天井が崩れて、かつての思い出の城は、今や地底湖にかろうじて浮かぶ土くれの山になってしまった。
 水かさが増した湖は、まだ水面をざわざわと波打たせている。今もどこかで、土の山から落下した岩が、水の中に落下する音が聞こえた。
 ニーナが少女をひとり連れてきた。
 情報によると、誘拐されたレンジャーは三名。全員女だ。
 D値照合から、ニーナに連れられてよたよたやってきた金髪の少女は、メディカルセンター院長の娘のエリーナだと判明した。
 あとの二名は依然行方不明だという。
「その娘は?」
「はい、まだ落ち付かず、ニーナ様が看ています」
「聞きたいことがある。どこにいる」
 そばにいたレンジャーをつかまえて、抑揚のない声で告げると、彼はなんだかまずったとでも言うような苦い顔をした。
「いえ……その、しかし、もう少し、回復してからのほうが……今はかなりのショック状態にあり、その」
「ニーナが良くてなんで俺が駄目なんだ。会わせろ」
 レンジャーは、どうやら説得を諦めたようだった。
 そして埋没した区画から少し離れた場所に設営した、簡易救護施設を指してあちらです、と言った。
 急ごしらえのテントのような代物だった。
 急ぎ足で中へ入る。だが怪我人の中、見回してみてもリュウの姿は見えない。
 どこにも、いなかった。
 奥まった場所に、その少女はいた。簡易ベッドに、上半身を起こして、ぼんやりしている。
 金髪で、まだ幼いと言っても良い。リュウと同じ年齢くらいに見えた。レンジャーの同期だというから、そんなものだろう。
 隣には、さっき無理矢理くっついてきた少年レンジャーが、頭に包帯を巻いて、居心地悪そうに目線をうろうろさせている。
 そのエリーナというらしい少女の向かい正面には、ニーナがいた。
 向き合っている二人共が、まったくのおんなじ表情で――――つまり呆けて焦点の合っていない顔でいるものだから、ボッシュは一瞬、そこに鏡かなにかが置かれてあるのかと思った。
 ボッシュが近付くと、二人はまったく同時にくるっとボッシュを見上げた。
 その片方――――救助されたセンター長の娘のほう――――が口を開いた。
「リュウが、死んじゃった」
 ボッシュには、彼女が何を言っているのかわからなかった。


◆◇◆


 おなかと顔の半分が潰れちゃってたの、と少女が抑揚のない声で言った。
 だが、状況の説明は的確で、正確なものだった。
 落っこちてきた岩の下敷きになっちゃったの、と彼女は言った。
「……私と、メアリを庇ったんです。メアリは生きてたけど、リュウといっしょに、沈んでって……」
 そこから先を、少女は繋げることができないようだった。
 だが、泣きもしなかった。
 ぜんまいが切れたようになったのだ。
「それは、どの辺りですか?」
 センターから派遣されたドクターが、エリーナに質問して、手もとのレポートに詳しく書き込んでいく。
 彼にはどうやら時間が気になるようだった。
 しきりに時計を見ている。
「……私が、助けてもらったところ。すぐ、下」
 エリーナは事務的に答えた。彼女はまだ処理が追い付いていないのだ。
 ドクターは頷き、ぎりぎりと言ったところですな、と言った。
「まだ腐食までには時間があります……が、水棲ディクに食い漁られないという保証もない。オリジン、コードNの使用許可を」
 ドクターはひととおり白い紙を埋め終えると、ボッシュに何か言った。
 ボッシュは、うまく理解できなかった。
 返事ができないままでいた。
 ドクターはそれをどうやら思考の沈黙と取ったようだった。
 なるだけ早くお願いします、と言った。
「リュウ様の肉片さえ回収することができれば、再構成が可能ですよ。なに、一度目と同じです。少し時間は、確かに、前よりも掛かってしまうかもしれませんが……」
 そこにいた者たち――――ニーナが、エリーナが、ドクターが――――ジョーはまだ居心地悪そうな顔のままで睨んできている――――彼らが、一斉にボッシュを見た。
 リンだけがふいっと顔を逸らしていた。
「我らの技術をご信用下さい、オリジン。今度はもっと上手くやりますよ。従順で、前のものよりも貴方様のお気に召すよう、リュウ様を作り上げて見せます」
「兄さまは……ほんとに、死んだのか?」
 ボッシュは静かに呟いた。
 誰に聞くと言う訳でもない、ただ自分への問い掛けだ。
 だがエリーナはそれを受けて頷き、死んでいました、と言った。
 息もしてなくて、心臓も止まっちゃってました、と。
「オリジン、コードNならば、水の中でうまく探査をできるものもいます。リュウ様をすぐに引き上げることが可能ですよ。
なに、お時間をいただくと言っても、半年は取らせません」
 ドクターの声が、どこか遠いところから聞こえるようだ。
 また、リュウを造るのか?
 あの時と同じように?


◆◇◆


「……ただいま、兄さま」
 レンジャー基地から帰還して、ボッシュは自室で、ベッドで眠っているリュウに呼び掛けた。
 返事は帰ってこなかったが、彼の額と頬にキスをして、もう一度言った。
「ただいま」
 返事は、やはり帰ってこなかった。
 リュウは死んでいるのだ。
 ボッシュは苦笑して、リュウの青い髪に触った。
「今日はセカンドへの昇進指令が降りてきたよ。どう、俺格好良いだろ。あんたレンジャー大好きだもんな」
 リュウは答えず、目を閉じて、ただ安らかに微笑んでいた。
 まるでボッシュに頷いて、よかったねえと言っているみたいな表情だった。
「あんたも喜んでくれてる?」
 ボッシュはリュウの頬に触れた。
 もうぬくもりも冷たさもなかった。
 触りごこちは、蝋でできた人形のようだった。
 毎回施される防腐加工で、どんどんヒトの感触が失われていくのだ。
 だけど、まだ彼には昔の柔らかな――――子供の頃から愛していたリュウの匂いがあった。
 それは、いつかまた彼が目を覚まして笑い掛けてくれやしないだろうか、とボッシュに期待を抱かせるのに十分なものだった。
「……兄さま」
 眠ったように死んでいるリュウの身体を、ベッドに沈んで、ぎゅうっと抱き締めた。
 甘えるようにじゃれたって、リュウは目を瞑ったままだった。
 目を開けて、もうほんとボッシュは甘えんぼうだ、と笑うこともない。
「兄さま」
 唇に、口付ける。
 でもその感触は、以前あった柔らかさがどこにもなくなってしまっていた。
 良くできた彫刻を、こっそり舐めてみたくらいの、硬く、無機質な感触だった。
「……おかえりって、言ってくれないんですか、兄さま」
 まだリュウの匂いは、その身体に残っていた。
 だが、どんどん薄らいでいく。
 かわりに甘ったるい防腐剤の臭いが鼻につくようになる。
 そうなってやっと、ボッシュには理解が追い付いた。
 ああ、リュウ兄さまは、もうほんとに死んじゃったんだと。
 世界のどこにもいないのだと。
 

 彼がいない世界など耐えられなかった。
 空なんてどうだって良かった。
 もう一度彼が笑ってくれるなら、ボッシュは何だってするだろう。






 理解できませんが、とドクターは言った。
 ボッシュはそっけなく返した。
「わからなくていい。オマエらがやることは、この人をもう一度、この空に生まれさせることだ」
「しかしオリジン、それは貴方様と敵対したドラゴンのはずですが……」
「意見なんて求めてない。さあさっさと仕事に掛かれよ」
 ボッシュは肩を竦めて命令した。
 薬液が満たされていく水槽。リュウの身体が薬液に浸される。
 水の中で兄さま呼吸はできるんだろうか、などと考えて、ボッシュは馬鹿げたことだと思い直した。
 リュウはもう死んでいるのだ。
「なるだけ早くやれ。失敗は許されない。部分のパーツもなにもかも、入れ替えは不可だ。まったく同じもので、同じ性質で……」
「記憶は再生不可能ですよ、オリジン」
 ドクターはこともなげに言った。
「それに、イチから造り直したほうが良いです。パーツを組んで、少しずつ……。これには、まだリンクを保持している可能性がありますからな」
「なんでもいい、さっさとやれよ」
 ボッシュは水槽のリュウを見上げた。
 彼は穏やかな顔はしていたが、その身体は傷だらけだった。
 もう一度あの人に会えたら、とボッシュは考えた。
 ずうっと綺麗な身体のままでいさせてやる。誰にも傷なんか付けさせやしない。
 ふと思い付いて、ボッシュはドクターに訊いた。
「なあ、なんか注文とかは訊き入れてくれんの?」


◆◇◆


 気がついたらその男を蹴り飛ばしていた。
 何かがひしゃげる鈍い音がしたと思ったら、ベッドの足が折れている。
 その下に、ドクターがぐったり倒れていた。
「……あの人を、組替え人形みたいに言うんじゃねえよ」
 ボッシュはきびすを返した。背中越しに、ドクターに向かって、吐き捨てた。
「ネガティブなんかどうでもいい。リュウは俺が助ける。死んだなんて信じない。あれは俺の大事な兄さまで妹だ。得体の知れないブースト野郎が触って良いものじゃあない。俺がリュウを探す」
「し、しかし! あの区画はまだ崩落の危険があります!」
「だから何だっての」
 ボッシュは簡易ドアを蹴り開けた。
「俺は一度、兄さまを殺した。もっかい生まれた妹くらい守れないで、何が適格者だ。あの人がまた死んだなんて、俺は信じない」
「……センターに、再構成装置の準備を手配しておきます。オリジン、もし……」
「ソレ、多分使わねえよ。ディクでも飼ってれば」
 ボッシュはこともなげに告げてやった。
「リュウがもう一度死んだら、俺は世界を壊してやる。あの人のいない世界なんていらない。空を閉じて、地下を焼き尽くしてやる。覚えておけ」
「ボッシュならそうすると思った」
 鈴みたいな音色の声が、肯定の頷きと一緒に、ボッシュに降ってきた。
 ニーナだ。
 彼女はパダムの火が灯ったウィザードワンドを携えて、とことことボッシュの後をついてきた。
「明かり、いるでしょ……照らしてあげる」
「……勝手にすれば」
「わたしも、そう思うの」
 ニーナは静かに頷いて、言った。
「リュウのいない世界なんていらないよ」


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