おれの相棒は我侭だ。 自分勝手で自己中心的で、でもものすごく強いエリート。 おれと彼の間には、8128もの絶対的なD値の差がある。 「ボッシュ! ボッシュ!」 おれが何度名前を呼んでも、同室の二段ベッドに陣取っているボッシュは全然聞いてもくれなかった。 頭の上から枕を被って、完璧におれの声を遮断している。 「はあ……」 おれは溜息をついて、頭を振った。 もう諦めた方が良いみたいだ。 こういう時、ボッシュはおれの言うことなんか全然聞いてくれないんだから。 確かに昨日通達された任務の内容は、街のパトロールっていう、ボッシュに言わせてみればディクも出ない任務なんてレンジャーの仕事じゃない、っていうものだった。 ……おれはそうは思わないけど。 街の人は喜んでくれるし、レンジャーって元々そういうものじゃないのかな? ともかくボッシュのやる気メーターは限りなくゼロを指していて、声を掛けてももう「うー」とか「あー」とかしか答えは返ってこないし、仕方がなかった。 「行ってくるよ。またあとでね、ボッシュ」 おれは散らかったデスクの上を大雑把に片付けて、ボッシュの朝食をそのまま置いて、レンジャージャケットを羽織った。 おれが割り当てられたのは、最下層区の裏路地だった。 確かに治安は悪かったけどディクが人を襲うこともないし、女の子が一人で歩いてると危険な場所ではありそうだったけど、おれは男だからこのくらいどうってことない。 いや、このくらい一人でも出来るくらいじゃなきゃ、エリートのボッシュの相棒なんてやってられないんだ。 またお荷物なんて言われるに決まってる。 (それにしても……) ひどいとこだな、と思う。 下水の臭いがひどい。 まるまると太ったドブネズミが(何を食べて生きてるんだろう?)ちょろちょろと良く踏み出した足の先を通って、おれは踏まないように注意深く進んだ。 辺りは暗かった。 外から入ってくるかすかな明かりだけが、朽ちてぼろぼろになった煉瓦を照らしていた。 狭い通路はどこまでも続いていて、ぼろぼろの布きれだったものを被った人たちが、そこここで無気力に座り込んでいた。 年老いた人もいるし、おれと同じくらい、いやそれよりも子供だっている。 もしかしたら、そこでそのまま死んでいる人だって何人かいたかもしれない。 彼らは地面からまるで生えているように壁と一緒になって、路地に足を踏み入れたおれの方を見ようともしなかった。 俗に言うローディー、おれもそうなんだけど、D値の低い人間は、こういうふうに家も職業も、家族すらも持つことができないのだ。 おれはたまたま運が良くて、適性があったからレンジャーになれたけど、もしかしたらおれもここでこういうふうに、ただずうっと暗くて淀んだ路地で座り込んで……生きていたかもしれない。 ボッシュは、おれのことを汚いと思っているんだろうか? 家もない、家族もない、汚らわしいローディーって。 彼は潔癖症みたいだから。 余所ごとを考えながら歩いていたら、ふいに小さな塊にぶつかって、おれはびっくりして我に返った。 「あ、ご、ごめん……!」 子供が走ってきて、おれにぶつかったのだった。 よっぽど急いでいたようで、勢い余ってひっくり返ってしまった子供を助け起こそうとして、おれはぎょっとした。 女の子だ。 こんな暗いところにいるべきじゃないくらいに小さな少女だった。 彼女はおれが差し出した手からいやいやをするように首を振って、また来た道を戻って逃げてしまった。 「あ、ちょ……ちょっと!」 おれは慌てて少女の後を追った。 こんなところに、小さな女の子が一人でいたら危険だ。 最下層区では頻繁に人身売買や人攫いの事件が起きている。 「待って! 危ないよ!」 子供は止まらない。 裸足の足で、どんどん走っていく。 そして路地の行き止まりに突っ込んでしまって、慌てて壁を背中にして振り返った。 おれ、そんなに怖がられてるんだろうか。 そんなに怖い顔をしてたのかな……。 ボッシュよりはましだと思うんだけど。 「大丈夫だから……!」 小さく縮こまって、震えながらその子はおれを見上げている。 おれはひどく悪いことをしてしまっている気になった。 少女を安心させようと、精一杯に微笑みながら、おれは鞘ごと剣をベルトから抜き取って、放り捨てた。 太腿に差した銃も、ホルダーごと投げ捨てる。 「だいじょうぶ、おれは味方だよ。怖くない」 ゆっくりと、おれは少女に近付いた。 はじめよりは大分警戒心を緩めてくれたけど、彼女はまた緊張して強張った。 おれはその子のそばでしゃがみこんで、目線を同じ位置に合わせた。 ゆっくりと、あまり力が入らないように気をつけて、頭を撫でてあげた。 「おれはリュウ。レンジャーだよ。きみにひどいことなんてしない」 ね、と笑い掛けてあげると、少女からふうっと力が抜けた。 「わ……!」 そして急に倒れ込んでしまったので、おれは慌ててその子を抱き止めた。 とても軽い。 手足は擦り傷だらけで、時折喉が詰まったような咳をする。 どこか悪いのかもしれない。 だとすると、早く保護して病院に連れて行った方がいいだろう。 「大丈夫かい? 迷子になっちゃったの? すぐにお母さんを探してあげるからね」 「…………」 少女は、力なく首を振った。 「え……?」 おれは戸惑ってしまって、どうすれば良いのかわからなかった。 もしかしたら、聞いちゃいけないことだったのかもしれない。 「ご、ごめんね」 「…………」 少女は、また首を振った。 構わない、というふうに、そうして俺を見上げて、しばらく不思議そうな顔をして、じいっとおれの顔を見ていた。 そして、またびくっとして、震え始めた。 「――――!?」 おれは勢い良く振り向いた。 そこには見慣れない格好の、武装した男たちがいた。 おれは咄嗟に女の子を庇って前に出た。 まずい。 剣も銃も、武器はさっき投げ捨ててしまったばかりで丸腰だ。 「……何者だ?」 おれは、努めて冷静に声を上げた。 そうして背後の少女に小声で、怖くないよ、と言った。 男たちははじめおれのレンジャージャケットを見て戸惑った顔をしていたが、やがてその中で一番年長らしい男が出てきて、おれの後ろにいる少女に手を差し出した。 「二ーナ、こっちへおいで」 少女――ニーナと言うらしい――はおれとぶつかった時みたいに頭を振っていやいやをして、おれのジャケットにしっかり掴まった。 「彼女はおれが保護します」 おれは強い声を出した。 ニーナは嫌がってる。 どういう関係だか知らないけど、引き渡す訳には行かない。 すると、あっさりと男は半歩ほど下がった。 「困るよ、君はレンジャーだろう」 「……それが?」 「上からは何か聞かなかったかい?」 「……どういうことだ」 「ああ、君もローディーなのか?」 「関係ないだろう」 おれは怒りを感じた。 何が言いたいんだ。 「まあ詳しく説明してやる気はないが……」 男はすうっと腕を伸ばした。 「ローディーなら構わんだろう。制服もサードのものだし、おい、やってしまえ」 「なにを……――ッ?!」 急に胸と右腕が真っ赤に燃え上がるくらいに熱くなって、目の前がぐるっと反転して、地下路地の天井が見えた。 銃弾を撃ち込まれたのだということは、その時のおれにはさっぱりわからなかった。 ただ、急速に身体が冷えてきて、目の前が暗くなった。 死んだかな、とおれは思った。 さっきの女の子、二ーナが泣き出してしまいながらおれに抱きついてくるのが見えた。 (……ああ。大丈夫だよ。泣かないで) おれは笑い掛けたつもりだった。 でももう表情は動いてないみたいだった。 彼女は泣いたままだったからだ。 (心配なんて、なんにもないよ……。 レンジャーは……街のみんなを守る……強くて……) 強くて優しい、ヒーローなんだから。 子供の頃おれが憧れたレンジャーは、みんなそうだったんだ。
SOL補完その1。
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