ぽとん、と小さな水滴が鼻の頭に落っこちてきて、それでメアリは目を覚ました。 「……?」 目を覚ました、はずだ。 ただ周りが真っ暗だ。目を開いてるのか閉じてるのかも知れない。 なにせ、一筋の光もないのだ。本物の暗闇だ。 とりあえず身体の感覚はあったので、腕を上と思われる方向へ伸ばしてみた。 天井が肘を地面についたまま腕を折って、ちょうど手のひらにくっつくところにあった。 あんまりにも低過ぎた。 レンジャー基地で見せてもらった相部屋の二段ベッド(メアリの家はレンジャー基地と同じ空にあったので、部屋を与えられる必要はなかった)よりもひどい。 まるで棺桶に入れられて、蓋をしっかり閉められてしまったようだ。 そこで曖昧だった意識が、急激に覚醒した。 もし死んだのだと間違えられて、埋葬なんてされていたら大変だ。 メアリはまだ生きている。土の中なんかに埋められたらもう声は届かないし、誰も助けてくれやしない。 慌てて起き上がろうとして、ごつっと頭を天井にぶつけた――――天井は岩でできていて、冷たくて硬かった。ひやっとしている。 どうしようもないので、じたばたもがいてみると、上半身は狭苦しい岩の隙間にぎりぎり挟まるみたいにして身動きが取れなかったが、膝から下の足元のほうはそうでもなかった。 空気の流れを感じる。少しばかり広い空間があるようだった。 だが、脛のあたりまで冷たい水に浸かっている。 メアリはどうしてこういうことになっているのだか、まったく理解できなかった。 エリーナとリュウと一緒に誘拐されて知らないところに連れて来られて、逃げ出したらまた捕まりそうになって、どうしようどうしようと思っていたらディクが襲ってきたのだ。 三つ首で黒い色をしたディクだった。 誘拐犯たちはそれをケルベロスと呼んでいたが、メアリはあんな生き物見たことがなかった。 それでわけがわからないうちに、エリーナと一緒にリュウに突き飛ばされて――――そこから記憶がない。 何がどうなったんだろう? 二人共まだ近くにいるんだろうか? もしかすると、間違ってどこかに埋まってしまったんじゃあないだろうか? 「リュ、リュウ……エリーナ」 こそっと小声で呼んでみたが、声は気持ち悪く耳の中でぼわっと反響するだけだった。 返事はなかった。 暗闇の密閉された空間で、そうして埋葬された死体みたいになっていることに、とうとうメアリは耐えられなくなって、泣き出してしまった。 少しばかり自由のきく手で顔を覆った。 さっきからじわじわと少しずつ、背中のまんなかあたりから、水が沸いてきている。 こんなに狭い空間なので、浸水されてしまうまで、そう時間はかからないだろう。 「お、お父さん、お母さん、リュウ……」 今頃きっとすごく心配してるだろう。 リュウはどうしただろうか。 一緒に埋まっているんだろうか? 初めてレンジャー基地で顔を見た時に、なんてかわいい男の子なんだろうと思った。 男の子なんて、みんなが騒々しくて乱暴な遊びしかしないんだと思い込んでいたメアリにとって、それは衝撃だった。 ノーディだったことには驚いたけど、空のオリジンさまはD値は絶対じゃないって言ってるし、メアリもそんなことはどうだって良かった。 そんなものをまだ引き摺って気にしてるのは、大人のおじさんやおばさんばかりだ。古い考えだ、とメアリは思っていた。たぶん、同じ年頃の子供たちは、ほんとはみんなそう思っていると思う。 ノーディ、ローディって先輩レンジャーと一緒になって囃し立てて、ただかっこつけたいだけなのだ。 リュウは見た目と同じく、いや、見た目以上にもっと良い子だった。 優しいし、無邪気だ。守ってあげたくなってしまう。 そんな男の子は、今まで空で見たことがなかった。 内緒だけど、リュウがあんまり可愛いから、こっそり図書館から本を借りてきて――――恋のおまじない、っていう本だ――――書かれてあったとおりに、ピンク色のペンで書いた手紙を、白いハンカチで一輪の黄色い花と一緒に包んで、デスクの引き出しに大事に仕舞ってある。 三日経ったらリュウに渡そうって決めていた。そういう決まりなのだ。 でもやっぱり「あなたのことが好きみたいなんです。私のお友達になってください」っていうのは、積極性に欠けただろうか? 勇気を出して、付き合ってください、くらい書くべきだったかもしれない。 だけど、メアリはさっき失恋してしまったのだ。 リュウはメアリとおんなじ女の子だった。 私が今ここで死んだら、あの手紙お父さんとお母さんも読むのかな、とメアリはぼんやりおもった。 恥ずかしかった。 (……ほんとに死んじゃうのかな) 水はもう肩まで浸っていた。 どこから漏れてくるんだろう。 もしかして、とメアリは思った。すごく怖い考えだった。 (もしかしてここ、岩の向こうは水の中なんじゃないかしら?) すごく息がしにくいのだ。 このままひとりぼっちで死ぬんだと思うと、恐ろしさが込み上げてきた。 誰でもいいから助けてほしかった。 メアリは弱々しく、ぼそぼそと呟いた。 「……リュ、リュウー……」 当たり前だけれど、リュウの返事は―――― なかった。 だけど、頭の横からすごい音を立てて、岩を砕いて腕が生えてきた。 真っ赤な腕だ。 それは燃えていたが、ぜんぜん熱くなかった。 どう見ても人間の手には見えなかった。 ディクがやってきたのだ、とメアリは理解した。 小さく悲鳴を上げたけど、逃げられるわけもなかった。 その腕が現れた岩の亀裂が、どんどん広がっていく。 |