(僕らの新居へようこそ!〜名前編〜)




 穏やかなある昼下がり、海の底の白い街の中、いつもの黒い部屋にお抱え患者の検診にやってきた大徳寺が、扉に掛けられていた二枚のプレートを両手の指で摘んで、困った顔で室内に声を掛けた。
「ねぇお二人さん。『ヨハン・Y・アンデルセン』に『遊城・十代・アンデルセン』……病室に表札を出すのはどうかと思うのにゃ〜」
「だって十代はこの部屋を出られない。ならここを俺達の愛の巣にするしかないじゃないか」
「愛の巣て」
 真剣な顔でヨハンが言う横で、十代は表現がツボに入ったらしく、げらげら笑っている。そしてすぐに横で赤ん坊がむずかるのを見て「やべぇ」と口を押さえ、「せっかく眠ったとこなのに悪いな」と、苦笑しながらひどく優しげな声で囁いた。これがあの覇王遊城十代だと聞かされても、彼を恐れるある種の(過去デュエルにおいて完膚なきまでに残酷に叩きのめされた)人間は誰も信じないだろう。大徳寺も自らの目で見ていなければ信じなかっただろう。
「それでお子さんのお名前のことですが……」
「ああ、名前はデュエルで勝った方が考えるって決めたんだ。それで、」
「なるほどにゃあ〜。しょげてると思ったら、ヨハンくん負けちゃったのにゃあ」
「それ言わないでくれよ先生〜……俺なんでか知らないけど、ここぞという時には絶対に十代に勝てないんだよ〜」
「十代くんは本番に本領を発揮するタイプですからにゃあ」
 十代は嬉しそうに鼻の下を擦り、にこにこしながら子供のように無邪気に笑った。『子供』と『大人』、これはここ数年の彼の機嫌のバロメーターでもある。今は完全に安全圏だ。
「オレが『十代』だろ? 名前に数字は入れたいんだよ。それで考えてみたんだけどさ」
 十代はがしがしと後ろ頭を掻いて、指を一本立ててすごくご機嫌な顔で言った。
「遊城一桁か、遊城幾億だな」
「虚無か無限かの究極の選択ですにゃ……」
 大徳寺はぞっとするものを感じたが、十代は本気だ。そして本気の十代に横から口を出して、ただで済む者は誰もいない。
 ただ一人の例外を除いて。
「ヨハンくん、これはいくらなんでもデュエルで決めて良いことではないにゃ。子供が学校でいじめに遭ったり、ぐれてしまうかもしれないということを考慮に入れた上で、ご両親良く話し合って決めて欲しいのにゃ」
 ヨハンは何をやらかしても、口を滑らせていくら辛辣なことを言っても、十代に笑顔で受け流して貰える恵まれた男だった。
 しかし大きな問題もある。
「おおっ、それかっこいー! お前センスあるなぁ十代!」
「だろ? はは」
「あははは〜!」
 ヨハンは十代すらも凌駕するかもしれない電波だった。頬杖をついてにっこり十代に笑い掛ける。
「俺がもし勝ってたら、子供の名前はレインボー・アンデルセンか、ドラゴン・アンデルセンかで死ぬ程悩んだんだけどさぁ〜」
 もう一度言う、すごい電波だった。
「お前が考えたのが、悔しいけどかっこいいなぁ〜。で、どっちにすんだー十代」
「オレはどっちかって言うと一桁がいいかなって思うんだけど」
「ん〜、俺は幾億のが好きかなぁ〜」
「よっしゃ、それじゃデュエルで決めようぜ!」
「望む所だ! 今度は負けないぜー!」
 自分で名前を選べない子供がひどく可哀想だったが、二人があまりにも白熱しはじめたので、大徳寺は突っ込むのを諦めた。あの十代とヨハンの間に生まれたからには、名前くらいで文句を言っていてはきりがないだろう。おおらかな子に育つことを祈る。
 それにしても元気な病人だ。十代は今や半死人のはずだったが、昔のようにはしゃいでいる姿を見ていると、たちの悪い悪ふざけに付き合わされているような気分になってくる。



 少年は入学願書を見返して首を傾げている。彼の言いたいところは分かったから、「約束しましたにゃ」と大徳寺は言った。
「『遊城』という名字は結構珍しいものですから、しばらくはそれで通して欲しいのにゃ。十代くんのことが皆さんに知れ渡ってしまうと、事件が事件だっただけに、大騒ぎが起こってしまいますにゃ。君にとってもよろしくないことですにゃ」
「うん、分かったよ先生。それにしても……」
 少年はちょっと吹き出して、くすくす笑いながら名前欄を読み上げた。
「『大徳寺ユウキ』。変な名前」
 君の本名よりはいくらもましですにゃと、大徳寺はこっそり思った。
 しかし恐ろしいのは、あの十代が頭を捻って一生懸命考え、ヨハンをデュエルで二度も打ち負かして付けた大事な名前を無下にしてしまうことだ。よもや死んだ十代が棺桶から起き上がってきて、大徳寺を拷問したり蹂躙したりすることは無いだろうが――


 その夜、大徳寺は水洗便所に流される夢を見た。




・END・