タイカノ




『留学ぅ?』
 校長室を出るなり、ドア横の壁に張り付いて聞き耳を立てていた同級生達が、怪訝そうな顔で声を揃えた。その顔ぶれの中には、愛する実の姉十代の姿があった。彼女の顔には『そんなん、聞いてねーぞ!』と書かれてあったが、そのことで十代に責められる覚えは、ヨハンにはまるでない。二年前にヨハンを放り出して家を出て、こんな海のど真中にある寄宿制の高校に進学したのはどこのどいつだ。しかも長期休暇にも、一度も彼女はうちに帰って来なかった。
 ヨハンはいつもつるんでいる面々の顔をぐるっと見回した。アカデミアの女王明日香(面倒見が良くて、十代と並んでいるとまるで姉妹のようだ。……女の子にまで嫉妬する自分にいやになる)、リアクション王万丈目サンダー(いつも何だかんだで十代に付き纏っているから、先日お前まさか姉貴のことが好きなんじゃないだろうなと確認したら、動揺し、躓いて転んだ拍子に崖から転落した)、チビのくせにスケベな翔(こいつは目覚めるのが早過ぎる。身内の顔が見てやりたい)、コアラ(精霊の分身がいる)、そしてアホになってしまった姉の十代(かつては妖艶な女王様だったが、現在はかわいい系に180度路線を変更した)。
 そして頷く。
「ああ。交換留学生。校長先生に頼まれちゃってさ〜。良い返事を期待してるって。俺も、前向きに考えてみようと思ってる」
「すごいんだな〜」
「ただ、少し寂しくなるわね」
 これは明日香。しかし、いつも十代の一歩後ろにいる翔は、零れてくる笑みを隠しきれない様子だ。
「小姑がいなくなれば、残る奴らはオトポジのボクの敵じゃないね。安心してゆっくりしておいでよ、ヨハン。帰ってきたら、きみがボクのことアニキって呼ぶようなそういう感じになってると思うからさ。もちろんお義兄さん的な意味で」
「ブラマジガールから十代まで、お前のストライクゾーンは果てしなく広すぎるな。金魚の糞」
――ああああ、どうしよう、ブラマジガールとアニキを選ばなきゃなんないシーンに遭遇したら、ボクは一体どうすればあ〜……!」
「そんな局面は一生貴様には訪れんから安心しろ」
 ヨハンはちらっと十代を見遣った。彼女はどんな顔をしているだろう?
「へえー! やっぱヨハンはすっげえなー!」
 姉は目をきらきらさせながら、胸の前で拳を握り締めている。
「他のガッコのすっげー強い奴とデュエルできるかもなんだろ? 羨ましいぜっ!」
「でも、俺がいなくなったら姉貴、困るんじゃないか?」
「そりゃ寂しいけど、オレはヨハンのやりたいことを邪魔するつもりはないぜ。アカデミアに二年もいたら、なんかもう自分ちみたいに馴染んじゃってるし、だからオレのことは気にするなよ。心配ない。みんないるし」
「そうそう。だから心配せずに旅立つが良いッス。次回予告はめくるめくボクとアニキの新婚生活スタート! って感じで」
 十代は、ヨハンを引き止めるどころか、去っていくのを気にする気配もない。

「ラブレターだとー!!」
 万丈目が叫んだ。さすがリアクション王、転ばなくても良いところで転んで、頭からベッドの下へ落っこちている。
「そんなもの、出したことはあるが貰ったことはないぞ!」
「万丈目くん、中学の時はもててたんじゃないの?」
「時は、とはなんだ。オレは、たぶん、高嶺の花という奴でだなあ……」
「はいはい。それにしても沢山貰ってきたもんだねぇ、ヨハン。ボクはきみのアニキとして誇らしいよ。きみがアニキの弟じゃなかったら、まあ軽く殺意は抱いていたかもしれないけど」
「いやあ」
 ヨハンは頭を掻いて、照れ臭そうに笑った。靴箱に入っていたもの、すれ違い際に押し付けられたもの、放課後呼び出された時に手渡されたもの――沢山、沢山の手紙を、机の上に広げている。
「うわぁ。どんな色目を使ったらこんなにもらえるのかなー。まあさすがにボクのお兄さんには負けるけどさ」
「でも確かに、カイザーもヨハンも、かっこいいもんなぁ〜」
 デッキに入れるか入れざるべきか、カードを両手に、珍しく真面目な顔で悩んでいた十代が言う。ヨハンは十代に自分と他の男の名前を並べて呼ばれ、内心面白くない。
「十代は、カイザーが好きなのか?」
「おう」
 十代はあっけらかんと頷いた。がたんと、思わず椅子を引いて立ちあがってしまう。
「お、俺よりも!?」
「ばぁか。なんでお前とカイザーを比べなきゃなんないんだよ。カイザーは翔の兄貴で、ヨハンはオレの弟だ。全然違う。それより、手紙もらったらちゃんと返事しろよ。出しっぱなしの手紙って、結構寂しいもんなんだ」
 十代にしては意外なことを言う。
「なんだ。貴様にしては殊勝じゃないか」
「おう。オレ、中学の時にさぁ。超融ご……ともかく欲しいカードがあって、下僕……じゃなくって、友達に頼んで、力ずくで奪っ……なんとか手に入れてきて欲しいって手紙を送ったんだけど、そいつ、……あ、いや」
 十代はわざとらしく咳払いをして、目線をうろうろさせ、
「やっぱやめた。結構どーでもいいし、面白くねー話だし、血生臭いし、」
「血生臭いの!?」
「あ、いや、そーじゃなくって。と、とにかく、オレそーいうの良くわかんねーけど、ヨハンが人気者なのは嬉しいな。ヨハンに大事な人ができるのも嬉しい」
 にっと歯を見せて十代が笑う。ヨハンは、未練がましいとは思いながら、彼女に言った。
「俺、女の子と付き合ったりしたらさ、姉貴に構わなくなるぜ、きっと」
「んー。ちょっと寂しいけど、一人立ちってそんなもんじゃねぇの?」
「……馬鹿だな〜。姉貴に彼氏のひとつもできねーのに、弟の俺が先に……」
「そんなん気にすんなよぉ」
 ばしばし、背中を叩かれた。ヨハンは悟っている。
 全然相手にされていない。
「……俺、ほんとに留学して、遠くの国に行っちまうんだからな」
「ああ、応援してるぜ〜」
「そんで、可愛い女の子を彼女にするんだ。あんたなんかよりずっといい子でさ、」
「そんなんなったら、絶対オレにも紹介してくれな! あ、でもさ、彼女つくって留学して、置き去りとかひどくねぇ?」
「…………」
 ヨハンは立ち上がって、
「……部屋、帰る」
 十代の部屋を出た。ブルー寮にある自室へ戻る途中、なんだかほんとに泣きたくなってきた。



「なんか様子が変ッスねぇ」
 翔は開けっぱなしだった部屋の扉を閉めて、怪訝な顔をしている。相変わらずたてつけが悪い。
「ヨハン、なんかヘンなものでも食べたのかなー?」
「さあ?」
 十代はヨハンが出て行っても、相変わらず真剣な顔でカードと睨めっこをしていたが、
――まったく、しょうのない子だ」
 万丈目はきょとんとして、「十代?」と呼ぶ。ちらっと見えた十代の横顔が、なんだかまるで別の人間のように見えたのだ。しかし当の十代はお気楽な顔を上げ、「ん? なんだぁ?」と首を傾げた。いつもどおりだ。気のせいだったのだろうか?