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「……こっちも駄目だ」 行き止まりの壁が現れた。 リュウは肩を落として頭を振り、それからはっと思い直して、何でもない顔を作ってニーナに振り向いた。 どうも支給品のナビの具合が良く無いようで、さっきからノイズがひどい。 廃物遺棄坑の中は、リフトよりも大分入り組んでいて、遠くの方で様々な種類のディクの鳴き声が聞こえた。 リフトでも良くある邪公が群れの仲間を呼ぶ声、ワーカーアントが触覚をぱちぱち擦り合わせる音。 それらに混じって、時折口笛のような音が一定の間隔で聞こえたが、正体は掴めなかった。 ディクのものにしては規則的だったが、誰か他に人間がいるとも思えない。 最下層区民だって、ここまでは降りてこないだろう。 何にしても、得体が知れないので少し気持ちが悪い。 右手首にくっついている計器は、いつも通り発光してはいたが、そこに何がしかの図形を読みとることはできなくなっていた。 こんなに深い穴の底だから、さすがにデータベースの管理下にないのかもしれないとリュウは不安になったが、さっきまではちゃんと地形やディクの生体反応まで映していたのだ。 (考えられるとすれば、この階層、なにかのせいで電波が届きにくくなってるってことかな。 まあ、ナビがなくたって、なんとかはなる……上へ上へ上がるだけだ。 せめて今日中に最下層区にまでは着くと良いけど、もし最終列車が行っちゃった後なら、駅舎で泊めてもらえるかな) リュウは考えながらも、立ち止まらず、ニーナの手を引いて歩いた。 本当なら負ぶってやるべきだが、いたるところに野生化したディクが溢れかえっている廃物遺棄坑内部で両手が塞がってしまうのは致命的だった。 それになんだかニーナ、彼女は、どうも他人に身体を触られることがあまり好きではないようだった――――さっきサイクロプスに攫われそうになっていたせいだろうか? 今こうやってリュウに手を引かれていることでさえ、不思議で仕方がないという顔をしていた。 嫌悪はないようだったが、まるで生まれてから今まで、誰かに手を繋いで歩いてもらったことがないような感触の顔つきだった。 まだ小さいのに、彼女には大人に甘える気配というものが全くなかった。 まるで機械かなにかのように無表情でいたが、それにしてもさっき会ったばかりの頃よりは、それも大分ましになっていた。 笑い掛ければきょとんと目を丸くして首を傾げるし――――そこには年齢相応の子供っぽさを見付けることができた――――ちゃんと繋いだ手を握り返してくれていた。 「大丈夫かい? もう少しだからね。がんばろう」 この言葉を掛けるのも何度目かになるが、その度にニーナは頷き、何か言いたそうに口を開け、そしてわななくように唇を震わせ、項垂れた。 彼女は言葉を発することができないようだった。 誰かに声を押し込められたようになっていて、彼女自身今までそれをどうと思うところもなかったのに、急に自分には言葉がないと言うことに思い当たり、それが気になって仕方がないとでもいうふうだった。 彼女は何度もリュウに何かを伝えようと口を開いたが、大抵は決まった単語しか出てこなかった。例によって、公社のニーナ。それだけだ。そして後は言葉にならないうめき声だけだ。 「……大丈夫さ、ニーナ。すぐに公社に送ってってあげるよ。無理しなくっていい、おれもあんまり喋るの得意じゃないから……」 リュウは穏やかに言って、ニーナの頭を撫でた。 そうするとちょっと安心したように、ニーナはじっと目を閉じて、静かに頷くのだった。 言葉が伝わらないって、とても不安なことだろう。リュウは思った。 彼女ほどではないが、リュウ自身にもいくつか覚えがあることだった。 言葉が見当たらないせいで、思うところを伝えられず、胸の中にもやのようなものが積もって、息苦しくなってしまうことだ。 リュウはあまり言葉ってものを知らない。そのせいで、無口で寡黙だと取られることもあった。 本当は言いたいことは、それこそここにある廃物の山みたいにあるのだ。 でも上手く伝わらない。リュウはあまり頭が良くなかったし、そのことを良く理解していた。それがコンプレックスのひとつでもあった。 頭の回転も早くないし、良く気が付くほうではない。 判断力にも自信がない。いつもルーチンに沈み込み、流されているだけだ。 同い年、それも数ヶ月ばかり歳下なのに、頭が良くて優秀な相棒が、リュウはいつも心底羨ましかった。 だが尊敬こそすれ、いくら努力したって彼になれるわけじゃない。 リュウにできるのは、せめて誠実であるように努力することくらいだった。 つまり困っている人がいれば手を差し伸べること、民間人を守ってあげること、弱音を吐かないこと、諦めないこと、そして信念だけは曲げないこと、そんなふうな自分で決めたルールに従うことだ。その大方が師匠であるゼノ隊長の受け売りだったが。 薄暗い遺棄坑の中を歩きながら、リュウはふと思い当たった。 さっきまであんなに怖かったのに、今は大分恐怖が薄らいでいた。 確かに、怖くないわけじゃない。 リュウは臆病だったし、そのことで良くからかわれることもあった。 あの喉元が縮み上がるような緊張と悪寒が、ニーナの手を引いて歩いていると、彼女を守らなければならない、そしてそれをするのが今は自分ひとりきりしかいないという気負いのせいで、姿を潜めていた。 奇妙な気分だった。 弱虫だといつも馬鹿にされていたリュウが、誰かの手を引いて守りながら歩いている。 ボッシュは何て言うだろうな、とリュウは考えた。 似合わないと笑うだろうか? それとも、かっこつけるのはいいけど、実力が伴ってないよと皮肉を言われるだろうか。 いや、こんなことアタリマエ、そもそもオマエもレンジャーなんだろ、とそっけなく肩を竦めて言うかもしれない。 彼に掛けられる言葉っていうものは、大体が少しリュウを馬鹿にするような調子のものだったからだ。 廃物遺棄坑はディクの巣みたいなものだった。 少し歩けばグミエレメントを踏ん付けたし、屑山のいたるところでハーミットのぬるぬるした触手が蠢いているのが見えた。 動体探知機は常に光点を示していたし、それらはせわしなく動き回っていた。 リュウのおんぼろの剣は相変わらず濁った錆の色をしていて、まともにディクも斬れなかった。 あれは何だったんだろう、とリュウは考えた。 さっきのことだ。 ニーナを助けようとした時のことだ。 赤い光が剣を煌かせて、まるで良く切れる包丁でハオチーを料理するみたいなふうに、あの頑強なサイクロプスの腕を切り落とした。 そしてそれをリュウがやってのけたのだ。 あの時聞こえた声は誰のものだ? リュウの記憶の中の誰かの声だろうか。 確かに懐かしい気配があったのだが、覚えはなかった。 「……あれ」 また口笛のような音が聞こえて、リュウは顔を上げた。 そう遠くない場所から、それは聞こえてきた。 だが、音の響き易い遺棄坑の中のことなので、判別はし辛い。反響している。 もしかすると人間のものなのかもしれないが、音に釣られてやってきた人間を食うディクなのかもしれない。 どちらにしても、気を抜くことは許されなかった。 救援が来ないことは覚悟していたし、ディクはそこここに群れていた。 「離れないでねニーナ……」 リュウはぎゅっとニーナの手を掴んで、少し遅れがちに歩いていた彼女と歩調を合わせた。 彼女は素足なのだ。 足が痛いのかもしれない。 ボッシュがいればおれが背負えるんだけどなとリュウは考えたが、今になって考えてもしょうがないことだ。 彼はきっと、今頃レンジャー基地に辿り付いている。 そのはずだ。 まるでテレビの、子供向けの番組に出てくるヒーローみたいに強い彼のことだ。 リュウが生きているのに、彼に何かがあるわけがない。 もしかすると、最下層区街に着けば、基地に戻ったボッシュが救援を連れて迎えに来ているかもしれない。 リュウは無理にそう考えて、冷静になろうとした。 リュウよりも深い奈落へ落ちて墜落死してしまったのかもしれない、それとも生きてはいたが、ひどい傷を負っている所をディクに食べられてしまっているかもしれない、もしかするとさっきのトリニティに拉致されて拷問でも受けているかもしれない、そういった想像は、極力頭から排除することに努めた。 ボッシュは無事だ。そうに決まってる。 しかし、そうやって不安に思考を奪われたのが悪かったのかもしれない、リュウは急に暗闇の中から聞こえてきた足音に、反応が一瞬遅れた。 「……ディク?!」 リュウはグリップを水平に構え、ニーナを背中で庇った。 足音は軽く、そう体重が感じられるものではなかった。 そいつが光の中へ踏み出して来た矢先、リュウは踏み出し、刃先を突き出した。 剣には何の感触も訪れず、かわりに小さな鉛玉がリュウ目掛けて降り注いできた。 間近で発砲される轟音に耳がいかれて、火花が視界に散った。 足元で、乾いた音を立てて、落ちた薬莢が床を叩いた。 咄嗟に姿勢を低くして、後ろに飛び退くと、鼻先に何か黒い小さな塊が飛んでいくのが見え、その先にあるぼろぼろの壁が、ばしっという音を立てて弾けた。 そうしているうちにも、その誰かは素早く移動し、リュウの真正面で黒い筒のようなものを携え、突き付けた。 リュウは反射的に剣を跳ね上げた。 そうしてようやく現れたものが人間であったことを知った。 まず目を引くのは、獣人種特有の鳶色の太い尻尾だった。 タイトな薄い水色のフード付きのボディ・スーツを着込んでいて、あからさまに膨らんでいる胸や、優美な肢体から、それが女性であることが容易に知れた。 顔の部分には、奇妙な装飾の仮面が嵌っていた。白い、不気味な能面の表情が、静かにリュウを見下ろしていた。 「―――― チェックメイト、レンジャー?」 くぐもった声で、そいつが言った。 リュウは応えず、剣をそいつの首筋に突き付けて、じっと睨み付けていた。 「……チェックメイトだ、トリニティ」 先ほど、リュウとボッシュが乗った輸送車両を襲ったトリニティだった。 手に握られたルゥジョーの銃口は、ぴたりと寸分の狂いもなく、リュウに突き付けられていた。 指はトリガーに掛かっていた。 だがリュウの剣も、正確にトリニティの喉元に向けられていた。 このまま剣を突き出せば、喉を裂かれたトリニティは、はずみでトリガーを引くかもしれない。 トリニティがトリガーを引けば、リュウは鉛の銃弾が脳髄を破壊する前に、その喉を貫くだろう。 どちらもが拮抗して動けなくなっていたところを、はじめに銃を引いたのはトリニティの方だった。 そして感情のない声で言った。 「その子を渡してもらおう、レンジャー。 ここまで連れて来たのには感心するが……ここまでだ」 「彼女を助ける。おまえが何のつもりだかは知らないが、犯罪者に渡しはしない」 「……ティモシーは、どうした? 私のサイクロプスだ。口笛にも反応しない」 「倒した」 「おまえが……?」 トリニティの反応は静かなものだったが、彼女は少しばかりの呆れと馬鹿にするような調子を含めた様子で、頭を揺らした。 どうやら、笑ったらしかった。 「何かの勘違いだろう。おまえのような子供がサイクロプスを倒せるものか。 君ではその子を救えない。 なにも知らない、システムに組み込まれた哀れなねじに過ぎない君には、何もできない。 さあ、おいで……怖いレンジャーがいないところへ、私が連れて行ってあげる。助けにきたんだ」 トリニティは、不安そうに棒立ちになっているニーナに手を差し伸べて、リュウへの冷たい物言いとは打って変わって、優しい声で言った。 何かを企んでいるのだろう、何せトリニティだ。 サイクロプスまで使って、ニーナを攫おうと考えている連中だ。 リュウは硬い声で、困惑しているニーナに「大丈夫だから」と言った。 「……大丈夫だからね、ニーナ。おれが守るから、こんな奴の言うことなんて聞いちゃ駄目だ」 「レンジャー、おまえは黙っていろ。ニーナって言うのか。騙されるな、助けにきたんだ。私が守る」 リュウにはわけが解らなかった。 トリニティが、悪質なテロリストのくせに「守る」なんて言う真意が掴めなかった。 そして、何故ニーナにそこまで執着するのかが知れなかった。 いつもみたいに、身代金目当ての誘拐じゃあないのか? リュウとトリニティにじいっと見つめられているニーナは、何だか居心地が悪そうだったが、おずおずとリュウの元へ走ってきて、ぴゅうっと影に隠れてしまった。 トリニティは驚いたようにぽかんとして、どうしたの、と言った。 「そのレンジャーには、システムから君を救うことはできない……。システムそのものなんだ。我々の元へ来れば、君には人間らしい生活を保証しよう」 ニーナは困った顔をして、リュウの肩の上にちょっと顔を出し、いやいやをするように頭を振った。 トリニティは少し困惑した様子を見せたが、ニーナがリュウから離れないことを知ると、溜息を吐き、仮面を外した。 綺麗に造作の整った顔だった。 薄いブルーの目を眇めて、そいつは笑った。 「……レンジャー、最下層区を出るまで手を組もう。 彼女は私を誤解しているようだ……君は私と出会わなかったし、行動もしなかった。 翼の生えた女の子とも出会わなかった。 いいね、君がこの先生き抜く為には、そうした方がいい」 「誰がトリニティなんかと……」 リュウはかっとなったが、トリニティは肩を竦めて言った。 「君の技量では、この遺棄坑から抜け出すには厳しいようだ。 トリニティでも、一人で彼女を危険に晒すよりましだろう?」 「う……」 リュウはぐっと詰まって、黙り込んだ。 トリニティと一緒に行動したなんて、後で仲間に知れれば大変なことになる。 だが確かに廃物遺棄坑は危険だったし、例え犯罪者だったとしても、一人よりはましだった。 ここには何が潜んでいるのかわからないのだ。 それにまずはニーナの安全を優先するべきだ。 こだわりはこの際棄ててしまったほうがいい。 「……ここを出たら、絶対におまえを逮捕してやる」 「わめくな、政府の犬。それより私のティモシー、どこへやった。弁償しろ。 優秀なサイクロプスは値が張るんだよ」 ひとしきり睨み合った後でトリニティはぷいっと顔を逸らし、ニーナに向直って、冷たい表情を崩して微笑み、彼女の頬を撫でた。 「私はリン、よろしく。あんたも今だけだが、よろしくなレンジャー。名前は」 「リュウ」 リュウは仏頂面で剣を収めて、そっけなく名乗った。 「リュウ=1/8192。まさかトリニティに名乗るなんて思わなかった」 「ふん」 リンはまた能面に戻って、おまえはいけすかない奴だよ、と言った。 |
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