「なんだ、コイツら?」 怪訝に、ボッシュは眉を顰めた。 ディクだ。数え切れないほどの。そのどれもが隊列を組み、行進していた。 驚いたことに、そいつらは統制がとれていた。 そしてボッシュを見ても、何の反応もしない。襲ってもこない。 だが、後ろから悲鳴、銃声、剣を振るう音――――襲われないわけじゃあないらしい。 リンとあの勝手にくっついてきた子供以下レンジャーたちは等しく戦闘中だった。 さすがに上層特区だけあって、ディクの質は良かった。ケルベロスに邪公ザ・ナイト。中央区セントラルで番犬をさせてやったっていい奴らばかりだ。 「ちょっとオリジン! なにぼさっと突っ立ってんだい! あんたなに、ディクにまでシカトされてんの?! お仲間と間違われてるんじゃないか!」 からみついてくるダークストーカを蹴飛ばしているリンが、非常に無礼なことを言って寄越した。 レンジャーたちは苦戦しているようだった。 無理もない、かつて世界を統べたものの邸宅である。セキュリティに関しては、レンジャーが大隊を組んで取っ組み合いをしようが、勝負にもならない。 それにしても、とボッシュは考えた。 まだ稼動していたのか。意外だった。 ふいに幼い頃、兄に読み聞かせてやった、旧世界の絵本の話を思い出した。 主人公は魔法使いの弟子で、箒に魔法をかけて水を運ばせる話だった。 箒は動き出し、永続的に水を汲み続けた――――水瓶がいっぱいになっても汲んで汲んで汲み続けた。 弟子は箒を止める魔法を忘れてしまっていた。 力任せに箒をぶちこわしてやろうとしても、割れた箒はふたつに増え、よっつに分かれ、やがて屋敷中水でいっぱいになってしまう。 話の途中くらいから、兄は「ほうきこわい」と泣き出してしまった。そこで読むのを止めてしまった。 だから最後にどうなったかは知らない。屋敷は水没したのかもしれないし、何らかの奇蹟が起こって助かったのかもしれない。 止める魔法をかけてやらなければ、道具は永続的に動き、働き続けるのだ。ディクも箒もおんなじだ。 「くそっ、誰だい、こんな悪意まみれのバカでかい家に住んでたやつは! とっちめてやりたいよ!」 「セキュリティくらい切っとけよ、むかつくなあ!」 リンと、それにくっついてるのは、新米レンジャーの子供だ。もういない廃屋敷の主への不平を、これでもかと吐いている。 率いてきたレンジャー隊もおんなじような調子だった。 「なんでこんなにディク飼ってんだ! 地下の金持ちってのは、これだからわけわかんねえんだ……!」 「きっと、よっぽど根性の曲ったやつらが住んでたに違いない! 顔を拝んでやりたいもんだ!」 「意地の悪そうな顔してるに違いないぜ! しかもナルシストだ、きっと!」 あちこちから罵詈雑言が聞こえてくる。 ボッシュは肩を竦めて、まあどうでもいいことなんだけど、と彼らに言ってやった。 「あそこ、俺んちなんだけど。俺がガキのころに住んでた家」 ◆◇◆ おじさんたちが武器を持って襲い掛かってきた。もっかい捕まえよう、なんて考えはないみたいだった。 おれたちは武器を取り上げられて、なんにも持ってない。丸腰で、素手だ。どうしようもなかった。 さっきのナゲットがもっかい助けにきてくれないかなあって願ったけど、それはどうやら聞き届けられそうになかった。 すぐそばで、ぎらっと光った。鈍い色の錆びた剣が振り上げられて、降ってくるところだった。 「わ、わ、わあ!」 おれは涙目で、またぺたっと座り込んでしまった。 おじさんの剣は、逃げ遅れたおれの髪の毛の先っぽをちょっと千切って、頭のすぐ上を通り過ぎていった。 「う、うー!」 足ががくがくして立ち上がれないので、おれは四足で這いずって逃げようとした。 でもすぐに捕まってしまった。 髪の毛を引っ張られて、頭を掴まれて、おとなしくしろ、って怖い顔で言われて……剣の切っ先が、おれを突き刺してやろうと鋭く光った。 「リュウっ!」 エリーナが、どん!とおじさんに体当たりした。 おじさんはそのままよろけて、その手から剣がすっぽ抜けた。 反射的に、落ちた剣を拾おうとおれは動いて、そして横からメアリに腰に思いっきり抱きつかれて、派手に転んでしまった。 すぐ頭の上の壁が、びしっと弾けた。見ると、銃の弾がめり込んでいる。 メアリにこけさせられてなきゃ、おれは今頃頭を撃たれて死んじゃってたろう。 手を伸ばして剣の柄を握って、持ち上げようとして……でも、片手じゃあ無理だった。すごく重たい。 両手で剣を掲げる。 刀身は、ぶるぶる震えていた。 すごく重たいせいだ。あと、さっきから身体中ががくがく震えてるせいだ。 「う、うう……やー!」 エッジを振り被って、銃を持ってるトラジマのおじさんに切りかかった。 でも案の定、あっさり弾かれて、お腹を蹴り飛ばされてしまった。 ろくに訓練も受けてない剣じゃ、やっぱりおじさんにはぜんぜん歯が立たなくて、おれはひどく咳込んだ。 痛い。苦しい。吐きそうだ。身体の感覚がぐるぐるしていて、寝ているのか起きてるのかもわからない。 おれはレンジャーになったのに、悪い人と戦ってもぜんぜん勝てなかった。 格好良いことができなかった。ぜんぜん兄ちゃんみたいじゃない。 トラジマのおじさんは、倒れてるおれの背中を踏み付けにして、銃の先っぽをごつんとおれの頭に当てた。 その感触は硬くて、冷たかった。 今からおれを殺す感触だ。 おれは今更ながら、泣きそうになってきた。 兄ちゃんにごめんねって言えば良かった。 謝ればよかった。 良い子でいればよかった。 おれはこんなところで、兄ちゃんにまだごめんなさいも言えないままで死にたくない! 「オママゴトは終わりだ、小娘が!」 おじさんの銃が、がきんって音を立てた。 そして―――― 部屋の壁が、外からすごい音を立てて破られた。 おれは、ぱっと顔を上げた……もしかしたら、もしかしたら、おれのことを助けに、 「に、兄ちゃ……」 兄ちゃんが来てくれたのかもしれないと思った。 でも、おれの前には兄ちゃんはどこにもいなくて、かわりに大きなディクが……三つ首で、真っ黒な身体をして、真っ赤な変な模様が入ってるディクがいた。 ディクはおれたちを見ると、すごく怒ってるみたいな真っ赤な目をして、ぐおお!って吼えた。 「ケ、ケルベロス……」 おじさんたちが、呆然としてる。 ディクのみっつの首の口の中に、ぽっと赤い火が灯ったのが見えた。 それを見たおじさんたちは、すごく慌てたみたいだった。 「馬鹿……やめろ! こんなところでパドラームなんか使うんじゃねえ!」 「おい、殺せ! 放つ前にだ!!」 おじさんたちが、ディクに向かっていこうと動いた。 でもディクのほうが早かった。 ディクの口の前の何にもない空間に、ぼうっと赤い球体が現れた。 そのまんまえに、エリーナとメアリがいた。 二人共、何が起こってるのかわからないって顔をして、手を繋ぎ合っていた。 おれは渾身の力で床を蹴った。駆けて、ふたりの前に、両手をばっと大きく広げたまま飛び出した。 二人共メイジなんだ。 おれはバトラーだ。 メイジはバトラーが守ってあげなきゃならない。 次の瞬間目の前が真っ赤になって、なんにも見えなくなった。 おれの初めてのともだちのエリーナとメアリも、「ユーカイ」の怖いおじさんたちも、ぼろぼろの廃屋敷も、なんにも。 ◆◇◆ 激しい炸裂音、それから火の手が上がり、暗闇をぱあっと明るく染めた。 はっとして、ボッシュは反射的に、その少し離れた区画にある、高い窓があった場所を見上げた。 火の手が上がって、朽ちた壁を呑み込み尽くそうとしていた。 「リュウ――――ッ!!」 ボッシュは叫んだ。 ディクに襲われたのかもしれない。誘拐犯どもが自決したのかもしれない。ただどちらにしたって、リュウの身が危険に晒されていることに違いはなかった。 「リュウっ……リュウ、兄さまああっ!!」 駆けだしかけたところで、後ろから腕を掴まれ、強く引っ張られた。 振り返ると、リンだ。険しい顔をしている。 「何をするんだ……」 言い掛けて、ボッシュははっとなった。 今しがた駆け出しかけた先に、天井の岩盤が降ってきて、大きな音を立てて道を塞いだのだ。 朽ちて水に浸蝕され、崩れ掛けていた区画が、さっきの爆発で限界を迎えたのだ。 「気を付けな! レンジャー隊、オリジンを頼む!」 リンはボッシュを押し退けると、抜き身の銃を手に駆け出した。崩れ掛けた建物へと。 「ま、待てっ! 俺が行く! 俺があの人を助けるんだ!!」 レンジャーが数人がかりで引き止めるのを振り飛ばして、ボッシュはリンを追った。 (兄さま……) 頭に浮かぶのは、リュウのことだけだ。 笑った顔。泣きながら「兄ちゃんなんかキライだ」というあの顔。 そして昔、彼がボッシュに言い聞かせてくれた言葉。ほんとに悪いことした時に謝って。 俺はあんたに謝らなきゃならないとボッシュは考えた。 そしてリュウに、声なく叫んだ。 (もう俺を置いて死んじまうなんてことは二度とやめて下さい、兄さま……!!) あの悪夢は、もう二度と巡ってきてはならないのだ。 |