君を忘れない


◆ちゅうに×こういちの不道徳
◆弟×姉の不道徳
◆不道徳なだけであんまりえろくない




 姉は聡明な人だった。姉は美しい人だった。姉は何でもできる人だった。ヨハンは小さい頃から、多分生まれた時から彼女のことが大好きで、世界で一番尊敬していた。
 いつもヨハンが苦手な国語の宿題を胸に抱いて彼女の袖を引っ張り、『教えてよ、じゅうだい』とせがむと、姉は少し困ったような顔で微笑んでヨハンの頭を撫で、『やれやれ、オレの弟ともあろうお前が、この程度のことが分からないのか?』と呆れたふうに言った。
 実際彼女の言った通りに、どうしても分からなかった訳じゃない。ただヨハンは姉の隣に座り、教科書を開いて、彼女が蟻の行列のような文字の羅列を細くてかたちの良い指でなぞっていくのが、柔らかい唇が落ち付いた声できれいな言葉を紡ぐのが好きだった。
 整った姉の横顔を見上げて、ヨハンはテーブルに肘を付いて、いつもいつも繰り返していることを、今日もいつもと同じように繰り返して姉に言った。
『なぁじゅうだい』
『姉さんと呼べよ。お前よりもふたつも年上なんだぜ』
『俺が大きくなったら、きっとお嫁さんにしてやるからな』
 姉はヨハンの本気も本気の言葉をまるで信じずに肩を竦めた。そしてヨハンの頭を腹を減らしている子犬にするように優しく撫でて、溜息混じりにこう言ったのだ。
『お前はこのオレの弟なのに、すごくバカだな』

   ◆

 どっと笑い声が上がった。男女合同のテニスの授業中のこと、ヨハンが騒ぎに気付いて顔を向けると、テニスコートの中で十代が仰向けにひっくり返っている。
「また派手にコケたな。十代ー! 大丈夫かー!」
「アニキ! 脚、閉じてパンツ見えてるぅ〜! ボクは良いけど他の人には見せないでっ! アニキのパンツはサンクチュアリなんだから!」
「あはは、いってぇー! な、三沢、今の、入ってた?」
「残念ながらアウトだ。約束だ、今回も俺の言いなりになってもらおうか」
「ちぇ〜。オレテニスってなんか気が乗らないんだよなぁ〜。それよりデュエルがやりたいんだけどさぁ〜」
 十代は口を尖らせながら尻の汚れを叩いて起き上がり、腹に手を当てて、情けない声で「腹減ったぁ〜」と泣き言を言った。
 見るとはなしに見ていたブルー寮の生徒達からも失笑が零れた。ヨハンの隣で靴紐を結んでいた万丈目も半目になって、呆れたように溜息を吐いている。
「あいつはまったく、本当に女なのか? 実に疑わしいぞ。下品にも程がある」
 デュエル・アカデミアに在籍する遊城十代という人間は、良い意味でも悪い意味でも有名人だった。デュエルにおいては天才的な才能を発揮するくせ、その他のこととなるとからっきしで、まるで熱意もない。赤点と出席日数不足で二年留年している。学園内において、同じく類稀なる才能を持ちながら二年留年している天上院吹雪と並んで、『留年王』『留年女王』という、決してありがたくない二つ名を持っている。
 このまま二人はデュエル・アカデミアに永住するつもりなんじゃあないのか? そんな噂も立っている。当人達は各々の学内の評判をまったく気にも留めていないらしく、日々気ままな留年生活を送っているようだ。
「あなたのところも大変ね」
 明日香が、『大変』な実の兄の吹雪と十代を照らし合わせてのことだろう、同情と共感の眼差しをヨハンに向けた。『留年女王』、女子は例外なくオベリスク・ブルーに在籍するはずが、あまりにも『目に余る』成績のせいで現在オシリス・レッド唯一の女子となっている遊城十代は、アカデミア一年生のヨハンの、二つ歳上の実の姉なのだった。ヨハンは両手を広げて、にっこり微笑んだ。
「『大変』だと思ったことはないぜ。自慢の姉貴だよ」
「天才だと持て囃されている貴様が言うと嫌味だな。まったくあのバカ、あれでは嫁の貰い手もないぞ」
 レッド寮唯一の女子であるはずが、色々な意味において奔放な十代をひとりの女子として認識している者は、学内でもほとんどいない。臭いがひどいレッド寮の食事を美味そうに食べ、朝から髪もとかさずに、ほうぼうに寝癖をぴんぴんとはねさせたまま教室へ顔を出す。そう思ったら涎を垂らしながら机に突っ伏して居眠りをする。まるで身嗜みに気を遣わない。そして一度デュエルが始まると、鬼のような強さを発揮する。デュエルにおいて彼女を屈服させられたのは、この学園のカイザー丸藤亮ただひとりだという噂だ。
 ヨハンにしてみれば、あの十代がデュエルで誰かに負けることがあるなんて方が意外だったが。
「あーっパンツ穴開いてるぅ! さっきコケた時だよなぁ? なあ翔、お前針と糸持ってなかったっけ?」
「ソーイングセットならあるよ。寮に……じゃなくて! アニキ、わざわざスカート捲って見せなくて良いから! ちょっとは女の子だって自覚してよっ!」
 十代が無防備にスカートを捲って、ほらほら、と弟分の翔に見せ付けている。翔はこれでも一応十代が女子であるという認識をしているらしく、手のひらで真っ赤な顔を覆っている。
「今日のアニキのパンツはハネクリボー柄……よっしゃ!」
 しかし指の間からしっかりと見るものは見て、ぐっと拳を握り締めている。
 遠目にそのおかしな遣り取りを見つめている生徒達の顔には、はっきりと呆れと笑いが浮かんでいた。
「あいつ程パンチラの嬉しくない女子って初めてだよなぁ〜」
「ばっかだよなぁ、十代〜。さっきまたクロノス教諭から逃げまわってたよ。今日も補習だってさ。ところでさ、十代があのヨハンの姉さんだって話を聞いたんだけど……」
「あの頭の可哀想な留年女王が、ヨハンみたいな天才の姉さんな訳ないじゃないか。ちょっと考えたら分かるだろ。第一似てない。ヨハンの奴は入学初日から女子にきゃあきゃあ言われてたけど、十代はアカデミア入学してから三年間、浮いた話のひとつも無かったんだろ? まああんな性格だし、顔も体型もな……」
「あれだもんなぁ〜。可哀想に」
 噂話に花を咲かせる生徒達の顔には悪意はない。くすくすと笑っている。十代はがさつで無頓着なおかしな少女だが、憎めない性質をしているのだ。
 授業終了の鐘が鳴ると、十代はブルー生が使用しているコートまでやってきて、「おーい!」と大きく手を振った。
「ヨハン、メシどうするー? オレ達は購買でドローパンだけど! 早く行かなきゃタマゴパン引かれちまうぜー!」
「ああ、俺も」
 ヨハンは頷き、爪の跡が残るほど強く握り締めていたテニスボールを無造作に投げ捨て、十代に手を振ってやった。
「一緒に食う、姉貴!」
「あねき?」
 今まで十代の噂話をしていた生徒が、目を丸くしてヨハンを見上げている。ヨハンは彼らににこにこしながら頷いてやり、「そう」と言った。


 十代は無事目当てのタマゴパンを引き当てることができたらしい。芝生の上に広げられたシートに行儀悪く座り、満面の笑顔でパンをぱくつきながら、「これで七連続」と得意げに言っている。
「さすがアニキッス!」
 翔が十代を持ち上げる。彼は初対面の十代を男子生徒だと勘違いしたまま弟分を志願し、そのまま十代を『アニキ』と呼び続けているのだが、実の姉を同級生に『アニキ』と呼ばれるヨハンにしてみれば複雑だった。翔は自分にも実の兄がいるくせ、十代を『アニキ』と呼んでいるから、さらにややこしい。
「ぷぁあ、食った食ったぁ! でさぁ、さっき買ったパックにさ、」
「姉貴、パックはいいけど口の横マヨネーズ付いてる」
 ヨハンがパンと一緒に紙袋に入っていた紙ナプキンで十代の顔を拭ってやると、彼女はされるがままにおとなしくなっている。明日香がくすっと笑って、「どっちが年上なんだか」と言った。
「ヨハンがお兄さんで、あなたが妹と聞かされたほうがしっくり来るわよ、十代」
「うえぇ……んー、それ良く言われる。オレ、自分が頼りないのは知ってるから何とも言えないけどさ〜」
 十代は面目無さそうに後ろ頭を掻いている。ヨハンは豆腐パンをもそもそ齧りながら、じろっと十代を睨んだ。少しかちんときた。
「この馬鹿のことだから弟に世話を掛けるのも一朝一夕ではなかろう。ふがいない姉貴のお守か。貴様も大変だなヨハン」
 万丈目は十代とヨハンを交互に見て、哀れみと、どこか羨望の混ざった声で言った。彼自身の優秀過ぎる兄を持った弟の苦悩というものと、ヨハンの境遇を照らし合わせているのかもしれない。
 ヨハンは首を振った。皆何も分かっていない。
「ふがいない訳がない。『この俺の姉さん』だぜ? 姉貴はずるい女だから、馬鹿のふりをしてるのさ」
「ヨハン〜、なに怒ってんだよぉ? オレなんかしたぁ?」
 十代が弱りきった顔でヨハンを見上げてくる。ヨハンはふいと目を逸らし、「別に」と言った。
「ああ、そっか。じゃあ腹痛いんだな」
 十代は一人で納得したようにうんうんと頷いている。円になって食事を取っている面子が、『やっぱりこの馬鹿はしょうがない!』という顔になる。ヨハンは眉間に皺を寄せた。やはりみんな遊城十代という人間を何も分かっていない。

   ◆

 これはまだヨハンが中学生の頃の話だ。大好きな女の子に『あいしてる』と伝えたら、『オレも好きだぜ』と返事が返ってきた。
「大事な弟だ。愛していない訳がないだろ」
「違う、そうじゃない。好きなんだよ」
「オレも好きだよ、ヨハン」
「家族だからとか、姉弟だからってのは止せ。俺は君に恋してる」
 ヨハンは、喉につっかえた重苦しくてもやもやしたかたちのない塊を吐き出すような心地で、血の繋がった実の姉である十代に告げた。
 姉は聡明な人だった。何をやっても完璧で、どんな分野においてもヨハンが彼女に敵ったためしがない。顔立ちは凛々しく、美しかった。つややかなダークブラウンの髪も、どこか醒めているくせに色気に濡れた瞳も、しなやかな肢体も。彼女は強く人を惹き付ける魅力を生まれつき持っていた。
 彼女の周りにはいつも沢山の人間が集まった。姉が妖艶に微笑み掛けると、彼女の言いなりにならない人間は誰もいなかった。姉の同級生達は、彼女の機嫌を取ろうといつも必死だった。姉は沢山の人間を傅かせて作り上げた世界の、気高い女王様をやっていた。ヨハンはいつもそんな姉を自慢に思っていて、絶対君主の姉がヨハンだけを特別扱いし、甘やかしてくれるのを密かに得意に思っていた。
 姉はヨハンの言うことを何でも聞いてくれた。勉強を教えてとせがんだら、夜遅くまで付きっきりで相手をしてくれた。遊園地に連れてって、その玩具は俺のもの、父さんと母さんには絶対に内緒だからな――姉は何だって首を横に振ったことはなかった。ヨハン、ヨハン。彼女はヨハンを抱き締めて、静かで心地良い穏やかな声で、まるで唄うようにゆっくりと言った。あいしてる。
 でも彼女の愛は、この星の上に偶然姉弟として生まれた肉親に向けられるもの以上では決して無かったのだろうと思う。
 ヨハンが欲しがったものでたった一つだけ、姉が与えてくれなかったものがある。彼女の情愛だ。恋する心だ。『じゅうだいが欲しい』とヨハンがせがむと、彼女はいつも少し困った顔で微笑んで、『ばぁか』と言った。
 その日もそうだった。
 「ばぁか」と十代は言った。
「熱でもあるんじゃないのか? 飯を食って寝ろ」
 ヨハンはシンクにドリンクの残りを流している十代を前に、目を伏せて拳を握り込んだ。
「いつもいつもそうやって、お前は俺を相手にしないんだ。俺はそんなにお前に値しない男かよ?」
「そういうんじゃない」
 十代は肩を竦めて溜息を吐いた。
「そういう問題じゃないだろう。オレ達は何だ? 血の繋がった実の姉弟だよ。お前はちょっとした思い違いをしてるんだ。オレはヨハンを愛してる。大事な弟だ。オレ達は『そういうもの』に相応しくないんだよ。分からないのか?」
「分からないな。だって俺は君の事が頭がおかしくなりそうなくらい愛しいんだ。これっておかしなことだろ? 家族に感じる愛っていうのは、もっと穏やかで優しいものだと思う」
「困った子だな」
 十代は振り返って、困った顔で少し微笑んだ。ヨハンは彼女の袖をぐっと強く握り、肩口に額を押し付けた。昔はかなりの背丈の差があったものだが、今ではヨハンが背伸びをすれば、ようよう彼女に届きそうな程に迫っていた。
「お前のことを尊敬していて、どうしても近付きたいって考えて、俺、ずっと、ずっと、ずーっと昔から、十代が好きだよ。十代が信じなくたって、俺の話なんか聞き流してたって、俺の気持ちは何も変わらない」
「ヨハン、いい子だから――
「だから……子供扱いもいい加減にしろよ。俺のことをちゃんと見ろ。ただの家族じゃない。俺はひとりの男なんだよ。お前に恋をしてる、お前を愛しい女として見てる。俺の気持ちを何も信じてくれないって言うなら、十代、」
 ヨハンは十代の手首を強く握り締め、キッチンの床に引き倒した。耳の後ろを勢い良く打ち付けて、十代の端整な顔立ちが一瞬歪んだ。仰向けにした彼女の腹の上に馬乗りになって、ヨハンは間近で十代の鳶色の瞳をまっすぐ見つめながら囁いた。
「肌で感じて知ればいい。あいしてる」
 よはん、と十代の唇が動いた。彼女のシャツをたくし上げ、学校指定の黒いプリーツスカートを捲って、黒いレースの下着を剥ぎ取った。
 十代の腕がヨハンを押し返そうと突き出されたが、幼い頃はあんなにも安心感のあった彼女の腕は、今やか細く、緊張に少し強張っていて、成長したヨハンが力尽くで押さえ込んでしまえるものになっていた。
 ひとつ微笑むだけで何でも自分の思いのままになる女王様はもうどこにもいないのだと、ヨハンはその時気が付いた。
 憧れの姉は、いつのまにかヨハンに組み敷かれて身動きひとつできない、ただの愛しいひとりの女の子に変わっていた。
 彼女の脚の付け根に手を伸ばし、薄い茂みを掻き分けて性器に指で触れると、十代は微かに身じろぎした。
「やめろ、駄目だ、ヨハン」
「いやだね」
「今にきっと後悔するに決まってる」
 ヨハンは十代の唇に噛みついて、「姉弟じゃなきゃ、もっと上手くいったのかな?」と尋ねてみた。いつもは何にでも的確な答えをくれる姉は、何も答えてはくれなかった。黙っている。
「十代を俺のお嫁さんにするんだ。小さい頃からずっと、ずっと欲しがってるのに、他のものなんかなんにもいらないのにさ、こればっかりは全然頷いてくんないんだもんなぁ」
 十代の腰に腕を回して抱き締めると、ほっそりした裸体は、思ったよりも柔らかくて抱き心地が良かった。
 ヨハンは最愛の十代を抱いた。
 彼女を姉貴だなんて、今まで一度も呼んだことはなかった。


 しかし強引に肉体を手に入れても、最愛の姉はヨハンのものにはならなかった。
 彼女の柔らかな肢体を貪って、貪って、彼女を抱き締めたまま眠って、そして目が覚めると、姉の姿は消えていたのだ。家にも学校にも街のどこにもいない。
「じゅうだい、」
 街中捜して、そして家に戻ると、十代は先に家に戻っている――ということは、残念ながら無かった。その後久し振りに帰宅した両親には十代を心配している様子はなく、奇妙に思っていると、高校生になった十代は、南海に浮かぶ孤島にある全寮制の学園に入学することになったのだという話を聞いた。
 そんな話を、ヨハンは今まで一度も聞いたことがない。


 それから二年間の空白があって、ヨハンがようやく姉が在籍しているはずのデュエル・アカデミアへ入学した時のことだ。
 ヨハンは十代と再び出会った。しかし、彼女はもう完全無欠の女王様――ヨハンが知っている十代ではなくなっていた。

「ドロップアウト・ガール! また貴女の仕業なノーネ!」
「あはは〜、センセー、わりーわりー! 悪気は無いんだって、なっ、この通りっ!」

 あの挑むような孤高の微笑は彼女の顔から消え去って、かわりに太陽のような明るく温かい笑顔があった。

「腹減ったぁ〜! しょお、オレの釣り竿どこ行ったか知らねぇ〜?」
「知らないよ。あんなおっきなものどうやって無くすのさアニキ」

 天才だと持て囃され、羨望と追従の目を向けられていた彼女は、万年落第生、どうしようもない落ち零れ、デュエル・アカデミア始まって以来のできそこないだと扱き下ろされ、レッドの同寮生にまで『あーあ、ダメだこいつは』と馬鹿にされる始末。

「だってオレバカなんだもん。しょうがないじゃーん?」
「十代……開き直るのは止めなさい。いくらあなただって、もしかしたらやればできるかもしれないんだから」

 かつて子供のヨハンが丁寧に櫛を入れてやっていた髪にはひどい寝癖をつけ、顔つきからも凛とした気高さが失われていた。優美に微笑むだけで誰もが傅いていた女王様が、今は落ち零れ仲間のレッド生にまで、『お前はなぁ、生まれてくる性別を間違っちゃったんだなぁ〜』と不憫そうに肩を叩かれ、『そーだよなぁ、あはは〜オレも男なら良かったぁ〜』と馬鹿みたいに笑っているのだ。
 変わり果てた十代を初めて目にした時、ヨハンはひどい衝撃を受けた。あのきれいで、優しくて、誰もが憧れる十代が、この学園では徹底的に貶められ、汚されていると感じたのだ。
 それも多分、きっと、いや絶対に、彼女が変わってしまった原因は、弟のヨハンの他にない。

(俺のせいで、あの綺麗な十代が、こんなに?)

 呆然としていたヨハンと目が合うと、彼女はにかっと歯を見せて笑った。ヨハンが知っている十代は絶対にしない笑いかただ。姉はいつも少し口元を綻ばせて、優しくはかなく微笑む人だった。
「よぉっ、ヨハン! ひっさしぶり!」
「あ、ああ。久し振り……」
「オレさぁ、色々あって留年しちゃってさぁ、お前と同級生なの。ま、誰も信じやしねーけどさ。落ち零れのオレと、入学試験受けた時から天才だって話題のお前が姉弟なんてさ〜」
「止してくれ。天才って言うのは、お前みたいな……」
「あ、いっけね。オレレッドなんだわ。先生呼んでる。じゃ、またな、ヨハン!」
 十代はヨハンの背中を強く叩き、笑顔で赤い制服の列へと駆けて行ってしまった。ヨハンが伸ばした手も、彼女をとらえ損なって、行き場のないままだ。
「なんだ? あのレッド生。いきなりブルーに妙に気安いじゃないか」
「あいつ頭が悪くてニ年も留年してるって噂だぜ。良く退学にならないもんだなぁ〜」
 呆れたような感心したような声がちらほらと聞こえる。


「なんだよ、これ」
 十代を呼び止めて、手首を掴んで廊下の壁に押し付けると、彼女は予想はしていたというふうに「あーあはは」なんて空笑いをしている。
「ヨハン、オレさ、すごいダメなやつだから、頭わりーし、足し算できねーし、あ、漢字も読めない。だから、しょーがないって」
 乾いた音が鳴った。ヨハンが十代の柔らかい頬を張ったのだ。十代の隣にくっついていた金魚の糞みたいな少年が、目を尖らせて「何するんッスか!」と怒鳴った。それはどうでも良いのだ。
「見損なった」
「……うん」
「君を尊敬していたのに」
 十代は赤くなった頬を押さえて、にへ、と微笑んだ。ヨハンは思わず釣られて微笑んでしまいそうになったが、唇の端を引き結んで堪えた。今十代と一緒に笑ってしまえば、ヨハンは我慢ができずに、大声を上げて泣き出してしまいそうだった。
 ヨハンは静かに十代に告げた。
「でも、俺は何も変わらない」
「…………」
「何も変わらないんだ。君がいなくなって、俺はすごく、寂しかったよ」
「……ごめんな」
 十代が俯いて、すっと視線を逸らした。ヨハンは目を細めて、十代の袖をつんと引っ張った。昔は自分よりも大分背の高い十代にやっていた仕草だから、今になっていくらか目線が下にある彼女するには奇妙な感じだった。
「『姉貴』、レッド寮生なんだよな?」
「あ、ああ、……うん! そうだぜ。ボロいし、雨漏りしてるし、でも結構快適で――
「遊びに行っても構わないよな。何たって俺達、仲の良い姉弟なんだから」
「お、おう!」
 ヨハンがにっこりして言うと、十代も心からほっとしたふうに、晴れやかな笑顔を見せた。太陽みたいな眩しいものだ。ヨハンは手を伸ばし、そんな十代の鼻をぎゅっと摘んで、耳もとにそっと囁いてやった。
「今の『姉貴』も、すごく俺好みだ。かわいいよ、十代」
「……え」
「今度は――もっと、優しくするからさ」
 十代が分かりやすいくらいに硬直する。歩き出すと背中の後ろから、「これまた全然似てない弟さんがいるんッスね……え? アネキ?」という声が聞こえてきた。
「ええええええええええええ……!?」
 十代が悲鳴を上げている。あいつは随分路線変更を狙ったもんだなとヨハンは考えた。