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2010年、宇宙と旅 昼休みなかば、オレは遠くから聞こえてくる足音を聞いて、ああまたアレかな、と見当をつけた。今週に入ってから二度目だ。足音はまっすぐこっちに、3−Fの教室に向かってくる。 がらっと扉が開く。黒いカタマリが、オレにまっしぐらに飛び付いてくる。 「――うわーん! じゅんぺぇー!!」 オレは腹に力を入れて、なんとかそいつを受け止める。身体自体はそう大きなもんじゃないが(正直に「小さい」と言うと、ものすごく怒るのだ、そいつは)、一応十八になる男だし、馬鹿力だしで、結構キツい。でもオレにだってプライドがある。体格の大分違うこいつには、腕力で負けるわけにはいかない。 「どうしたんだいえい太くん、またチドリンにいじめられたのかい? ぼくの四次元ポケットが必要かい?」 裏声で言うと、エージは首を振る。今回はチドリは関係無さそうだ。良かった。 「……れっ、みんな、がぁ……」 「あーハイハイ、えーちゃん泣かないで泣かないで、せっかくの美人が台無しになるよ。リョージくんが悲しんでしまうよ、うん」 もう慣れたものなので、オレはぐずっているエージの背中を撫でてあやしてやる。去年の今頃は、一年後の同じ季節に、こいつがこんなに泣き虫になってるとは夢にも思わなかった。世の中は不思議なものばっかりでできている気がする。 「順平っ……あいつ順平のくせに、オレたちの栄サマとハグハグだとっ……」 「いやーん、栄サマぁ、順平くんなんかじゃなくて、私の胸に飛び込んできてぇ〜」 「栄サマっ、泣き顔もカワイイっすっ。ああ、あなたを泣かせたのが僕じゃないのが心底口惜しいっすっ」 なんだか怖い声が聞こえる。オレはあとで闇討ちされなきゃいいなと真剣に考えながら、とりあえずエージを脇に抱えて教室から出る。ここじゃ話しにくいし、大体ちょっとヤバかった。エージは女子なのだ、なんでか知らんが。相変わらず男子制服を着ているが(エージ曰く、『漢としての最後の砦』なんだそうだ。オレもそう思う)、オレの胃のあたりにぽよんぽよんの感触が当たって、ほんとにまずかった。危うく前かがみになるところだった。男の辛さをこいつも知っているだろうに、ちょっと無防備過ぎるんじゃないだろうか。やめてくれ。おっしゃー役得ーって感じはするけど。 とりあえず屋上に出て、ベンチにエージを座らせて、ハンカチで顔を拭ってやる。最近定期的にやらかされるせいで、オレともあろうものが毎日新しいハンカチを常にポケットに携帯、なんて面白いことになっている。トイレの後に洗った手は、前みたいに制服で拭いてるわけだが。 「どうした。いじめられたか? 転んでどっか打ったか?」 「……れっ、すき、なのにっ」 「……またリョージがなんかやったんか?」 エージは首を振る。オレはとりあえず黙って聞くことにする。エージは涙でぐずぐずの声で、すごく悲しそうに言った。 「おれ、みんなのことすごくすきなのにっ、みんなはおれのことがきらいなんだっ……!」 「……は?」 オレは呆気に取られてしまった。ちょっと待ちなさいよと。お前はカリスマ生徒会長とかいう肩書きを持っていて、クラスはもちろん学校中の生徒に、男女問わず栄サマ栄サマ呼ばれてる、超愛され王子様キャラじゃあないのかと。 わけがわからなかったが、エージが言うには、こういうことがあったらしい。 「もっ、望月くんっ……!」 女子生徒が駆けてくる。彼女はすごく必死な顔をしている。エージが「なに」と振り返ったところで、 「すき……!」 どん!と思いっきりタックルかまされ、 「……アレ?」 女生徒は呆然とした顔で、突き飛ばされて廊下を転がっていくエージを放ったまま、「えっええええええ!」と奇声を上げて去っていった、そうだ。 「隙あれ!って攻撃された。あれ、絶対殺る気だった。デッドエンドだった」 エージがめそめそしながら言う。ドッキリフェイント攻撃だ、とか言っている。 オレはなんとなく目の前が暗くなった。多分その女子は、想い余ってエージに告白しようとして、「すき!」と抱き付いて、カリスマ(男、十八歳)の胸にあるはずのない未確認物体XXとかがあったことに「アレ?」と大混乱、そのまま勢い余って逃走ってところじゃないだろうか。たぶん間違ってない。 今日の朝にも、こんなことがあったらしい。 登校して席につくと、机の中に手紙が入っている。エージが手紙を開けると(そういうシチュエーションだから、ちょっと期待はした、らしい)、中には五枚の剃刀の刃が入っていたそうだ。 手紙には血文字で、『死ね。ちょっと美人だからっていい気になるな。外人は国へ帰れ』と書かれていたそうだ。ものすごいショックだったらしいが、リョージの手前、なんでもない顔をして席についたらしい。 「俺、日本人なんだけど、今更どこへ帰ればいいんだろ……」 「う、うん。まあ、気にすんなって」 それはたぶん、望月兄弟に挟まれて逆ハーレム状態のアイギスをやっかんだ女子が、アイギスに送ったモンじゃあないだろうか。アイギスとエージの席は隣同士なので、きっと間違ってエージの席に突っ込んでしまったのだ。 エージはアイギスを溺愛しているから、その剃刀レターがアイギス宛てに送られたもんだと知ると、間違いなく暴れ出すだろう。ここは黙ったままでいよう。 「ほかにも、『あの女と手を切れ』だとか、『私を棄てたわね』とか、呪いの手紙みたいなのがいっぱい来る……俺なんにも知らないのに……」 「あ、ああ、そっか、うん」 多分リョ―ジ宛てだ。あいつはエージしか見えていないが、女子に異常なまでに優しいので、いろんなところで勘違いされたり逆恨みされたりする。そのツケが全部エージに回ってきているってことを、あいつは知ってるんだろうか。 三年に上がってから下手に転校生トリオが同じ望月姓なんか名乗るから、こういうことになっちまうのだ。他の二人に回ってくるはずだった悪意を、エージが磁石パワーだか不幸パワーだとかで引寄せちまうのだ。 オレはエージに同情した。エージは、こういうところで、間の悪い星の下に生まれてしまった男なのだ。女子相手には何をやっても裏目に出て空回りしてしまう星だ。そのせいでこいつはモテモテなのに、自分がモテてることにさえ気付けないのだ。 オレは去年の屋久島を思い出す。あの時は、確かエージがリーダーをやっていたのだ。そしてひどいことになった。今度からナンパをする時は、エージをメンバーから外しておこうと、オレはこっそり決心した。こいつには悪いが。 「うん、まあ、元気出せよ。そのうちいいこともあるって」 「ん、ありがと……なあ順平、俺なんかしたかな……なんかしたから、みんな俺のこと嫌いなのかな……」 「んなわけねーだろが。ちょっと間が悪かっただけだって」 オレはエージの頭を撫でてやって、「弱気なのはえーちゃんらしくないって」とフォローしてやる。ほんとは、みんなお前のことが大好きで、でもお前が完璧に見えちまうせいで、頑張り過ぎて空回りしちまうんだぜと教えてやりたい。でもオレは教えない。不幸の手紙書いたり、いきなり抱き付いたりするような奴は、男女問わずうちのエージと付き合わせてやる訳にはいかないのだ。 過保護な親の気分でオレは考えて、そう言えばホントの過保護の親のほうはどうしたんだと気になって、エージに訊いた。 「リョ―ジは? 知ってんの?」 「ううん……」 「言わねーの? 意地っ張りめ」 「そ、そーいうんじゃない。また心配掛けちゃったらいやだろ。泣いちゃうぞ。だから絶対ダメだ」 「泣いちゃうっつーか、ねー、うん……」 エージをいじめた奴なんかがいることを知ったら、リョ―ジならまずアポなしにいきなり宣告しに行きそうだと思ったが、オレは黙っておく。エージは親父さんに『おだやかでたよりなくて、でもやさしい僕のパパ』という夢を見ているようだし(リョ―ジはお前に隠れてオレにボディブローを叩き込むような男なんだぞと言ってやりたい)、変にオオゴトにならないほうがいいだろう。 とりあえずオレはエージの頭を撫でて、「もう泣くなよ」と言ってやる。 「今日帰りクリームソーダ奢ってやるから。あ、チーズケーキもつけていいよ? オレっち太っ腹だから」 「……ほんとに」 「うんほんとに」 エージは顔を上げて、今までめそめそしてたくせに、「やった!」って顔になって、にやっと笑う。 「あぁあ、なんかオレっちまたたかられてる気がする!」 「ちゃんと聞いたぞ順平、男に二言はないんだろ」 「アリマッセン!」 ああもうこいつはかわいいな!とオレはたまらずにエージの髪の毛を手のひらでぐしゃぐしゃに掻き混ぜる。 本当に、どういう育て方をしたらこんな可愛いガキが出来上がるんだろう。不思議だ。謎で仕方ない。 「お前はずっと頭空っぽの可愛いお子様でいろよ〜」 「なんだそれ、空っぽは順平の方じゃん! 天才を捕まえてなに言ってんだ。綾時に言い付けるぞ」 「あーハイハイ、もう可愛い可愛い可愛いねーたまらんですなー」 「じゅんぺってば、おいなんか変……ぎゃあ、胸触んな胸!」 エージは可愛い。オレは素直に、あーホント良かったわ、と考える。ちゃんとこいつが三年に上がれて良かった。大事にしてやれて良かった。息をしててくれて良かった。 2010年、エージがいる。月光館高校屋上、ここは、こんなに明るくていい気持ちになれる場所だ。 [2010年、宇宙と旅:終]
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