おれは良く眠るようになった。 トリニティ・ピットの病室で、怪我人は毎日ベッドの空きが足りない位運び込まれてくるのにも関わらず、五体満足のおれが清潔な寝床を占拠しているのもなんだかなあ、と思ったが、そう言うとリンは「あんたが一番の重症人だよ」と言っておれを小突いた。 敵とか味方とか、最近おれは良くわからなくなってきた。 それどころか人間とディクも、「殺していい」と「良くない」の違いもわからなくなってきた。 おれはもう人間じゃなくなってしまってるんだろうか。 そういうの、大事なことだと思ってたんだけど、おれにはもうそういうことを考える力も残っていないようだった。 いいところ、ボッシュに会いたいなあ、くらい。 おれの繋がれた機械のモニターには、相変わらずピーっていう音と一緒にまっすぐな線が流れ続けていて、リンをはじめトリニティ・ピットのドクターたちの首を傾げさせていた。 心臓が止まってるのに、なんで生きてるんだ?という感じだ。 ……そんなのおれが知りたいよ。 ちょっと前まで刻まれていたおれのものじゃない心音は、今は止まっていた。 アジーンは一旦眠るって言ってた。 今だけは、この身体はおれだけのものだ。 あんまり満足に動かないけど。 ここに運び込まれて数日が経ったころ、野良ディクの襲撃があった。 ライフラインから迷い込んできたらしい。 仲間を呼ぶ前に始末はできたそうだけど、今どうやらトリニティのアジトの周辺には、異常に大量のディクが発生しているらしい。 「公社が廃棄したんだね」 リンが忌々しそうに言った。 「トリニティが襲撃したから、報復ってやつだね。ネクラのやることはまったくもって腹が立つよ」 「…………」 おれは元々がネクラだという自覚があったので、微妙な顔をしてしまった。 リンはおれの顔には気付かず、手早く銃の整備を済ませて、バックパックに予備の弾薬を放り込んでいた。 「……ディク狩りに行くの」 「あんたは寝てな。すぐ戻ってくるよ」 「……おれも行くよ」 「……はぁ?」 リンは突拍子もないことを聞いたという顔をして、手を止めた。 「何言ってんだい。病人だろう?」 「……おれ、病気じゃないよ。確かにちょっとなまってるかもしれないけど、一応レンジャーだし。……サードだけど」 「いいから寝といで。あんたの出る幕はないよ」 「リン、武器庫ってどこ? おれの剣、公社に預けっぱなしだから」 「……あんたねえ、人の忠告は聞くもんだよ」 「あ、そう言えば服もこれじゃ、ちょっと動きにくいなあ……」 「だから寝てなって……」 「うーん、爪出さなきゃ駄目かなあ……。また服が破れちゃうんだけどなあ」 「……あんたって、わりと聞き分けないね……」 リンが折れた。 半ば頼み込むかたちで支給されたのは、剛剣とバックラーと、レンジャーのマークこそ入ってないけど、似たようなかたちのジャケットだった。 「……危なくなったら強制送還だからね」 「大丈夫だよ」 むっつりしているリンに、おれは頷いた。 こんな上のほうにまでは、ディク狩りでも来たことがながった。 ここを抜けると上層区が広がっているらしい。 ボッシュの住む街だ。 一度彼の育った街っていうのを見てみたかったけど、でもきっとボッシュは今日も下層区で仕事をしてるんだろうから、会えるってことはないだろう。 しかしどんな街なんだろう。 みんなボッシュみたいな性格してたりして。 ……やだなあ、それ。 「ほら、余所見しない!」 「うん」 リンに叱責されて、おれは意識を戻した。 扉を開けると、部屋の真中をはしる巨大なパイプ沿いに、おれの膝くらいの背丈のトライリザードが3匹、小さな目でこっちを見上げていた。 こいつらは小さくても大きいのとほとんど変わらない戦闘能力を持っているから、油断ならない。 見た目に騙されると痛い目に遭う。 「リュウ!」 「わ」 ばちばちっ、と強力な電撃が、おれの身体に疾った。 ほら、こんなふうに。 三つ首(ていうか、下のふたつの首は本当は頭じゃなくて腕だっていう。ちゃんと目も合うのに)がそれぞれ雷を吐いて、おれを直撃した。 「いたた……」 攻撃を食らうと、おれの身体は自動的に反撃を行うようにプログラムされているらしくて、次の瞬間には3匹固まってバルをくれているトライリザードを、横凪ぎに一閃していた。 止めをさしてから、おれは自分の手を見た。 どうやらついいつもの癖で攻撃してしまったみたいだ。 爪と鱗が生えた爬虫類みたいな腕に変化していた……またやってしまったみたいだ。 せっかく支給された服がぼろぼろになってしまった。 もったいないなあ。 ふと見ると、リンは入口の辺りで苦笑しながらおれを見ていた。 「あんたがいれば、こっちは楽ができるね」 「おれ、役に立ってる?」 「そりゃあもう」 リンはにやっと笑って、床に投げ捨てられているおれの剣を指差した。 「でも道具はちゃんと使ってやりなよ。それじゃ、ただの重たい鉄くれだ」 ……確かに。 エリアには、確かにディクが多かった。 そして驚いたことに、セカンドのレンジャーが何人かディク掃討任務でやってきているようだった。 何人かサード時代に見慣れた顔もあったが、誰もおれに気付く様子はなくて、変わった奴がいるなあ、なんて目で見られて、おれはなんだか泣きそうになってしまった。 おれは確かに、もうリュウって呼んでもらえなくなっていた。この姿のせいで。 任務の時は怖くて仕方なかったあのディクに止めを刺す瞬間も、今のおれはもう心が麻痺してしまっているようで、何とも感じなくなっていた。 おれ自身も、もうリュウ=1/8192ではなくなっているのかもしれない。 昔の自分が普段どういうことを考えていたのかとか、上手く思い出せないようになっていた。 そうしておれとリンが薄暗い通路を歩いていると、ふいにすごい勢いで真っ白な塊が突っ込んできた。 おれはスローモーションでその姿を認識して、あっけに取られた。 「二、二ーナ?!」 二ーナの後を追って、ギガンデスが通路の向こうから走り込んできた。 おれは慌ててニーナを後ろに庇った。 と、 「はぜろっ!」 背後から『ぱあん!』と薬莢の爆ぜる音がして、大きな身体をしたディクは、一つ目の真ん中を正確に撃ち抜かれて、一撃で絶命した。 リンだ。 彼女は硝煙の上がっている銃口をふっと吹き消して、くるくると腰のホルスターに仕舞うと、ぎょっとしたようにおれを見た。 「あんた、羽根出てるよハネ!!」 「え? あっ、うわあ」 耳元で急に銃声がしたので、どうやらおれの身体は誤作動を起こしてしまったらしい。 とりあえず努力して引っ込めて、今しがた走ってきたニーナを見て……。 おれはまたぎょっとした。 二ーナが泣いていたのだ。 「二、二ーナ?! そんなに怖かった? 痛いことされた!?」 「う、うー……。ル、ルー!!」 二ーナがぶんぶんと首を振りながら、おれにぎゅっと抱き付いてきた。 「ルー!!」 ぐす、ぐす、と鼻を鳴らして、二ーナはおれにしがみ付いて泣いていた。 リンが困ったみたいに眉を顰めて、笑った。 おれはなんとかニーナをなだめようとして、にこっと笑い掛けた。 「もう怖いことはなんにもないから、ごめんね。 おれもリンもいるよ」 「うー、ルー……」 「それにしてもニーナ、どうしてここに? 君一人で?」 「んーん」 二ーナはやっと泣き止むと首を振って、前髪のあたりでびしっとまっすぐに線を引く仕草をした。 「うー、ボス、いーお」 「へ?」 おれはニーナの言ってることに、そんなまさか、という気分で訊き返した。 二ーナは次は後ろ髪の辺りでまた同じ動作を繰り返して、それから指で思いっきり目尻を下げて、「あかんべえ」みたいな顔を作った。 ……おかっぱ、垂れ目? それは確かに的確だけれど、二ーナ。 それ彼の前でやったら殺されちゃうよ。本当。 「ボス、あーお」 「ボッシュ、迷子?」 「うー」 ……迷子なのはニーナの方だと思うんだけど……。 とにかく、おれはニーナの肩を掴んで、せっついてしまった。 「ど、どこに?! ボッシュが来てるの!?」 「あ、あー」 「あ、ご、ゴメン」 ちょっと力を入れちゃったみたいで、痛そうな顔をしたニーナに、おれは慌てて手を離して謝った。 ニーナはゆらゆらと指で天井を指して、 「ルー、ボス、うー」 「ボッシュ、上?」 「うー」 おれは立ち上がって、エレベーターシャフトまで駆けて行こうとしたところで、リンに呼び止められた。 「リュウ」 「え?」 「もう時間がない。一応ディクは沈静化したから、すぐにレンジャーが見回りに来る。戻ったほうがいい」 「で、でも」 やっと、もう一度遭えるかもしれないのに、おれはもどかしくて俯いた。 リンはしょうがないねって顔をして、二ーナを抱いた。 「あんたひとりならなんとかなるだろ。一応レンジャーなんだしさ。行ってきな。この子は任せてくれて大丈夫」 「二ーナを?」 「あいつらに見つかると、バイオ公社に逆戻りだよ」 「……うん」 「すぐ戻るんだよ。行ってきな。帰り道は分かるね?」 「……うん。ありがとう、リン。行ってくるよ」 おれは頷いて、ありがとう、ともう一回言った。 「じゃあ、二ーナ。また後でね」 「うー……」 二ーナはおれについてきたい、って顔をしてたけど、ばいばい、と手を振った。 「おれ、約束は守るよ。後で一緒にお母さん、探しに行こう?」 「うー!」 ぶんぶん、と振る手が強くなった。 おれは走った。 ボッシュはせっかちだから、もう帰ってしまってるかもしれない。 きっとリフトから下層区に帰ってしまうんだろうから……あれ? そう言えば、なんで彼はニーナと一緒にいたんだろう? それに、サードレンジャーは上層区の担当じゃないし。 高い鉄塔の階段を登りながら、おれは上だけ見ていた。 この先が上層区。ボッシュが生まれて、育ったところ。 おれみたいなローディーが一生見られない世界。 階段は照明が落ちていて、真っ暗で、燐虫の灯りだけがふわふわ無数に浮いていた。 そして、鉄塔の頂上には誰かいる。 生体反応がある。 それはとても懐かしくて、おれの好きな心臓の音だった。 おれはそれを聞き分けることができるようになった。 この身体、まあボッシュに関して言えば、彼はおれに優しくしてくれるようになったし、彼の心臓の音も聞こえるし、いいことも結構あるみたいだ。 おれは駆け上った。 なくなったはずの自分の心臓の音は聞こえなかったが、息が上がって耳元でひゅうひゅうとおれの呼吸の音がした。 たどりついた。 そこには、おれがとても好きだった背中があった。 面と向かったら役立たずとかお荷物とか、ろくな言葉を掛けてもらえなかったけど、彼の背中が前にあると、おれは不思議とひどく安心するのだった。 彼は黙っておれを守ってくれていたのだ。 死なれると俺のマイナスとか、そういうことを言いながらも、ちゃんと。 「み、見つけた!!」 おれは呼吸を整えることもできないくらいにへばっていたが、顔を上げて、ボッシュに向ける顔を作った。 笑った。 ボッシュは振り向いておれを見た。 彼の綺麗な灰色がかった碧色の眼に、おれが映った。 それは冴えないアルビノの奇形だったが、おれはもうそんなことはどうだって良かった。 おかしな話だが、ボッシュに面と向かって言えば「自惚れるなよローディー」なんて怒られると思うんだけど、おれは彼が、もしかしたらおれのことを待ってくれていたんじゃないかな、と想像してみた。 ボッシュは何も知らなかったろうし、あの待たされ嫌いの彼がそんなことあるわけないけど、おれは嬉しかった。 ボッシュがそこにいたのが。 ボッシュはいつもの面白くなさそうな仏頂面だったが、おれがそばに寄ると、俺さあ、とどうでも良さそうな調子で言った。 「なんか、いろいろあったわけ」 おれは微笑んで頷いた。 「……おれも、いろいろあったよ」 ほんとに、いろいろ。 そのほとんどがボッシュを怒らせるようなことだったので、口には出せない。 内緒だ。 ボッシュは、昔ふたりで任務についていた時、フラフラと道を歩いているおれに「しょうがないねローディー」って言いながらそうした時と同じような調子で、黙っておれの手を掴んだ。 おれは嬉しかったから、また笑った。 ボッシュは「なにがそんなに面白いの?」って顔をしたけど、すぐに仏頂面に戻って、 「じゃ、行くか」 「うん」 おれに背中を見せて、おれの手を引いて、歩き出した。 おれはボッシュに手を引かれて歩くのならどこだって良かったから、にこにこしながらされるがままに歩いた。 おれに残された時間は、こんなに慈悲も容赦もなんにもなく削り取られていくのに、最後におれに与えられた休息はひどく優しいものだった。 最近弱い涙腺のせいで、またじわじわと目が熱くなってきたけど、おれはぐっと我慢して、にこにこ笑ったままでいた。 ボッシュの手はあったかい。
リュウたんは何に関しても一途で一生懸命な子だと思います。
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