俺は後悔してばっかりだ、とボッシュは考える。
 今や世界を手に入れた。
 オリジンを継いで空を統べている。
 地位と名誉と竜の力。世界の王。継承した剣聖の称号。
 それらは、長い間ボッシュが欲していたすべてだった。
 おそらく父ヴェクサシオンが生きていたなら、あの人はやっとボッシュに頷いてくれたろう。
 もう何も得る必要はない。
 もしかしたら誇りに思ってくれたかもしれない。
 だがもう父はいない。死んでしまった。
 俺は強くなりたかったんだ、とボッシュは思った。
 強くなって守ってやらなければならないひとがいたのだ。
 だがひょいっと転がり込んできたドラゴンの力は、庇護するべき兄を殺してしまった。
 使い道がなくなってしまった。
 何もかもを持て余していた。
 俺はなんで生きてるんだろう、とボッシュは考えた。
 何故生き残ったんだろう。
 リュウが目を閉じて動かなくなったあの時に、ボッシュも止まってしまえれば良かったのだ。
 だがそうはならなかった。
 竜は変わらずボッシュの中に息づいている。
 その存在は、何かしら居心地の悪いものをボッシュに与えた。
 四六時中、じいっと何か奇妙な怪物に観察されているような、そんな。

 
 あの時石を投げなければよかった。
 それがそもそものはじまりだった。
 あのあと、ちゃんと謝ればよかった。
 「ぼくのにいさまはリュウにいさましかいない」と言えばよかった。
 部屋にまで押しかけてって謝ればよかった。
 許してもらえるまでずうっと泣き続けて。
 そうすれば優しいリュウはきっと許してくれたろう。
 「ローディ」なんて呼ばなきゃよかった。
 ひどいことを言わなきゃよかった。
 なんであの人を忘れたりしたんだろう。
 竜になんて引き合わせなきゃよかった。
 守ってあげられればよかった。


 あのひとを、殺してしまわなければ、よかった。


 リュウがいなくなった今となっては、どれも後悔ばかりだ。
 どうにもならないものばかりだ。
 時折夢に見ることがある。
 リュウは目を閉じて微笑んでいる。
 ボッシュの手に、少し冷たいその手で触れ、繋いでくれている。
 何も言わずに隣にいる。
 俺はあんたみたいに生きたかったとボッシュは考えた。
 後悔なんか考えもつかないような、まっすぐな目をしていた。
 後戻りするなんてことも、彼にはなかった……あれでわりと直情型なのだった。
 頑固で、そうと決めたら聞かない。
 怖れもない。
 彼が怖がっていたのはひとつきりだ。
 愛する弟のボッシュに、ほかの人間たちと同じようにローディと呼ばれ疎んじられること。
 見向きもされないこと。
 見下されること。
 笑い掛けてももらえず、蔑まれること。
 記憶の中から、ふたりで過ごしたやさしい思い出すら弾き出されること。
 思えば、ボッシュはずうっとリュウを恐怖させていたのだ。
 今となってはどうにもならないことだ。
 後悔すら届きやしない。


◇◆◇


 あの日、リュウは死んでしまった。
 もうどこにもいなくなってしまった。
 ボッシュは途方に暮れていた。
 開いた空の下にあるのはただ、魂が過ぎ去ったあとの抜け殻だけだった。
 だがリュウは、それすら美しかった。
 日のひかりに輝き、透ける青い髪。
 それはボッシュが見たどの青よりも――――1000年人々が夢見た空よりもずっと綺麗だった。
 墓は造らなかった。
 誰にも、思い出してすらもらえない墓標の前で、リュウがいつか言った言葉が、ずうっと耳に残っている。
 ――――おれのお墓も、こんな、なるかなあ?
 いつも微笑んでいるくせに、リュウはあれで寂しがりだ。
 冷たい石の下で、ひとりきりで眠らせることなんてできやしない。

 
 死体でもよかった。
 ただリュウのかたちをしたものをとどめておきたかったのだ。
 夜になれば同じベッドで眠ったし、ずうっといっしょだった。
 もしかしたらにいさまは眠っているだけで、いつかまた目を覚ましてくれないかな、とボッシュは淡い期待を抱いていた。
 リュウはほんとうに、ただ眠っているだけのように見えた。
 薄く瞼が閉じられているだけ、今にもぱっちりと目を開いて、微笑んでこう言ってくれそうだった。
 うれしい、ずうっといっしょにいてくれたんだね。だいすき、ボッシュ。
 だけど、いつになってもリュウは起き出さなかった。
 永遠の眠りの中にいた。
 やがてあのふわっとした柔らかなリュウの匂いが、変質しはじめた。
 それは、言うなら、例の――――バイオ公社の匂いだった。培養水槽にたっぷりと満たされた薬液の。
 リュウが朽ちていく。


 身体さえ、消えてしまう。


 それだけは、耐えられなかった。
 まだ寝顔は美しく、可愛かった。
 身体の防腐処理は完璧だった。
 あのむくんで嫌な臭いを放つ死体どもとは違う。
 だがいつしか、その遺体の四肢の先端が黒ずみはじめた。
 あの剣に触ったこともない、ほっそりした綺麗な指が、少しずつかたちを変えていく。
 甘い薬の匂いがリュウに浸蝕していった。
 くすぐったくなる柔らかい匂いは、もうほとんどしなかった。
 顔の血の気もなくなって、蝋でできた人形のようだった。
 それはもうリュウではなかった。


 彼をこの世界にとどめておけるのなら、方法はなんだって構わなかった。
 そんな時ばかりは、身分と肩書きが少しばかり役に立った。
 リュウを呼び戻すために。
 

 今目を覚ましてくれたらな、と考えたことを、ボッシュは覚えている。
 何度も何度もそう願った。
 だがリュウは、もう死んでいた。
 目を覚まして笑い掛けてくれる幻想もない。





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