「ひゃあ、おっきいなあ……!」
 中央区のメディカルセンター、その正面玄関で、おれはそびえたつ白い建物を見上げて歓声を上げた。
 一般病棟と研究施設からなるらしいメディカルセンターは、中央区で、おれのうち、セントラルタワーと並ぶ巨大な施設だ。
「近くで見るとこんなおっきい建物だったんだ……知らなかった」
「何呆けてんの、ノーディ。さっさと入れよ」
「あ、うん」
 ジョーに背中を押されて、上を向いて口をぽかんと開けていたおれは、慌てて頷いた。
 仕事が終わってから、レンジャー基地のメディカルルームでD値測定申請書をもらった。
 計測は中央区のメディカルセンターで行われているという。
「リュウ、緊張することないよ。痛いことなんてなんにもないんだから」
 後ろからエリーナが、おれの背中をぽんと叩いて言った。
 おれはぐるっと顔を向けて、へいきだよ、と言った。
 でも顔は……ちょっと引き攣っていたかもしれない。
「お、おれ、レンジャーだも……ね、ねえ? ……ほんとに痛いことしない?」
「しないしない」
「ほ、ほんとに? 注射とかは?」
「ないない」
「そ、そう……」
 実を言うと、ちょっと心配だった。D値の計測って、どんなことをするのかわからなかったのだ。
 でもエリーナはほんとになんでもないよと言ってくれた。
 おれはちょっとほっとして、でもびっくりしたよお、と言った。
「エリーナのお家、メディカルセンターだったんだね」
「そう、ふふ」
 エリーナはにこにこしている。
 その横から、付き添いで来てくれた――――担当のアビーさんに言われたんだそうだ――――ジョーが、また意地悪なことを言った。
「ほんとなら、お前が話せることなんかないハイディなんだよ」
「ジョー、そういうこと言わない。そんなにD値が大事なら、私とジョーもお話できないことになるわね」
「…………」
「さ、いこ、リュウ」
「う、うん」
 苦い顔をして、ジョーは黙り込んでしまっている――――どうやら、彼よりエリーナのほうがD値が高いみたいだ。
 でもあるだけすごいと思うけど。
 エリーナに手を引っ張られて、おれはメディカルセンターに入っていった。
 その何歩か後ろを、ジョーが面白くなさそうについてくる。
 エリーナは近くにいた看護婦さんをつかまえて、にこっと笑い掛けて、ただいま、と言った。
「ね、この子、D値の診断を受けにきたの。なるだけ高くしてあげてね」
「ああ、おかえりなさい、お嬢様。受付に申請書を出しておいて下さいな」
「ね、時間掛かる? なるだけ早く知りたいんだけど」
「D値診断は、今日はA棟で行っていますよ。もう遅いから、大分人数も減ってるんじゃないかしら」
「そっか、そんなに待たなくてすむね」
 エリーナは、ありがとう、と言って、おれの手を引っ張った。
「リュウ、こっち……ジョー、早く来ないと置いてくよ」
「あ、うん」
「……わかったよ、エリーナ」
 ジョーは相変わらず苦い顔をしている。
 彼はエリーナの見てないところで、なんだか面白くなさそうにこっちを睨んでくる。
 おれは、もしかして嫌われてるのかなあ、と思った。


◇◆◇


 A棟、D値診断室の周りは、なんだか小さな子供ばかりだった。
 赤ちゃんを抱えた女の人や、まだよちよち歩いている小さい子、だいたいが一人ずつの男の人と女の人と一緒にいた。
 おれは明らかに浮いていた。
 おれみたいな大きい子……っていうか、もう立派な大人(だろう。レンジャーだし)はぜんぜんいない。
 おれはちょっと不安になってしまった。
 待合室の人達も、みんな不思議そうな顔をしておれたちのほうを見ている。
「ね……おれ、すごく変じゃないかな?」
「そりゃあノーディ、その歳でD値診断受ける奴はいないと思うけど」
「そ、そうなんだ」
 おれは焦ってしまった。
 でもエリーナがやってきて、おれの肩をぽんと叩いて、にっこり笑ってくれた。
「大丈夫よ、リュウ。ちょっと待っててね、中でリュウのこと、お話してくるから……ジョー、リュウ見ててあげて。いじめたら怒るよ」
「……わかってる」
 ジョーがぶすっとして答えた。
 エリーナはおれの方を向いて、いじめられたら言ってね、と言い残して、部屋の中へ入って行ってしまった。
 あとにはおれとジョーが二人で残された。
 なんだか気まずい……この子、おれのことがあんまり好きじゃないみたいなので。
「おい、ノーディ」
 早速、不機嫌そうに話し掛けられた。
 いじめられるのかな、と思って、おれは少し身構えながら返事をした。
「なあに?」
 でも、その後に続いたジョーの言葉は、べつにおれのことをいじめようとか、そういった気配は含まれていなかった。
「エリーナさ、お前のこと、すごいお気に入りみたいだな」
「そ、そう?」
「お前はどうなんだよ」
「ん?」
「エリーナのこと、どう思う?」
 変な質問だ。
 エリーナはおれの友達で、おれのことが気に入ってくれているんだという。
「どう思うって、好きに決まってるでしょ。おれ、友達なんて初めてだもん」
「……友達?」
「うん?」
 おれは首を傾げて、へんなの、と言った。
「ちがうの? おれ、せっかくいっぱい友達できたよって、兄ちゃんに教えてあげようと思った……のに……」
 なんだかちょっと悲しくなってきた。
 じわっと涙が出てきた。
 ジョーはおれが泣きそうになっているのを見るとぎょっとして、やめろよバカ、と言った。
「エリーナに俺が泣かせたと思われるだろ!泣くなよ、ノーディ!」
「う、な、泣いてないも……」
「ま、まあ、友達とかなら、なんだっていいんだけどさ」
「あ、うん」
 おれはそう言われてほっとした。
 それから、ジョーに訊いてみた。
「ね、ジョーも友達でいいの?」
「……まあ、いいんじゃない」
「ほんと?」
「うん」
 ジョーは頷いて、そのあとで、ただエリーナだけ特別ってのはやめろよな、と言った。
 おれはふと、それがおれの気になっていたことと良く似ていたので、訊いてみた。
 もしかしたら、ジョーはおれの知りたかったことに、答えてくれるかもしれないと思ったのだ。
「ね、特別に好きって、なに? 好きの上にもなんかあるの?」
「バッ……訊くなよ。なんだよお前、変な奴だなあ」
「うー、ね、好きのもっと好きって、どうなるのかなあ?」
 ジョーはおれをまともに見ないで、なんでか顔を赤くして向こうを向いていたけど、ああなるんじゃない、と言って、待合室にいっぱいいる、男の人と女の人と、それから抱っこされている赤ちゃんを指差した。
 おれはよくわからなくて、首を傾げてしまった。
「あの人たち? ね、なんでみんな、男の人と女の人と、赤ちゃんといっしょにいるの? あれも友達?」
「はあ? お前、あれは父さんと母さんだろ。お前にだっているだろ?」
「父さんと母さん? なにそれ」
 おれには良くわからなかった。
 ジョーはお前何言ってんのと言って、びっくりしたような顔をした。
「お前、ノーディ、そんなことも知らないの?」
「う……」
 それがすごく意外なことみたいに言われて、おれは口の中でもごもご言った。
 知らないのは変なのだろうか?
 どうしようと思っているところでエリーナが部屋の中から出てきて、おれを呼んだ。
「リュウ、中に入って。先生が呼んでるよ」
「あ、はーい」
 助かった。少しほっとして、おれは言われるままに診断室の中に入っていった。


◆◇◆


 部屋にはおっきい機械がごろごろしている。
 中は白いついたてで仕切られていて、いくつかのスペースに分かれていた。
 椅子に腰掛けて書類を見ているドクターがいた。
 彼はおれのほうを見ずに、はい座って、と言った。
「いやあ珍しいよ、きみみたいな大きい子がD値計りにくるなんて。空開かれてすぐは何件かあったんだけどね」
「は、はあ」
 どうやらおれが初めてってわけじゃなかったみたいだ。
 ちょっとほっとした。
 ドクターは書類の束の尻をとんとんとデスクに押し付けて整え、そこでようやっと顔を上げた。
 その顔が、おれを見て、一瞬で強張った。
「ナ、ナンバー03……!」
「へ?」
「何故起動しているんだ?! い、いや、ちょっとそこで待ってなさい。
逃げるんじゃないぞ、どうせどこへも行けやしないんだ。すぐに戻るから」
「え? ええっと、はい」
 ドクターは立ち上がって、慌ててばたばたとどこかへ行ってしまった。
 おれはわけがわからなくて、ぽかんとしていた。
「あ、あのー」
 一人っきりで残されて、なんだか心細くなってきた。
 少し待ってみても、ドクターが戻ってくる気配はない。
 ひょこっとついたてから顔を出すと、すぐそばにいたエリーナと目が合った。
 どうやらおれが遅いから、心配して見に来てくれたみたいだ。
「あ、エリーナ」
「リュウ、どうだった? 計ってもらえた?」
「え? ううん……なんかドクター、どっか行っちゃった……帰ってこないんだ」
「なにそれ」
 エリーナは、もう、という顔をして、あとでパパに叱ってもらわなきゃ、と言った。
「ちょっと待ってね、内線で呼んでみる」
「あ、いいよ、エリーナ……おれ、待ってるから」
 部屋の内線にエリーナが手を伸ばし掛けるのとおんなじくらいに、外の廊下から、慌しい足音が聞こえてきた。
「あ、帰ってきたかなあ?」
 ぐるっと振り向いて、おれたちはびっくりしてしまった。
 さっきのドクターが帰ってきた。
 それも、警備兵をいっぱい連れて。
 彼らは警棒やスタンガンで武装していた。
 そして、なんだか奇妙な、身体中をぐるっと包むスーツを着ていた。
「さあ」
 彼らは厳しい顔をして、おれに言った。
「こちらへ」


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