『12月31日、大晦日』
……パラレル、ストレガえーたんとS.E.E.Sりょうじさん



 思えば、彼が僕が働いているところにやってくるのはこれが初めてだった。もう大分なるのに。
 残念なことだなとは思うけど、彼はあれで結構、いやすごく生真面目なところがあって、アルコールはまず口にしない。無理もない。僕らはまだほんとは十七歳の高校生なのだ。誰も知らないけど。
 僕らは今いろいろな都合上、年齢も履歴も誤魔化して、嘘っぱちの架空の人物として生きている。例えば僕は二十一歳、帰国子女のマンション暮らし。可愛い大学生の彼女とつい最近結婚して、目下二人の愛の巣で新婚生活中、なんて。
 今ちょうど目の前で、僕が作ってあげたカシスオレンジを美味しそうに呑んでいるのが、そう。僕の可愛いお嫁さん。初恋のひと。僕とおんなじ望月姓で、名前は栄時。
 まあ男の子なんだけど、女の子みたいに綺麗な顔をしているから、それらしい格好をしてると、僕が「この子が僕のお嫁さんです!」と言っても、誰も「ええ、うそだろ」とか言わない。うん、本当に綺麗だ。
「美味しいでしょ、栄ちゃん」
 彼が頷く。
「お酒呑んだのはじめて?」
 彼が頷く。
「甘いほうがいいかなって……でも君はクリームソーダが好きだよね。そっちのが良かったかな」
「いい。たまにはこういうのも悪くない」
「うん」
 僕らは微笑みあう。周りからは「チクショー望月のお花畑……!」とか「上手くやりやがって」とか、僕をやっかむ声が聞こえてくる。僕はそれに笑って応えて、「いいでしょ」と胸を張る。僕のお嫁さんは世界一の美人なのだ。きれいでかわいくてとても素敵な人なんだ。
 今日は予定どおりに少し早めに仕事を切り上げて、僕を迎えにきてくれた栄時と一緒に店を出て、二人で手を繋いで帰途につく。「もう年末だねえ」と僕が言うと、栄時も呑気に頷いて「そうだな。年越し蕎麦食わなきゃな」とか言っている。この子は年中食べものの話をしてるなあと思って、僕はちょっと苦笑した。
「この国では、なんで年末にお蕎麦食べるのかな?」
「蕎麦みたいに細く長く生きることができるようにってのが由来らしい。年を越すまでに食べ終わらなきゃならないって」
「物知り」
「……生徒が言ってた」
「ダメでしょ、教えるほうが教えられてちゃ」
 僕は笑う。栄時も気まずそうにちょっと笑う。
 僕らは近所のスーパーで二人分の蕎麦を買い、財布が許すかぎりのお菓子を買いあさった。いくつも買い物袋を下げるのは、主に僕の役目だ。僕は『旦那様』なわけで、可愛いお嫁さんの細腕に無理をさせるわけにはいかない。……この子はこの腕でシャドウや順平や僕なんかを軽々とぶっ飛ばすわけなんだけど。
 店を出てすぐの横断歩道前で信号待ちをしていると、道路の向こうがわの、反対側の歩道を歩いていた小学生くらいの小さな女の子が何人か、僕らを見て急に立ち止まり、
「栄せんせー!!!」
 叫んで手を振っている。『栄せんせー』を横目で見ると、ああまずいとこ見つかったって感じの苦い顔をしている。
「栄せんせー! 隣のイケメンってカレシ?!」
「せんせー、顔真っ赤!」
「センセ、冬休みの宿題手伝ってー」
 栄時は弱りきった顔で、うんとかああそうとか頷いていた。子供たちは「よいお年を」とか「来年もよろしくお願いします」とか言って、手を振って去っていく。
 信号が変わる。僕らは歩き出す。僕はにこにこ笑いながら、彼のことをからかう。
「栄せんせー、かわいこちゃんたちにもてもてだね」
「……お前ほどじゃない」
 歩道の真中で、栄時は急に立ち止まり、ふっと顔を上げて僕にキスした。僕も応える。ふたりとも買い物袋で手が塞がっているから、抱き合ったり抱き締めたりそんなのはなしで、ただ触れるだけ。
 でも唇の柔らかさとか、温かさだとか、そんなものがダイレクトに心臓を直撃する。ドキドキする。僕はもう何度も何度もこの子の身体のなかまで入って、触って、射精しているのに、ちっとも触れ合いに慣れてしまうことができない。
 初めてこの子に恋した時の、あの鮮やかな気持ちのままだ。永遠が欲しいと思ったあの日々のままだった。僕は今でもそう願っている。今の僕らの上に、永遠が降り注いできてくれればいいのにと。何も変わらない、停滞した、終わりのない時間を手に入れることができたらどんなにいいだろう。
 車のクランクションが鳴らされて、そこで僕らははっと我に返って、慌てて横断歩道を渡りきる。信号は赤になっていた。





 メリークリスマスもジングルベルもめいっぱい楽しんだ。大好きな人と過ごすクリスマスはそりゃ素敵なもんだった。ターキーとローストビーフに生クリームたっぷりのクリスマスケーキ、ツリー、僕らはそんなもの初めて見るからおおはしゃぎだ。「すごいな」「すごいね」って言いあって、わくわくする時間を過ごした。
 ここでひとつ僕らの名誉のために挙げておくとするけど、僕らは影時間に無人(いや、人はいるんだけど棺桶になっちゃってる)の店に押し入って、商品を盗んだりそういうことをしてるわけじゃない。ちゃんと労働の報酬を握り締めて、真昼に、堂々と買い物をしている。『普通』のひとは影時間に万引きなんかしないのだ。
 僕らはちょっと過剰なくらい『普通』を演じている。朝早く起き、新聞を読んで、カフェオレとタマゴサンドとサラダでお腹を満たし、ベランダのプランターに水をやり、そしてふたりで散歩に出掛ける。いつも同じルートを辿る。顔なじみになった、犬を連れている年配の女性や、ジョギング中のおじさんに「おはようございます」と挨拶する。いつも決まって「感じの良いご夫婦ね」と言われる。ちょっと、照れる。
 僕の仕事は夜からで、栄時も子供たちが学校に行ってる間は暇をしている。だから二人で居眠りしたり、栄時が洗濯したり掃除したりするのを手伝ったり、そのご褒美に膝枕してもらってお昼寝をしたりする。
 僕はついうっかり、寝惚け眼であの子のことを「ママ」と呼んでしまうことがある。あの子はそう呼ぶとぱっと嬉しそうにするんだけど、僕としては複雑だ。
 まあ彼が僕のお母さんであることは確かなんだけど、僕らはまがりなりにも夫婦なのだ。左手の薬指にお揃いのエンゲージリングだってしている。ちゃんとお互いの名前だって彫ってある。完璧だ。
 だからもうお母さんと子供じゃなくて、夫婦なんだからねと僕が弁解すると、栄時は「はいはい」とふたつ返事で僕の頭を撫でる。そうされるといよいよ子供扱いされているみたいで、僕は臍を曲げてしまう。
 でも僕がふてくされていると、栄時は「ごめんな」とキスしてくれる。僕らの喧嘩とも呼べない喧嘩は、そうしてあっけなく終わってしまう。あとはなしくずし的にベッドに潜って、僕がどれだけ子供っぽくないのかってことを、栄時に理解してもらう。
 僕らは幸せだった。もう他になにもいらないくらい。
 二人でいろんなことに目を瞑って、楽しくおかしく過ごしていた。未来から目を逸らして、過去を慈しんで今を生きていた。
 ほんのちょっと前の僕らを証明するものは、ここにはなにも無かった。たとえば月光館学園の制服、生徒証、学生だった時分の持ち物は全部寮へ置き去りだったし、携帯電話は新品で、旧い知り合いの名前はない。
 ほんの一瞬で、僕は新しい人間になってしまって、なんだかおかしいなって思った。あんなに馴染んでいた高校も二年F組の教室も、可愛い制服姿の女の子たちも、特別課外活動部の仲間たちのことも、今はひどく遠い。
 何度か僕らを探すひとたちは来たけど、誰も僕らを見付けることはできなかった。僕らは空気のように振舞うことが得意だった。僕は性質上、栄時は子ねずみのような注意深さで。





 マンションに借りてる僕らの部屋に帰りつくと、もうじき八時になりそうって頃だった。
 今日くらいお仕事は休んでもいいかなあって思ってたけど、結局顔を出すだけ出して、僕の格好良いとこを栄時に見せてあげた。
 まあ満足のいく一日だった。「お前ああいうの似合うな」って言ってもらえたし。嬉しいな。
「なんかいかがわしいのが妙に似合う。バーテンダーとか、ホストとか、ウエイターとか、……主に女の人口説いてそうなのが」
「どれも格好良いでしょー」
「昼間に太陽の下で汗水垂らして、って感じじゃないんだよな、お前は」
 栄時は「まあ僕も人のことは言えないがな」と言い置いて、エプロンを付けて、テーブルに乱雑に置かれた買い物袋から、蕎麦と出来合いの天ぷらを出して、テレビを点けた。
 大晦日は年越し蕎麦を食べながら紅白、って決まってるそうだ。そういうもんらしい。昔順平くんが言っていた。
「歌番組だけどいいか?」
「うん? うん。どうして?」
「いや、お前は子供向けのアニメスペシャルのほうがいいかなって思って」
「だから僕はもう子供じゃありません。ダーリンに向かってなんてこと言うの」
「はいはい。そういや、お前蕎麦って食ったことあったか? 帰国子女」
「もう。いや……ないと思う。カレーうどんならあるけどね。ラーメンも。あれ、中華そばって言うんでしょ?」
「……お前がそんなこと言うから」
「え?」
「……はがくれのラーメン食いたくなってきた。あそこのラーメン、美味かったな……」
「……食べに行く? 今からなら、頑張ればなんとか」
「いや、いいや。時間もったいないし。蕎麦食おうぜ。蕎麦最高」
 僕はあんまり彼がいつもいつも食べ物の話ばかりしているから、おかしくなって笑ってしまった。本当に最後の最後まで蕎麦とかラーメンとか、この子の頭の中はすごく幸せそうだ。羨ましい。
 見た目はクールで賢そうなのに、結構抜けたところがあって、実はわりとうっかりものなのだ。僕は子供の頃からずっと一緒にいるので知ってる。
「君は今年最後までがっついてたね」
「お前は今年最後まで女癖が悪かったな」
「あ、ひどい。僕は君一筋なのに」
「嘘吐け。俺が酒呑んでる間に二人引っ掛けた」
「あ、あれはね! あの子たちが水零しちゃったのを助けて……」
「浮気者」
「うわき、」
 僕は何というか、弁解するのも忘れて、栄時の面白そうな顔を見た。彼はにやにやしながら「シャツに口紅付いてるぞ」とか言っている。もちろんそんなものは付いてやしない。
「……嘘?」
「口紅は嘘。引っ掛けたのは見てた」
「お嫁さん、嫉妬してるの?」
「してるんじゃあないか」
「うん」
 僕らはにやにや笑いあって、お互いの胸を小突き合った。ついでに栄時に頭を拳骨でグリグリされた。
 そして僕はコタツの中に足を突っ込んでテレビを見る。栄時はキッチンに立ち、そう経たないうちに二人分の蕎麦を持ってきた。
 「はいお父さんお蕎麦ですよ」とか言ってる。僕は「うんありがとお母さん」と頷く。年期の入った中年夫婦みたいな遣り取りをする。
 これは年月と経済力を掛けた、空っぽな僕らの、壮大なおままごと遊びなのだ。
 子供のちゃちな遊びで済まないのは、段ボールでできた『お家』のかわりにマンションに部屋を持ち、泥団子のかわりにいい匂いのするお蕎麦、そしてふたりが物理的に繋がれる大人の肉体を持っているってこと。
 「美味いな」「美味しいね」って言いながら蕎麦をすすり(でももう僕には味覚なんてほとんど残っていないし、食事をしなくたって生きていける)、「ぬくい」「あったかいね」って言いながらコタツに入り(温度の差なんてわからないから、ほんとは暖を取る必要なんかない)、ミカンを剥きながら大晦日の歌番組を見て(でももう歌なんてただの音の連鎖にしか聞こえない)、僕らはおそろいのエンゲージリングをつけて、大真面目に夫婦ごっこをしている。残り少ない時間のすべてを掛けて、何気ない日常を演じる。
「美味い?」
「美味しい。でも上に乗ってる天ぷらは、出来合いじゃなくて君が作ったのが食べたかった……」
「贅沢を言うな。俺は美味かった。ごちそうさま」
「……はあい。ごちそうさまでした」
 二人で手を合わせて、空のお椀に頭を下げる。食事が済むと、栄時は薬棚から銀色のシートを取り出してきて、その白いカプセルを飲む。
 昔彼が僕のクラスメイトの学生だった頃もそうだった。一緒にお昼ご飯を食べたあとで、彼は必ずその薬を飲む。
 いたって健康そうなひとだったので、それ何の薬なの?って聞いたこともあった。返ってきたのは、「俺アレルギー持ちなんだ。抑制剤」という、当たりさわりのない、でも間違ってもいない答えだった。
 彼はほんの数日、例えば二日三日その薬を切らしてしまっただけで、もう生きられない。彼のペルソナが彼を殺す。彼から分かれた僕は、もう内側から彼を守ることはできない。
「……アレルギー、大丈夫?」
「うん。薬、最後まで持ったし」
 栄時はそっけない顔で、「おまえこそ」と言う。
「疲れたらべつに、ちゃんとした格好しなくてもいいから」
「……うん」
 僕はにこにこ笑いながら頷いて、「君は優しいね」と言う。栄時は照れたみたいにちょっと顔を赤くして、「別に」って言う。この子は照れたり都合が悪くなるとすごくそっけなくなるのだ。わかりやすいなあって思うけど、言うと怒られそうなので言わない。
 黙ったままで、そのかわり僕は、はすむかいに座っている彼に抱きつく。肩に顔を埋めて、それだけでは足りずに背中を抱き、押し倒して、しがみつく。
 僕の身体は、そうやってひどく安心すると、逆に震えだす。栄時は、全部分かってるみたいに僕の頭を撫でて、髪を梳いて、背中をゆっくりした一定のトーンで優しく叩いてくれる。何度も何度も。
 彼自身、孤児で、母親はいなかったはずなのに、どうしてこんなに『お母さん』らしい仕草ができるのか、ちょっと不思議だ。
 僕は栄時のセーターをたくし上げて、平らな胸に吸い付いた。
 痩せていて、骨がごつっとほっぺたに当たる。まぎれもない男の子の身体だ。
 でも、僕はそこに母性を求めてしまう。栄時の腕に抱かれて、音を立てて胸を吸ってしまう。
 授乳される赤ん坊みたいに、彼に一生懸命しがみ付いてしまう。
 『ママ、僕のママ、お母さん』、そう呼び掛けたい気持ちを必死に我慢する。僕はひとりの男としてこのひとを抱く、もういい大人なのだ。ほんとにそうなのだ。
 この間なんて、僕があんまり不甲斐ないものだから、「ミルク出なくて悪い」って栄時のほうが申し訳なさそうな顔をして、哺乳瓶とおしゃぶりを買ってきてくれた。――さすがにその時ばかりは僕も「いい加減にしてよ」って怒ったけど。
 でも人肌にあっためてもらったハチミツ入りの甘いミルクを、栄時の胸に大事に抱かれてあやされながら、「ほら綾時」って飲ませてもらうのは、不本意だけどすごく気持ちが良かった。
 僕は小さな赤ん坊になって、ママの栄時にもう一度包み込まれているような気分になったものだった。
 僕が彼に望まれて産まれてきた人間の赤ちゃんならどんなに良かったろう。
 でもあとになって冷静に考えてみたら、これって赤ちゃんプレイってやつなんじゃないだろうかって思い当たって、ちょっとがっくりきてしまった。これは他のひとには見せられない。
 栄時は、胸を触られるのがすごく好きだ。
 普通男の子って、あんまり胸で感じたりしないんじゃないかなと思うんだけど、気持ち良さそうに震えて悦んでくれる。可愛い声も聞かせてくれる。
 「きもちいの?」って聞いたら、「うん」と答えが返ってきた。今更だけど、素直になってくれたこの子ってのは、破壊力抜群だと思う。ちょっと前まで僕が触るとやだやだって嫌がってたのが嘘みたいに、穏やかに目を閉じている。ちょっと笑ってる。カワイイ。
「……きもちいか?」
「うん」
 僕は「君の胸大好き」とぽーっとしながら言う。それからあっと思って、「好きなのは胸だけじゃないけど」と弁解する。僕はこの子ならなんでも好きだ。綺麗な顔も手触りの良い髪も、すべらかな肌も、胸もお腹もあたたかい手も、頭のてっぺんから足のつま先まで、ほんとに全部食べちゃいたいくらい。
 その衝動は、僕が人間から乖離していくにつれて、どんどん膨らんでいく。
「栄時、大好きだ」
 僕は不安を紛らわせるために、いよいよ強く栄時に抱きついた。セーターとジーンズを脱がして、下着を下ろして、彼の下腹にキスをする。栄時が震える。
 白くて柔らかいお腹を舐めて、お臍に舌を突っ込んで、びくっと勃ち上がって震えている可愛い性器に軽いキスをする。
「ひゃ、」
 可愛い声が上がって、僕はにんまりする。女の子の声も綺麗な音楽も車のクラクションも雨の音も、全部が全部おんなじ音にしか聞こえなくなってしまった僕でも、栄時の静かで優しい声や、拗ねている声、怒った声、それに可愛い喘ぎ声や、あきらかな嬌声なんかは、まだきちんと聞き分けることができる。
 僕はそれに心底安堵している。栄時をきれいでカワイイと思えることや、ちゃんと欲情できることや、まだ僕の性器もちゃんと硬くなることに関しても。
 栄時は恥ずかしそうに「バカ」と言って、僕の額を小突く。
「笑うなって」
「だってかわいいもの」
「可愛いのはお前」
「可愛い息子だからね」
「……うん。僕は多分大分育て方を間違った気がするんだ」
「きっと思い過ごしだよ」
 わざとそっけなく言って、栄時の性器を緩く噛んだ。その途端、細い肢体が大きく跳ねる。相変わらず敏感だ。
「や、か、噛むなって」
「ここじゃ背中痛くない? ベッドへ行こうか」
 床の上じゃ痛いでしょと言うと、栄時は首を振って、「寒いからここでいい」と言う。彼はお布団とか、今みたいにコタツとか、あったかいものが大好きだ。ちゃんと部屋の空調は効いていて、あったかいはずだけど、いつも「寒い、寒い」って言ってる。彼はちょっと人並みはずれた寒がりなのだ。
 昔からそうだった。特にあの抑制剤を飲んだ後なんか、いつも決まってかたかた震え出して、僕が抱き締めてあっためてあげなきゃならない。
 ふと見ると、時計が九時を指している。ほんとに時は待たないなあ、と僕はちょっと忌々しく考えた。もうちょっとゆっくり進んでくれたっていいのに。もう永遠が欲しいなんて子供みたいなことは言わないから、せめてもうちょっとお手柔らかに頼みたい。ほんとに。
「ねえ、あの、ちょっと駆け足になるけど、いい?」
 僕がせっついて訊くと、栄時は「好きにしろよ」と言ってくれた。この「好きにしろ」は、昔みたいに「どうでもいいから好きにしたら」とはちょっと違う。念の為。
 彼は僕のお願いをなんだって叶えてくれるのだ。優しい優しい僕のお嫁さんは。
「栄時、あしひらいて」
「ん、」
「良く見せて」
「卑猥」
 呆れたふうに言いながらも、ちゃんと僕の言うとおりにしてくれる。床に仰向けに寝そべって、脚を開いて、『もうこいつは』って顔をしている。勃起した性器は僕の唾液が染み込んで、蛍光灯の光を浴びててらてら光っている。
「やらしいなあ」
「お前がな」
「君のがエッチだよ」
「……はいはい、じゃあ間を取って、どっちもエロい」
「うん、おそろいだよね。僕ら夫婦だもんね」
「子作りとか」
「うん、しちゃうもんね。いっぱい中で出して、君のお腹が膨らんで、僕の赤ちゃんデキちゃうんだ」
「うん、きっとそうなる」
「だよね。夫婦だもん」
 僕らはくすくす笑いながら言い合う。もうどこからが冗談で、どこからが本気なのか、僕らには区別がつかない。僕としては全部が全部本気だったりするんだけど、でも本気でそれを言ってしまうのは、僕の立場や性質やそのほかいろんなものが許さなかった。
 だから冗談めかして口にする。栄時も応えてくれる。
「綾時、おいで」
「うん」
 僕は頷いて、もう一度「……うん」と頷く。目が熱くなってきて、でもなんとか堪えて、勢い良く栄時に抱きつく。僕の下で栄時が、潰れた蛙みたいな悲鳴を上げる。「重い!」と怒鳴る。
 僕は「ごめんごめん」と、わざと明るく、いろんなことに関しての謝罪を口にする。栄時は「いいから」とそっけなく言う。
 でも僕は、いきなり栄時のなかに押し入るなんてことができずに、彼の脚をぐうっと曲げさせて、跪き、後ろの穴を舐める。舌で解して、柔らかく蕩かしていく。
 栄時はびっくりしたようだった。喘いで、僕を見て「なんで」って顔をしている。
「りょ……んん、いいん、だって、あ、なんで、」
「君が痛いのは嫌だから」
「大丈夫……だ、って、僕、痛いとか、良くわかんな……あ、っ」
「でも感じてる」
「ばか……、う、うっ」
 充分に湿してから、栄時の身体を仰向けにしたまま、床に投げ出されている彼の両手を掴んで、僕の硬くなった性器を胎内に、少しずつ埋めていく。
 ほんの先端が潜っただけで、そこが長い間僕が求めていた、温かい血と肉で構成された子宮へと続く道だってことが解る。
 そこは幼い僕にとっての楽園だった。昼はそこで眠っていた。僕は一日の狭間の一時間だけ起き出して、そこから這い出して、僕の母である最愛のこの人と、友愛を育んでいたのだ。お互いなにも知らず、頭が空っぽで、僕は母親に知らずに恋をして、強く求めた。
 今は身体を繋いでいる。
「あ……っ、く、うう、りょう……」
 栄時の唇が、『りょうじ』ってかたちに動く。僕はそれだけでぞわぞわして、性器に血が集まっていくのを知る。
 竿の部分を埋め終わると、ひどい安心が僕に訪れた。僕らはまたひとつになった。ほんの一瞬だけ、栄時は僕と繋がる僕と同じものになる。昔僕らがそう錯覚していた、『僕らはきっと同じものだよね』って言葉そのままになる。
「栄時、――僕の、栄時、」
 「すきだよ」って言って、「大好き」「愛してる」、僕はたくさんの言葉を栄時に掛ける。彼はただ頷いてくれる。僕の喉はもうじき言葉も話せなくなる。
「や、ぁああっ」
 一度抜き差しすると、栄時は真っ赤な顔で、女の子みたいなすごく可愛い喘ぎ声を上げてくれた。ほんとに敏感だ。そう言う声を出されると、僕はまたたまらなくなってきて、彼の手をぎゅっと握って揺さ振った。
 腰を打ち付けるたびに嬌声が上がって、僕をぽおっとさせてくれる。普段ストイックな彼にエッチな声を出されると、何ていうか、それだけでもうイッちゃいそうなくらいにそそるのだ。
「あ……あ、あっは、ぁあ、りょ、」
 『りょうじ、りょうじ』って何度も何度も彼の唇が僕の名前のかたちに動く。でも零れてくるのは可愛い喘ぎ声だ。
 まともに口もきけないくらいに感じてくれている様がすごく嬉しくて、僕は彼の唇を吸いながら、栄時の胎内を擦る。
 温かくて、からみついてくる。おかえり、かえっておいで、って僕を誘い込むように蠢いて、僕の子供を搾り取ろうと一生懸命に締め付けてくれる。
 あんまり気持ちが良くて、僕はつい理性を手放しそうになる。でもそれだけは駄目だ。
 まだ時間が残っているのに、栄時が最後に見た僕の姿が異形の正体だなんて、僕が堪えられない。僕はなんとしても、最後の一瞬まで彼と同じ人間のかたちのままでいたいのだ。
 そうやって我慢してたせいか、中で締め上げられた拍子にイッてしまった。
 栄時が気持ち良さそうに喘いで震えている。この子は中で出されるのがすごく好きで、僕が彼のお腹の中に子供をたくさん吐き出すと、嬉しそうにふわっと笑ってくれる。それはすごく可愛くて大好きなんだけど、なんだか余所ごとを考えながらだったから、ちょっと申し訳なくなってしまった。
「……ごめん」
「っう、ん。ばか、いいんだって。無理するな」
「無理はしてないんだけど、」
「いいから。見せろ」
「でも僕、君にだけは見せたくないんだ」
「母親命令」
「……君は僕のお嫁さんだもん……」
「じゃあ見せなきゃ離婚」
「うう」
 僕は何でこんなに立場弱いんだろう。ちょっと悲しくなってきた。
 僕は栄時のなかから抜け出して、言われるままに、渋々、怖々、人間のかたちを解いていく。大きな身体で、貌のない、真っ黒の異形だ。
 僕は貌のない自分の姿がすごく恥ずかしかったけど、栄時は「それ遺伝」と平気な顔をして言う。「僕にもないから、恥ずかしがることなんかない」と。
 僕には栄時の綺麗な顔がちゃんと見えてるんだけど、ともかくそう言われるとほっとしてしまって、ああこれじゃなんだか僕は、お母さん子で甘えん坊の子供みたいだぞと思い当たって、微妙な気持ちになる。僕と栄時はもう夫婦だっていうのに。
 彼は僕の異形の姿を見ても動じずに(少しは動じたほうがいいと思うんだけど)、腕を伸ばして首に掴まり、僕の仮面の口の部分を舐めて、「キスってここでいいのか?」って言っている。
『あ、うん』
「続きは?」
 栄時が首を傾げて、とんでもないことを言う。続きって、こんなにおっきい僕が君にナニかしたら、君はきっと壊れちゃうでしょ。死んじゃうでしょ。
『い、いやいやいや、ダメだよ。体格差とか、そんな問題ですらないから』
「でも勃ってる」
『う』
 指摘されたとおり、僕は相変わらず栄時の裸に欲情していて、下半身を熱くしている。でも今の僕にとって、栄時はまるで小さなお人形さんみたいなわけで、繋がるわけにはいかない。壊しちゃう。
 でも栄時は、僕が理性を総動員していることなんか知らずに、跪いて僕の性器を――彼の細い脚くらいはあると思うんだけど、ソレを両手で掴んで、先端を舐めはじめた。猫が毛繕いするみたいに、丁寧に。
『え』
 僕は固まってしまった。本当にこの子は素直になると破壊力抜群だ。身体が大きくなったくらいじゃ、全然僕はかなわない。
『ちょ……ダメだってば! 僕、そんなふうに君にされると我慢、できないからっ、』
「我慢なんかしなくていい」
『し、知らないからねもう……』
 僕は溜息を吐いて、ぜんぜん聞いてくれない栄時の、小さなお尻に指を這わせた。
「んっ」
 中に指を挿れて、さっき出した精液を掻き混ぜてあげると、彼は腰を揺らして、恥ずかしそうに喘いでいる。どうやら、気持ち良いらしい。
「あっ、りょ、う、やっ、んん……」
 ぴくん、ぴくんって可愛く震えながら、栄時が僕の性器を甘く噛む。でも僕の皮膚には、歯型もつかない。ちょっと残念。
『指二本って入るかな』
「……む、り」
『我慢なんかしなくていいんでしょ』
 ふるふる力なく首を振ってる栄時のお尻に、もう一本指を挿れてあげると、甘く蕩けた鳴き声が上がった。きもちい、らしい。
 彼のなかで、二本の指を交互に動かして、胎内を擦り上げる。栄時は跪いてお尻を突き出した格好で、僕の性器にご奉仕してくれている。なんだかすごい光景だなあと僕は思った。あんまり現実味がなくて、エッチで、思わずまた射精の欲求が訪れる。
『……あ、栄時、口離して』
――え? わ、っ」
 僕が吐き出したたくさんの精液が、勢い良く栄時の身体を汚す。綺麗な顔、すべらかな背中、柔らかいおなか、勃起している性器、しなやかな手足。その全部を黒く染めていく。
「……っ、ひゃ、あ、あっ」
 精液を掛けられてしばらくすると、急にどろどろの栄時がびくって震えて、お尻を弄られたまま、僕のお腹に額を押し付けて痙攣をはじめた。「あ、あ」って細切れの喘ぎ声を上げて、びくびく震えている。
『ど、どうしたの?』
「うあ……なんかっ、なんか触って、跳ねて、るっ」
『……あ』
 僕はたぶん、人間の姿をしていたなら、真っ赤になっていたろうと思う。
 僕の精子が栄時の全身にまとわりついて、「子宮を見付けたんだ」ってふうに暴れているのだ。見た目も大きさもおたまじゃくしみたいなのが。
 そいつらは彼の肌にどろっと溶けて、染み込んでいく。全身からだ。
 栄時がたまらないってふうに悶えて、恍惚の表情でイッちゃう。お尻の中の僕の指をぎゅうっと締め付けながら射精する。――なんかすごいもの見ちゃったような気がする。
「う……っ、りょうじ、りょう……」
『う、うん』
 手を伸ばされたから、僕は栄時の身体をしっかり抱きとめる。彼の身体は震えている。
 気持ち良過ぎるのが怖いのか、それとも他の理由からなのかは解らないけど、僕は穏やかに『こわくないよ』となだめてあげた。異形の僕が『怖くないよ』ってのも変な話だと思うけど。
『ね、ねえ……』
「ん、」
『あの……』
 僕はもじもじしながら切り出した。「だめだよ」って言ってた僕が、今更そういうことを言うのは、大分勇気がいったけど、栄時は僕がちゃんと言う前に頷いてくれた。
 プルプル震えながら、でもちゃんと僕の顔を見て、「いい、おいで」って言ってくれた。
 僕は、申し訳ないのと嬉しいのとで胸がいっぱいになってしまった。この子はちょっと僕に甘過ぎるんじゃないかって、心配になったりもした。僕は無茶ばかり言ってるのに、栄時は全部、頑張って叶えてくれる。僕もこのひとに何かしてあげられることがあればいいのに、できることって言ったら、ただ繋がるだけだ。繋がって安心して、気持ちよくなるだけ。
 僕は両手でそっと、小さな栄時を包み込んで抱き上げて、彼の股間に性器の先端を宛がった。
『い、痛かったらやめるからね』
 彼が頷く。
 彼がちょっとばかり痛がったって、僕はほんとは止めることなんてできやしないだろう。でも、栄時は「うん」と頷いてくれる。「早く来いよ」とまで言ってくれる。
 そして僕は恐る恐る、栄時の胎内に、異形の性器を埋める。僕は彼のなかへ溶けていく。とろとろした羊水のなかへ還っていくような、そんな感触だった。もう一度、母の子宮のなかへ。きもち、いい。





 ずっと、このままでいたい。





 永遠が欲しい。






◇◆◇◆◇






 時計は午後十一時三十分を示している。今年もあと三十分でお終いだ。
 僕は相変わらず人形みたいに小さな栄時と繋がって、彼の胎内の感触を味わっていた。
 僕のかわいいひとは、ほんのちょっと上下に揺さ振るだけで、よがって、感じすぎちゃって、イッちゃう。身体じゅうに僕を嵌め込んで、まるで串刺しにされた死刑囚みたいな格好だけど、顔つきはぽーっと緩んでいて、そこにはあからさまな恍惚が見て取れた。
「りょう……りょ、」
 もう声も枯れ果てたみたいで、唇だけが『綾時、綾時』ってかたちにぱくぱく動くだけだ。
 僕は栄時を抱き締めて、気力を振り絞って、もう一度人間の姿を形作る。ふいにお腹の中に戻ってきた人の体温と触れ合う感触に感じちゃったのか、栄時がまたイッてしまう。ちょっとこの子は敏感過ぎると思うんだけど。かわいいなあ。
「あ、っ……りょお……?」
「うん。どうしてもね、最後はこの姿でいたいの。君に覚えててもらうのは、人間の僕であって欲しいんだ。僕らはなかよしの新婚夫婦で、ここは僕らの愛の巣ってとこで、毎晩子作りしてる。すごく愛し合ってるんだ。自分達が世界中で一番幸せだと思ってる、まあ普通の恋人たちだね」
 僕は栄時の額や瞼や、ほっぺた、鼻のてっぺん、唇に何度もキスしながら言う。いつもなら「恥ずかしいこと言うなよ」と赤くなる栄時も、憔悴している今は黙って聞いてくれている。
 彼の胎内を何度か突いて、二人で抱き合って震えながら、僕は「幸せでした」と言う。
「この一月……には、まだなんないけど、初恋のひと、最愛の君を僕のお嫁さんにして、二人ですごく普通に暮らして、ほんと、まるで夢みたいだった。僕のごっこ遊びに付き合ってくれてありがとう、――ママ」
 栄時がふっと寂しげに笑う。僕らは唇を重ねて、深いキスをする。
「あなたに出会えて良かった」
 彼が頷く。
「あなたが僕の母親で良かった」
 彼が頷く。
「今まで僕を守ってくれてありがとう」
 彼が頷く。
「大好き」
 彼の手が僕の首に回る。そして抱き寄せられて、耳もとで「大好きだ」と囁かれた。
 僕は頷き、ちょっと笑って、また彼のお腹のなかを擦る。栄時の引き攣ったみたいな吐息が聞こえる。
 それから喘ぎ声、嬌声、――最後の最後までこんな子供で本当に申し訳ないなあと思うけど、どれだけ貪欲にこの人を食べたって、全然お腹は満たされない。もっと欲しい。優しい声も、穏やかな子守り唄も、甘くて美味しいミルクも、すごく気持ちが良い子宮も。
 僕は時間ぎりぎりまで栄時のおなかの中に居座って、母親と繋がる胎児の気分を味わっていた。
 あと五分ってところでようやく彼の中から抜け出して、ふたりとも裸でどろどろのぐちゃぐちゃのまま、軽くキスして、額をくっつけあった。
「栄時、遅くなったけど、僕の答えはね」
 僕はそう言って、静かにテーブルの上の銀色の銃に手を伸ばす。僕が長いこと使っていたものとは、微妙にデザインが違う。古めかしくて、少し小振りで、子供の手にも馴染みそうなものだ。栄時が子供の頃から大事に使っている召喚器だ。
 僕はそれを手のひらの上に乗せて、ぐっと強く握った。
 まるで塩のかたまりのように、あっけなく銃は砕け、さらさらした砂にかわり、床の上に零れていく。
「これが、僕の選択だよ」
 栄時はくたびれきった顔つきで、ぼおっとその砂の行方を眺めていたけど、ふっと微笑んで、「よかった」と言った。
「ちょっと疲れてて、」
「うん」
「ペルソナ出せって言われたらどうしようかと思った」
「そっか」
 僕らは微笑みあった。
 時計は午後十一時五八分をさしていた。あと二分で日付が変わる。今年が終わる。
 ――僕らみたいな存在には、今年最後の影時間が訪れる。
「最後にお願いがあるんだけど」
「なに」
「僕の顔見て」
 栄時が、僕をじっと見つめる。彼の綺麗な灰色の瞳に、僕の顔が映り込んでいる。
「覚えててね」
「当たり前」
「忘れないで」
「今更」
「もう時間だ」
 時計は午後十一時五九分をさしている。僕は栄時に最後のお願いをする。
「目を閉じて」
「ん」
「開けちゃダメだよ。見ないで」
「うん」
 栄時が目を閉じてから、僕はまた本来の姿に戻る。
 そして栄時の細い首に手を掛ける。
 つけっぱなしにしていたテレビの画面から、カウントダウンの掛け声が聞こえる。
 十秒、九秒、八秒――





『栄時』
「ん?」
『よいお年を』
「……よいお年を」





 そして僕は最愛のひとのかぼそい骨が砕ける音を聞いた。