「特定はまだなの」 レンジャー駐屯基地にある階層パネルの前で、デスクを占拠している統治者ニーナが、まったく表情というものが抜け落ちた声で言った。 調査に当たっているレンジャーたちの顔ぶれは、いずれもファースト以上の、中央区勤務のエリートばかりだ。 彼らは顔色を無くして、死に物狂いでモニタと睨めっこをしていた。 「早く見付けて。リュウに何かあったら、とりあえず空は閉じられると思って」 「は、はっ!」 「もし死んじゃったりしてたら、その時はみんなも「一蓮托生」ってやつだと思ってね。 多分、ボッシュが怒って大暴れだから。わたしもだけど」 「了解しました!」 レンジャーの新入隊員――――それも空の街で住民登録されているハイディを狙っての誘拐事件が起こったのは、今から二時間前。 採掘施設で催眠ガスを使用するという大掛かりなもので、犯行声明はまだ出されていない。 「手口から、元トリニティ所属の人間の仕業だと思われます。現在、アジト近辺を捜査中です」 「そう。じゃ、メベト呼んでこなきゃ」 政府とトリニティの和解に反抗したトリニティのメンバーは、依然地下世界に潜伏している。 荒っぽいテロの手口はそのままだ。 その場に居合わせたレンジャー隊員たちは、地下上層区のメディカルセンターに運び込まれて、命に別状はないと聞いている。 だが、その中にリュウの姿はなかった。 「連れ去られたのは、リュウ様と、エリーナ=1/128とメアリ=1/512という、いずれもレンジャー新入隊員の少女たちです。エリーナ=1/128はメディカルセンター院長の娘で、過去二度誘拐されたことがあります。今回も、金銭目的の誘拐の線が濃いです」 「リュウをお金に換算しようっていうのね。かわりにメコムでも食らってればいいのよ」 サイズが大きめの椅子からぴょんと飛び降りて、ニーナは言った。 「ねえ、そろそろ見つかったよね? 隊長さん、だれ? わたしとかわってもらうから、言っといて」 「ニ、ニーナ様! きけ――――」 「危険です、とか言ったら感電させるよ。リュウはどんな怖い思いをしてると思ってるの」 「は、はい、失礼しました……」 「じゃあちょっと行ってくるから。犯行声明が出る前に、全部終わるようにお願いしててね。ボッシュが知ったら、街が消し飛んじゃうかも」 軽く言い置いて、ニーナは駐屯基地を出た。 これから地下に降りる。 ◆◇◆ どうやら元々は、すごいお金持ちの人の家だった、みたいだ……。 ぼろぼろの階段を上がると、さっと明かりがさした。 そこはもう何年も何年もほったらかしにされてたみたいだけど、まだ照明は生きているようだった。 きっとすごく質の良いものを使ってたんだろう。 埃だらけで蜘蛛の巣だらけだったけど、部屋の中はすごくきらびやかなつくりになっていた――――汚いけど。 まるで兄ちゃんの部屋みたいな豪華さだ。 広くて広くて、追いかけっこやかくれんぼだってできちゃいそうな広さだ。 ……今は、どうしたってできそうにないけど。 おれとエリーナとメアリはホールに連れて来られて、そこに座らされていた。 「それにしてもでかい家だなあ。どんな奴が住んでたんだろうな。やっぱすげえエリートかな」 「どんなにでかくたって、今は水没寸前のボロ家だ。これなら下層区のアパートのほうがまだましだぜ」 おれたちを「ユーカイ」してきたおじさんたちが、話をしている。 窓のすぐ外は、大きな地底湖だった。 さっきじめじめしてたのもこのせいだったんだ。 おれたちのいるお城みたいな建物は、水面から突き出した島みたいになっていた。 キレイに並んだ煉瓦の模様が、水の浅いところに浮かんでいた。 今は水の中だけど、昔はそこは庭かなにかだったんだろう。 それより少し遠くのほうに、きらきらと白い円形の光が見えた。 水面に魔法陣が浮かんでいる明かりだ。 そして、やっぱり建物の中も湿っぽい。 急に崩れたり、しなきゃいいけどな……。 「おい、ガキどもを見張ってろ。少し周りを見てくる」 「まったく、静か過ぎると逆に不気味だな」 おじさんたちは笑いあって、一人――――人間の男のおじさんが残って、あとは見まわりに行ってしまった。 ライトの薄い明かりが廊下の向こう側に行ってしまうと、おじさんはおれたちのほうを見て、変な笑い方をした。 「さて」 そして、おれのほうに寄ってきた。 「抜け駆けと行こうかな」 なんでかわからないけど、おれの身体をべたっと床に押し付けて、上から乗っかってきた。 おれとじゃ体重が全然違うから、すごく重たい。 潰されちゃいそうでじたばた暴れると、すごく怖い顔で、おとなしくしろ、と言われた。 ジャケットを脱がされた。 括られた腕のところで引っ掛かったけど、それからアンダーシャツも胸の上まで捲り上げられてしまった。 「リュウ!」 エリーナに呼ばれて見ると、なんだか真っ青な顔をしている。どうしたんだろうか? 「おじさ……重たいよ。息、できな……」 おれがやめてよと言っても、全然聞いてもらえなかった。 なんだか胸のなかが気持ち悪くなってきた。 なんだろう? なんでかわからないけど、おれはすごく怖くなってきた。 この人、なにしようとしてるんだろう、おれに。 ずん、と地面が揺れた。 目の前がぱあっと光った。 光は、おれの上に乗っかっているおじさんの真上でスパークして弾けた。 「うわあああ!」 悲鳴は、光のなかに吸い込まれてった。 おじさんを黒焦げにしちゃった光は――――何度か見た覚えがある。ニーナ姉ちゃんの、バルハラーの光だ。 もしかして、姉ちゃんがおれを助けにきてくれたんだろうか? 「ね、ねえちゃ……」 おれは泣きそうになって、顔を上げた。 そこにいたのは、姉ちゃん―――― じゃあ、なかった。 そこにいたのは、おっきなおっきなディクだった。 見た目はジョーの家で見たナゲットだった。 でも、その…… おっきさが、全然違う。 大人の男の人のおじさんよりも、ずーっとずーっと大きかった。 おじさんを黒焦げにしちゃったナゲットは、今度はぐるんとおれのほうを向いた。 「わ……」 おれはびくびくして、ナゲットを見上げた。 ど、どうしよう? 食べられたりしないだろうか? ◆◇◆ おれが作ったごはんを、その子はおいしそうに食べてくれた。 ほんとは、弟に、食べさせてあげるために作ったんだけど……。 ローディの作ったごはんなんて食べたくないって、ボッシュが言ってたんだそうだ。 「えへへ、おいしい? 今日のはねえ、トクベツにおいしくできたんだよ」 おれは笑って、おれの作った食事を……床に投げ捨てられたせいでぐちゃぐちゃになっちゃったけど、味にはちょっと自信があるごはんを食べてくれてる仔ナゲットの頭を、いいこいいこと撫でた。 ほんとに、すごく一生懸命に、おいしそうに食べてくれた。 おれはそれを見て嬉しくて、でも泣きそうになった。 ボッシュは最近、おれのことを見てもくれなくなってしまった。 この間、街で友達にいじめられてたのが、よほどかっこわるかったんだろうか。 今日のはコックさんが初めて誉めてくれた特別なごはんだ。 これでやっとボッシュに食べてもらえる――――ボッシュはすごい子なので、すごいごはんじゃないと食べてもらえない――――と思ったんだけど、ボッシュはおれの作ったごはんなんて、見るのもいやだって言ってたって、コックさんから聞いた。 おいしいごはんを作ったら、ボッシュと仲直りできるかなあって思ったんだけど……ぜんぜんだめだった。 おれはボッシュに嫌われてしまった。 廊下で会っても、ボッシュはぷいっとそっぽを向いて、おれのことを見てくれなくなってしまった。 「ト、トクベツ、だったんだけどなー……」 ナゲットを撫でながら呟いて、おれは膝を抱えて、しばらくぐすぐすと泣いた。 これからずーっとそうなんだろうか? 一生見てもらえないんだろうか? もう「にいさま」って呼んでもらえないんだろうか? 二人で空も見れなくて、「お嫁さんにしてあげるよ」って約束も、なかったことになっちゃったんだろうか? ナゲットがおれを見て、心配そうに「くるる」と泣いた。 おれはへいきだよと言って、笑った。 「あ、き、気にしないで。だいじょうぶだよ、うん。おいしいでしょ? また、ね、明日も作ってきてあげるね……」 おれの作ったごはんを食べてくれるのは、その子くらいしかいなかった。 食べ終わって、毛繕いをはじめたその子をだっこして、ぎゅーっとした。 「きみ、名前、あるの? なかったらねえ、おれがつけてあげる。ね、みんなには内緒だよ」 おれはその子を抱いて、ボッシュって呼んでもいいかなあ、と訊いた。 ナゲットはいいともわるいとも言わなくて、ただくるくる鳴いてた。 ◆◇◆ おっきなおっきなナゲットは、そうしてかぷっとおれのシャツを咥えて、乗っかってきているおじさんに潰されているおれを、ずるずると引っ張り出してくれた。 「あ、え?」 そして、エリーナとメアリのそばで降ろしてくれた。 おれを食べる気配はなかった。 ナゲットはしばらくじいっとおれを見ていたけど、柱の陰から子供らしい仔ナゲットにほろほろ呼ばれて、そっちに歩いていってしまった。 「あ、た、たすけてくれたの? あ、ありがと! きみ、ねえ……」 おれが呼び掛けると、ナゲットはくるっと振り返って、ぺこっとお辞儀みたいな仕草をした。 そして、子供を連れて通路の暗がりの向こうに消えていってしまった。 「あ……」 追い掛けようと思ったけど、エリーナとメアリを置いてく訳にもいかない。 「リュウ、だいじょうぶ?!」 エリーナが焦ったふうに訊いてきたから、おれは頷いて、うんだいじょうぶだよ、と返事をした。 「どこも怪我してないし……」 「そういうことじゃあなくって……でもよかった。ね、今のうちに逃げようよ。そこのおじさん、ナイフくらい持ってるでしょ。縄切っちゃおう」 「あ、う、うん」 焦げてるおじさんは、まだ死んではいないみたいだった。 たまにぴくぴく痙攣してる。 エリーナは、おじさんに触るのも嫌だと言った顔で、靴のつま先で上着を捲っていた。 「もう、男の人って、信じられない。気持ち悪いなあ」 「うん、おれ、潰されるかと思った……」 重たかったあと言うと、エリーナが何と言って良いかわからない顔で、うんそうね、と言った。 |