それで、なんでこんなことになってるんだっけ。全然思い出せない。 手は後ろの方で組まされて、縛られている。 ごつごつした岩の上に、ハオチーみたいに転がされていた。 なんだか変なにおいがする……甘ったるくて、でもつんとしたにおいだ。 薄く目を開けると、目の前にエリーナの顔があった。眠っている。 おれもすごく、このまま眠っていたいくらいに、全身がだるい。 なんだか麻酔のあとみたいな、気持ちわるい、浮いた感触があった。 (……あ、あれれ?) おれは同期のみんなと一緒に、ライフラインの採掘所で、製造プラントに運ぶ石を掘ってたんじゃなかったっけ。 採掘してると、周りになんだかピンク色の甘ったるい匂いのする霧が沸いてきて、それから―――― なんで寝てたんだろう。 それもベッドの上じゃなくて、冷たくて硬い石の上だ。 なにかあって――――例えば足を滑らせたとか、石が上から落ちてきたとかして倒れてしまったのかもしれないと思ったけど、それにしてはエリーナも目の前でいっしょに寝てるのは変だと思う。 あ、お昼寝の時間だろうか? それにしては、ちょっと時間が遅いと思う。普通お昼寝は、お昼ご飯のすぐあとにするものじゃあなかったっけ。 確かおれがさっき時計を見た時は、午後15時を回っていた。おやつの時間だ。 そもそも、なんでおれは手を後ろで縛られてるんだろう。 そんなに寝相が悪かったんだろうか。 「んん……」 上手く起き上がれないので、身体をよじって、顔だけ上げた。 なんだかじめじめしたところだった。 空気がじっとりしてて、息がしにくい。 一回吸うたびに、水まで肺に入ってきそうな感じがする。 ぼろぼろに崩れた煉瓦の上に、苔が生えている。 周り中がそんな感じだった。いつ崩れてもおかしくないぼろぼろの建物の中みたいなところ。 建物の中にしては、ちょっと広過ぎるみたいだったけど。 おれのすぐそばにエリーナとメアリが倒れていて、ぐっすり寝こけていた。 同期のみんなと、担当のファーストの人はいなかった。 そう言えば、あの人名前何て言うんだろう? 聞いてなかった。 でも、みんながいないかわりに、変な格好をしたおじさんが、何人か背中を向けて立っていた。 みんなおんなじようなぼろぼろの格好をしている。泥で汚れた服の、あちこちが焼け焦げていた。 おれが動いた音を聞き付けて、そのうちの一人が振りかえって、こっちを見た。 おれはぎょっとした。 その顔は……なんて言うか……人間じゃなかったからだ。 ふさふさの黄色い毛が生えて、黒い縞模様があって、鼻も黒くてぴかぴかしていた。 耳は頭の上にあった。とんがったやつ。ちょっとリン姉ちゃんの耳に似ていた。尻尾もあった。 「ガキが起きたぞ」 でも人間じゃないおじさんは、ちゃんと人間の言葉を喋った。 おれがびっくりして固まってるのを見ると、なんだか変な笑い方をした……兄ちゃんの意地悪な笑い方を、自分に向けてやってるみたいな感じだ。 「空住まいのブルジョアには、ノーディの獣人なんて珍しいだろ? 騒ぐなよ。死にたくなきゃ、でかい声を出すな」 「ね、おじさん、だれ?」 おれは思ったことを、正直に聞いた。 「なんでそんなかっこしてんの? 「ジュージン」ってなに? それ、食べれる?」 「黙ってろ、ハイディ。ガタガタ騒ぐんじゃねえ」 ぴしゃっと言われて、怖い顔をされたので、おれは黙るしかなかった。 おじさんたちはおれを見て、そう、いい子だ、と言った。なんでか誉められた。 「なに、生かして帰してやるさ。相手方が、俺たちの要求を呑んでくれれば、ちゃーんとな……」 そこで、みんなが振り向いて、おれの方を見て笑った。 あんまり好きじゃない笑い方だった。何が面白いのかもわからなかったし。 メアリは起きるなり、しくしくと泣き出してしまった。 エリーナは静かなままだった。 そして、これって誘拐って言うの、とおれに教えてくれた。 おれにはなにが起こったんだかさっぱりだったので、ありがたかった。 「ユーカイ……って、食べれるの?」 「ざんねん、食べられないよ。子供を勝手に連れてっちゃって、パパに、子供を返して欲しかったらお金を寄越せって言うの」 「ふうん」 エリーナはちっちゃい時に二回も、「ユーカイ」されたことがあるんだそうだ。 「別に怖いことも、なかったけど……プリンアラモードを食べさせてもらったの。二回目はパフェ。そうしてるうちに、帰って良いって言われたの。きっとパパがお金を払ったのね」 「レンジャーは? 助けてくれないの?」 「ぜんぜんだめ。頼りにならないって、パパが言ってた」 「うー、そうなんだあ……」 おれは、レンジャーがあんまりかっこよくないなあと思って、ちょっとしょんぼりしてしまった。 でもエリーナは、今回はなんか違うねと言った。 「いつもはね、すごく綺麗なお屋敷に連れてかれるんだけど……なんか違うね」 「うん、きれくないね……」 おれたちがいるのは、廃墟みたいなところだった。 ずーっとずーっと誰も入った気配がない。 崩れるに任せたままみたいな感じだ。 ところどころに鉄格子みたいなものが床から突き出していて、この間レンジャー基地でおれが入れられてた拘置室を、もっとずっと大きくしたみたいな感じだった。 トラジマのおじさんは、また怖い顔でおれたちを睨んで――――怒ると黒目のところがきゅーっと細くなるみたいだ――――静かにしろ、と言った。 「なんなら、無理矢理静かにさせてやったって良いんだぜ。なに、お前らの親次第だ」 「要求が通らなかったらどうなるか、そのうち身体で嫌ってほど知ることになるだろうけどな」 そこで、今度は普通の人間のおじさんが顔を出して、おれたちを見て、また嫌な笑い方をした。 おれはこっそりエリーナに、ぶたれるのかなあ、と訊いてみた。 エリーナは何にも答えてくれなかったけど、メアリはそれで、わあわあ泣き出してしまった。 「わ、私のお家、そんな、お金ないよ……ひ、ひどいことされて、殺されちゃうよきっと」 「う」 お金が払えなかったら殺されちゃうんなら、兄ちゃんに多分もう「ポイ」って捨てられちゃったおれは、どうなるんだろう。 いっぱいぶたれて殺されちゃうんだろうか。 立派なレンジャーになれないまま、もう兄ちゃんにも会えないんだろうか。 悲しくなってきて、おれはじわっと目が潤んできた。 おじさんたちは、またこっちを見て、泣くな、と怒った。 「これだから、乳臭いガキってのは……おい、ほんとにこいつらで良かったんだろうな」 「ああ、なんたってキレイどころの女を選りすぐって連れてきたからな。身代金が出なくたって、使い道はイロイロあるさ」 「だから、見た目じゃなくてD値を見て連れて来いって言ったはずだ!」 おじさんたちは、喧嘩をしながらおれたちのところにやってきて、髪の毛をぐいっと掴んで、頭を押さえ付けた。 「い、いたた……うー」 「おとなしくしてろよ、D値を見せろ」 プロテクタを剥がれて、首筋を剥き出しにされてしまった。 おじさんたちは真剣な顔をして、うなじに刻印されてるD値のバーコードを調べはじめた。 「こっちの黒髪は1/512だ。金髪は1/128。青いのは……え?」 おれのD値を調べていた、人間だけど耳のとんがったおじさんは、変な顔をして、目を眇めた。 「でぃ、D値が、ないぞ……?」 「バカ、ちゃんと調べろ。空にいる奴で、D値がないなんて……」 「ほら、見てみろよこれ、ほんとだって」 すぐにおれの周りに人だかりができてしまった。 「なんだお前、和解側のトリニティか?」 「ト、トリニティって、なに……?」 聞いたことはあるけど、良く知らない。 トリニティっていうのは、メベトおじさんとリン姉ちゃんのふたりのことじゃないっけ? おれは違うはずだ。 「知らないのか? なんでそれでノーディなんだ、おい!」 怖い顔で睨まれて、おれは竦んでしまった。 「し、知らないもん……お、おれにはD値なんかいらないんだって、兄ちゃんが言ってたもん……」 「その兄貴ってのはなんなんだ。そいつが金を払ってくれるのか?」 「に、兄ちゃんは、おれが言うこと聞かない悪い子だから、もうおれのことポイってしちゃったもん。だから、お金なんか、きっと払ってくれないと思う……」 おれ人間じゃないし、とおれは言った。兄ちゃんのペットだったし。 やっぱり怖いおじさんにいっぱいぶたれてしまうんだろうか。 ぎゅっと目を瞑って、でも何にも言われないので、おれは恐る恐る目を開けた。 おじさんたちは、なあんだ、というような、拍子抜けした顔をしていた。 「なんだ、俺たちのお仲間かよ……」 「お前、なんでレンジャーなんかに紛れこんでんだ。政府の犬と間違えちまっただろ」 「へっ?」 おれはわけがわからなくて、おじさんたちの顔を見上げた。 みんな怖い顔の人ばっかりだ。 「いっしょ」じゃ、ないと思うんだけど……。 「で、でも、「ユーカイ」って、悪いことでしょ? 人の迷惑になることしちゃだめって、姉ちゃんが言ってたもん」 「お前、迷惑もなにも、ノーディだろ。D値がないだけで人間扱いされなかったことは? 腹が立たないのか」 おじさんは渋い顔をして、おれを見ている。 はじめよりは、大分怖くなくなってきたけど……でもおれは、おじさんたちの仲間じゃないと思う。 レンジャーだ。 みんなのために働いて、兄ちゃんを守ってあげられるレンジャーになるんだ。 「ユーカイ」なんてしない。 「わ、悪いことしたら、兄ちゃん、今もすごく怒ってたのに、もっとおれのことキライになるもん……お、おれ、すごいレンジャーになるもん。そんで、兄ちゃんに、ごめんねって言うんだも……」 だから仲間と違うもん、とおれは言った。 おじさんたちは顔を見合わせて、ともかく青いの、お前は除外だ、と言った。 「金にならない奴はほっとけ。なに、心配すんな。せっかく拾ったんだ――――後でコトが終って下に降りたら、稼ぎ方を教えてやる。女は五体満足でさえありゃあ、いくらでも口があるからな」 「しかしこいつの身体じゃあ、妙な趣味の連中しか買い手がつきそうにないな」 おじさんはじいっとおれの身体を見て、呆れたみたいに言った。 これからどうなるのか、全然わからなかったけど――――おれは胸にどんよりしたものがのしかかってくるのを感じた。 トラジマのおじさんが、ともかく足がつかないように、上に要求を飲ませなきゃならないだろう、と言った。 「多分今頃、下のライフラインと中層区で、レンジャーどもが血眼になってる頃だ。そこの金髪の娘みたいなハイディが消えたんだからな」 「どうするんだ? せっかく新しいアジトを見付けたってのに、ここまで嗅ぎ付けられちゃかなわんだろう」 「問題ない、あいつらだって、俺たちがこんなところにいるとは思わんだろう」 おれたちを「ユーカイ」したおじさんたちは、何やら言い合っている。 おれは零れ掛けた涙を拭いて――――もう泣かないって決めたのだ――――きょろきょろ辺りを見回した。 おじさんたちはずーっとおれたちを見張ってるけど、どうにかして、エリーナとメアリを助けて、逃げられないだろうか。 (あれ……? 変なの) 暗い空洞、じめじめしていて、どこか遠くの方から「ひいい」っていう叫び声が、かすかに聞こえてくる。 それは風の音なのかもしれない。誰かの悲鳴かもしれない。どこかにお化けがいるんだろうか。 こんなところに来るのは、初めてのはずなのに――――おれはなんだか変な懐かしさを感じていた。 なんだかおれはこの場所では、いつもうずくまって泣くのを我慢してたような、そんな気がしたんだ。 |