「えーっ、ぜったいうそだあ。私初めてリュウを見た時、すごくかっこいい男の子だなあって思ったのに」
「か、かっこいい? かっこいいの?」
 おれは聞き慣れないことを言われて、真っ赤になってしまった。
 かっこいいなんて、あんまり言われたことない……。
 でもふっと気になって、訊いてみた。
「……ね、女の子だと、かっこよくない?」
「ううん、リュウは可愛いのよね。格好良いとは違うよ」
「……うー」
 それ、良く兄ちゃんがおれに言うことだ。
 いつも子供扱いばかりだ。
 そうされるのはキライじゃなかったけど、おれは兄ちゃんみたいにかっこよくなりたかった。
 おれが膨れてると、エリーナはじいっとおれの顔を見て、それからぺたっとおれの胸を触った。
「なんだか信じられないなあ……ね、証拠見せてよ」
「しょ、証拠? う、なにすればいい?」
「うん」
 言うなり、エリーナはおれのレンジャーのパンツのチャックを、じいっと下ろした。
「え、エリーナ? ナニやってんだよ……」
 ジョーがぎょっとして、エリーナを止めようとした。
 でもエリーナはぜんぜんなんでもないふうだった――――やっぱり、メディカルセンターに住んでると、ヒトのハダカとかいっぱい見ちゃったりして、こういうの平気なのかもしれない。
 おれは平気じゃないので、硬直してしまったけど。
「だって、女の子同士じゃぜんぜん平気でしょ? それよりジョー、あっち向いてて」
「て、ていうか、そいつきっと混乱してるんだよ! だって自分のことだっておれと……か……」
 ジョーはまじまじとおれの顔を見て、それからなんでか真っ赤になって、ぷいっと後ろを向いてしまった。
 エリーナは……良くわからないことに、おれのパンツの中なんか覗いたりしてる。
「え、エリーナ、あの……は、恥ずかしいんだけど」
「わ、ほんと……私と一緒だ」
 確認が済むと、エリーナはおれの服をちゃんと直して、ほんとだった、ともう一度言った。
「なんで男の子だなんて?」
「だ、だって」
 おれの声は上擦っていた。
 またヘンなところがあるって、いじめられるかもしれないからだ。
「お、おれ、みんな男の子だって言うし、身体とか、エリーナともメアリとも、姉ちゃんたちとも全然違うし……い、いじめられると思ったんだもん」
「いじめたりしないよ、リュウったら」
 ねえ、とエリーナはジョーに言った。
「もっと早くに言ってれば、ジョーにいじめられることもなかったのに。この子、女の子はいじめないもん。お兄さんに怒られるんだって」
「…………」
 ジョーは後ろを向いたまま固まっている、こっちを向いてくれない。
「あの……」
 おれが何か言おうとすると、エリーナが「ちょっとほっといてあげて」と言った。
「ショック受けてるのよ。女の子にひどいことしちゃったから」
「……ふーん」
 おれは良くわからなかったけど、頷いた。


◆◇◆


 時計を見ると、夜の12時を少し回ったところだった。
 おれはこんなに夜更かしするのは初めてだ。
 兄ちゃん心配してるかな、とぎゅっと胸が痛くなるけど、そうだった。おれは兄ちゃんのほんとの妹じゃなかったんだ。
 賭けゲームは、結局おれがなんにも持ってなかったので、普通にカードゲームを教えてもらった。
 なんだか難しくて、おれは負けてばっかりだったけど、楽しかった。
 こうやって友達と遊ぶのなんて初めてだ。
 あとで兄ちゃんにも教えてあげよう――――ああでも、おれはヒトじゃあなかったんだっけ。
 楽しいはずなのに、そうやって兄ちゃんのことを思い出して悲しくなってしまう堂々巡りだ。
「ねえ」
 おれとおんなじようなぼんやりでカードを繰っていたジョーが、ふとおれに言った。
「その、さ……ナゲットでも見る?」


「……う」
 おれは胸がぎゅうっとなった。
 それはでも、さっきまでの「悲しい」のせいじゃない。
 目の前で、黒くてちっちゃい生き物がぴょんぴょんしている。
 おれもそれの名前は知っていた。ナゲットって言う。食べられるために造られたディクだ。
 こんなかわいい生き物を食べるなんて信じられないけど、でも……すごく、美味しい。
 だけど顔を見ちゃった子は、食べられないと思う。
 ナゲットは、大きいのもいたけど、ほとんどの子がまだ子供だった。ものすごく、とってもかわいい。
 おれの胸がぎゅっとなってるのは、ナゲットの「かわいい」のせいだ。
「さ、さ、さ……」
「いいよ、触って」
 ジョーの許しが出るなり、おれはちっちゃいナゲットをぎゅーっと抱き締めた。
 あんまり力を入れると潰れてしまいそうだったから、できるだけ優しくしてあげた。
 そして、ほっぺたをナゲットの頭にすりすりした。
 ふかふかで、柔らかかった。
「……プラントで増え過ぎてうちにきたんだよ。今、たくさんいるんだ」
「か、かーわいい……ね、ジョー、私も触ってもいい?」
「うん」
 エリーナもおれとおんなじふうに、ナゲットをぎゅーっとして、すりすりした。
 ジョーはなんだか照れくさそうな顔をして、突っ立っている。
「かわいいだろ」
「う、うー……! か、かわいい……」
 ナゲットをぐりぐりしてて、ふとおれは思った。
 この子もきっとおれとおんなじで、造られた子だ。
 兄ちゃんはこんな感じで、ペットみたいにおれのことを見てたんだろうか?
 おれがぼおっと考えに耽っていると、腕の中のナゲットが、ほろろっと鳴いた。
「う……かわいい……」
 すごくすごく、ナゲットはかわいかった。
 おれよりもずーっとかわいかった。
 兄ちゃんは、おれがいなくなったらナゲットを飼えばいいと思う。
 おれよりかわいいんだから、ペットにするならそっちのがずうっといい。
 それとも、もっと言うこと良く聞いて、「レンジャーになりたい」なんて言わない「兄さま」を造るだろうか。
 考えると泣けてきた。
 つまり、おれとおんなじ顔をして、おれとおんなじ性格で、声で、考えることもおんなじ子がもうひとりほかにできて、その子が兄ちゃんにかわいがられてるところを。
 兄ちゃんが本を読んであげてるところを。
 頭を撫でてあげてるところを。
 その子はちゃんと兄ちゃんの言い付けを守って、すごく良い子にしている。
 言うことを聞かないで、レンジャーになりたいとか、D値が欲しいとか、我侭ばっかり言うおれはもういらない。
「うえ……に、兄ちゃ……」
 おれはナゲットをぎゅーっとしたまま、泣き出してしまった。
 エリーナとジョーはどうすれば良いのかわからないような、すごく困ったみたいな顔をしたけど、おれにはどうすることもできなかった。


 少し経って、落ち付いてくると、エリーナがおれの背中をぽんぽんと叩いた。
「疲れてるでしょ。もう寝よう」
「う……」
 おれはこくっと頷いた。
 エリーナはおれを安心させるようににっこりと笑って、明日になったらね、と言った。
「ジョーがお家に送って行ってくれるから。リュウ、やっぱりお兄ちゃんに会いたいんでしょ?」
 そして、だいじょうぶ、と言った。
「怖いことあったらすぐ戻ってきなよ。家出なんて、ほんと大したことないんだから」
「エリーナ、家出なんてしょっちゅうだものな。しかも俺の家かメアリの家だ」
 ジョーはちょっとくたびれたような顔をして、エリーナに、なんで俺が送り係なの、と訊いた。
「その、リュウが女の子ならさ……エリーナのほうが良いんじゃないかな。それか、俺とエリーナで」
「私もいっしょに行きたいけど、パパをとっちめてやらなきゃならないもの。叱ってやるんだから」
「……まあいいけど」
 ジョーは諦めたみたいに言って、おれに部屋に戻るように促した。
「ナゲット、いっしょに寝てもいいよ」
「う、うー……!」
 おれは泣きながらナゲットをぎゅっと抱き締めて、こくこくと頷いた。
 明日になったら兄ちゃんに会える。
 おれは兄ちゃんに会いたかった。
 でも、気分はどんよりしていた。
 兄ちゃんに会って、どんな顔をすれば良いのかわからなかった。
 どんなことを言えば良いのかもわからなかった。
 いろんなことを知った。
 おれは兄ちゃんの妹じゃなくなってしまった。
 兄ちゃんは、おれが全部知ったってわかったら、どんな顔をするんだろうか?
 悲しい顔をするんだろうか?


◆◇◆


 ほとんど寝られないうちに朝がきてしまって、まだ日が昇ったか昇らないかくらい、おれはジョーに家まで送ってってもらうことになった。
「ご、ごめんね、いろいろ、迷惑掛けて」
 縮こまってエリーナとジョーに謝ると、なんでもない、と返ってきた。
「このくらいで謝らなくていいよ、リュウはなんにも悪くないんだから」
 エリーナは意気込んで、センターのほうは任せてね、と言った。
「もうリュウに意地悪なことなんてしないように、しっかりパパに言っとくからね」
 それからエリーナはジョーに、リュウをよろしくね、と言った。
「ヘンなことしちゃだめよ。いじわるもだめ」
「す、するかよ、そんなの!」
 ジョーが真っ赤になって、むきになって言った。
「じゃ、行くぞ、ノーディ……じゃなくって、リュウ」
「うん……」
 ジョーに連れられて、おれは家への帰り道をいく。
 今朝は霧が濃くて、あんまり先がよく見えない。
 でも少しばかり歩くと、街の中心にあるセントラルの高い頭が見えてきた。
「……それにしても、おまえんち、すげえでかいよな……」
 ジョーがぼーっとしたまま、セントラルを見上げて言った。
「なんでレンジャーなんかになろうと思ったの?」
 気まずい空気が耐えられないみたいで、ジョーはなんでもないふうを装って、おれに訊いてきた。
 おれはちょっと考え込んで、うん、と頷いた。
「かっこよくて強いレンジャーになって、兄ちゃんを守ってあげたかったんだ」
「ふうん」
「兄ちゃん、あんまり喜んでくれなかったけどね」
 おれは無理に笑って、かっこわるいなあ、と言った。
 ジョーはなんにも言わなかった。


 もうすぐ家につくっていうところで、おれは奇妙なものを感じた。
 胸の中で、誰かほかのヒトの心臓が鳴ってるような感じ。
(……あれれ?)
 なんだかすごく懐かしい感じがするけれど、それが何なのか、おれにはわからなかった。
 ただちょっとだけ息苦しい。
 おれは立ち止まって、胸を押さえた。
 変に熱かった。
「リュウ?」
 俯いているおれを見て、どうやらジョーはおれがすごく緊張していると思ったみたいで、手を取って、繋いでくれた。
「早く行こうぜ。なんか、霧が濃くなってきてるし……気持ち悪いなあ、これ」
 ジョーが、空いたほうの手を振って、ぱたぱたと動かした。
 彼の言うとおり、さっきよりも随分霧が濃い。
 ほとんど真っ白だ。おれはこんなの見たことがなかったから、ちょっと怖い。
 ふっと遠くのほうに、黒っぽい揺らぎが見えた。
 それは、ゆらゆら揺れながら、少しずつ大きくなってくる。
 ジョーもそれに気付いて、変な顔をした。
「お、おばけかなあ?」
「バカ、そんなもんここにはいないよ。……たぶん」
 おれが怖くなってきて立ち止まると、ジョーは一歩前に出て、おれを庇うみたいにさっと手を伸ばした。
 それはどんどん近付いてくる。
 どうやら、ヒトのかたちをしているみたいだった。
 真っ黒の、裾の長い服を着ている――――
「あっ」
 ふと気付いておれはちょっとまごまごしてしまった。
 兄ちゃんのコートだ。
 兄ちゃん、おれのことを迎えにきてくれたんだろうか?
 やがて、深い霧の中でもちゃんと見えるくらい近くに、おれの兄ちゃんが現れた。
 でも、おれを見ても「おかえり」とも言ってくれなかった。
 ただ黙って、見たことない怖い顔で、おれとジョーを見ていた。
「あ、あの……」
 おれが何か言わなきゃと思って、おずおず前に出ると、兄ちゃんは腰に下げていたホルダーから剣を抜いた。
 金属の擦れる音が鳴った。
 兄ちゃんはやっつけなきゃならないディクでも見るみたいな目をして、レイピアの切っ先をジョーに突き付けた。
 ジョーが息を呑んで、一歩後ろに下がった。
――――誰のものだと思っている」
「に、兄ちゃん!」
「オマエは下がってろ!」
 邪魔っけそうに、どん、と押し退けられて、おれは地面に尻餅をついてしまった。
 でも慌てて立ち上がって、ジョーの前に立った。
「や、やめて! この子、何にも悪いことしてないよ! な、なんでそんなこと、するの……」
 おれが友達を連れてきたら、ジョーの兄ちゃんみたいに、友達できたのか、って喜んでくれるかと思ったけど、そんなことはなかった。
 おれは兄ちゃんの顔を見ると、いろんなことを思って悲しくなってきて、またぽろぽろ泣けてきた。
 兄ちゃんはちょっとびっくりした顔をしていた。
「……リュウ?」
「に、兄ちゃんなんか、知らないもん。おれ、ほんとの兄弟じゃないもん。
兄ちゃんの、兄さまの、かわりだもん……」
 ぱあん、と乾いた音がした。
 おれには、なんの音だかわからなかった。
 しばらく経ってから、ほっぺたがひりひり痛み出した。
 そうなってからも、おれが理解するまで、大分時間が掛かった。
 兄ちゃんがおれをぶった。怒ったのだ。
 兄ちゃんがおれを怒ったのなんて、初めてだった。
 おれはそんなに悪いことをしちゃったんだろうか。
 でも、初めてできた友達が、兄ちゃんに殺されちゃうのはどうしても嫌だった。
「……キライに、なっちゃった?」
 おれは兄ちゃんに嫌われてしまったんだろうか。
 兄ちゃんは冷たい顔をして、おれを見ていた。
 すごく怖い顔をしていた。
 こんなことが、すごく昔にもあったような気がするけれど、おれにはどうしても思い出せなかった。
 ――――兄ちゃんがおれのことを嫌っていて、見てもくれなかったようなことが。
 そんなことがあるわけない。
 兄ちゃんは、初めておれのことを怒ったのに。ぶったのに。キライになっちゃったのに。
 おれは頭の中が真っ赤になってしまった。
 兄ちゃんが悪いのに。
 おれのことをもっと言うこと聞く良い子に造ってくれていたら、おれは兄ちゃんにキライになんてなられなかったのに!
「に、兄ちゃんのばか! もっとちゃんと兄ちゃんの言うこと聞いて、良い子のおれを造ればいいんだ!」
 おれは泣きながら叫んだ。
「お、おれだって……兄ちゃんなんか、キライだもん!」
 そうして、兄ちゃんに背中を向けて、逃げ出した。
 それを言っちゃったら、もう二度と兄ちゃんに会えなくなるっていう気がしていた。
 でも止まらなかった。おれは、兄ちゃんじゃない兄ちゃんに、どんなふうな顔をして会えば良いのかもわからなかった。
「お、おい……リュウ! いいのかよ?!」
 ジョーが慌てておれを追っ掛けてきてくれた。
 でも、兄ちゃんが来てくれた気配はなかった。
 当たり前だろう、おれたちはほんとの兄弟じゃないんだから。
 しゃりっと金属の擦れる音がした。
 兄ちゃんが鞘に剣を仕舞った音だ。
 少し立ち止まって、後ろを振り返ってみた。
 でも、兄ちゃんの姿は、霧の街のもうどこにもなかった。



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