「ガキどもがいないぞ!」
 ホールには、縛ったまま放置しておいたはずの、攫ってきた子供たちの姿がなかった。
 見張り、これは全身を黒焦げにされ――――それもかなり念の入ったやりかたで――――倒れていた。
 まだ息はあるようだったが、しばらくは使いものになりそうにない。
「おい、おまえ! どうした! 何があった?!」
「まさか、さっきのガキどもがやったのか」
 新米のサードレンジャーなんて、しかも子供だ。
 ほとんど一般人と変わらず無力だと頭から舐めてかかっていたが、まさかこんがり一人前のローストを仕上げることができるような魔法使いがいたというのだろうか。
「こりゃあ、バルハラーだ」
「罠だったんだ! 畜生、舐めやがって……」
 男が叫んで、苛立たしく床を踏み鳴らした。
「誘拐ごっこは終わりだ! ぶっ殺してディクの餌にしてやる!」


◆◇◆


 やっと細い窓枠から抜け出ることができた。
 大きな窓があって、そこから部屋の中へ入ることができた。
 部屋の中は、屋敷のどの部屋よりも豪華だった。
 湿気もほかより少なくて、ここだけあんまり汚くない。
 大きなベッドがあって、本棚があって、絵本に混じっていくつか分厚い教科書が並んでいた。
 埃を被って真っ白になったグミのぬいぐるみがあった。
 こまごました小物から、どうやら子供部屋らしいぞとは見当がついたけど、子供の部屋にしては殺風景だ。
 玩具はあんまりないし、綺麗に片付けられすぎている。ベッドも大き過ぎた。
「はああ、し、死ぬかと思ったあ」
「も、もう二度とごめんよ、あんなの……高いところ、あんまり好きじゃないなあ」
 エリーナとメアリが、床にべたーっとなって、ひいひい言っている。
 どうやらすごく疲れちゃったみたいだ。
 無理もない、おれだってすごく怖かった。
 いつもそうだ、でも「怖かった」って言うと、ボッシュはやさしいから、「じゃあもうこなくてもいいよ、兄さまに怖い思いをさせるの、ぼくいやだもん」なんて言うかもしれない。心配をさせたくなかったし、おれがあの子の部屋にこっそり会いにいかないと、屋敷ではほとんどお話もできないからだ。
「……あれれ?」
「リュウ? どしたの? なんか変なものでも見付けた?」
「いや、ええと……ううん、なんでもない」
 おれも疲れてるみたいだ。
 なんだか覚えのない、変なことを考えている。
 心配そうに声を掛けてくれたエリーナに、ほんとになんでもないんだ、と言った。
「ね、それにしても、リュウ、あの……」
「ん?」
 メアリが、変な顔をしておれをじーっと見ている。
 なんだろな、と思ってたら、メアリは顔を真っ赤にして、おれに訊いてきた。
「お、男の子、だよね? みんな女の子と間違っちゃってるだけよね……?」
「リュウは女の子よ、メアリ」
 エリーナがメアリに教えてあげて、おれもそうだよと頷くと、メアリは目に見えてしゅんとしてしまった。
 おれ、なんか変なこと言ったろうか。
「そ、そうなんだあ……」
「お、おれっ、女の子、変なの?」
「変じゃない、リュウはかわいいと思うよ」
「う、ほ、ほんと?」
「うん」
 エリーナが、そうよ、って言ってくれた隣で、メアリも慌てて頷いてくれた。
 なんか、変なの。
「ねえ、リュウ、メアリ? さっきのちかちかしたの、だんだんこっちに近付いてくると思わない?」
 言われて窓の外を見ると、ほんとだ。
 赤いちかちかが、さっき見た時よりずっと大きくなってきてる。
 いっぱいだ。
「レンジャーかなあ?」
「き、きっとそうだよ!」
 おれとメアリは顔を見合わせて、ふーっと安心の溜息をついた。
 ちょっとほっとしてしまった。
 これで、おじさんたちにぶたれて殺されたり、高いところから落っこちて死んじゃわなくて済むかもしれない。


◆◇◆


 目が覚めると病室で、目の前にものすごく怖そうな男がふんぞりかえって座っている場合、まずどうすれば良いのだろうか?
 ジョーをはじめ、友人たち、先輩レンジャーは、そんなわけで非常に戸惑ってしまった。
 金髪で、目つきの悪い男だった。
 いや、今は険悪な顔をしているから、目つきの問題はあてにならないかもしれない。
 安椅子に足を組んで座っている。傍目にも相当苛々しているように見えた。
 何故だかその男が入ってくると、皆一斉にぱちっと目を開いたのだ。
 今まで眠っていた者たちがだ。どういうトリックか知らないが、まあ個人個人の防衛本能というやつなのかもしれない。すぐさま逃げ出さなければ取って食われてしまいそうな威圧感が、その男にはあった。
「妹はどこだ」
 彼は不機嫌さを隠しもしなかった。
 抑揚をつけずに吐き捨てるように言った。
「えっ?」
 病室に無音の混乱が訪れた。
 何故なら今しがたまで採掘任務についていたはずなのに、気がつくと病室のベッドの上で、更に普段なら新聞や雑誌でしか見る機会がないような人間が目の前にいて、まったくとんちんかんで覚えのないことを訊くのだ。
「……オリジン?」
 誰かが、信じられない、といった調子で言った。
 ジョーはと言えば、なんだかこのまま逃げ出したい気分だった。
 その男――――最高統治者のボッシュには、今朝方一度殺されかけたばかりだ。
 オリジンは、なんだかそのまま暴れ出しそうな顔をしていたが、辛抱強く目を閉じて額を押さえ、少しして目を開き、もう一度言った。
「俺の妹は、どうした。リュウだ。誰の仕業だ? 犯人の顔を見たやつは」
 さっぱり事態が飲み込めず、部屋に具合悪い沈黙が流れた。
 オリジンは、本当に救いようがないという仕草で肩を竦めて頭を振り、言った。
「説明するのもめんどくさいけど、オマエら、催眠ガスで全滅して、上層のセンターに運び込まれたわけ。そんで、救助されたやつらの中に、俺の妹がいない。空のセンター長の娘と、あともう一人、一緒だ」
「エリーナ?!」
 ジョーはがばっとベッドから飛び降りて、声を荒げた。
「ちょっと、わけわかんねーんですけど! エリーナがどうしたんですか?! リュウは!」
「……オマエ、朝のガキだっけ」
 オリジンはゆらっと立ち上がり、つかつかとジョーのもとへ歩いてきて、胸倉を掴んで吊り上げた。
「なんでリュウを守らなかった。マジで、オマエ」
 めきっ、とオリジンの腕が音を立てた。
 ジョーはぎょっとしてしまった。
 その腕、彼の腕は黒ずみ、鱗がびっしり生えて、鍵爪がある。
 人間の手じゃない!
「ぶっ殺すぞ」
 オリジンのその顔の半分に、奇妙な光の模様が浮かんでいた。
 その目は空洞だ。中でちらちらと赤い炎が燃えている。
 ひどく巨大な化け物を前にしているような気分だった。
 喉が詰まり、息ができない――――


 がん! と耳をつんざく轟音と、衝撃、それから焦げ臭いにおいがやってきた。
 ジョーは床に叩き付けられた。
 げほげほ咳込みながら顔を上げると、オリジンが床に倒れている。
「まったく、しょうがないね、このシスコンは……一般市民の前でダイブ禁止だって言われてるだろう? あんたのそれ、夢に出てきてうなされそうな顔なんだよ」
 声がして、見ると、ごつい銃を掲げた綺麗なお姉さんがいた。
 ふさふさした耳と尻尾が生えている、美人で、ナイスバディの女の人だ。
 彼女はどうやら、信じられないことに、オリジンを撃ったようだった。銃口から硝煙がたなびいている。
「悪いね、ちびっ子たち。うちのオリジン、妹のことになると、ちょっとどうしようもなくバカになっちゃうんだ」
「いや、ていうか、オリジン、死んでんじゃないですか?」
 ジョーの隣のベッドで、シーツを被って震えているトマスが言った。
 至近距離から頭に銃弾をくらったのだ。普通死んでる……が、オリジンは何事もなかったようにむくりと起き上がって、なにすんだ、と怒鳴った。
「びっくりしただろうが! 人間なら死んでたぞ! オマエコラ、リン! ぽんぽん気安く撃つのはやめろっつっただろうが!」
「どうせ何したって死なないくせに、いっちょまえに被害者ぶるんじゃないよ。それより、こんなとこで子供苛めてる暇があったら、マップナビを見な」
 オリジンがはっとなって、顔色を変えた。
「そうだ……兄さまは!?」
「中層のテロリストどもはシロだよ。ただ、ちょっとお願いして、協力をしてもらった」
「……何したの? トリニティ式の拷問かなんか?」
「秘密。あれらと別口の、政府との統合騒ぎで散り散りになったのが、放棄上層特区に潜伏してる。レンジャーの誘拐なんてやらかすのは、そいつらくらいしかいないみたい。盲点だね、あんなとこにまで巣を張ってるとは思わなかった」
 ぽんと放られたナビ――――見た感じ、レンジャーに支給されるものとは比べものにならないくらい高性能の機械のようだった。あれ欲しいなあ、と小声でトマスがぼそぼそ言ってきたが、無視しておく――――を受けとって、電源を入れて、オリジンはどうしてか、奇妙な顔になった。
「……ここって、おい……?」
「なんだい、知ってるのかい?」
「知ってるもなにも、さあ……」
 オリジンは、眉をひそめている。
 ジョーは意を決して――――声を掛けるといきなり殺されそうで怖かったが――――オリジンに懇願した。
「オ、オリジン! 俺も連れてってよ!」
「ハア?」
 オリジンが、あの例の人を馬鹿にしたような顔で振り返り、ジョーを見た。
 もうオマエには何の用もないよ、という表情だ。
 ジョーは更に言い募った。
「た、助けに行くんだろ? 俺も行かせてほしい。エリーナが……あいつ、俺、助けてあげなきゃ」
「エリーナ?」
「そ、そうだよ。あいつは、俺が守ってやんなきゃならないんだから」
 オリジンは、しばし腑に落ちないといった顔をしていたが、やがてなにかの理解の線が繋がったようで、なるほど、と頷いた。
「足手まといになったらいっしょくたに吹き飛ばすけど、構わないなら好きにすれば」
「あ……ありがとう、ございます!」
 ジョーはがばっと頭を下げて、こっそり、なんだか変だなあ、と思った。
 あの険悪というか、今にも食い殺されそうな威圧感が、急に引っ込んでしまった。
 あのリンというらしい綺麗なお姉さんが、まったく呆れた、という顔をしている。
「あんたって、ほんとわっかりやすい男だね……」
「なんのことだか」
 オリジンはすっとぼけたように、言った。
 その辺になってきて、ジョーもさすがに、何となく感付いてしまった。
 この人、もしかして、リュウのことでものすごい勘違いをしてたんじゃないだろうか?
 例えば、ジョーにリュウを取られてしまっただとか、そういうふうに。
 挙句、ジョーはひどい誤解を受けたまま、殺されそうにまでなったのだ。
(……ていうか、すげー、シスコン……)
 思ったが、口には出さないでおいた。
 言ってしまったら、今度こそ本当に殺されそうな気がするのだ。


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