中央区セントラルの会議室で、ボッシュは円卓に突っ伏してぼーっとしていた。
 頭の下じきになっている書類は書き掛けのままだ。確か、これは今日の午前中に終わらせなきゃならないんだったか。
 集合した統治者たちは、生きた屍みたいになっているボッシュを居心地悪そうに遠巻きに眺めている。
「どうしたんですか、あれ」
 クピトが、隣のジェズイットにこそこそと話し掛けた。
 ジェズイットは肩を竦めて両手を上げ、「お手上げだ」という仕草をした。
「リュウが朝帰りなんだと」
「ああ、なるほどな」
 その隣のメベトが――――今朝方地下から上がってきたばかりだ。やっと理解が追い付いた、という顔をしている――――頷いた。
「それでああなんだな。どうりで、息子に大怪我をさせた時のヴェクサシオンのようだと思った」
 ジェズイットは椅子の前足を浮かせて、行儀の悪い体重の掛け方をしながら、更に、と続けた。
「しかも、相手の男にちょっかいかけて、リュウに「キライ」って言われたらしい」
「あーあ、もうダメだね、オリジン。立ち直れないかも」
 メベトの横で退屈そうにバムバルディをいじっていたリンが、呆れたみたいに言った。
 そのリンの袖をきゅきゅっと引っ張って、ニーナがボッシュと似たような呆け顔で、どうしようか、と力なく呟いた。
「ボッシュはどうでもいいけど、リュウが帰ってこないよ……どうしよ、家出とかしちゃったのかな……今頃おなかすいて泣いてないかな」
「レンジャー基地で仕事してるみたいだよ。食事の配給はあるから、大丈夫だろう。さっきこっそり、オリジンがナラカとリケドに様子を見に行かせてたんだ」
 リンが「ねえ」と言うふうにボッシュを見て、言った。
 ボッシュは答えず、ただ突っ伏したままでいた。
 もう息をするのもめんどくさい。
 ニーナがちょっと上擦った声で、焦りながらリンに訊いている。
「で、どうだった? リュウ泣いてなかった?」
「あっちもおんなじ感じみたいだよ。泣き疲れてメディカルルームで寝てるそうだ。
これはオリジンには内緒だけど、リュウ、午後からは初任務に出るみたい。地下に降りるって――――
 リンが言い終わらないうちに、ボッシュは椅子を蹴ってがたんと勢い良く立ち上がった。
 地下だなんて冗談じゃない。
 ディクとローディと犯罪者の巣窟だ。
 あんなところ、リュウには危険過ぎる。
 だが、統治者たちの視線にはっとなって、ボッシュは椅子を引いて、静かに席についた。
「聞こえちまったかな?」
「大丈夫だろう、「リュウ」って単語に反応しただけだよ、きっと」
 ジェズイットとリンが好きなことを言っている。
 内緒話のつもりらしいが、声が大き過ぎる。丸聞こえだ。
 その隣で、ふう、と小さな溜息が零れた。
「……夕方になったら、レンジャーのお仕事終わったら、わたしリュウ迎えにいってくる」
 ニーナが俯いたまま、ぽそぽそと言った。
「リュウ、いないのはいやだよ。リュウもたぶん、ボッシュと喧嘩しちゃって、すごく落ち込んでるんじゃないかな……」
「しかし、この兄弟が喧嘩なんて、初めて聞いたよ。これは今日はツララが降るねえ」
「それがさあ姐さん、リュウの相手の男ってのがまたオリジン似でさあ、あっちも相当ブラコンだと思うんだけどなあ」
「しっ、黙ってな。あんたそろそろやめといてやらないと、オリジン聞いたら泣くよ、こいつ。リュウのことになると、ほんとにダメな男なんだから」
「確かに、オリジン苛められるネタってリュウしかないもんな」
 ボッシュは虚ろな気分で、だが怒りだけは感じて、肩を震わせた。
「……全部聞こえてるんだけど」
「だろうと思ってました」
 なんだか哀れみを込めて、クピトが頷いた。
 それとおんなじような顔に呆れを加えた表情で、リンが頬杖をついて、ほんとにしょうがないねあんたは、と言った。
「帰ってきたら、謝っときなよ。大丈夫、リュウの心は空より広いから、許してくれるよきっと」
「そうそう、「ぜったい、だめ! 兄ちゃんなんかだいっキライ!」なんて言われやしねーって、たぶん」
 ジェズイットが、リュウの口真似だけでなく、声まで器用に真似て言った。
 ボッシュは黙ったまま、再び机に突っ伏して、枕にした腕に顔を埋めた。
「……あー……あーあ、あーららー……泣いちゃったんじゃあないかい? ちょっとジェズイット、あんたのリュウの物真似のせいだよ」
「いや、俺だけのせいじゃねーだろ! 共同責任だよ。リンだってダメ男とか言ってたじゃねーか」
「それにしてもこいつ、取り柄と言えば顔だけだね、ほんとに。もうちょっと一人立ちできたほうが、リュウも安心するんじゃないかって思うけど」
「リュウから一人立ちしてるボッシュなんて、そんなのボッシュじゃないよ……」
「うまいこと言うね、二ーナ」
 何というか、もう怒る気力も沸いてこない。
 好き勝手なことを言われながらも、頭の中はリュウのことばかりだ。
 これだから外になんて出したくなかったのだ。
 なんで俺のほかの人間なんか見るんですか兄さまだとか、俺たちはたったふたりっきりの兄弟なんじゃないんですか、とか――――
 そういえばリュウは、おれたちはほんとの兄弟じゃないんだと泣きながら言っていた。
 おれは「兄さま」のかわりなんだと言った。
(……なんでそんなこと言うんだよ)
 リュウは、ボッシュが自分を見ていないなんてことが、ほんとにありえるなんて思っているのだろうか?
 「かわり」なんてものであるはずないということも。
 リュウが帰ってきたらこう言おう、とボッシュは思った。
 俺たちは二人っきりの兄弟だ。
 血の繋がりなんかなくたって関係ない。
 あんたと一緒にいられれば、俺ほんとは世界なんていらなかったんだ、と。
「リュウ、お仕事で怪我しないかなあ……」
 ニーナが待ち遠しげに時計を見ながら、足をふらふらさせている。
 そんなのどうでもいいから今すぐ迎えに行けよ、とボッシュは思った。
 レンジャーの任務終了時刻まで、あと4時間。
 まだまだ長かった。


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