街から電気鉄道(リフトって言うらしい)で十分ばかり行ったところに、「ジオフロント」っていう場所がある。
 リフト乗り場から降りて、おれは歓声を上げた。
「ひゃあ……す、すごい」
 銀色をした地面に、いくつも高い銀色の建物が並んでいる。
 表面はつるつるしていて、太陽の光を反射して、真っ白に輝いていた。
「き、キレーだあ……」
「お前んちのほうが綺麗だと思うけどね……」
 ジョーがちょっと呆れたふうに言って、口をぽかんと開けているおれの横を通り過ぎて、遅れるなよ、と言った。
「ね、ねっ、あれ、ごんごんする乗物って……」
「リフトだろ」
「うん、それ。早いねー! おれが走るよりずうっと早いや」
 おれはいろんなことに感動してしまっていた。
 生まれてから今まで、おれはほとんど中央区から出たことがなかった。
 レンジャーになったら、ほんとにいろんなところに行けるんだと思って、おれはちょっと嬉しくなってしまった。
「この辺は、オフィス街なのよ。地下と空を繋いでいるところだから、お仕事してる人がいっぱいいるの」
「へえ……」
 エリーナに教えてもらって、おれは改めてビルを見上げた。
 中で忙しなく動いている人の影が見える。
「す、すごいなあ」
「ノーディ、おい、恥ずかしいからさっさと行けよ。すごい田舎者みたいだぞ、おまえ」
 トマスとマイケルの二人が、またおれに意地悪なことを言った。
 そして後ろからジョーに羽交い締めにされて、ずるずると引っ張られていった――――どうしたんだろうか?
 おれが見てると、なんだか話をしてるみたいで、「ええ?!」とか「嘘だ!!」とか言う声が聞こえてくる。
 レンジャーが駐留する簡易施設に着くと、何人かレンジャーが出てきて、おれたちそれぞれにゴーグルと、腕にはめるライトを配ってくれた。
 同期のレンジャーたちは、基地の前で綺麗に整列した。
 おれだけ少し遅れて――――どうすれば良いかわからなかったので――――みんなの真似をして、慌てて敬礼した。
 先輩らしいレンジャーが、腕を後ろに組んで、話し始めた。
「さて、揃ったか新米たち。これから地下に降りる。はぐれるなよ、空とは違って地下は治安が悪いんだ。その上見とおしが悪い。ゴーグルとマップナビは必需品だ。それらはお前たちに配給されたものだが、私物を使いたい奴は使ってくれていい。いつ地下での任務が入るかわからないんだ、アイテムの管理は徹底すること。いいな」
 各自アイテムを確認しろと命令されて、おれはまず、ブレスレットをじいっと見つめた。
 ブレスレットになっているライトの中面は、格子状に線が入ったプラスチックの板だった。
 横のほうに付いているボタンをぽちっと押してみた。
 すると、ぱっと明かりがついて、ライトの表面に緑色の小さな光点がたくさん現れた。
 太い緑色の線で、四角い模様も出てきた。
「まず、マップナビの使い方だ。使い方は幼年学校で習ったと思うが、マップの見方がわからない奴は?」
 おれは恐る恐る手を上げた。
 マップもわからないし、字も読めない。
 周りからくすくす笑う声と一緒に、まあノーディだしな、という声が聞こえてきて、おれは恥ずかしくなった。
 けど、わからないんだ。仕方ないじゃないか……。
 担当のレンジャーらしいファーストの制服を着た人は、たったひとりだけ顔を真っ赤にして手を上げているおれを見て苦笑して、じゃあ今日のところは誰かにぴったりくっついていろ、と言った。
「言わなくても知ってると思うが、黄色い光点はディクだ。もし現れたら、パニックに陥らず、冷静に対処しろ。問題ない、実技試験とおんなじだ。君も、これは平気だろ?」
「は、はい!」
 おれは勢い良く頷いた。
 実技試験で、おれはこれで一応、ディクと戦ったことがある。
 使ったのは木剣で、戦った相手は試験用のグミだったけど……あれは、ちょっとばかり苦労した。ぷよぷよしてて、ぜんぜん応えてなかったみたいだし。
「まあ、今回はほとんどディクも出ない安全区域だ。心配ないだろう。それからもうひとつのほうだ。ゴーグル、これはあまり見る機会がなかったんじゃないか? プラントの関係者なら知ってるかもしれないが」
 おれに配られたのは、赤くてプラスチックでできた、輪っかのようなものだった。
 これもボタンを押すと、パネルの部分が光る。
 どうやら、頭に付けて使うらしい。
「任務は地下での、薬品製造プラントで使用する鉱物の採取だ。1400時刻、これより開始する。では、地下へ降りるぞ。足元に気をつけろ」
 ジオフロントにはエレベータがいくつか設置されていた。
 業務用の大きなものから、人が乗るものまで――――でも、おれたちはぐるっと丸いかたちのジオフロントの壁面にくっついている階段を下り始めた。
「うへえ、なあ、これって帰りは上ることになるのかな?」
 マイケルがげんなりしたように言った。
 階段はすごく長かった。
 下はかなり深くて、遠かった。
 それにしても、今から生まれて初めて地下へ降りると思うと、どきどきする。
 地下ってどんなところなのだろうか。見たこともない世界が広がっているに違いない。
 かんかんと乾いた音を立てて、鉄でできた階段を下りていく。
 ジオフロントは吹き抜けで、風が強いので少し怖いけど、一段ずつ、ゆっくり――――




「ぜんぜんへいきだよ」





 おれは振り返って、後ろから降りてきてるジョーに訊いた。
「ジョー、今なんか言った?」
 ジョーは変な顔をして、何にも言ってないよ、と言った。
「どうしたの?」
「あれ? へいきだよとかって言わなかった?」
「いや、言ってないけど」
「あれえ……」
 おかしいなあ、ちゃんと聞こえたのに……変だなあと思ったけど、おれはそのまままた前を向いて降り始めた。
 下りても下りても、なかなか下に辿り付かない。
 すごく長い階段だ。
 これ作った人、足が痛くならなかったのだろうか?
 下りて下りて下りて、そうしているうちに、おれはなんだか足元がふわふわしてきた。
 身体も、ふわふわとしてきた。
 なんだか誰かの背中に負ぶさって、運んでもらってるみたいな感じだ。
 すぐそばで、くすぐったい感触がある。
 柔らかくて、まっすぐの、綺麗な金髪だ。
 いい匂いがする。




 いい匂いがする。
 香水っていうのだろうか? 少しとんがってるけど、安心する匂いだ。
 その子は泣きそうになりながら、おれを安心させようとして、精一杯で笑ってた。
 平気なはずないのに笑ってた。
 その子はとても優しいので、すごく怖かったに違いない。
 その、おれのことを、殺しちゃったりしたのが。
「空へ出たら、どこへ行こうか? 兄さまは、どっか行ってみたいとことかある?」
 その子は、精一杯で未来のことを考えていた。
 まるで、そうすれば、うれしいことだけ考えていれば、つらい予感は見ないふりをしていれば、通り過ぎてくれるんじゃないかなあと期待しているみたいだった。
 おれは怖い想像でいっぱいだったけど、だから一緒に笑ってみせた。
 おれが死んじゃって、その子が空の上でひとりっきりで寂しくて悲しくて泣いちゃうところなんて考えないようにした。
 指折り数えて、楽しい話をした。
 海の話、塩辛い大きな湖の。どのくらい大きいのだか想像がつかない。大きな魚がいるらしい。なんでも黒くて、ぴかぴかしていて、頭から噴水のように水を出すんだそうだ。
 虹の話、空にそれは美しい色をした橋が掛かるらしい。それはどんなに追い掛けても、捕まえることができない。
 ほかにもたくさんあった。ヒトの手で育てなくても生きていく植物の話。花。木も。
 地上だけに生きている動物の話――――ディクなんかじゃなく、遺伝子操作もされていない、純粋な、でもヒトじゃない生き物たちの話。
 あとは少し怖い話だ。1000年前の終焉の話。地上は、今や瘴気が満ちた恐ろしい場所なのだそうだ。
 でも、天井に広がる世界は青く、美しかった。どの話も、本当なのか嘘なのだかわからない。
 それは全部、その子がおれに聞かせてくれた話たちだった。
 その子は頭の悪いおれが、そんな話のひとつひとつを聞かされて、とてもびっくりするのを見ると、すごく楽しそうに笑った――――そして言うのだった。
 いつか兄さまを連れてってあげると。
 ぼくが空を兄さまにあげると。
 そこには離れ離れにされるもの――――例えばD値とか、怖い大人はいなくて、ずうっといっしょにいられるんだという。
 おれたちが手を繋いで生きられる世界なんだっていう。
 澄んだ空気が、おれの肺の中に入ってきた。
 青いぽっかりした空が、おれの目の前に、いっぱいにあった。
 空の青だ。おれの薄汚れた髪の色よりそれはずうっと鮮やかで、おれよりも、おれの大好きなその子と一緒にあるのに相応しかった。
 やさしい光がさっとおれを照らして、少しずつ生命を奪っていく。
 プログラムは終了して、地上のすべてが、いらなくなったおれから全てを吸いとっていく。
 本物の太陽の光が、おれから命を絞っていく。
 眩いそれは、その子に与えられる栄光の光だった。
 おれには与えられないものだ。
 でも、おれは生きなきゃならない。
 どんなかたちでもいい、とにかくその子をひとりぼっちにしないためなら、おれはゾンビになったってよかった。
 ああ、でもその子はお化けが嫌いだったから、そうなっちゃったらおれのことを怖がるかもしれない。
 おれはその子が大好きだった。
 おれは、「寂しい」や「悲しい」からその子を守るためにいるのだった。
 その子の、名前は――――




――――ボッシュ?」
 おれは振り返って、もう随分遠い空を見上げた。
 声はジオフロントの中で反響して、いくつも響いて、そして消えていった。
「リュウ、後ろ詰まってるよ」
「いたっ」
 後ろからジョーにこつっと頭を叩かれて、おれははっとなった。
「あっ、ああっ、ごめん!」
 今なにかすごい難しいことを考えてたような気がするけど、おれは後ろのいくつもの恨みがましい視線に晒されて、慌てて階段を駆け下りてった。
 そうして終点に辿り付くころには、おれは今まで何を考えていたんだか、さっぱり忘れてしまっていた。
 おれはあんまり、難しいことを考えるのが得意じゃないんだ。



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