2010/03/05(Fri)
- the hero is born, and the day when it dies - 「君が生まれた日はね、今日とおんなじで、まだ少し寒かった。風が冷たくてね。でもお日様の光がぽかぽかあったかくて、とても気持ちの良いお天気だった。空には雲ひとつなくて、僕はその時ラボで機材の整備をしていたんだけど、連絡を受けてすぐに職場を飛び出して、ポートアイランド駅から続く並木道を一生懸命走り抜けて、辰巳記念病院へ向かったんだ。その時にちょうど頭の上を、青空に銀色の線を引いて飛行機が通り過ぎて行ったのを覚えてる。全部がまるで昨日のことみたいだよ。いつのまにか君はこんなに大きくなったのにね」 僕の頭をゆっくりと撫でながら、綾時が目を細めた。昔の思い出を懐かしんでいるふうだった。 僕が生まれた日のことを思い出しているんだろう。僕の誕生日、僕が初めてこの世界で綾時と出会った素敵な日だ。 テーブルにはたくさんの料理が並べられている。僕が好きなハンバーグとチキンライスとクラムチャウダーのリゾット、蝋燭付きの大きなバースデイケーキにはいちごがたっぷり乗っていて、真中にチョコレートクリームで『栄時、お誕生日おめでとう!』と書かれている。 おなかがぐうぐう鳴る。おあずけはほんとに辛いものなのだ。僕が「おなかすいたよぉー」とぶうぶう言っていると、やっとアイちゃんがお皿にターキーを乗せてやってきた。 僕らは久し振りに家族三人で揃ってダイニングのテーブルに着いた。 「お待たせです。冷めちゃう前に、」 「うん」 綾時とアイちゃんがにこっと笑って目配せしあった。そして二人で声を合わせて唄いはじめた。 「ハッピー・バースデイ・トゥ・ユー♪ ハッピー・バースデイ・トゥ・ユー♪……」 「ハッピー・バースデイ・ディア♪ ――」 ◇ 三月五日金曜日、月光館学園高等部において三年生たちの卒業式が執り行われる今日は、とても良く晴れて気持ちの良い日だった。風はまだ少し冷たいけれど、日差しが暖かく降り注いでいた。 僕はアイギスに膝枕されて、彼女の顔を見上げ、「気付いてたんだ」と言った。 「いっつもみんな好き勝手に使ってる共用の冷蔵庫にさ、生クリームとかタマゴとか、料理用のバターとか入ってるんだ。普段はサンドイッチとか、コンビニのおにぎりとか、食べ残したサラダとか、そんなものばっかなのに。棚には製菓材料が揃ってるし、こっそり輪飾りとか準備してあるし、みんなもなんかよそよそしいんだ。俺がいないとこで、楽しそうに集まって相談したりさ。俺が顔出すと、すごく慌てて何でもないふりするんだ。――だから、知ってるよ。みんな、変なとこで抜けてんだから」 「そうですね。わたし耳が良いので聞こえちゃうんです。「卒業式の後で、寮に帰ってきたあいつをびっくりさせてやろうぜ!」って、「美味しいものたっくさん食べさせてお祝いしよう」「会えて良かったって」「これからもずうっとトモダチだって」「少々気恥ずかしいな」「これからも世話を掛けられてやるとするか」――あなたはたくさんの人に愛されていますね」 「誕生日……トモダチに祝ってもらうなんて、初めてだったのに。残念だな。みんなにも、悪いことしちゃったな……」 「生まれてきてくれてありがとう、わたしは、今日あなたにそれを言えることがとても嬉しいです」 「ありがとう。俺、みんなにいっぱい大事にしてもらって嬉しかったって、ちゃんと言ったんだ。何度も何度も言ったんだ。でもまだ全然言い足りないんだ。言い足りないって言うよりも、上手く言えなかったって言うか……俺あんまり喋るの上手くないから、言葉が見つからなくて。そこはちょっと残念かな」 「あなたはすごく分かりやすい顔をしていたから、言葉にしなくても分かっちゃいました。だから大丈夫。あなたがみなさんのことが大好きだということは、わたしも、みなさんも知っています」 「うん。俺、今までできっと一生分泣いたり笑ったりしたと思うんだ。たくさん楽しかった。悲しいこともそりゃあったけど、でも今はもう全部大事な思い出だよ。誰かと繋がってると、こんなにたくさんのことを感じられるんだって、知ることができて良かった。俺、アイギスに会えて良かったよ。みんなに会えて良かった。綾時に会えて良かった」 「……はい。わたしも、」 「――この十七年、きっとずーっと俺は幸せだったよ。俺を生きれて良かったよ。もし生まれ変わりなんかがほんとにあっても、きっと俺はもう一度俺を生きるよ。だから順平にごめんなって言っといて。おまえんとこの子になれないっぽいって」 「はい。そうですね。きっと、あなたがあなたに還る日にまた会えますよね」 「俺、もう先に寝ちゃうけど……すごい眠いし……この先、みんなに楽しいことばっかありますように。みんな大人になって、なりたいものになって、いっぱい笑ったり泣いたりして、でもその時に……ちょっとだけ、ごめんな。俺のこと覚えてくれてますように。忘れないで、あいつ今見てるかなって、あいつはほんと最期まで幸せそうだったって、楽しそうにしてて良かったって、またどっかで会いたいとか、喋ったり遊んだりしたいなって、ちょっとでもいいから思ってくれますように。何年経っても、何十年経っても、そう思ってくれますように」 「大丈夫。あなたは良い子ですから、絶対に叶いますよ」 「俺、ちゃんとみんなの中で生きれますように。……みんな、の、なかから、消え、た、くない、」 「あなたは消えない。いつでもわたしの隣に。大丈夫、わたしがあなたを消さない」 「仲間外れとか、しないで、くれな。俺、ごめ、子供みたいだよな、こんなの……おかしいよな」 「大丈夫。泣かないで。忘れないから」 「――もう、ごめ、すごい眠い……ガマン、できそうにない。寝ちゃ、うな。もし、次起きたら、またいっぱい遊ぼうな。遊園地行って、いっぱい美味しいもの食べて、一緒に音楽聴いて、歌って、――やりたいこといっぱいあるんだ、けど、ごめ……ねむ……」 「もういいんですよ。我慢しないで眠りなさい。お母さんはここにいますからね。あなたが目を閉じて、そして次に起きた時にも、ここにいますから。どこへも行きませんから」 「わすれ……な……」 「愛しています、わたしの可愛い栄時。おやすみなさい。良い夢を見れると良いですね」 「おか……さん」 「もういいの。いっぱい頑張って、疲れちゃったんですね。もう目を閉じていいの」 「ん……」 「おやすみなさい、栄時」 「おやすみ……おかあさん……」 ◇ 「――ディ、トゥ・ユー♪ ハッピー・バースデイ・ディア、……栄時!」 ぱぁん、とクラッカーが鳴らされる。綾時もアイちゃんも笑顔で僕を見つめている。 僕は嬉しくてうずうずしながら、テーブルに身を乗り出して、ふーっと息を吐いて蝋燭の火を消した。明かりが消えて部屋が真っ暗になる。 僕はもじもじしながら、綾時とアイちゃんの顔をじっと見ながら言うのは大分恥ずかしかったから、綾時が椅子から立ち上がって部屋の明かりを点けちゃう前に、真っ暗がりの中で言った。 「これからもずーっと、大人になっても、僕がおじいさんになっても、ずうっと綾時とアイちゃんと僕と家族三人で仲良く一緒に暮らせますように! ずっとずーっと!」 ◇ 綾時が僕と手を繋いだままちょっとしゃがみ込んで、ひょいっと僕を持ち上げ、抱っこしてくれた。 「たくさん遊んだね」と綾時が言う。 「日が暮れるまでいっぱい走り回って、笑ったり泣いたり転んだり。満足したかい?」 僕は笑って「うん」と頷く。綾時の首に抱き付いて、「おなか減った、早くごはん食べたい。あ、その前にお風呂!」と言う。綾時も笑って、「うんもう帰ろう」と言う。 「一緒にね」 「綾時、」 「うん?」 「ありがとう綾時」 僕は、僕が帰るのを惜しんではしゃぎ回っていた間、ずっと僕を待っていてくれた綾時に、「ちゃんと約束守ってくれてありがとう」と言う。綾時は「約束だからね」と穏やかに頷いて、僕を肩に乗せて歩き出す。すごくご機嫌で、僕らが大好きなヒーロー番組の主題歌を、ちょっとばかり調子っぱずれの鼻歌で唄いながら。 僕も一緒になって唄い出す。歌に関しては、僕はちょっとしたものなのだ。いっぱい練習したから、結構自信がある。音楽のテストはいつも満点だ。カラオケも大好きだ。 一人で唄うのも気持ちいいけど、綾時やみんなと一緒に歌うのはもっと面白かった。 最後にみんなでカラオケに行った日のことを思い出して、僕はふと一度後ろを振りかえり、また前を見て、綾時の頭に抱き付いて、しみじみした気持ちで言う。 「ああ、楽しかったなあ……!」 ほんとに毎日きらきらしてて、眩しくて、僕は僕の人生ってものが愛しくてしょうがなかった。楽しかった。 またみんな、会えたらいいな。喋って遊べたらいいなって思う。 ゆるやかに日常を過ごし、みんなを愛して、そして僕の好きな人たちに優しくされたいなと思う。 きっといつかまた会えるって、僕は知っている。 だからその時まで、どうかみんなのなかに僕がちゃんと息づいていられますように。笑っていられますように。みんなが僕を忘れませんように。 僕も誰のことも忘れやしないから、また会った時に「ひさしぶり、元気だったか?」って言えますように。 僕と綾時が往く先は眩し過ぎて真っ白で何も見えない。 光のなかへ、僕らは歩いていく。 順平も岳羽も山岸も、桐条先輩も真田先輩も天田もコロマルも、アイギス、お母さんも、みんな僕がいなくなっても泣いたらダメだぞ。 離れ離れは寂しいけど、今はさよなら。どうかお元気で。 大好きだよ。 |