(ガッチャたん・18↑)



 翔は決意した。あの男だけは認める訳にはいかない。

 今、翔の手元には一冊の本がある。薄っぺらく、つるつるとした手触りの本だ。表面には光沢があり、表紙には天使のように美しい一人の少女の姿が描かれていた。
 いや、『少女』ではない。柔らかい輪郭で構成された身体にはいくつか男性的な特徴も見て取れた。その人間は男でも女でもなく、男でも女でもあり、人の範疇には収まりきらない、一種神々しいまでの魅力を備えていた。
 翔は唇を噛み締め、毅然と顔を上げた。
「絶対……絶対ボクは認めない。認める訳にはいかないんだ。こんな悪魔のような所業……あいつは人間じゃない!」
 そしてありったけの大声を上げた。
「ゴルァアアア! 秋葉原ッ!! コレは一体どういうことだッ!!」
「神田です、神田」
 存在自体がもっさりとした眼鏡男が、気だるそうに作業場から顔を出す。昨晩はまた眠っていなかった様子だ。右手に蓋を開けたばかりの栄養剤を握っていた。
 翔は、ばっと大きな身振りでその眼鏡男――神田次男に指を突き付けた。彼こそがある意味昨今最大の翔のライバルであると言っても良い。十代のオトポジをめぐる宿命のライバル剣山や、十代の弟分からしてみれば魔王にも等しい男ヨハン、十代にアプローチを掛ける無数の決闘者達、そんなどんな屈強な強敵達とも違う新たなる脅威なのだ。
 翔は認める訳にはいかなかった。胸に抱えた一冊の本を示し、鋭い目つきで神田を睨み付ける。本の表紙には、こう書いてある――
「『ふたなりガッチャたん触手陵辱本』って、なんだおまッ、これェエエ――!!」
「見ての通りですが。おたく、ボクの愛と尊敬を目一杯詰め込んだ魂の同人誌のなにが気に入らないんですか?」
「気に入る訳ないだろッ! ボクのアニキは高潔で強い意志を持つ聖天使なんだ! 触手ごときでヨゴれたり堕ちたりはしないのっ! 『あふぅっ! らめぇええっ、感じちゃうのぉおお〜☆』も『奥までっ……奥まで来てるぅっ☆ 熱いのっ、思いっきりブチまけてェっ☆』も言わない! ていうか誰だこれ!?」
「玄関の前で淫語を音読しないでいただけますか、丸藤先輩。お言葉ですが、おたくの『ボクとアニキのトキメキ☆DA生活』の方が、ボクとしちゃ痛いなあ〜と思うんです」
「痛くない! あれ実録だから! ホントにあったんだから! ボクらラブラブにも程があったんだよ!? 特にボクのおすすめは三冊目以降だね。いつも一緒にいたボクに急につれなくされて、ショックのあまりヤケになっちゃって(※覇王化)、傷心のあまり高熱を出して寝込んじゃったり、寝言でボクの名前呼んで涙を零したり、仲直りしたボクにまたアニキって呼ばれたことが嬉しすぎて思わず抱き付いてきたり、共に光の波動と戦おうと誓い合って超融合したり! 四冊目なんてあれさ。お兄さんのところに挨拶に来るんだ。不器用でいつもボクがいなきゃなんにもできなかったアニキが、ボクのために花嫁修行を積んで、何でもできる戦うお嫁さんになるとことか、アニキが一途すぎて感動するだろ。泣いたよボク」
 妄想だ。
 しかし、神田は(当然だが)気に食わないようだ。腕を組んで疑わしげな目を翔に向ける。
「何故理解できないんですか? 清楚可憐で誇り高いボクらのアニキが、卑しい触手に襲われて、イヤだけど身体は感じちゃう。やがて心まで屈服させられてしまう……。そう、屈服ですよ。絶対に折れそうにないアニキがエッチな目に遭って、感じ過ぎて屈服しちゃう!これに勝る萌えはないですよ!! ボク悟ったんです!」
「この鬼畜! 世界には純愛以上に素晴らしいものはないんだよ! ボク×アニキ萌え! ボクはふたなりアニキ陵辱なんて認めないぞ! ……ふたなりアニキは萌えるけど! 単品で」
「そうですよ! あの可愛らしい顔立ちのガッチャたんが背徳的なふたなり娘なんかだったら……ああっ、ボク想像しただけで萌え尽きそうですっ!」
「くっ……!」
 翔は一歩後ろへ下がり、顎を伝う汗を拭った。やはり神田は強い。
 翔も男だ。決闘者だ。本当のところ、翔だって分かっているのだ。美しいもの、愛らしいもの、尊いもの――それを滅茶苦茶に破壊したい衝動。人は誰しも闇を抱えて生きている。明るい光だけでも、暗い闇だけでも、人間は生きていけやしないのだ。
「そうさ……ボクは本当は分かってる。アニキがエッチな目に遭って、嫌がって泣いちゃって……そういういけないジャンルに滾るボクがいることも確かなんだ。だから神田くん、ボクはキミの作品を全部読んでいる。悔しいけど、リスペクトしているんだ」
「丸藤先輩……ボクだって、先輩の描かれるいっそ狂おしいまでに純粋なガッチャたんが大好きなんです。悔しいけど、それはいつもあの人の隣でガッチャたんを見ていたおたくでなければ描けない。ボクがどう頑張ってもできないことを、おたくは平然とやってのける。正直……ボクには眩し過ぎる……」
 二人はどちらからともなく、右手を差し出していた。そして晴れやかな表情でかたい握手を交し、頷き合った。思いはひとつだ。
「先輩……おたくとボクならできる」
「ああ、わかってる。ボクらの結束の力を見せてやる時だね」
「今度の新刊は、ふたなりガッチャたんと明日香たんのレズ成分も含めた、陵辱ハーレム本なんていかがでしょう!?」
「神田くん! キミったら最高だよ! メイド分も入れようよ!」
 二人の顔は希望に満ちていた。まるで世界が祝福してくれているようだった。今なら何だってできるような気がしていた。
「あ〜、ホントにアニキがふたなりだったら、ボク即座に求婚するんだ〜」
「同意です」



「ちわーす。丸藤先輩いるドン? 手伝いに来たザウルス」
 後輩の剣山が家にやってきた。彼がDAに入学してきた時には、すでに亮は卒業していたから、直接面倒を見た後輩という訳ではない。それでも、弟の翔と仲良さそうにしている光景は微笑ましいものだった。
「翔に用か。あいつなら、プロ・リーグの資金集めに奔走していると連絡が入っている」
「あれ、もー、入れ違いになるからコマメに連絡欲しいドン……。段ボール百個運んだらオレ×アニキを描いてくれるって言ってたのに〜」
 剣山が来たばかりで慌しく部屋を出て行く。彼の背中を見送り、亮は首を傾げた。
「……『かける』とは何だ?」



――ぶえっくし!」
 十代が、唾を飛ばして盛大なくしゃみをする。ヨハンは「きったねぇな〜」と呆れ顔だ。
「風邪……はバカだから引かないし、誰かに噂されてるんじゃないのか十代」
「オレの噂? んー、翔あたりかな〜。あいつ最近プロ・リーグの運営が忙しそうで、あんまり会えないんだよな〜。あいつも最近オレに会ってないな〜とか言ってんのかな」
 十代は残念そうに肩を竦め、羽根をばさばさとはためかせて、ヨハンの肩の上にとまり、彼の手元を覗き込んだ。『結婚したZE☆』という趣旨の手紙を書いているらしい。
 ヨハンは十代を見上げて、「お前見たら皆驚くぜ」と言った。十代は、理解しているものだから、ぶすっとした顔をしている。
「絶対爆笑される」
「俺がそいつを殴る」
「悪けりゃヒかれる」
「逆に大絶賛かもしれないぜ?」
 ヨハンが悪戯っぽくウインクし、十代の柔らかい右胸に触れた。十代がくすぐったそうな顔で、「やめろって」と言う。
 半分女性、半分男性。背中には黒い翼、腕には鱗、鋭い爪――今や見た目も人知を超えた存在、遊城・十代・アンデルセン。絶賛精霊化進行中。
 まだそれを知るものは少ない。



(終わり)