明日から、おれはレンジャーになる。
 書類に名前を書き込んで、おれはちょっと、どうしよう、という気分だった。
 リュウ。それだけで、D値は空欄だった。
 おれにはD値がない。
 昔はすごく絶対的なもので、低いと人間扱いしてもらえなかったそうだ。
 今は大分、あんまり気にする人も少なくなってきたけど、それでもD値がないなんて、めったにない。
 おれはD値を計測することを許されなかった。
 自分のD値が欲しかったけど、おれは駄目なのだそうだ。
 なんだか難しい理由があるみたいだったけど、結局のところ、おれはまともな人間じゃないってことなのかもしれない。


 基地にレンジャー証を受け取りに行った帰り、ニーナ姉ちゃんと会った。
 ニーナ姉ちゃんは、おれとおんなじでD値がない。
 リン姉ちゃんみたいに、一度計測されたD値を捨てちゃったわけじゃなく、はじめから計ってもらえなかったのだそうだ。
 おれとおんなじだ。
 おれはニーナ姉ちゃんが好きだった。
 おれと同じふうにD値がなかったからだけじゃない。
 優しいし、かわいくて綺麗だし、赤い羽根もすごくかっこいい。
 魔法も使える。
 ニーナ姉ちゃんは、世界で一番強い魔法使いだ。
「リュウ!」
 おれに気付いて、ニーナ姉ちゃんは笑って手を振ってくれた。
「ニーナ姉ちゃん! どうしたの? 街に降りてきてるなんて、珍しいね」
 ニーナ姉ちゃんは、統治者だった。
 統治者っていうのは、一番偉いヒトのことだ。
 忙しいと思うのに、ニーナ姉ちゃんは笑って、リュウに会いにきたの、と言った。
「明日からレンジャーでしょ? きっと、リュウなら強くてかっこいいレンジャーになれるよ。
ボッシュの100倍くらい」
「おれ、兄ちゃんよりかっこよくなれるかなあ?」
「なれるなれる。ボッシュ、泣き虫だもん。リュウがいないと泣いちゃうもん」
「えへへ……ね、兄ちゃんは?」
 おれはちょっともじもじして、ニーナ姉ちゃんに訊いた。
「兄ちゃん、なんか言ってた?」
 ボッシュ兄ちゃんは、はじめ、おれがレンジャーになることにすごく反対していた。
 おれのD値の計測も、すごく反対していた――――おれにはD値はいらないんだって言ってた。
 兄ちゃんはオリジンだったので、結局兄ちゃんの言うとおりになってしまった。
 おれがレンジャーになることができたのは、ニーナ姉ちゃんのおかげだった。
 駄々をこねる兄ちゃんを叱ってくれたのだ。
 リュウがこんなになりたいって言ってるのに、と。
 ボッシュ兄ちゃんとニーナ姉ちゃんは、すごく仲が悪いようで、実は良いみたいだ。
 口に出すと兄ちゃんも姉ちゃんも怒ると思うので、言わないけど――――おれはそう思う。
 ボッシュ兄ちゃんも、ニーナ姉ちゃんも、すごく美人で(兄ちゃんに関しては、男の人に美人なんて言うのは変だと思うけど、その通りなんだから仕方ない)綺麗な金髪をしている。
 おれの髪は、青かった。
 肌の色も、真っ白で綺麗な兄ちゃんや姉ちゃんと違って、少しくすんで、黄色みがかっていた。
 おれは、それがすごく恥ずかしかった。
 兄弟なのに、おれと兄ちゃんはぜんぜん似ていない。
 大分成長したけど、ボッシュ兄ちゃんのようにかっこよくなる気配は、おれにはぜんぜん訪れなかった。
 髪の色もそうだ。
 太陽を浴びて、きらきら綺麗に光ったりしない。
 おれは地味だった。かっこいいこともできなかった。
 兄ちゃんみたいなすごい人にはなれっこなかった。
 こんなのが兄弟なんて、血が繋がっているなんて、兄ちゃんはおれのことをきっと恥ずかしがっているんだと思う。
 だからきっと、あんまり外にも出したがらないんだと思う。
 でもおれは兄ちゃんが大好きだった。
 兄ちゃんのために、おれはここにいるんだということを知っていた。
 ニーナ姉ちゃんは、ちょっと困った顔をして、なんにも、と言った。
「朝から誰とも口きいてくれないの。わがまま聞いてもらえなくて、ふてくされてるみたい」
「うー……兄ちゃん、怒ってる?」
「怒ってないよ。リュウが心配なの」
「うー……」
 おれがレンジャーになったら、兄ちゃんはきっと喜んでくれると思ったんだけど。
 はじめて「レンジャーになりたい」って言った時の兄ちゃんの反応を思い出して、おれは悲しくなってしまった。
 兄ちゃんは真っ白になった挙句に、自分の部屋に引っ込んでしまって、その日一日中、口をきいてくれなかった。
 おれは兄ちゃんを怒らせたくてレンジャーになりたいんじゃなかったんだけど……レンジャーになって、オリジンの兄ちゃんを守ってあげたかった。
 おれが守ってあげなきゃならなかった。
 それはすごく昔からの決まりごとのように、おれの中にあった。


◆◇◆


「兄さま……あんたいつもそうだよ。天然で、そーやって俺を心配のどん底に叩き落すんだ。
きっと何回生まれ変わってもそうだよ。わかってないんだ。
無茶するなよなんつっても聞きやしねえし……べつになんにもやってもらわなくたって、俺はあんたがそばにいるだけですげー嬉しいってのに……ああくそ、ていうかあんた、絶対俺の言うこととかまともに聞いてないだろう、畜生」
 部屋の中で、兄ちゃんがぶつぶつぼやいてる声が聞こえる――――けど、何を言っているのかはわからない。
 困ってしまって、ニーナ姉ちゃんの顔を見ると、姉ちゃんは笑ってなんでもないふうに頷いて、兄ちゃんの部屋のドアをどんどん叩いた。
「ボッシュー! リュウ、帰ってきたよ。見なくていいの? リュウのレンジャー姿、すごくかっこいいのに」
 部屋の中は急にしんとしてしまった。
 少しして、のろのろとドアが開いて、死人みたいな顔をした兄ちゃんが顔を出した。
 おれはちょっとまごついてしまったけど、ニーナ姉ちゃんはにこにこして、ね、かわいいでしょ、と言った。
 ……姉ちゃん、兄ちゃんに怖い顔で睨まれて、怖くないんだろうか?
「あ、うー……あのねっ、兄ちゃん……おれ、明日からレンジャーで……あの、兄ちゃんが恥ずかしくないように、がんばるから! ぜったい、失敗とかしないから!」
 おれが意気込んで言うと、兄ちゃんはぼそぼそと、変なのについてくなよ、とだけ言って、またばたんとドアを閉めて、引っ込んでしまった。
 おれの気合いだけが空回りしてしまった。
 ちょっと落ち込んでしまった。
 ニーナ姉ちゃんはぽんぽんとおれの肩を叩いてくれて、だいじょうぶ、と言ってくれた。
「ボッシュ、あれでわりと喜んでるんだから。ふたりでレンジャーになりたいって、ずうっと言ってたもの。おそろいのジャケットまで作ったりして。ボッシュはオリジンになっちゃったけど」
「う……うん」
 そう言えば、ちょっと不思議だ。
 なんでおれのジャケットが、兄ちゃんの部屋にずーっと昔からあったんだろう?
 まるでおれのために作られたみたいな隊服。サードからファーストのものまであった。
 わからないことはいっぱいあったけど、とりあえずおれは、明日の入隊式の準備に取りかかることにした。


◆◇◆


 でも、おれは兄ちゃんに喜んでもらいたかったんだ。
 おれも強くなって、兄ちゃんのためになにかしたかった。
 おれは兄ちゃんを守るためにいるのに、守られているのはいつもおれのほうだったからだ。
 結局入隊式当日の朝になっても、兄ちゃんはなんにも言ってくれなかった。
 顔も合わせてくれなかった。
 おれは悲しかったけど、でも今までのままの役立たずでいるのもいやだった。
 おれが強くなって、例えばセカンドとか、ファーストとか、強いレンジャーになったら、きっと兄ちゃんも今度こそ喜んでくれると思う、たぶん。がんばらなきゃならない。
 統治者のひとたち、リン姉ちゃんやメベトさん、ピンクの髪の子、お尻触る変な人、それにニーナ姉ちゃんは、しっかりやってこいとおれを送り出してくれた。
 おれは、今日からレンジャーになる。


◆◇◆


 見慣れたレンジャー基地に、レンジャー証を持って、レンジャーとして入っていく。
 それはおれにとって、すごく誇らしいことだった。
 子供の頃、いつも兄ちゃんを迎えにきて、外で待っていたのを覚えている。
 寒かった。兄ちゃんはおれを見付けると、なんで中で待ってなかったんだ、とすごく怒った。
 おれは、実を言うと、レンジャーがちょっと苦手だった。だから、外で待っているほうがよかったのだ。
 なんでかわからないけど、顔が怖いからかもしれない。
 だけど、いざ自分がレンジャーになってみると、周りにいるのはおれとおんなじくらいの歳の子たちばかりだった。
 きっと、おれと同じ新入隊員の子だろう。それで、ちょっとほっとしてしまった。
 ホールに人だかりができていた。
 早速名前を呼ばれている。
 おれは慌ててそっちへ向かった。


「リュウ! えー……なんだ、これ」
 兄ちゃんとおんなじくらいの歳の男の人が、おれの名前を読み上げて、困惑している。
 おれは手を上げて、すいません、と謝った。
「あの、ごめんなさい! ちょっと、遅れちゃいました……か……?」
「いや、時間は大分あるけど、おまえ、D値書き忘れてるぞ。D値は重要なものなんだってことくらい知ってるだろ。なんだい、ここの基地でローディってわけもないんだから、堂々と名乗れよ」
 言われておれは、恥ずかしくてたまらなくなった。
 下を向いて、そのレンジャーの顔をまともに見られずに、ぼそぼそと言った。
「リュ、リュウ……です……あの、D値は、ありません……」
「は?」
 レンジャーはあっけにとられた顔をして、苦笑いした。
「おまえ、冗談言っていいところじゃないんだぞ。最下層区民やトリニティじゃあるまいし、登録はされてるだろ?」
「い、いえ、あの」
 おれは泣きそうになりながら、もう一度言った。
「おれ、計ってもらえなくて。D値、ないんです。すみません……」
 その瞬間、レンジャーの顔にあからさまな侮蔑の色が浮かんで、おれは胸をぎゅうっと締め付けられる感触がした。苦しかった。
「おい、なんで登録されてない奴がレンジャー基地に潜り込んでるんだ。摘み出せ」
「あっ、あの、おれ……レンジャーです。今日から……レンジャー証も、ちゃんと」
「まったく、ジャケットまで着て手の込んだことをしやがって。どこから盗んできたんだ」
 ぐっと腕を引っ張られて、おれはびっくりして顔を上げた。
 怖い顔をしたレンジャーがいた。
「おい、こっちに来い。拘置室でおとなしくしてろ」
「あっ、あの! ほんとにおれ、レンジャーなんです! 嘘じゃ、ない……」
 叫んでも、誰もおれの言うことを聞いてくれなかった。
 そのままずるずる引き摺られていって、狭い部屋に押し込められた。
 がしゃっとドアの閉まる音が響いた。
 

◆◇◆


 膝を抱えてうずくまっていると、遠くから足音がいくつか響いてきた。
 それに混ざって、声も聞こえる。
「し、失礼を! まさか、オリジンさまのご兄弟とは露知らず……」
「オマエ、死刑な」
「そ、そんな」
「ボッシュ、かわいそうだよ。このひと、きっと悪気とかなかったよ」
「はっ、に、ニーナ様……恐縮です……」
「許してあげなよ、半殺しで」
「…………」
 扉が開いて、おれが閉じ込められてる部屋の中に、ボッシュ兄ちゃんとニーナ姉ちゃんが入ってきた。
 さっきのレンジャーの人も一緒だ。
 おれは絶対泣かないでおこうと思っていたのに、じわっと涙が溢れてきた。
――――リュウ」
 兄ちゃんに呼ばれて、おれは気が抜けてしまって、わっと泣き出してしまった。
 あんまりに自分が情けなかった。
 おれはほんとに役立たずなんだって証拠を、突き付けられたような気分だった。
 兄ちゃんはしょうがねーなって顔をしていた。怒ってはなかった。
 ニーナ姉ちゃんは、泣いてるおれにハンカチを差し出して、お顔拭いて、と言った。
「せっかくかわいいお顔が台無し。ね、もうだいじょうぶだから、泣かないでリュウ……怖いレンジャーは、あとでニーナお姉ちゃんがやっつけてあげるよ」
「いやニーナ様、それはちょっと」
 兄ちゃんは、泣いてるおれの手を取って立ち上がらせて、もう行くぞ、と言った。
「オマエはこんなとこにぶち込まれてて良い身分じゃないんだよ。この剣聖の兄弟なんだぜ?」
「ううっ、うー……!」
「帰るぞ、リュウ」
 手を引かれて、おれはレンジャー基地の拘置室を出た。

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