今日も青空 千虹アナザー




 ――僕のお母さんはお父さんでもあります。
 ――僕のお父さんはお母さんでもあります。
 デュエル・キッズ・スクールの授業中、作文にそう書いて、担任の浜口先生に誉められた。
「お父様のようにお仕事もできる、素晴らしいお母様という事ですね。ヨハン君には文才がありますわ」
 違うんだけどな、とヨハンは思う。
 そういうんじゃなくて、ほんとにお父さんでお母さんなんだけどな。



 デュエル・キッズ・スクールを卒業したヨハンは、当たり前のようにデュエルの道を志し、デュエル・アカデミア生になる。
 ヨハンにデュエルの楽しさを教えてくれた母は、たったひとりでヨハンを育ててくれた。父親の顔を、ヨハンは知らない。どんな人なのかと尋ねると、母はいつも微笑んでこう答えてくれる。
「世界で一番いい男」
「……ふうん」
 ヨハンは頷く。父を語る母の顔は、どこか悪戯を思い付いた子供みたいだ。
「どの辺がいい男なんだよ。俺と母さんを置いて、ふらっとどこかへ行っちまうような男だったんだろ〜?」
「ああ、その通りだ。確かに、すごくダメな男でもある」
 母は肌身離さず身に付けているガーネットの指輪を指で弄びながら、唇の端を吊り上げた。母は父の話題になると、こういう、悪巧みでもしているような悪魔的な顔をする。
「ガキのヨハンにはまだわかんねぇかな。もう少し成長したら、イヤでも分かるさ」
「分かりたくないな。俺なら絶対、何があっても母さんを置いて行ったりしない」
 母は弾かれたようにヨハンを抱き締め、強く強く抱き締め、柔らかな右胸に埋めた。とても嬉しそうだ。
 ヨハンの母親は半分が男で、半分が女の、奇妙な身体をしている。
「こいつ!」
「だって母さん、壊滅的に私生活がだらしないし。俺がいないとどうなってるんだか。母さんはきっと一人で生きられないようにできてるんだ」
 ヨハンは半分目を眇めて呆れ声を上げた。母はいい大人で、何でも完璧にこなす人だったが、普段の暮らしとなるとひどいものだった。
 カードを広げ始めるともう駄目なのだ。食事は取らないし、持ち出したものは片付けない。何もない部屋から、そう時間を掛けずに足の踏み場を消し去ってしまうことに掛けては天才だった。食器は洗わないし、布団も被らずにどこででも眠る。子供のヨハンが気を遣ってやって、面倒を見てやらなければならないほどだ。
「俺がいないと、母さんは本当駄目にも程があるぜ〜」
 ヨハンは手の掛かる母にそう言ってやった。
 しかし母は、まるで悪びれない。納得がいったというふうに、うんうんと何度も頷いている。
「そうだ。オレはヨハンがいなきゃ生きていけない。ヨハンもオレがいなきゃ駄目。そういうふうにできてんの」
 母はヨハンを優しく抱き直して、
「あいしてる」
 穏やかに、囁く。いつもの『反則』だ。母に壊れもののように大切に抱かれると、『あいしてる』と言われると――ヨハンは何だって許してやろうという気持ちになってしまう。そして、この人の望みを何だって叶えてあげたいという気持ちになる。
「……母さん、いつか俺が会わせてやるから。俺と母さんを置いてった親父に、もう一度会わせてやるから。たとえ世界の果てにいたって、海の底にいたって、必ず探し出して、母さんに謝らせてやる。母さんをひとりにして、寂しい思いさせて、……俺は親父を、絶対に許さないよ」
 ヨハンがそう言いながら母の腕を抱き返すと、母は少し笑ったようだった。耳にかかる吐息がくすぐったい。
「バカ、寂しい訳があるかよ。ひとりぼっちでもねぇよ。お前がいるもん、ヨハン。……でもお前の父さんに会えるのを、その日を、すげぇ楽しみに待ってるぜ」



 母は大人びていて、思慮深く見える時もあるが、一所に留まるという事ができない人だった。旅とデュエル。この二点に関しては全く子供のように落ち付きがない。
 ヨハンは小さい頃から、そんなふうに放浪癖のある母に連れられて良く旅をした。いくらか分別が付くようになると、全寮制のキッズ・スクールに入学した。母はいつもあてもなくふらふらとしている癖に、子供は学校へ行くべきだというしっかりとした信念を持っていたのだ。
 ヨハンが北ヨーロッパにあるデュエル・キッズ・スクールで勉学に励んでいる間も、母は相変わらずどことも知れない場所へ行き、長休みに入るとヨハンを迎えに来て、また一緒に旅をした。
 母は実に回遊魚のような人だった。ずっと前を向いてひたすら泳ぎ続ける、のんびりとした大きな魚のよう。あいつは立ち止まるとそこから腐り始めるんだと、母の友人達は口を揃えて言った。母には、母に負けず劣らず奇妙な友人が沢山いたのだ。
 ヨハンはそんな母に連れられて、子供の頃から良く旅をした。実に人生の半分程は、母にくっついて世界をぐるぐると巡った。想像した事もない綺麗なものを沢山見た。母と一緒に美しいものを見られるのは掛け値なしに嬉しい。
 だがデュエル・アカデミアに上がった最近では、母の旅に引っ張り出されて行く度に溜まった宿題にげんなりする。
 しかも母は、そういう時は決して手伝ってくれない。
「なぁヨハン。与えられた苦難ってやつは、自分の力で乗り越えるからこそ意味があるんだぜ」
 澄ました顔で言うが、以前母と同級生だったヨハンの現担任教師が、
「あいつは落ち零れにも程があったのよ」
 とこっそり教えてくれた事がある。
(母さん、俺の宿題、わかんないんだろうな。たぶん)
 ヨハンは母のおつむの出来を良く知っている。大人びた雰囲気やクールな顔つきに騙されてはいけない。母は頭の回転は早いし、デュエルは鬼のように強いが、勉強はまるで駄目なのだ。
 しかしデュエルに関しては、実に異様な程に引きが強い。キッズ・スクール時代から一貫して学年トップの腕前のヨハンが、今まで一度も母に勝てたことがない。



 ヨハンは月日が経ち、成長するにつれておかしな夢を見るようになった。
 夢の中でヨハンは、母の胸にそっと手を当てる。半分女の子の身体の、女の子の胸だ。弾力があって、そのくせふわふわとしていて柔らかい。触っていると、すごく落ち付く。
 ヨハンは母にキスをする。唇の柔らかさを味わう。まるで恋人同士みたいにする。
 ――そこで目が覚める。
 起きたら、ヨハンは変な気分で首を傾げる。親子で普通そんなことしないよな?

「なあ母さん。俺と母さんてほんとに血が繋がってんの?」
 今日もヨハンが尋ねると、母は不思議そうに首を傾げた。
「なんで?」
「似てない。そもそも、なんか人種違うし」
「オレ達は良く似てるよ。確かに見た目はぜんぜん違うけど、オレとヨハンは同じ」
「……親父に似たの、俺?」
「そうだな」
 母は片方の眉を上げてにやっとした。

「母さんは俺の顔を見て親父を思い出すのかな」
 ヨハンは自室のベッドの上に足を投げ出して、デッキに話し掛けた。しかしカードの絵柄は応えない。返事はない。ヨハンは天井を見上げて溜息をついた。
「……カードに話し掛けるなんて変だよな。返事が返ってくるわけないのに。母さんの変な癖がうつっちまったかな」
 母は一風変わった人で、カードにはデュエル・モンスターズの精霊が宿っているのだと、ふざけたように、時には大真面目に言う。今時夢があるというか、オカルト嗜好というか、ヨハンが呆れていると、母はなおもこう続ける。
 ――ほんとだってヨハン。信じろよ。オレなんか悪魔なんだぜ、本物の。
 『じゃあ母さんの息子の俺も正真正銘の悪魔ってことになるんだろうな』とヨハンが親切に返してやると、母は腕を組んで重々しく頭を振る。
 ――いや、お前は違う。けど、似たようなもんかな。
 母ははぐらかすような喋り方ばかりする。相手をしているとなんとなく疑り深い気持ちになってくる。



 ――まず初めに感じたのは、その身体が意外に柔らかいことだった。
 つい最近まで自分と似たようなものだったはずの身体だ。『十代』の右胸にはマシュマロみたいにふわふわしていて弾力がある胸がくっついていた。
 二の腕も脇腹もすべらかだった。骨ばった感触がない。
 物珍しくて、肌の上で手の平を何度も滑らせていると、『十代』は人の悪い顔つきで首を傾げた。
『そんなに気に入った?』
 ヨハンは頷いて、『十代』と似たような調子でにやっとする。
『もちろん』
 そして細い腰を抱き、胸に唇を付け、鼻先を擦り付ける。脚を開かせて、身体の奥へ押し入っていく。温かい。
 愛しい。
 今朝ヨハンは、そんな夢を見た。

「なあ母さん」
 ヨハンは手際良くテーブルの上にスープの皿を並べながら、バタートーストをかじっている母に切り出した。
「今日さあ、俺母さんとエッチする夢見たぜ〜」
「ああ」
 窓から射し込む朝の光を浴びている母の返事は、どこか気だるげだ。母は布団の虫干しも日向ぼっこも大好きだという癖に、朝の光というものに弱い。本当に悪魔なのかもしれない。
「俺達親子なのに、変だよなー?」
 ヨハンは首を傾げた。『親子なのになんでこんなふうに感じるんだろう?』というものと、『どうも思ったより母さんの反応が返ってこないな?』という、二つの理由でだ。
 母はトーストの最後の一欠片を飲み込むと、手のひらのパンくずを丁寧に払い、ヨハンの頭を撫でた。呆れたようにぼやく。
「子供はいつか大人になっちまうんだよなー」
 どこか残念そうだ。
 子供と大人。ふと気になって、ヨハンは尋ねた。
「母さんさぁ、そう言えば、なんで歳を取らないんだ?」
 母はいつまで経っても若々しかった。『若作り』という程度の問題ではない。現在アカデミア高校三年生のヨハンと並んでいると、仲の良い同級生の友人同士にしか見えない。母はヨハンが産まれた時から、歳を取ることを忘れたみたいに、ずっと同じ姿のままだ。
「制服を着ればアカデミアの学生寮にいても全然おかしくない。この前だって」
「何かあったっけ?」
「あったぜ。母さん、普段は人の多い場所には寄り付かないくせに、ドローパンの中毒症状が出てさぁ、こっそり購買に買いにきてたじゃないか。あの時も俺達ふたりで並んでたら、兄妹に間違えられたんだぜ」
「この間までは姉弟だって言われてたのにな。あのちびだったヨハンが、またこんなにでかくなっちまって。母さんはすげぇ嬉しいぜ〜」
「お世辞じゃなくて、ほんとにそう見えるのが問題なんだよな〜」
 誰も母とヨハンが親子だなんて思わない。信じない。
 ヨハンは、この何かを企んでいるような表情の母の相手をしていると、いつものように頭の中で何かの糸がもつれあってこんがらがるような気持ちになり、訳が分からなくなってきた。
「母さんと話してると、分からないことが更に分からなくなってくる」
「ヨハン、いつも言ってるだろ。オレは本物の悪魔なんだぜ」
「またそれか〜」
 そんなものがいる訳がない。ヨハンはいつまで経っても息子のことを、お化けを怖がる幼い子供のような扱いをする母に、やれやれと頭を振って――
 そして息を呑んだ。
「か、母さん?」
 身体が動かない。いつのまにか母の瞳は、見慣れた鳶色の、木の実のような優しい眼ではなくなっていた。かわりに整った顔立ちの中の、ふたつの眼窩に嵌まっているのは、どこか金属めいた、ちぐはぐ色に発光する眼だ。かちりとした輝きを放っている。
「どんな手品だよ。何だよ、その眼……?」
「オレの眼、やっと見えるようになったか。お前も随分成長したもんな」
「俺が成長すると、なんで母さんの眼の色がいつもと違って見えるんだよ」
「ヨハン、デュエルしようぜ」
 母はにたりと笑った。まるで本物の悪魔のような、妖しさと心の闇を孕んだ笑い方だ。
「デュエルで勝てたらお前の望みを、なんでもひとつ叶えてやる」
「……のぞみ」
「オレが欲しいんだろ」
 母はこともなげに言った。相変わらずだ。この人には、世間の常識や倫理観と言ったものがまるで通用しない。
「……このあばずれ〜。息子を誘惑するのかよ。母さんは性的にだらしなさすぎる」
「なんだよォ」
 母の手が伸びてきて、ヨハンのシャツを掴んで、強く引いた。すごい力だ。母の腕はヨハンよりずっと細く、まともに筋肉もついていない。それなのに体格で勝るヨハンがまるでかなわない。
「オレはヨハンをこんなにあいしてんのに」
 ヨハンを床に押し倒して上乗りになり、肩を竦める母は、やっぱり同級生みたいだった。胸の上でうつ伏せになり、足をパタパタと上下に揺らしている。面白がっている。
 柔らかい右胸がヨハンの胸に擦り付けられた。頭がくらくらしてくる。一体何が正しくて、何が間違ったことなんだったっけ?
「欲求不満なのか〜?」
 ヨハンは母の背中をすうっと撫でて、真面目な顔をして言った。
「あんまり挑発すると、俺ほんとに母さんを犯すけどいいのか」
「ヨハン、オレがほんとに嫌ならどうするか分かるよな?」
「……幸い俺は体験したことないけど」
 母に『ほんとに嫌』な奴だと認識された人間は、大抵が運命を呪ったり、生まれてきたことを後悔せざるを得ないような目に遭わされる。ヨハンはそれを思い出した。思わず苦笑いになる。
「『なんでもひとつ』なんて、良く言うぜ。母さんはいつも俺の願いを何でも叶えてくれる」
「親ばかなんだよ。お前には甘いの」
 母は上半身を屈めて、ヨハンの唇に舌を付けた。
 母は、抗いがたい、重力のような強い魅力を持っていて、この人を好きにならない人間が果たしてこの世界にいるのかなと、ヨハンは昔からずっと真剣に考え続けている。誘われるまま柔らかい右胸に顔を埋めて乳房を吸う。
「親父にされた時も気持ち良かった?」
「ん、すげえよかった」
 母の返事は無邪気ですらあった。良いカードが手札に舞い込んだ時のように、楽しくて仕方がないと言ったふう。
 ヨハンはいつものことだが面白くない。白い胸に噛み付いて歯型を残すと、「こら」と叱られた。
「痛いって。拗ねるなよヨハン」
「俺と親父、どっちが大事?」
「だーかーらー、オレはヨハンをあいしてんだって」
「返事になってないぜ」
 ヨハンはぶすっとした顔で、母の胸の上で頭をもたげかけている乳首を指で摘んで引っ張った。
「……あ、」
 母が、ぶるっと肩を震わせて仰け反る。ヨハンよりもいつのまにか少し小さくなってしまった母の身体は、腕を回して抱き締めると、すっぽりと胸の中に収まってしまった。
「十代」
 名前を呼ぶと、母は一瞬だけ泣きそうな顔になる。どうしたっていうんだろう?
「なんでそんな顔するんだよ」
「ああ」
 母はやっぱり泣きそうな顔のまま、少し微笑んだ。この人はこういう『微妙な表情』をすごく沢山持っている。不敵だったり、少し寂しそうなもの、嬉しそうなもの、儚げなもの。ヨハンにとっての『当たり前』の母の顔だ。
 しかしヨハンは母のそういう顔を見ていると、たまにおかしな違和感を覚えることがある。この人にはもっと相応しい顔があったんじゃないだろうか? そういうものだ。
 母はヨハンの首に腕を回し、
「ヨハンに名前呼ばれんの、こんな嬉しいなんてなぁ」
 とても感慨深そうに言った。



 ベッドの中でまどろんでいると、生徒手帳からメールの着信音が鳴った。腕だけ上げて内容を確認する。隣でヨハンの左手を自分の胸に押し付けている母が(母は胸を触られるのが好きだ。柔らかい女の胸でも硬い男の胸でも、気持ちが良いらしい)、どこか残念そうな顔をしている。
「もう新学期かぁ。もっとヨハンとデュエルやってたかったんだけどなあー」
「休み明けに寮の大会があるんだ。母さん、デッキ調整手伝ってくんねー?」
「いいぜ」
 母はデュエルとなると、今まで漂わせていた気だるげな色香や、濡れた瞳をあっという間に引っ込めて、ベッドの上に行儀の悪い格好で座り、無邪気に目を輝かせている。
 母は美しい『宝玉獣』のデッキを使う。デッキケースには油性のマジックペンで『借り物』と書かれている。汚い日本語文字だ。母の字だ。
 『借り物のデッキでデュエルして楽しいかよ?』といつかヨハンは母に尋ねたことがある。デュエルを楽しむ為なら命も惜しまない、根っからの快楽求道者の母が他人のデッキで戦うのは、ヨハンにはそれはおかしな光景であるように思えたのだ。
 母の返事はあっさりしていた。『借り物のデッキにすら勝てねぇお前には、なんにも言われたくねぇなー』――どこか挑発するような母の言い方にかちんときて、絶対にこの性悪の大人を打ち負かし、本当のデッキで勝負させてやると決意した。子供の頃のことだ。決意はいまだに果たされていない。
 二人で向かい合って座り込み、
「こっちはコレの方がよくねえ?」
「それもいいけどさぁ、俺はこっちを狙っていきたいわけ」
「なるほどー」
 二人にしか分からないような会話を繰り返す。ヨハンはこうしている時、目が眩みそうなほど、ひどい懐かしさを感じることがある。
 これだと決めると、あとは母のデッキにぶつけていく。母はいつものように、ヨハンが組んだ渾身のデッキと、「手加減? そんなものこのオレが……はいはい。爪、勘弁してくんねぇかなー」……ぶつぶつと独り言を言いながら向き合ってくれる。
「母さん、ストップ」
「え?」
「なんでそこでフィールド魔法の効果を使わないんだよ。宝玉獣も、倒された時になんでみんな墓地に送っちゃうんだ。全然分かってない」
「……あー、ああ、うん」
 母はヨハンに突っ込まれると、そう言えばそうだった、という顔をして、
「だってオレ、こいつらは専門外だからさ。お前にダイレクトアタックなんてしようものなら非難の嵐だ。『我々に』大切なヨハンに攻撃させるなんて、この鬼畜、悪魔! ってさー」
「……? ならなんで馴染まないデッキで戦うんだよ。母さん、俺以外の奴とは、他のデッキで戦ってるじゃないか」
「オレなりのけじめってやつ?」
 訳が分からない。手加減をされているのかと思うとなんだか腹が立つが、母はそんな素振りもない。大体この人は、相手が生まれたての赤ん坊だろうが、デュエルとなると手加減なんて知らないような人間なのだ。
 いつもはヨハンが母を追い込み、追い込まれ、そして気が付いたら決着がつき、ヨハンのライフがゼロになっている――そのサイクルを飽きもせずに何度も何度も繰り返しているのだが、
「あ」
 今日は珍しく、ヨハンのモンスターのダイレクト・アタックが、母のライフを削る。ゼロになる。母はぽかんとした顔で意外そうに目を丸くし、ヨハンはぐっと握り拳を作って頭の上に振り上げた。
 生まれて初めて母にデュエルで勝った! これが嬉しくない訳がない。
 しかし――
「あちゃー……やっぱり、そろそろ、潮時ってやつだな」
 母が苦笑いをしながらぼやくと、
『そのようだな。我らは彼の元へ戻る。……ようやくだ』
『お前のもどかしいタクティクスがもう見れねぇのは、ちょっとばかり寂しいような気もするが、ほっとするぜマジで』
 羽根の生えた白馬と鷲が溜息を吐く。
『るびっるびー?』
『くりくりー!』
 いつのまにかヨハンの頭の上に、猫のようで猫じゃない、なんだか良く分からない生き物と、羽根の生えた毛玉が、巣篭もりをする鳩のような格好で落ち付いている。
「な、な、なんだコレ?」
 ヨハンは、いきなり目の前の世界が切り換わるようにして現れた奇妙な動物たちの姿に狼狽し……かけたが、一瞬後、
――あ〜、このやろーッ!!」
 とりあえず、ふてぶてしい顔つきをしている『十代』の頬に、握り拳を叩き込んだ。同時にヨハンの右頬にも、十代の骨の浮いた拳が突き刺さる。
 ヨハンはそれに、ああなるほどなぁ、とおかしな納得の仕方をしていた。同じ事を考えているのだ。二人は、元々は同じものだったのだ。
 もつれ合うように、お互いが大の字で床に倒れる。ヨハンが十八年分の怨嗟と慕情を込めて、
「バカ十代」
 と言うと、
「十八年待ったこっちにバカってなんだよ。バカはお前だぜ」
 同じような顔つきの十代から返ってきた。
 彼がこの十八年間、ヨハンの記憶と光の力を封じていたのだ。闇と光の力が拮抗すれば、光は闇を眩く照らし出す。ヨハンは、『闇を統べる覇王』に封じられていた本来の使命と記憶を取り戻す。
「でもオレはわりと楽しかったなぁ。普通の人間の家族みたいでさ」
「普通の人間の家族は、母親と息子がセックスしたりは、あんまりしないんじゃないかな〜?」
「ヨハンは楽しくなかったのかよ?」
「そりゃ俺も楽しかったぜ。だけど腹が立つ」
「怒ってんの?」
「……俺はまた君にかなわない」
 ヨハンの、殴られて赤くなっている頬の上に手のひらをそっと乗せて、十代がにやにやしている。まるで機嫌を損ねた子供を宥めるように。
 ヨハンは、なんとなく何もかもを諦めざるを得ないような気持ちになった。
「待たせた。ごめん」
 そう言うと、十代は嬉しいような、呆れたような、そして隠しようのない愛しさをいつもの微笑の上に乗せて、
「お前に待たせられんの、オレはもう慣れっこなの」
 そう言った。


・戻・