にいても、我が物顔だった。相変わらずだ。
「神様は、ヨハンが祈ってるっていう神様は、きっとヨハンのことが大好きなんだ」
 声に涙が混じっている。この喉の奥が熱い感覚は久し振りだ。大人になってからは覚えがなかった。
「ならその神様を殺したい」
「十代くん」
「消し去ってやりたい。オレの一番の友達を、勝手に連れてかねぇで欲しい。先生、どうすればいい? 先生ならわかるだろ? 先生なんだ。錬金術でも何でもいいんだ。ヨハンを救ってやってくれ。頼むよ」
「十代くんは、大人になりました」
 大徳寺は、困った顔をしている。
「きっとまた後悔しますにゃ。そんな方法しか、先生は知りません」
「……うん」
「わかるのにゃ?」
「うん。分かるよ。人が、人として死ぬのは止められない」
 目を擦って、一度大きく息を吐き出した。
「道連れになってくれたら良いのになんて、親友の考えることじゃないよな」



「お、十代。久し振りだな!」
 ヨハンは元気良く手を振って十代を迎えてくれた。
 アークティック校の食堂のオープンテラス席は、まだ冷え冷えとしていて、さすがに人気が無かった。外の気温などまったく問題にならないふうに、ヨハンがぽつんと一人で座っている。
「よお、ひさしぶり」
 十代もそっけなく頷いた。ポケットに入れっぱなしだった手を、ヨハンの襟元へやる。空いた片手で歯型のついたオープンサンドの皿を抱えて、親友を引き摺るようにして食堂のドアを開けた。
「中に入ろうぜ。ここは寒いんだよ」
「こんでるだろ。それに寒い方が好きなんだよ。頭がすっきりする」
「限度がある」
「最近良く分からないんだ。そういうの」
 ヨハンが笑う。背中がざわついた。
「……そっか」
「でもお前が寒がるならそれでいい。俺は十代といられるならどこだっていいんだ」
 無邪気に言う。また心の闇が疼きだした。
「ほんとか?」
「ああ。当たり前だぜ」
「……オレもさ。さて、何食おうかな」
 ともすれば口にしてしまいそうな言葉を押し止め、明るく取り繕って、食堂のメニューを眺めた。
 『なら、どこまでも一緒に行こうぜ』。
 人に永遠を与える程の力は、今の十代にはない。ヨハンが信じる神様でもなければ無理な相談だ。その神様はお気に入りのヨハンをさっさと自分のもとへ囲おうとしている。正直を言うと、激しい嫉妬を覚えている。殺してやりたい。
 ただ、その言葉を口にした途端に、望みが叶うかそうでないかに関わらず、十代はヨハンの親友ではなくなって、人に害を与える魔物に成り下がってしまうのだと知っていた。
「メニュー、読めるか?」
 ヨハンがわざと意地悪そうに言う。
「読めるわけないだろ。教えて下さい、アンデルセン先生」
 すっとぼけた口調で返す。ヨハンは笑って、黒板の手書き文字を順繰りに指差していった。
「まずサンドイッチな。サーモン、エビ、ニシン。それからチーズオムレツ。サーモンのグリル」
「ヨハンと一緒のでいいよ」
「『でいい』?」
「……『がいい』」
「日本語は正しく使うように」
 ヨハンは教師のように偉ぶって胸を張り、十代には良く分からない言葉で、カウンターの中に立っている太った女性にオーダーを入れた。トメさんくらいの年齢だろうか。ふと懐かしい気持ちになった。
 ヨハンが、サーモンとチーズのオープンサンドとコーラが乗ったトレイを受け取って、十代に押し付けた。何を言われたのか、頬を紅潮させて、少しばつの悪そうな顔をしている。大人になった十代は、『こいつは年上の太った女性が好みなのかな』と邪推する。
「嬉しそうじゃないか」
「い、いや。なんつーか、お前に悪いって言うか」
 ヨハンはきまりが悪そうで、珍しくうろたえていた。
「可愛い彼女を連れてるなんて言われるからさ」
 突拍子も無いことをいう。
「はぁ?」
「あー、いいからいいから。気にするなよ。日本人なんてここじゃ珍しいから、からかわれたのさ」
「彼女」
「いいっていいって」
「オレのことか」
 十代は首を傾げて、柄にもなく真っ赤になっているヨハンの顔を見上げた。この手の冗談は嫌いな奴だったろうか。
「オレに悪いんだ」
「そうだよ。お前は男の中の男なんだから」
「気にしてないぜ。あながち間違いでもない」
 テーブルにトレイを置いて、大口を開けてパンにかぶりついた。
「ほれはんうんおんにゃらあら」
「へ?」
 ヨハンが、テーブルについた肘をずるりと滑らせた。『オレ半分女だから』。口の中に物を詰めて喋った言葉が聞き取れたらしい。奇跡だ。
「冗談だろ?」
 頬にくっついたソースを手の甲で擦って、「うん」と頷く。
「冗談だよ」
 柔らかくてしなやかな女性体へと変貌した右半身を意識しながら、何でもないふうに返す。ヨハンも「ああ」と気の抜けた返事をして、炭酸入りのミネラル・ウォーターを飲んだ。
「日本語上手いよな。ヨハンは」
「先生たちと、日本語の授業を選択している生徒は大体話せるさ。デュエリストの聖地に憧れるミーハーな奴ばかりだぜ。俺も含めてだけど。最近はどこへ行ってきたんだ? いい所あったら教えてくれよ」
 器用にウインクして言う。もういつも通りだ。十代は肩を竦めて、「特に面白いところへは行ってない」と答えた。今回は実に面白くも何ともない旅だった。
「アカデミア本校へ挨拶に行ったかな。ドローパンが急に食べたくなってさ」
 ――かつて不老不死の研究をしていた影丸に泣きついてきた。
 『何とかならないのかよ、じーさん、友達が死んじまうんだぞ。何とかしてくれよ』――影丸もまた子供のような十代を見る日が来るとは予想もしていなかったようで、随分戸惑わせてしまったような気がする。付き添いの斎王が諌めてくれなければ、本当に泣き出していただろうと思う。無様にも程がある。それこそ十代の方が死にたくなった。
 『十代の方が死ぬ』。その通り。たぶん自分は、ヨハンが生きるなら、喜んで命を投げ捨てるに違いない。人であることを棄てて不老不死の『何か』になった十代が考え付くにしては、奇妙な『もしも』だとも思った。滑稽だ。
「ヨハン」
 いきなり席を立ち上がって、手を強く握る十代に、さすがのヨハンも驚いた様子だった。目を丸くしている。
「じゅ、十代? どうしたんだ、急に」
「ヨハン、お前オレに何かして欲しい事はないか。何でもいい」
「何でもって、いきなりそんな事言われてもな」
「本当に何でもいいんだ。オレはお前の望みなら何だってするからさ」
 ひどく罪悪感を覚えていたのだろうと思う。『ヨハンが『同じもの』になればいいのに』。叶うはずもないが、そう考えてしまうことが、人を外れた自分を象徴するようで恐ろしかった。日毎に心の闇が増していくのを自覚していた。ヨハンを失いたくない。
「ヨハンが、大好きなんだ」
 誰よりも大切な親友には、まだこの世界にいて欲しかった。せめて、誰よりも長くまで付き合って貰いたかった。そんな我侭を言っても、ヨハンになら赦される気がした。
 ヨハンがまた顔を真っ赤に染め上げた。隣の席についていた生徒が、珍しい虫を見付けたような目を十代とヨハンに注いでいる。
「ヨハン? どうした、ヨハン」
 テーブル越しに十代と手を握り合ったまま、ヨハンの身体が、後ろ向きにぐらりと傾いていく。
「よ、ヨハン? ヨハンっ!」
 大きな音を立てて椅子が転がった。



 食堂で倒れたヨハンを背負って医務室へ運び込むと、保健医は困ったような顔で説明をしてくれた。
「また無茶をして外へ出て行ったんだと病院から連絡があって、心配して探していたんです。彼は病室が我慢ならないようで」
「そんな所だろうなと思いました」
 溜息をつく。ヨハンに付き合った十代の責任でもある。話の最中に、急に顔を赤くして倒れたのだと説明をすると、保険医はなんとなくぬるい顔になった。
「あまり興奮はさせないで下さい。彼は病人です」
「はい」
 認めたくはないが、どんなに元気そうに見えても、相手は余命幾許もない瀕死人だった。おそらくデュエルも難しい。もうヨハンとデュエルをすることはできないのかもしれないと考えると、世界から急に色が無くなってしまったようで、ぽっかりとした気持ちになった。
 歳を取ることができなくなった十代には、いつか全てを無くす未来が見えていた。しかし、今はまだ心が、存在が、それを諦めることができるまでには安定していなかった。
 いや、デュエルの楽しさを思い出し、仲間との絆の大切さを思い出し、そうなってから、また昔のようにどんどん弱くなっていく気がする。大切なものを抱えて離さない子供のように。
 切り捨てなければ辛い。壁を作らなければならない。高い壁だ。知っている誰の顔も見えないような、高い高い壁だ。分かってはいる。ただ簡単じゃない。
 ヨハンのブルーのジャケットを脱がして、ベルトをくつろげてベッドに寝かせてやり、手を握ると、ふと思い出すことがある。
 神の事だ。ヨハンが祈っていた神の事だ。
 彼は毎朝毎晩、ろくでなしの神に何を祈っていたのだろう?
 家族や友人や仲間たちの幸福か。いつか話してくれた夢だろうか。ヨハンが、誰にも言うなよと言い置いて、精霊と人間の架け橋になりたいと真剣な顔をして十代に告白したのを、鮮やかに覚えている。
 楽しいデュエルをする事に夢中で、ひとりよがりだったあの頃の自分には、夢を語る彼の大人びた顔がひどく眩しかった。
 それは今も変わらない。
 ――ヨハンが目を開いた。
「……あれ。どうしたんだ、そんな顔して」
 欠伸をして、「あーあ、良く寝た」と気の抜けた事を言うので、つい笑ってしまった。ヨハンはどんな時でも、どこか能天気な奴だった。そう思っていたら、また顔を赤くしている。
「興奮するなよ」
 十代は指摘した。
「お前は病人だ」
「ええと、飯は?」
「倒れたんだ。食堂でな。覚えてるか」
「いや」
「病院を抜け出してきたんだって? それでこんなになって、自業自得だ、ばか」
「いやぁ、それは大胆過ぎるお前のせいだと思うけど……」
 ヨハンはひどく言いにくそうにして、そっぽを向いて頬を掻いている。十代は項垂れた。
「悪い。気が利かなかった。いつもこうだ、オレは」
「な、なんでそんなに深刻な顔をするんだよ。そうじゃない」
 ヨハンは口元を緩めて、「へへっ」と堪えきれないように笑った。
「俺もさ。十代が大好きだ」
 ヨハンは幸せそうに見えた。
 少なくとも、彼はまだ何も知らないように見えた。自分の命の灯が消えかかっていることや、ヨハン・アンデルセンという清らかな人間が人の世界の外へ飛び出してきてくれる事を性悪の神に祈る悪魔が、彼のシャツを半泣きの顔で後ろから引っ張っていること。何も知らないのだ。
「もう来ないよ、ここへは」
 十代は言った。声が掠れていた。
「へ? なんで?」
「なんでって……」
「なんでだよ。お前が俺の事を好きで、俺もお前の事が好きなんだ。だから、ここにいてくれたらそれでいいんだ。俺が卒業したら、世界を回るお前に付き合う。どこまでも行くさ。卒業するまで、もうちっとだけ、待っててくんないかな?」
「駄目だ。オレ、そんな事になったら、ヨハンを本当にオレのものにしちまうからさ」
 どんな手を使ってもそうするだろう。鬼だと悪魔と罵られても、そうするだろう。
「なら、俺だって十代を俺のものにする。それでおあいこだろ」
 十代は、逃げるように一歩後ずさった。
「そうじゃない。違うんだ。そういう問題じゃないんだ。ヨハンは、全然わかってない」
 ヨハンはしばらく天井へ目をやっていた。
「なあ。さっきの本当か。何でもしてくれるっていうの」
 ヨハンが、胸の中まで探るような目で十代を見ていた。操られるような心地になって、頷く。
「なら、早速一つお願いがあるんだけど」
「うん」
「十代、こっちへ来てさ、俺の手を握っててくんないかな? ずっと」
 十代は表情が変な形で凝り固まったまま、ヨハンの傍らの椅子へ戻った。手を握る。長い指だ。優しい手だ。
 思えばこの手が大好きだった。
「いつまで?」
「ずっと」
「ずっとかよ」
「そう、ずっとだ。俺が寝ても起きてもずーっとさ、握ってんの、十代が。俺は寝付きが良くなる。寝覚めも良くなる。大好きな十代がいつも繋がってるんだ。だから――」
 言葉を区切って、ヨハンは咳込んだ。ひどく咳込んだ。屈んで、背中をさすってやる。
 この親友の背中はこんなに小さかっただろうか。十代とほとんど背丈が変わらなかった時分から、広くて大きいものだと当たり前のように思っていた。
 強大な闇の王の力に目覚めても、妖しい悪魔の眼を手に入れても、いつもこのちっぽけなただの人間の背中に、何者からも守られているような気がしていた。
「いいぜ」
 十代は頷いた。
「ずっとだ」
「俺が何も分かってないって十代は言うけどさ」
 ヨハンが、ふと静かに切り出した。
「結構何でも分かってるかもしれないぜ」


 それから一週間ばかり後、夜半過ぎに、ヨハンは息をしなくなった。



 その日の夜になって、ヨハン・アンデルセンの棺が墓の中に押し込まれてしばらくが経ち、墓地から人気が消えたところで、ようやく十代の意識は戻ってきた。
 日中、葬式にも参列していたように思うが、記憶が曖昧だ。
 翔と明日香が、哀しみよりも深い驚きの表情で、口を開けてこちらを見ていたのは、なんとなく覚えていた。剣山とジムが二人掛かりになって、両側から腕を押さえていたことも。
 『オレを置いてくなよ、ヨハンのバカヤロー!』と叫んでいた。
 『こんな墓なんかいらない、死ぬなんて赦さない、ブッ壊してやる!』――この辺りで、オブライエンに鎮静剤を打たれた。後は浮ついた夢を見ていたように思う。
 十代の醜態を見て眉を顰めていたアークティック校の制服を着た生徒は、友人が十代を指して『えるすかー』と呟くと、納得がいったように、目付きをいたましいものに変えていた。食堂の切り盛りをしていた女性も、以前十代を見て、ヨハンに微笑ましいものを見るようにそう言っていた。
 ヨハンが言うには、『恋人』という意味合いの言葉なのだそうだ。赤い顔をしてそう言っていた。
 勘違いの通りでも、十代は別に構わなかった。雌雄同体の肉体だ。男のヨハンを女として受け入れれば子供も産める。まさかヨハンが、人を外れた親友の身体に性的な興味を示すとは考えられなかったが、その位には好きだった。かけがえのない存在だった。
 大好きだと親友が言った。大好きだと親友に返した。それができなくなった。
 死ぬには早過ぎたと思う。
 大理石の表面にはこう刻み込まれているはずだ。宝玉獣のヨハン、類稀なる才能、惜しまれながらここに眠る。ヨハンの故郷の言葉だ。十代には読めない。
 冷たい石にキスをする。
「大好きだ。でも」
 墓に額を押し付ける。あと何度亡くすだろう。あと何度泣き喚くだろう。
 考えたくもない。もう嫌だ。まだ『一度目』でこんなに苦しい。
「きっとみんなそうやって、オレの事なんか置いてくんだよ。先に逝くんだ。好きな奴から消えていくんだ。ばかやろう、大嫌いだ。みんななんか」
「ひねくれるなよ」
「そっちがそのつもりなら、オレの方から置いてってやる。こんな世界、一番好きな奴とデュエルもできないところなんか――」
 涙声で、無言の墓に文句を言っていたはずが、聞き慣れた返事が聞こえた気がした。
「大人になったんじゃなかったのか。でも、お前はそんなふうな方がいいぜ」
 頭を撫でる優しい手は誰のものだ。
 耳に誰のものよりも良く馴染む声は?
 顔を上げた。
「よっ、十代。ひっでぇ顔だな」
 ヨハンがいた。
「なんで、ここに、いるんだよ。なんで喋ってんだよ。幽霊か。大徳寺先生みたいに?」
「疑り深い奴だなあ」
 恐る恐る手を伸ばす。触れた途端に、光の粒になって消えてしまうんじゃないかという気がした。異世界で仲間達を失ってしまった時のように。躊躇う指先を、ヨハンが強引に掴んだ。笑う。十代は混乱していた。
 何故ヨハンがここにいるんだろう。この半年間の絶望の日々が、周りの人間達が仕組んだ大掛かりな悪戯だったのかもしれないという気がしていた。もしもそうなら、どんなに良いだろう?
「毎日俺の神様に祈ってたんだ。俺は人間として死んでもいい。だから十代をひとりにしないでくれって」
 ヨハンの背に、神々しい宝玉の煌きを孕んだ究極宝玉神の翼が見える。
「段々身体が動かなくなった。寒いのも暑いのも、何も分からなくなっていった。その度に嬉しくなったんだ。神様は、俺のレインボー・ドラゴンは、願いを聞き入れてくれるんだって。俺はレインボー・ドラゴンの半分になって、これからも十代を守ってやれる」
 長い指が、十代がジャケットのポケットへ仕舞っていたデッキ・ケースを布越しに突く。ヨハンが死んだ夜に十代に預けた、彼の命よりも大切なデッキだ。その中には、確かに神と呼ばれる存在がいた。
「なにが『嬉しくなった』のか、わかんねぇよ。オレのせいで、ヨハンは、人間として死んじまったんじゃないかよ」
 吐き出した声は弱々しく、まるで十代の方こそが死人のようだった。
 精霊の加護は、人を人の世界から解き放つ。ヨハンは、これから未来永劫生き続けなければならない。死ぬことも転生もできない。悪魔になった十代と同じように。
「一生に一度だけでいいや。十代が俺のために泣いてくれるのは」
 ヨハンが、あやすように十代の肩を抱き締めた。
「言ってる場合かよ! お前もオレと同じになったんだぞ!? 大好きな人に置いていかれて、みんなが死んでしまって、みんなの子供達も、その子供達も先に死んでいくのをずっと見続けながら、ひとりぼっちで。ヨハンがそんな思いをするなんて、オレは、絶対にいやだ」
「それでも、お前がいるじゃないか」
 ヨハンは、当たり前のような顔をして言った。
 そこには後悔も未練もない。それこそ、十代が恐れていたことだった。
 いつものヨハンが、これからも永遠に隣にいることが怖かった。ヨハンが同じものになってくれることを求めてやまない心が憎かった。
「好きな奴と永遠に一緒にいられるなんて、好きな奴に看取られて死ねるよりも幸せなことじゃないか」
「わりぃ。ヨハン、ごめん、オレ、オレは……」
「俺の望みさ。なんでお前が謝る」
 十代は、まだひどい顔をしているんだろうと自覚をしながら、おそらく、笑ったのだろうと思った。表情を作ることができなかった。自分がどんな顔をしているのかもわからない。
「――わりぃと思ってるんだ、本当に。でも嬉しいから、それが……ごめんな」
 しがみつくように、ヨハンの身体を抱き返した。
「大好きだ」
 ヨハンの唇に不器用にキスをする。人を外れた親友に付き合って、随分歩き難い道を選んでくれたヨハンへの友愛と恋慕と性愛と渇望が、十代の中で入り混じっていて、自分が男なのか、女なのかもわからなくなった。
 この神に愛された天使のような人は、悪魔のキスをどう思うだろう。そう考えて見上げると、ヨハンはまるで初恋の女の子を抱き締めた中等生のような、照れ臭そうで、それでいてひどく嬉しそうな顔をしていた。
「ああ、俺も。大好きだぜ、十代」
 ヨハンは目を細めて、「ずっとだ」と言った。
「独りで泣かせるもんか」




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この小説は二次創作物であり、版権元様とは一切関係がありません。無断転載・引用はご容赦下さい。
−「神様と悪魔のダンス…
「雪椿」さんの虹竜ヨハンイラストリスペクト・安住裕吏 09.12.16」−