ソロー [ 006 ]
「こんにちは、お邪魔します」 青い髪の少年が、基地の見張りをやっていたレンジャーににこやかに微笑み掛けた。 少年は上等そうな礼服姿で、御印まで持っていた。オリジンの名において全ての場所へ出入りできることを示すものだ。政府の要人に間違いはないだろう。 それだけならさして問題も無かった。 ただ少年は奇妙なお供を三体連れていた。それらがどうも悪かった。どう見てもまともな人間から掛け離れた外観をしていた。ハオチー頭に鋼鉄の巨体にドヴォーヴ人間ときている。見張りレンジャーは内心腰を抜かしそうになっていたが、少年は全く気にした様子が無かった。 意外なことに、異形のうちの一体が助け舟を出してくれた。彼は溜息混じりに、青い髪の少年に進言をしてくれた。 「だから暗部は明るい場所へ出るのは控えたほうがいいと言ったんですねぃ。またこうです。ドン引き。さっさと退散したいところですねぃ」 「じゃあ早く仕事を終わらせたほうがいいね。ギーガギスとディゴンは入口で待っててくれ。タントラは……」 「ご一緒しますねぃ。あなた一人だと書類が読めなくて難儀するでしょうし」 「ありがとう、助かるよ」 少年はにっこり微笑んだ。それを見てタントラと呼ばれた男は、どこか不安げにソワソワしている。 ◇◆◇◆◇ 反政府組織の人間がいくらか捕まったという話を聞き付けて、リュウはレンジャー基地へやってきた。 基地の中には主人の匂いがまだかすかに残っていた。 冷静で優秀な機械のように振舞ってはいても、主の残り香のようなものを感じ取ると、リュウはいつもふわふわとした心地になった。 頭の中に沢山の意識の奔流のようなものが流れ込んできて、様々なものを押し流していく。リュウは一度にふたつ以上のことがこなせない性質だったから、そういうことがあると、『ついうっかり』が増えてしまう。 そのことで部下たちが大分大変な思いをしているという話を聞いたことがある。リュウは彼らを困らせてしまうことについては悪いなと思っているのだが、具体的に何が悪いのかということに関しては、良く分からない。あまり賢くはない上に、人の心が上手に理解できないのだ。 ◇◆◇◆◇ いきなりまだ幼さの残った顔をした青い髪の少年がレンジャールームに入ってきて、「反政府組織構成員はどちらですか?」と言った。 見るとリュウだ。犯罪者を拘置室にぶち込んだはいいが、下品な罵詈雑言にいささか疲れ果てていたモモは驚いて、「あれ、リュウ」と声を上げた。 相棒のアビーや、同期の仲間たちも驚いたような顔をしている。 「お前レンジャー辞めたくせに、何を普通にこんなところに入ってきてるんだ? ここはお前の……じゃない、あなたのような人が入ってくるようなところじゃないんですよ、へへ」 「アビー……いつものことながら情けないね……」 モモは呆れてしまった。アビーは昔はローディのリュウを小突き回して虐めていたくせに、今やオリジン直属のエリートにのし上がったリュウに媚びるような顔つきだ。 「どちらですか?」 しかしリュウは、ろくに話も聞いていないらしい。微笑みながら繰り返した。なんだかリフトの車内放送みたいに機械じみていた。 アビーは邪険にされても気にしないことにかけてはすごいところがあったから、捕まえてきた犯罪者リストの何人かの名前を指差して、「こいつらですよ」とリュウに教える。 「これから尋問して色々喋らせてやりますよ。いや任せてください。俺そういうの得意なんですよ、へへへ」 リュウはアビーを無視して、拘置室の中へ入っていく。まるで警戒する様子はない。 「ちょ、ちょっとリュウ、危ないよ?」 リュウがいくら強くても、手枷を嵌められているとはいえ、丸腰で屈強な男を相手にするのは無理がある。彼らもそれなりに自分の力に自信を持ってトリニティをやってきたのだ。 しかしそれとは別に、なんだか嫌な予感がする。モモは以前、リュウと任務で出くわした時のことを思い出していた。このリュウは、なんだかモモが良く知っているリュウとはどこかずれているのだ。 「はじめまして。ネガティブです」 リュウが拘束されたトリニティに行儀良く挨拶をした。さっきまで暴れるのを押さえていたレンジャー達も傍にいたが、彼らもトリニティ本人も一緒になって、なんだこいつは? という顔をしている。 「あ? なんだ? このお姉ちゃんは。……楽しんじゃっていいのか?」 リュウは見た目は随分綺麗な少年だった。昔のようなちょっと地味なところは無くなっていた。でもそれは、どこか人工的な美しさだった。誰かが飾り立ててやった人形のような感じがする。服だって全然リュウの好みっぽくはなかった。 トリニティの方は好色な目で、リュウの頭からつま先までを食い入るように見つめている。先程モモも変な目で見られた。どうやら彼を女の子と間違えているらしい。 リュウは怒るでも嘆くでもなく、ただ淡々とした声で言った。 「これより異端審問を始めます。あなたはオリジンに敵対する反政府組織の人ですか?」 「……はあ? 目の前を見ろよ。目が見えないのか? そんなことも知らねえで逮捕したのか? バカかお前」 「そうですか。じゃあ」 リュウがにこにこしたまま「死んでください」と告げる。同時に、背中で組まれた彼の手の中で、カチンと金属が擦れる音がした。見ると、いつのまにか長い剣を持っている。 彼は一瞬前まで間違いなく丸腰だった。どこから出したのかまるで分からなかった。その長剣ときたら、ちょっとポケットに入る大きさじゃないのだ。 トリニティの頭が胴体から離れた。 あまりにも切り口が鮮やかだった。生首は『え?』という顔をしていたが、やがてどういう理屈なのか傷口から発火し、一瞬で消し炭になってしまった。火力が強過ぎて、燃え移る間も無かった。 モモたちが唖然としているうちに、他の拘置室からも次々と悲鳴が上がった。 モモはそこで奇妙な現象に気付いた。リュウの影が床の上でいくつも分かれて、それぞれが別々に動いている。奇妙に思ってまばたきして目を凝らすと、もうリュウの影は元通りひとつになっていた。見間違いだったのだろうか? 外から聞こえる悲鳴が途切れると、リュウは満足したようで、モモたちに背中を向け、さっさと拘置室を出て行ってしまった。 拘置室には『オリジンに忠実な』レンジャー以外、誰もいなくなっていた。 後になって様子を見に来たリードのガンナーが、ぽつぽつと教えてくれたことがある。 ネガティブとは、今やオリジン直属の異端審問官である。彼らは法的な手続きを取らずに、オリジンに歯向かう異端者共を処刑することができる。彼ら自身が法そのものなのだ。 彼らは忠誠の証として記憶と肉体と存在を全て献上するかわりに、オリジンから絶対の信頼と御印を与えられる。 「あいつらは例外なくブーステッドされてる。ディクなんだ。人間とは違って『加減ができない』。そういうことになってる。だからとても合法的に殺人を行えるんだ」 「例外なくブーステッド?」 モモは驚いて訊き返した。 「リュウも?」 「……ネガティブの隊長は特にオリジンの狂信者で、稀に見るキチガイだって評判だよ」 ◇◆◇◆◇ 犯罪者の尋問の必要が無くなった。 なぜなら、機密は死後異形部隊に食われて脳味噌から直接吸い出されるからだ。 毎日恐ろしい数のトリニティの虐殺が行われる。反政府組織の人間だと疑われた人間も殺される。密告を恐れて誰も家から出ない。 地下にいた頃よりも、世界は随分と閉塞的で息苦しいものになっていた。お化けのような見た目の兵隊が、当たり前のような顔をして街を歩くようになった。そんな日々がしばらく続いた。 ある日、新聞に新しいオリジンが誕生したという記事が大きく載せられる。 モノクロの写真に写っていたのは、最近基地で顔を見なかったボッシュ=1/64の姿だった。 ◇◆◇◆◇ 何度目かのやり取りも平行線で終わるかと思われた。例によって、ボッシュ=1/64のオリジンへのスカウトの話だ。メベトは溜息を吐いて、ボッシュの傍に控えているリュウに声を掛けてみた。 「リュウ君。君からも言ってやってくれないか。主があるべき座に着くのは君だって望むところだろう?」 「お言葉ですが、ボッシュはメベト様が好きじゃありません。この間言ってました」 「……これは君が教えたのかね」 「違うよ。元から」 ボッシュという男は存外支配下に置いているゾンビのリュウに甘いところがあったから、ボッシュを説き伏せるにはリュウに加勢してもらえれば一番良いのだが、リュウ本人は主のボッシュ以外の人間の言うことを聞かない。まあそんなものだろう。彼の主人はボッシュひとりなのだ。 リュウが生前と同じ実直な顔で言う。 「オリジン、サードレンジャーといった階級は重要じゃありません。どちらにしてもリュウ=1/8192がボッシュ=1/64を守ります。これは決まっていることです。おれはボッシュの意志に従います。障害は排除します」 「……それは必要があれば我々統治者を皆殺しにすることも辞さないという意味と取って良いかな?」 「ボッシュの命令があればそうします」 メベトは溜息を吐いた。リュウを味方に付けるのは、ボッシュを説得するよりもいくらも骨が折れるだろう。昔と同じだ。リュウの頑固さは死んでも治らない。 「そうか。おとなしい顔をして君もまったく荒っぽいな……良い友達じゃあないかね」 「そうだろ。俺の相棒は今までもこれからもソイツひとりきりだよ。すげえ仲が良いんだ」 リュウのことを語る時、ボッシュの声は少し得意そうな響きが混じる。やれやれ可愛いことだなとメベトは考えた。彼はまだあらゆる面において子供なのだ。加えて親が子育てに失敗している。 しか今日はノーと言わせるつもりは無かった。政府側にも事情というものがあるのだ。 「トリニティが最強兵器を確保したそうだよ。なんでも自律型らしい」 「…………」 「ボッシュ君、ここはもうマークされている。基地にも街にも君の居場所はない。彼らの狙いは君の抹殺とリュウ君の奪取だ。我々が所持している絶対兵器は君らニ体。一体でも損なわれることがあればパワーバランスが崩れかねない。ただでさえ空は不安定だ。君だってリュウ君を彼らに渡したくはないだろう?」 「……まあ、おかげでもう呑気にサード・レンジャーやってられる雰囲気じゃないけどね」 ボッシュが恨みがましげな目でメベトを睨み付ける。彼の顔にはお前のせいだろと書かれてあった。分かりやすい男なのだ。 「ただコイツだけは言っとくけど、俺は人間どもの王様なんてごめんだね。ヒトはヒトで勝手にすりゃ良いだろ。オリジンだってあんたがやりゃ良いし、イヤならくじ引きでもすれば?」 「じゃあそうしよう」 メベトは鷹揚に頷いた。ボッシュは怪訝な顔になる。 「くじ引きだ。公平にくじを引こう。メンバーに、君とリュウ君も混ぜようか。全員でやるんだ。それでいいかね?」 「……まあ、好きにしてくれよ。俺には関係ない」 ボッシュは頷いた。 そして彼は当たりを引くことになる。 公平さなんて何の役にも立ちはしなかったのだ。 ◇◆◇◆◇ 「ネガティブの一体が撃破されたようですねぃ」 リュウが中央区書庫の片付けをしているところに、タントラがやってきた。彼はあまり面白くない情報を携えてきた。 リュウは、はたきで本棚の埃を払いながら訊いた。 「状態は?」 「消し炭です。それにしても隊長さん、この広い書庫をひとりで? お疲れ様ですねぃ」 「うん……げほっ、ほ、埃が喉に」 「あなたもう息してないでしょうに。おや、その顔は、相手に心当たりがあるようですねぃ?」 「まああるよ。今の所ボッシュの一番の敵だ。おれは良く知らないけど、なんか仲悪いみたい」 リュウは埃が入ったせいで涙が滲んできた目を擦って頷き、エプロンとはたきをタントラに「はい」と押し付けた。 「……これは? まさか」 「おれ、ちょっと用事ができちゃったよ。後お願いできるかな。夜までに片付けとかないと、ボッシュ仕事済んだら本読みに来るから、綺麗にしてないと怒られるんだ」 「……まあこういうことになるとは思いましたけどねぃ」 リュウは「うん」と頷き、書庫から慌しく出て行った。タントラは溜息を吐いたが、リュウはもう聞いてもいないだろう。 ◇◆◇◆◇ トリニティの構成員が、リンのもとにあまり喜ばしくない知らせをもたらした。街へ向かう物資補給リフトを襲った仲間が襲われたらしい。 なんでも話によると、トリニティ達が奪った物資を手にアジトへ向かっていたところ、彼らの前に子供がひとり、にこにこしながら立ち塞がったらしい。木々が鬱蒼と繁り、見たこともない怪物がうろつき回る森の中のことだ。普通の子供が迷い込むわけがない。仲間達が訝しげな顔をしていると、その奇妙な子供は―― 「化け物に変身しやがったんです」 構成員の男が言う。彼は顔色を真っ青にしており、額には脂汗が浮いていた。嘘を言っている様子はないし、報告を受けているリンも彼が嘘を言っているとは思っていない。それは真実なのだ。リンも心当たりがあるから知っている。 「はじめに見た時はちゃんと人間だったんでさ。それがいきなり……角に牙に、恐ろしい火の羽根に、ガラス玉みたいな目。自分は命からがら逃げてきましたけど、他の奴らがどうなったのかは分からない」 「それは災難だったね。背中、なんかくっついてるよ」 リンは溜息を吐いて軽く額を押さえ、逃げてきた構成員の男の背中に張り付いている四角い紙切れを引っぺがしてあった。そこにはこう書いてある。 『ゆ ろち な い』 おそらくこの紙を張り付けた相手は、『ゆるさない』と書きたかったんだろうなとリンは見当を付けた。身に覚えがあったからだ。先日例のお化けの兵隊を一人破壊した。多分そのことで怒っているのだ。 彼が字の読み書きが苦手なのは知っていたが、それにしたってひどすぎる。脳味噌が腐食してしまっているのかもしれない。 知らない間にメッセンジャーに仕立て上げられてしまっていた男は、ぞっとしたような顔をしている。まあ無理もない。彼は偶然お目溢しを受けたに過ぎないのだ。 「リュウ?」 部屋の扉が開いて、ニーナが顔を出した。彼女は青い木の実をかじりながら、リンの手の中の紙を覗き、良く分からなかったらしく首を傾げている。 「起きたのかいニーナ。まあなんだ、大人の話さ。心配することないよ」 ニーナはじっとリンを見つめている。彼女の言いたいことは良く分かる。リンだって同じだからだ。 リュウは空の手前でボッシュに殺されてしまった。彼はただ死ぬだけじゃ済まされなかった。遺体をボッシュに弄繰り回され、ゾンビに仕立て上げられてしまったのだ。 以前見た彼の遺骸はまったく腐敗していなかった。まるで生きているように瑞々しかった。だがそれが人形めいており、かえって痛ましかった。あれがボッシュなりの復讐なり、重犯罪者への刑罰というのなら、その目論みは成功しているだろう。ものを考えて生きている人間なら、誰も死んだ自分が生前最も憎んでいた人間に好きなように動かされている姿なんて想像したくもないのだ。 「……リュウはもうリュウじゃないんだよ、ニーナ。我々の言うことなんてちっとも聞いてくれやしない。まあ元々頑固な子ではあったけどね」 リンは動き回っているリュウの遺骸の、感情の感じ取れない青い目を思い出して言った。ニーナも頷いている。彼女も一度彼と交戦している。そのことを良く理解しているのだ。 「でもま、久し振りに顔を見れて、そこばっかりは悪くはないね。たとえゾンビでも。我々はあの子を救わなければならない。そうだろう?」 ニーナが頷く。そこにアジトの見張りをやっていた構成員のひとりが駆け込んで来る。 「リン、外で異変が……」 「何事だい? リュウでも殴り込んできたのかい」 リンは当てずっぽうで言ってみた。見張りは首を振り、「街です」と言った。 「街が焼けています。ここからでも見えるくらい、派手に燃え上がっている」 報告があった通り、街は辺り一面火の海だった。 「これは……」 サイクロプスを駆って様子を見にきたリンは、辺りを見回し、目を閉じて首を振った。くっついてきたニーナが、きゅっとリンの手を握る。 炎の中で、二人は知った顔を見付けた。炭板に変わった家屋の壁にもたれかかっているトリニティの構成員の女だ。昔馴染みで、リンが旧トリニティと袂を分かつ前から知っている。彼女はリンを見付けると、弱々しく手を上げてみせた。 「リン。……ごめん、しくじっちゃった。街に逃げ込んで人に紛れたら諦めてくれると思ったのに、あの子、昔ほら、あんたが中層区のアジトに連れてきて、ちょっと可愛いなって言ってた子、街ごとみんな焼いちゃった」 彼女は嘆息し、酷い火傷を負った顔を上げて首を振った。そして「これが今の政府のやり方なんだね」と言った。 「みんな今のままじゃいけないって思ってる。でもあれは異常よ。人間じゃない。ディクでもない。かないっこない」 「ああ、知ってる。でも我々がなんとかするしかない」 リンの言葉が終わるか終わらないかのうちに、彼女の身体が火傷の部位から発火する。そして骨も残らずに燃え尽きる。 リンは静かに振り向いた。ニーナもリンの腰に抱き付いたまま、恐る恐る後ろを向く。はたしてそこには青いスーツの少年が立っている。上等な礼服みたいな格好で、死んだ日から比べて髪は随分伸びていた。青い目はガラス玉みたいだった。 リュウのゾンビだ。彼は機械的な動作でさっと右手に構えたドラゴンブレードを振り、「目標確認」と良く通る声で言った。顔も声も記憶の中のリュウのままだった。 「リュウ!」 「近寄っちゃ駄目だよ、ニーナ。あれはもうリュウとは違うんだ」 反射的にリュウに向かって駆け出しそうになるニーナを腕で制して、リンはホルスターの銃に手を添え、リュウを睨み付けた。 「何を考えてるんだい? この火祭りさ。この街には偉大なるオリジンボッシュを称える民衆が大勢生活していたんだろ。これもあいつが望んだことかい」 「トリニティ、お前達の仲間が街へ逃げ込んだんだよ。人間が人間に紛れると区別がつかなくなる。どうせヒトよりもアリの方が良く働くし、彼らは減ったってすぐに増えていくんだ。ナゲットやハオチーみたいに。好きにしていいとオリジンは言った。だからおれは好きにする。どうせボッシュは人間を好きじゃない。この前言ってた」 リュウが無感動な声で言う。 リンとニーナは、もう二人が知っているリュウがどこにもいないことを知る。目の前にいる少年は、もはやリュウではなかった。ニーナを助ける為に一途に空を目指していたリュウはどこにもいなかった。ひとつの為に全てを投げ捨てる性質は健在だったが、今はその意志はすべてボッシュに取り上げられ、好きに操られていた。 「……もうやめるんだ、リュウ。あんたの身体があんな変な垂れ目のお坊ちゃんに、いいように使われていていい訳がないんだ」 リンは押し殺した声で言った。死よりも惨い辱めを受けている彼を救ってやらなければならない。リンはリュウを『もう一度』殺してやる決意を固めた。このままでは救いが無さ過ぎる。 「……リュウ?」 ニーナがおどおどした目でリュウを見上げ、気後れしたように言う。リュウがどんなことがあっても彼女を諦めなかったのと同じで、彼女はまだリュウを諦めきれていないのだ。 「いいね、ニーナ。もう眠らせてやろう」 リンはニーナに念を押し、そしてリュウにバムバルティを向けた。発砲された銃弾は、だがリュウを貫くことはない。網目状の光の壁、統治者特有のアブソリュードディフェンスに防がれ、彼には届かない。 そんな厄介なものまで与えられているってことは、どうやら今のリュウはボッシュにかなり目を掛けられているらしいなとリンは判断した。ボッシュはリュウが絶対に支配下から抜け出す事ができず、もう二度と敵にはなりえないことを知っているのだ。 リュウが例の長大なドラゴンブレードでひゅっと空気を切り裂き、襲い掛かってきた。かなりの重量があるのだろうが、彼は剣をまるで中身が空洞の鉄パイプみたいに軽々と扱う。 ドラゴンブレードの切っ先がリンの喉に食い込もうとしたところで、血相を変えたニーナのキリエが発動した。リュウを中心に光の円陣が広がっていく。さすがのドラゴンと言えども死体には違いない。それは一瞬で彼を浄化し、消滅させた。 「やったのかい?」 リンが訊くと、ニーナは首を振る。 足止めにはなるだろうが、アンデッドは本体を倒さなければ、完全に消滅させることはできない。リュウはしばらくすればまた何でもない顔をして蘇ってくるだろう。 「……そうだね。あの悪趣味な金持ちをぶっ飛ばさなきゃ何も終わらない。気も済まない」 リンはそう言って、サイクロプスに跨った。サイクロプスがそっとニーナの華奢な身体を掴む。ニーナは微妙に嫌そうな顔になって、居心地悪そうに身を捩った。サイクロプスにはあまり良い思い出がないのだ。 そこでいきなり、サイクロプスの右腕がぼそっと地に落ちる。壊れた水道みたいに、切り口から血が吹き出す。 「!」 ニーナは驚いた。 リュウだ。彼がまるで生前のようににこっと微笑んで、両腕でニーナを抱いているのである。 「怪我はないかい」 リュウが言う。人を安心させる、あの穏やかな声だ。 まるであの頃の思い出を繰り返しているようだ。ニーナとリュウが初めて出会った時のことだ。サイクロプスに鷲掴みにされてじたばたもがくニーナを、颯爽と現れたヒーローのリュウが助けてくれる。彼が微笑みながらニーナを気遣ってくれる。思い出が再現されている。 今のリュウの微笑は、二人の記憶を共有しないリンからすれば実に狂気じみていた。しかしニーナはそれで理解した。リュウはまだ完全に死んではいない。 地面に大事に降ろされるなり、リンが素早い動作でニーナの腕を掴んで引寄せた。リュウはそれを気にするでもなく、あれ? という顔でもって、自分の両腕を見つめている。ニーナはリンの手をぎゅっと握り返して言った。 「リュウ……思い出。昔のまま」 生前の記憶はまだ彼の中にあるのだ。見知った人間と出会って、そいつが今の彼の中に混じり始めている。元々リュウの精神力は並大抵のものじゃなかった。ドラゴンすら抱え込んでしまう程に、彼は真っ直ぐで強靭な意志を持っていた。誰にも彼を完全に操作することなんてできはしない。ニーナの言うところを理解したリンが、リュウに向かって怒鳴った。 「――あんたねえ、あんな変な追っ掛けに操られてニーナを傷付けて、何をやってるんだいこのお馬鹿! ダメ男!」 リュウはまだ訳がわからなさそうな顔をしている。彼は奇妙な懐かしさを感じていた。過去に同じ声音で罵られたことがあるような気がする。何をやってるんだい。それから、このお馬鹿。 それは彼の死に際に聞いた声だった。ニーナをなくし、途端に怒りを失ってしまった生前のリュウに掛けられた叱責だった。しかし今のリュウにはそのことが思い出せない。 ただ漠然とした違和感のようなものがあった。そして、それは今のリュウには必要のないものだった。今のリュウに必要なのはボッシュの命令だけだ。彼の満足げな顔と、彼によって一瞬で満たされる自尊心だけだ。 リンとニーナに向かって、リュウがドラゴンブレードを振り上げた。今まで駆除してきた沢山のボッシュの敵へと同じように。 ――その時、ふとリュウの脳裏によぎった声があった。 『女子供に剣を振り下ろすなど……恥を知れ!』 鋭い女の声だった。叱責だ。それ自体は珍しいものじゃない。大体誰も彼もがリュウを叱責するのだ。 しかしその声には、ひどく懐かしい感触があった。 それはリュウがまだほんの子供の頃のことだ。 ある時下層区を襲撃した何人かのトリニティが、収容施設を占拠するという事件があった。そこで暮らすリュウも、他の子供と一緒に引っ張っていかれた。 泣けばぶたれるし、静かにしていても死はすぐそこに迫っていた。元々親のいないローディの子供に価値などない。トリニティにレンジャー避けの盾として使われるか、苛々した犯罪者に斬り捨てられるか、レンジャーに見捨てられてトリニティごと撃ち殺されるか、未来はそのどれかだと思われた。どれもろくでもない。 しかしそんな状況にあるリュウをはじめとする子供たちを、一人も死なせることなく救い出してくれたレンジャーがいた。女性レンジャーだ。彼女はまるで奇跡のように強くて、犯罪者たちを簡単に叩きのめした後、こう言ったのだ。女子供に剣を振り下ろす者など最低だ、恥を知れと。 「君は泣かなかったんだな。偉いぞ」 その後、彼女はそう言ってリュウの頭を撫でた。 彼女の名はゼノという。リュウの師だ。彼女に憧れてレンジャーになった。自分もいつか『悪いやつをやっつけて、弱い子供を守るかっこいいレンジャー』になりたいと思った。 しかし現実はそう上手いようにはいかず、リュウは一生下っ端のサードレンジャーだと断定され、同期や先輩から馬鹿にされていた。それでもリュウはレンジャーの仕事に誇りを持っていたし、いつかは立派にみんなを守れる強いレンジャーになりたいという夢はずっと棄てずに大事に持っていた。 ある時リュウの前に、同期の中でも飛び抜けて優秀で、ハイディだともてはやされる少年が現れる。彼は左手を差し出し、こう言う。 「よう相棒。よろしくな。せいぜい俺の足を引っ張らないでくれよ」 彼の名はボッシュと言った。 いつも頭を漠然としたもやもやのようなものが覆っていた。リュウはそれが何かということを、特に考えたことはなかった。考えることは苦手なのだ。『剣を持ったら何も考えない』がリュウの信条だった。 でも今はそいつが四方に散り散りに散って行って、どうやら視界が随分クリアになりかけていた。そして今までもやに覆われていたものたちが、ぱっと姿を現したのだ。 まず一つ目。良くリュウを不可思議な気持ちにさせていた、「昔一緒に仕事をしていた誰か」はボッシュだった。 ボッシュはリュウと同じサードレンジャーで、彼は自分よりも随分D値の低いリュウを馬鹿にしていた。 二つ目、リュウを殺したのはボッシュだった。彼はリュウを食い殺し、念入りに首筋に傷を付けていた。 そして三つ目、生前のリュウはボッシュに憎悪を感じていた。ボッシュはニーナを殺したのだ。彼女はまだ小さくて、華奢でか弱い子供だった。そんな彼女をボッシュは薄笑いを浮かべながら惨殺したのだ。 ――振り上げたドラゴンブレードが地に落ちて、乾いた音を立てた。リュウの手から離れると、剣は輝きを失い、腐食して、錆び付いたただの棒きれに変わってしまった。 頭がひどく痛んだ。そりゃすごく痛かった。まるで脳味噌の中でガー・パイクの大群が槍を振り回して暴れているような感じだった。 そこに、ふっと頬に手が触れた。小さくて冷たい手だ。ニーナの手だ。 リュウは顔を上げて、多分おれは今ひどい顔をしているだろうなと自覚しながら、彼女の名前を呼んだ。 「……ニーナ?」 その途端、ニーナはほっとしたようなどうすれば良いのか分からないような顔になって、ぎゅっと目を瞑り、リュウの頭をきつく抱き締めた。知らない間に彼女は、リュウの記憶の中のニーナよりもいくらも背が伸びていた。 「リュウ……! わ、私らが分かるのか?!」 リンが膝を地につき、リュウの顔を覗き込んで、心配そうに言った。リュウは頷いた。ニーナとリン。良く覚えている。ボッシュの敵だ。――いや違う、リュウの仲間だ。 いまだにボッシュの支配化から完全に抜けてはおらず、リュウは激しい頭痛に苛まれていた。命令が強過ぎるのだ。 「「あんた、ほんとにもう……良かった……。一緒においで。うちならあんたの『病気』もすぐに治るよ、心配ない」 リンが言う。 しかしふいにぞっとするような威圧感が訪れ、辺りの空気を凍りつかせた。何かとても大きなものが近付いてくる。リュウは予兆めいた感覚を覚え、目を閉じた。 「ボッシュ……」 彼の気配だ。 「ごめん、すごく怒ってる、ボッシュ……行かなきゃ……」 「まだ混乱してるんだね。大丈夫さ、少しゆっくり休むといい。それより早くここから離れるんだ。一緒においで」 リンがリュウに手を差し伸べる。 リュウは頭を振り、弱々しく微笑み、「二人は安全なところへ。おれはまだ少しやることがあるんだ」と言った。 「彼が怒ってるのはおれのせいだ。謝らなきゃ。それにボッシュはおれがついてなきゃ全然だめなんだ。部屋は汚いし、ごはん食べないし」 リュウは目を閉じて、「だいじょうぶだよ」と言った。 「ちゃんと後から行くから……ごめん、そしたらゆっくり話そう」 ◇◆◇◆◇ ボッシュの手のひらの核石に亀裂が走る。それは、リュウがボッシュの統御下から抜けつつあることを意味していた。 「やあ、ボッシュ」 リュウがふっと微笑んで首を傾げた。彼の表情は弱々しいものだった。顔色は青ざめている。 奇妙な話だ。死人は皆青ざめているものなのだ。ただリュウが特別なのだ。彼は世界中で一番美しい死体だった。 ボッシュは彼に冷ややかな声を掛けた。 「また俺を裏切ったな」 リュウが力なく「うん」と頷く。ボッシュは理解していた。リュウはボッシュの意志に逆らって、あのいけすかない積荷とトリニティ女を逃がしたのだ。主の命令に忠実に従うゾンビが言うことを聞かない、それは生前の彼の意思が、彼の肉体へと還ってきたことを意味していた。 ボッシュは確かに自分に忠実なリュウのことが好きだった。傍にいるだけで満ち足りた気持ちになったし、彼が自分だけのものだと実感すると、言い様のない安堵が訪れた。多分世界で一番愛していた。彼は世界中の何もかもを疑ってかかるボッシュにとって、唯一の『嫌いじゃない人間』だったのだ。 だが同時にボッシュは、言うことを聞かないリュウというものを世界で一番憎んでいた。大嫌いだった。存在すら認められなかった。ボッシュ以外の人間に夢中になって、親切に接しているリュウなんて、想像するだけで吐き気がした。 「俺はオマエなんかなくたって全然構わないんだ」とボッシュは言った。もう『忠実な、ボッシュの人形のリュウ』はいなかった。彼が、ボッシュが最も憎むべき敵であるリュウが帰ってきてしまったのだ。 「ただちょっと見てみたかっただけだよ。俺を裏切ったオマエが、俺の言いなりになってる無様な姿をね。なぁリュウ、ローディのオマエなりに屈辱ってものを感じたろ? 殺されて、死体も好きにされてさ」 ボッシュは左腕を無造作に突き出し、ぐったりしているリュウの胸に触れた。ざわざわと身体が変化していく。ドラゴンの腕から繰り出されたヴィールヒがリュウを貫く。 「でももうオマエにはお情けもやらないよ。……もういいんだ。もう一回死ね」 からからに乾いた声で、ボッシュは言った。 リュウからは相変わらず血も零れなかった。ただ彼は静かな目でボッシュを見上げていた。そこには彼の死に際にあった怒り、冷ややかな殺意、憎悪といったものが何も見当たらなかった。ただ灰になった街と白い煙と青い空を映しているばかりだ。「聞こえる」とリュウが言った。 「心臓の音……おれの心臓はもう動かないからさ、静かで、その分きみの音が良く聞こえるんだ」 「……黙れよ。もうオマエのお人好しな声なんて聞きたくもないんだ」 「なんで泣いてるの?」 「ふざけんな。くたばれ、裏切り者」 「楽しかった。死んでから今まで、きみと昔みたいに一緒に過ごすの。例えばほら、きみが好きそうなメニューとか考えたり、お酒呑んで潰れちゃったのをベッドに運んだりさ、わりと大変だったけど……」 「黙れ」 「おれがいなくなったら」 リュウがなんでもないことのように言う。ボッシュはびくっと身体を震わせた。 「もっとちゃんとできるようになろうね。家事とか」 「うるさい」 「なんでだろ……おれほんとにきみのことを殺したいってあの時思ったんだ。――でもなんでだかわかんないけど、いつのまにかまた昔みたいにきみのことが好きになってたんだ」 そうして、リュウはにっこり微笑んで見せた。 「いろいろ迷惑掛けてごめんね。大好きだ。できればちゃんと仲直りしたかったけど……ごめん、上手く身体が動かないや。上手く、喋れなく――」 「……おい」 「ごめんねボッシュ」 彼は言いたいことだけ言って、ボッシュの意志なんてまるでお構いなしだ。それでこそ、ボッシュが一番憎んでいるリュウだった。リュウが静かに目を閉じる。辺りから急に音が消える。 「……リュウ?」 呼び掛けてやっても、もう返事は無かった。リュウは心と肉体をボッシュに捧げ、その見返りに動き回っていた死体だ。ただお情けで少しの猶予を与えられただけだ。 アンデッドの彼が彼の心を取り戻すこと、それは静謐で無慈悲な二度目の死の訪れを意味していた。 「……はは、最期まで無様だね、裏切り者が。ローディ……」 ボッシュは動かなくなったリュウを嘲笑いながら吐き捨てた。 「なんか言えよ。「殺してやる」は? あの女の仇は? オマエがあんなに必死に目指してた空はもう俺のものなんだよ。オマエはただお情けでちょっと見せてもらってただけなんだ」 ボッシュは顔から意地の悪い笑みをすっと消し、リュウの胸倉を掴んで締め上げ、怒鳴り付けた。 「――なんとか言えよ!」 リュウはなにも言わない。完全な死は彼から言葉を奪う。目も開かない。ボッシュを見ない。 憧れと尊敬の眼差しはない。憎悪と殺意と怒りと敵意に満ちた目もない。賞賛も呪詛もない。ただ死んでいる。 ボッシュは、それこそが最も恐れている存在なのだと気が付いた。喋らないリュウ。動かないリュウ。ボッシュを見もしないリュウ。まるでボッシュの父と同じように。 「オマエが……いなきゃ、俺は! 何の為にここにいるんだ?! 生きてたって意味なんかない! 偉くなったってどうせ誰も俺を見ない。もうオマエしかないんだ。――仲直り? ふざけんなよ、なんでそういうこと言うんだよ。昔のオマエみたいなこと言うんだよ! オマエがそんなんじゃ憎めもしねぇじゃ……リュウ!!」 ボッシュは力なく腕を落とし、リュウの長い髪に触れた。良く手入れされた美しい髪だ。バイオ公社がボッシュのために造り上げた美しい人形の髪だ。 「……俺だって、わりと悪くなかったんだ。オマエと空で生きてるっての。オマエがいればなんにも怖くなかったんだ」 返事は返ってこなかった。世界は静かなものだった。ただ炭の上でまだくすぶっていた火がぱちっとはぜ、大きな火が呼び寄せた雨雲が大粒の雨を零しはじめるだけだった。 ◇◆◇◆◇ 省庁区の会議室に顔を出すと、「出んのか?」とジェズイットが言った。ボッシュは彼には返事をせず、父に向かって「後はお任せします。好きにしてください」と言った。 父は相変わらず億劫そうに目を閉じて腕組みをしていた。彼なりにどこかでしくじったらしい子育てを振り返り、反省点を探しているようにも見えたが、またいつもと同じでろくにボッシュの話も聞いていないだけなのかもしれない。 「旧い世界はいらない。これは俺の栄光じゃない。俺が目指していたものじゃない」 ボッシュは静かに言った。 ヴェクサシオンは「そうか」と頷いた。 「ほら、お子さんが行っちゃいますよ。最後になるかもしれないんです。一言付け加えるだけで随分違うんですから。昨晩も皆で練習したじゃないですか」 横からしゃしゃり出てきたクピトが、ヴェクサシオンの顔を見上げて言う。ヴェクサシオンは一瞬苦い顔になってむうと唸ったが、肩を竦め、ボッシュに向かって手を伸ばした。 彼がボッシュに触れるといつだって病院送りで、大体は生死の境界をさまよう羽目になった。ボッシュにとってはまじりっけないトラウマだったから、ついびくっとして身体を強張らせてしまう。 だがヴェクサシオンは、ただボッシュの頭を撫でただけだった。それだけだ。そして彼が言う。 「――よくやった、ボッシュ。お前は光だ。我々の栄光そのものだ。私は……父として誇らしく思っている」 「……え?」 ボッシュは呆けて目を大きく見開いた。信じられないものを見たような気持ちだった。そして、視界がぐにゃっと歪む。 呆然としていると会議室の扉が開き、慌しくリュウが顔を出した。 「ボッシュ、荷造り終わったよ……あっ、ヴェクサシオン様! ボッシュが泣いてます! 泣かしたらだめです!」 「……むう」 「リュウくんよ、ホラホラ空気読む。あ、ゾンビに無理言っても仕方ないか。とりあえずあっちでお兄さんといいことしようか」 「あ……は、はい、ごめんなさ……おれまた、え、ちょ、ヘンなとこ触らないでくださいよ……!」 「アンデッドの方が我々より生気に満ちているというのはいささか問題があるように思わないかね」 「『騒がしい』の間違いじゃあないんですか? まあ価値観が僕らとは大幅に違うらしい彼がいてくれると、話がスムーズに済んで良いですね」 「……お前は本当に可愛げのないガキだよなぁ」 ◇◆◇◆◇ 焼け焦げた街には、まばらに人影が見えた。隊服のあちこちを煤で汚したレンジャーたちだ。瓦礫の撤去作業に取り掛かっているようだ。なかにはいくらか見知った顔もあった。 『トリニティの襲撃で』、『奴らは相変わらずひどいことをするもんだ』という声がまばらに聞こえる。また例によって厄介な話はすべて反政府組織に押し付けられてしまったらしい。世界はそうやって1000年の均衡を保ってきたのだ。それはこれからも続いていくだろう。地下にいたころと、人類は何も変わってはいない。 だが環境は変わった。世界も変わった。手付かずの未知の大地が広がり、果てのない空が頭の上にある。どこへ行こうと何をしようと自由だ。 思えば『空を開く』とはそういうことだったのかもしれない。ボッシュはもはやもぐらみたいな人類を統べる王様なんて滑稽な役回りはごめんだった。 穴ぐら時代が恋しい者たちは、変わらないルーチンの中に沈んでいればいい。そうでない者たちは変わればいい。そして暗闇を棄てて青空と金色の光の中へ歩き出すのだ。それだけのことだ。 ◇◆◇◆◇ あの時リュウは恐る恐ると言ったふうにボッシュを見上げ、ぽそぽそと言ったのだった。 「……おこって、ないの……?」 彼がもう完全に死んでしまったと思っていたボッシュは、硬直し、まじまじとリュウの顔を見つめた。彼は相変わらず、死んでいるくせにすごく生きているみたいな顔をしていた。 「……オマエ死んだんじゃないのかよ」 「ん……死んでるよ」 リュウが眠そうに目を擦りながら言う。ボッシュの腕に貫かれて穴が開いた胸の傷も消えてしまっている。 「でもおれ、ほら、ゾンビだから。本体が倒されないと、いくらでも生き返っちゃうみたいなんだ」 「…………」 「あっ、痛い! ちょっ、殴らないでよボッシュ! 痛いとかはちゃんと感じるんだからさ……!」 「うるさいこのバカ! 心配してやって損した! オマエなんか……!」 ボッシュはリュウのだらしのない顔を引っ張り、頭を小突いて胸倉を掴んで、振り回してやった。そして目を回している彼を抱き締めた。両手がちょっと震えていることを、自覚していた。 リュウが自信なさそうな顔で言う。 「仲直り?」 「……お前がどうしてもって言うなら、してやらないでもないけど?」 ボッシュはばつの悪そうな顔を、無理矢理にやっと口の端を上げて誤魔化し、意地の悪い声で言った。 [ソロー:終了] |
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