ぐるっと目の前の景色が一回転して、お尻に重たい衝撃がきた。
「ひゃあ……!」
 おれは悲鳴を上げた。
 手からすっぽ抜けたレンジャーエッジが、乾いた音を立てて床に刺さった。
「う……ううー」
 びっくりした。怖かった。
 剣はカバーも掛けられていない。
 まるっきり実戦用の本物だ。
 鋭くて、刀身は鈍い銀色に光っていた。
 ちょっと触っただけで、指を怪我しちゃうくらい。
「先輩、リュウは幼年学校からやり直したほうがいいよ」
 おれと組まされたジョーが、呆れたみたいに言った。
「こいつ、候補生より弱いよ」
「よ、弱くないもん! お、おれはレンジャーなんだから……こ、このくらい、平気さ」
 おれは意地悪を言うジョーに言い返したけど、尻餅をついたまま、うまく立ち上がれないでいた。
 足ががくがくして、膝がぶるぶる震える。
 全然、力が入らない。
「ノーディが腰抜かしてるぞ!」
「小便ちびってんじゃないか?」
「そ、そんなこと、ない! だ、だいじょうぶ……ぎりぎり……」
 グラウンドの柵にもたれかかって、さっきの男の子たちが囃し立てている。
 確か赤毛の子がマイケル、茶色い頭でそばかすがあるのがトマスだ。
 それから少し離れたところにいるのが、おれたち新入隊員の担当のセカンドレンジャー。
 金髪で、そばかすで、ひょろっとしている。
 名前は確か、アビー先輩だ。兄ちゃんとおんなじくらいの年頃の男の人だ。
「えーと、おい、そこの二人。実戦てのはどーいうもんだか、わかったか?」
「う……わ、わかりましたあ……」
「結構大したことないですね」
 ジョーがつまらなさそうに言って、おれを見た。
 こんな弱っちいの相手じゃ、ぜんぜん訓練にもならない、という顔だ。
「おい、生意気言ってんじゃないぞ、サードのくせに。じゃあ次の奴に代われ、剣にカバーをつけろ」
「は、はいい」
「了解」
 柵に立て掛けてあるカバーを剣にかぶせて、おれはほっと一息を吐いた。
 剣っていうものがこんなに重いなんて知らなかった。
 いつも兄ちゃんは軽々と振り回しているから、おれでもなんとかなるかなと思ったけど、全然だめだった。
 やっぱり兄ちゃんはすごい。
「ところでリュウ=××、おまえさ、どっかで会ったことないっけ?」
「え?」
 アビー先輩が、おれを見て訝しそうに首を捻っている。
 どっかで見たんだよなあ、気持ち悪いなあ、と先輩は言った。
「青い髪なんてそうそうないから、一回見たら忘れるはずないんだけどさー」
「うー、おれ、ないと思います……外に出れるようになったの、最近だし……」
 言い掛けたところで、ぐっと首に腕が回ってきた。
 ぎゅーっと引っ張られて、息が詰ってしまった。
 なんだなんだと見上げると、ジョーたちだ。
 やっぱり意地悪そうな顔をして、おれを捕まえている。
「訓練終わった。メシだ、ノーディ」
「え、ごはん? もう?」
 時計を見ると、もうお昼だ。
 時間の感覚がなかった……まだちょっと剣に触っただけだと思っていたのに。
 正直あんまりお腹が空いていないけど、レンジャーの支給食っていうのにちょっと興味があったので、おれはジョーたちに引き摺られるままに食堂へ向かった。
「あ、そういやノーディ?」
 後ろからアビー先輩の声が掛かって、おれは振り向いた。
「あとでメディカルルームに顔出しとけよ。いくらなんでも、D値がないやつが大きな顔してできる職業じゃないからな、レンジャーって。
申請書が出るぜ。中央区のセンターで計測してくれるはずだ」
「あ……」
 兄ちゃんは計っちゃだめって言ってたんだけど、レンジャーとしてやってくには、やっぱりD値って必要なんだろうか。
「は、はい!」
 おれは頷いた――――ほんとうのところは、おれは自分専用のD値が欲しかったのだった。
 いつも兄ちゃんはどうしても許してくれなかったけど、おれはもうレンジャーなんだ。
 どんなに低くったって良かった。
 おれは、D値が欲しい。
 D値がない人間は、人間扱いしてもらえなかった。
 ニーナ姉ちゃんもおれとおんなじでD値がなかったけど、統治者っていうすごい肩書きがあった。
 おれには何にもなかった。
 おれを証明してくれるものが、なにもなかった。
 おれは、兄ちゃんが好きだ。
 だから、兄ちゃんのペットみたいなのはいやだ。
 ちゃんとした、兄弟だっていう証が欲しかった。おれはちゃんとしたまっとうな一人の人間だっていう。
「良かったなあノーディ」
 ジョーがおれの首に腕を回したまま、やっぱり意地悪そうな顔で言った。
「D値計ってもらえたら、呼び方は「ローディ」に格上げだな」
「……うん、えへへ」
 おれが嬉しくて笑うと、おれをほとんど羽交い締めにしていた男の子たちは、なんだかしょうがないなあって感じの笑い方をした。
 なんでなのかはわからなかったけど。


◇◆◇


 食堂はレンジャーでいっぱいだった。
 すごい眺めだ。だって、席についてごはんを食べているのが、みんなレンジャーなんだから。
 おれたちは支給食のトレイを受けとると、はじっこのほうのテーブルについた。
 さっきの剣の訓練にいなかった子たちも、次々とやってきた。
 朝見た子……メイジのエリーナと、その友達のメアリっていう、黒い髪の綺麗な子。
 二人がやってきた途端、男の子たちはなんだか急によそよそしくなってしまった。
「はじめまして、リュウ。メアリです。なんだか青い珍しい髪の子が来たって聞いて、ほんと、綺麗な色ね」
 メアリが笑って言った。
 おれはそんなことを言われるのはあんまりなかったから、真っ赤になってしまった。
「き、綺麗なんかじゃ、ないよ……」
 おれも本当はボッシュ兄ちゃんやニーナ姉ちゃんみたいな金髪がよかった。
 色ももっと真っ白で、綺麗で……でもおれはやせっぽっちで、肌は黄ばんでいた。
 あんまり自分の容姿が好きじゃなかった。
 真っ赤になって俯いていると、両隣から靴のつま先がふたつ、飛んできた。
「いたっ」
「どうしたの?」
「う、ううんなんでも」
 なんだか男の子たちは、おれがふたりと話をするのがすごく気に入らないらしい……おれはおんなじ女の子なのに。
 エリーナとメアリはおれたちの向かいに座って、みんなおんなじ内容の支給食を食べ始めた。
 ハオチーのスープと、ミルクと、固形パン。
「……あんまり美味しくないね」
「そりゃあ、メアリのお家はお店屋さんだもの。私は美味しいと思うけど」
 エリーナは笑って言った。
「みんなでごはん食べれるんだもの。こういうの、いいね」
「まあ、悪くないね」
 ジョーがそっけなくエリーナに同意した。
 おれの時よりずっと優しい。なんか、ちょっと呆れてしまった。
「ジョー、エリーナ好きでしょ」
 ぶう、とジョーがスープを吹き出した。……きたないなあ。
「どうしたの?」
「な、何を言い出すんだ、ノーディ!」
「えっ……仲良くしたいから、優しいでしょ。違うの?」
「……へ、ヘンなこと、言うなよな」
「ヘンなの?」
「あらジョー、初耳だわ。ねえメアリ、ジョーが私のこと好きなんだって」
「わあ、面白いこと聞いちゃった。後でみんなに教えてあげよっと」
 女の子ふたりはくすくす笑っている。
 ジョーはむっつりして、下を向いてスープを飲んでいる。
 リュウの両隣のトマスとマイケルは、何も言わずに面白そうに傍観していた。
「リュウは?」
 メアリが笑いながら、リュウに聞いてきた。
「好きな子、いるの?」
「おれ、兄ちゃん大好きだよ。姉ちゃんも好き。先生も好き。兄ちゃんと姉ちゃんのお友達も好きだしー、リケドさんとナラカさんも好き」
「おまえそういうのは卑怯だぞ、ノーディ」
 ジョーが、ちょっと怒ったみたいに言った。
「自分だけ黙秘かよ。言っちゃえよ」
「なにを?」
「だから……」


 おんなじ年齢くらいの子たちと、今までこうやっていろんなことを話したのは初めてだった。
 楽しかった。
 こういうの、何て言うのかなあと訝しんでいると、友達っていうのよとエリーナが教えてくれた。
 帰ったら、兄ちゃんに教えてあげよう。
 おれ、はじめて友達ができたよって。
 ああ、その前におれは――――


 メディカルルームに寄らなきゃいけないんだった。
 センターに行って、D値を計ってもらうのだ。
 ちゃんとした人間になるために。




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