なんだかなあ、とリュウは思う。
 なんとなく、居心地が悪い。気分はすごく良いと思う。なにか悪いことがあるわけじゃあない。
 ならなんでこんなにちょっと後ろめたい、胸の奥がもやもやしてるみたいな、そんな感じになっているのかと言えば、これだった。
「座ってなよ、兄さま。ちょっと寝てたほうがいいかもしれない」
 ボッシュがやってきて、ぼーっとソファに座っていたリュウをひょいっと軽く抱えて、どさっとベッドに降ろした。
 リュウは顔を上げて、あのねボッシュ、と言った。
「あのね、朝ご飯まだでしょ? おれ、作ったげる。ボッシュに食べてもらいたいな……」
 ボッシュはにべもなく、だめ、と言った。ちょっと残念そうな顔をしていたけど、目を瞑って、聞き分けの悪い子に言い聞かせるみたいな口調でリュウに言った。
「あんたの飯はそりゃあ食いたい。けど、危ないだろ。火とか包丁とかに触っちゃあさ」
 そーいうのは今日はあのディク女に任しておきなよ、とボッシュは言って、ちょっとぎこちなく、リュウの身体をベッドシーツの上に寝かせた。
 なんだかすぐに壊れてしまいそうなものを、たとえばガラス細工を壊さないように触るだとか、値打ちのある美術品を触る時、もしくはなみなみ零れそうなくらいに水が入ったグラスをそおっと運ぶ時みたいな扱い方だった。
 それで、今まで誰かにそんな扱いをされた憶えのなかったリュウは――――確かにボッシュは妹のリュウには過保護だったけれど、ここまでやり過ぎることはなかった――――なんとなく居心地が悪くなってしまったというわけだ。
 すぐ近くで、ボッシュの匂いがした。香水の、ちょっととんがっているけど、良い匂いだ。
 それでリュウはつい、そんなふうな居心地悪さも忘れて、ぽーっとなってしまった。
「……兄さま。俺さ、ずうっとあんたとこうしたかった」
 ボッシュはそう呟いて、リュウの着たきりだったレンジャージャケットを捲って――――そこで、リュウははっとなって、慌ててじたばたした。
「ちょ、ちょ、ちょっと待って!」
 リュウが制止をかけると、ボッシュは困ったみたいな顔をした。
 ボッシュにそういう顔をさせるのは嫌だったし、リュウだって何だって言うことを聞いてあげたかった。
 なにせ、愛すべき可愛い弟で、尊敬する兄だった――――この辺の矛盾はどうだって良い。とりあえず、兄弟なのだ。
 ボッシュはリュウの額にぴったり手を当てて、表情に、他の人にはわからないくらいの変化をつけた。
 ちょっと途方に暮れちゃった、という顔だ。
「……兄さま? 嫌なのか?」
「ち、ち、ちがう! ていうか、そーじゃなくて! おれっ、えっとまだ朝だし、まだ帰ってきてお風呂入ってないし、それにこっ、心の準備とか」
「そんなのいらないよ、兄さま」
 ボッシュはちょっとほっとしたように笑って、今あんたが欲しいんだよ、と言った。
 リュウは慌ててしまった。
 そーいう、たぶん、なんだかえっちなことって言うのは、みんなが寝静まった夜にすることだとリュウは思った。
 第一さっきまで瓦礫に埋れていて、帰ってくるなりメディカルセンター送りだ。
 入浴する暇もなく、ばたばたしていたのだ。
 埃と泥と血だらけの身体なんてボッシュに触らせたくなかった。部屋、特にベッドだって、これ以上汚すわけにはいかない。まずはお風呂に入りたい。
 それに、もうすぐ仕事の時間だ――――誰かがオリジンのボッシュを呼びにくるかもしれない。
 こんなところ見られたら、リュウは恥ずかしくて死んでしまう。
「ボ、ボッシュー! め、めっ! めー! だめ、そんな……急にっ」
 足をばたばたさせてリュウは抵抗したが、体格がぜんぜん違うので、それはほとんど気休めにもならなかった。
 ああこの子、おれの弟はいつのまにかこんなに大きくなっちゃって、と変な感慨が浮かんできたが、そんな場合じゃあない。
 がちゃっ、と音がして、ベルトが外されてしまった。
 レンジャーの標準装備の、赤のラインがくっきり一本入った青いパンツスーツのお腹のところから手を突っ込まれて、下腹部を撫でられた。
 ボッシュの手はあったかかった。
「い、いや……だ、だめっ、ぼしゅ……! まっ、まだ、こんな、明るいの、に!」
「そんなこと言ってるけど、兄さま、心臓の音、すごいよ」
 ボッシュにそんなことを言われて、リュウは真っ赤になってしまった。
 それは、その通りだった。
 ボッシュがこんな間近にいる。リュウは真っ赤になってしまって、どきどきしていた。
 近くで見ると、ボッシュは本当に美人だった――――男に美人って言うのも変な話だが、その通りなんだから仕方がない。
 反対に、リュウはと言えば……仕事の準備をきちっと済ませてしまったボッシュとは違って、ぼろぼろの格好をして、煤で汚れている。
 身体は小さく、綺麗な金髪もなく、髪は変な色だと囃したてられる青い色で、顔だってあんまり自慢できるもんじゃない。
 ボッシュはかわいいと言ってくれるけど、リュウはどうしてもその通りだとは思えなかった。
「ぼ、ぼしゅ……おれっ、きたないよ……せ、せめて、ね? シャワー、浴びたいなあ……血のにおいもするし」
「あんたの匂いなら、俺はなんだって好きだよ」
 そしてボッシュは、ホルマリンの匂い以外だけどと言って、リュウの髪に顔を埋めた。
「好きだよ、兄さま」
 そして、ボッシュが、リュウの尻に触っている手を、指を、つっと動かして――――


「あっ、ごめん、ボッシュ」
 銀色の鍋の中になみなみ入っていた、琥珀色の良い匂いのする液体が、ボッシュの頭にざばっと掛かった。
 いつもニーナが作ってくれる、ぺコロスのスープだ。
 リュウはそれが大好きだったが、熱い湯気を立てているスープに直撃されたボッシュはそれどころじゃあないみたいだった。
「うわああああッ!!」
 ボッシュはじたばたして、しばらく苦しんでいたけど、やがてばっと顔を上げて、ものすごい顔で怒鳴った。
「ニーナアアア!! オマッ、オマエ、今この俺に何をしやがった!!」
「ごめんね、あのね、わざとじゃあないよ。ごはんできたから、いっしょに食べようって呼びにきて……そしたらボッシュがリュウを食べちゃおうとしてたから、びっくりして手が滑ったの」
「ものすごい故意と悪意があっただろうが?!」
「ないない、ほんとよ。わざとじゃないない」
 ニーナは首を傾げて、さ、ごはんにしようかリュウ、と言った。
「疲れちゃってるもんね……だいじょぶ? どこか痛いとこない?」
「平然とスルーするんじゃねえよ!」
「あ、ボッシュも食べる? お鍋にまだ半分残ってるし」
「いらねえよ……」
 ボッシュはのろのろと起き上がって、ベッドのはじっこに座って、すごく不機嫌な顔をした。
 リュウはどうしようと思ったが、ニーナにとってはよくある出来事のひとつらしく、彼女はなんでもない顔をしている。
「……そう言えば、兄さま」
「は……は、はいっ!」
 リュウはボッシュに呼ばれて、真っ赤になって姿勢を正して返事をした。
 あんなことされた後だ。
 どういうふうな顔をしたら良いのかもわからなかった。
「もう無茶しないでくれよ。あんまり、セントラルの外に出ないで欲しいんだけど、どうせあんた聞きゃしないんだから……」
 うん、とリュウは返事をした。無茶しない。
 それから、なんだか悪かったのかなあと思って、ボッシュの頭を撫でてあげた。
「ボッシュ、だいじょうぶ? ニーナも危ないよ、気をつけなきゃあ……重かったらおれが持つからね。ニーナは、危ないことしちゃあだめなんだから……」
 それから、ぺコロスまみれになってるボッシュのほっぺたに、ちゅっとキスをしてあげた。
 ボッシュは、なんだかさっきはあんなにすごいことをしようとしてたのに、硬直してしまった。
「に、にいさまっ……」
「まだ熱い? 痛い? へいき?」
「へいき……です、たぶん。……ドラゴンだし」
 ボッシュはごにょごにょと言って、真っ赤になって俯いてしまった。
「リュウ、わたしも!」
 ニーナがリュウの背中にぎゅうっとしがみついて、おねだりしてきた。
 リュウは、あ、うん、と頷いて――――
「駄目に決まってんだろ! このディク女!」
 ボッシュがニーナの羽根をぐいっと掴んで、後ろに放り捨てて、リュウをぎゅーっと抱き締めた。
「大丈夫か、兄さま? こんなののそばにいたら身体に毒だよ」
「ディクじゃないもん、ニーナだもん」
 ……なんだかもう、すごい年月が、ほんとに経ってるのかなあとリュウは思う。
 あんまりなんにも変わってないみたいだった。
 ただボッシュがものすごく格好良くなってしまって、ニーナはものすごく美人になってしまっただけだ。
 統治者なんて肩書きがついただけだ。
 それは大それたことだったが、彼らがリュウにとって深い愛情を注ぐ相手であることに、変わりはなかった。


◆◇◆


「聞いたぜオリジン。おまえさん、リュウに手、出したんだって? 実の妹に? まだ毛も生え揃ってないガキだぞ。 生理もまだなんだぞ。当然貧尻だ。わからんなあ、もうちょっといろんなところがでかくなってからのほうがこう、萌えると思うんだが」
「黙れおっさん。ていうか、なんでそういうことを知ってんだよテメエ」
 ボッシュが凄むと、会議室の円卓に行儀悪く座ったジェズイットが、肩を竦めて言った。
「この俺の極秘情報網によってだな。例えば朝イチで今日のパンツは何色だとか、この辺で聞いて教えてくれんのはあの子とニーナだけなんだよな。ちょっと無防備過ぎると思うぞ、うん。ちなみに、今日も二人共白だそうだ」
「それは知っている……じゃない! テメエ、この俺でも知らねえような兄さまの秘密をよくも……!!」
「……オンコット、そこの二人、ちょっと黙らせてください」
 ジェズイットに噛みつきそうな勢いで立ちあがったボッシュの背後から、巨大な影が盛り上がってきた。言う間でもなく、クピトのオンコットだ。無敵のガルガンチュアは音もなくボッシュとジェズイットを宙吊りにした。
「オイ! 離せ! そこの痴漢はともかく、俺はどう見たって無罪だろうが?! あのディク女に邪魔されて、結局兄さまの手も握れなかったんだぞ!」
「そんなことは問題になりません。後でも先でもおんなじです」
「大事なことだろうが? それに、なんで俺が兄さまに手ェ出しちゃ駄目なわけ? 問題ない、来月には挙式だ。だって兄さまが帰ってきたんだぜ」
「……あなた、一体どういう教育のされかたしてたんですか? 親の顔がもう一度見たいです」
 クピトは溜息をついて、あんまり先走らないでください、と言った。
「兄弟だってのは、まあ目を瞑って良いとしても――――実際あなたがたに血の繋がりはないわけですから――――とにかく、見た目がもう駄目です。オリジン、忘れてません? リュウはまだ12歳なんですよ」
「だから?」
「うん、確かになんだかもうすごいロリコンみたいに見えるんじゃあねえかな。しかもシスコン」
 好き勝手なことを言われて、ボッシュは不機嫌な顔をした。
 だからなんだと言うのだ。


◆◇◆


 うわのそらでいたものだから、担当教官に指名され、パネルに映された各種属性の相互作用についての空欄を埋めよと言われても、リュウにはなにがなんだかわからなかった。
「は、はっ、は、うー……」
 視線をあっちこっちにやると、ごにょごにょと口篭もっているリュウを心配している友達の顔が見えた。
 なんだか面白そうににやにやしている、あんまり話したことのない先輩の顔も見える。
 担当教官は、これは簡単な問題なんだぞ、と呆れたように言った。
「リュウ=××、おまえ、俺の授業で居眠りか? いい度胸じゃないか」
「うー、す、すみません、アビー教官……」
 リュウの担当の、そばかすのある金髪の若いレンジャーは、こんなふうにちょっと意地悪だ。
 あまりできの良くないリュウは、良くこうやってちくちくといじめられる。
「じゃあその下の問題だノーディ、グミルビーとグミサファイア、グミプラズマの三体とエンカウントした。おまえは運悪く、図の通り周りを囲まれてしまった。さて、どうやったらグミどもを全滅させて生き残ることができる?」
「はい! 弟で兄ちゃんに助けてもらいます!」
「おまえが倒すんだよ。しかも接続詞おかしいぞ」
「う……じゃ、じゃあ、一生懸命、がんばります」
「まるで答えになってないぞ。もういい、座れよ。そんなことで、実戦訓練なんてどうするんだ? じゃあ同じ問題、エリーナ=1/128はどうだ?」
「はい」
 エリーナはどうやらこっそりとノートに答えを書いてリュウに教えてくれていたようだったが、そもそもリュウはまだ字が読めないのだ。
 ごめんね、と目で謝ると、エリーナはだいじょうぶ?と訊きたげにちょっと首を傾げて笑って見せた。
「属性を所持するグミへの基本戦法は、まず弱点属性となる魔法、もしくは属性武器で攻撃し、弱体化させることが重要です。次に――――
 エリーナはよどみなく答えている。
 リュウはちょっと情けなくなってしまった。考えてみれば、彼女はニーナよりも年下なのだ。
 エリーナの解答が終わると、教官は素晴らしいと彼女を誉めた。
「さすがはメディカル・センター院長のご息女だ、エリーナ=1/128。ノーディ、見たか? これがD値の差ってやつだ」
 エリーナがちょっと嫌そうな顔をした。彼女は、D値とか、そういう話があんまり好きじゃないみたいだ。
 教官の意地悪はまだ続いた。
「それになんだおまえ、男だろう。そんな情けないことでどうすんだよ。まあ、ノーディじゃ仕方ないけどな」
「教官、リュウは女の子です」
 ぺらぺらと喋っていたところを、エリーナに指摘されて、アビー教官はびっくりしたようで、うろたえた。
「ええええ?! 嘘だろ?! だってこいつ、こんな……ええとまあ、うん」
 教官はそこでひとつ咳払いして、リュウのほうをちらっと見て、またパネルに目を戻し、次行くぞ、と言った。
 なんだかさっきから、訓練室の空気がぴりっとしている――――アビー教官がリュウを苛める度に、そのぴりぴりが増していく。何故だか。
「アビー教官、その……あまり、特定のサードレンジャーを、そういうふうに突付いてやるのは、まずいんではないかと……」
 やがて、おずおずと手が上がって、誰かがそんなことを言った。
 すると一斉に、一部のレンジャーが頷いた――――地下の採掘任務についていた時に見た顔ばかりだ。
 教官は面食らって、なんなんだよ、と言った。
「その、あんまり無礼な口をきくと、消されるかもしれませんし」
「いろいろと、危険なので……その、空が」
「地下も危ないです。というか、世界が……」
 アビー教官は、なんなんだよ、と面白くなさそうな顔をしていた。


 それでも講習中はそんなにひどくなかった。
 それは、実戦訓練に入ってからのことだ。
 休憩の前に受けた講習そのままの状況を想定して、実戦訓練が行われた。
 グラウンドの一角に魔法陣付きの金網が張られ、訓練用のグミ――――訓練用と言っても、パダムだってバルだってレイガだってそれぞれ立派に使える、三種類のグミだ――――が投入された。
 訓練は、その中で行われるようだった。
「こ、こ、こわいねえ、リュウ」
 リュウとおんなじで、少し早めに訓練場所に来ていた友達のメアリが、真っ赤な顔をしてリュウのジャケットの裾を、控えめにきゅっと握ってきた。
 彼女があんまり怯えているようだったので、リュウは笑って、きっと大丈夫だよお、と言った。
「訓練だもの。昨日の怖いのより、ずうっとましだよ、うん」
 実際のところ、リュウも少し緊張していたのだが――――メアリがあんまりに硬直しているので、そう言った。
 彼女は酸欠の魚みたいに口をぱくぱくさせて、その顔は火星ダコみたいに真っ赤に茹で上がっていた。
「あ、あ、あ、あのね、リュウ。わ、私、その……お、女の子でも、全然良くって。リュウは素敵だと思うし、それであの……」
 メアリがなにか言おうとしたところで、施設の玄関からわらわらと同僚たちが出てきた。
 彼女はそれに気付いて、ひゅっと息を呑んで俯き、ええとなんでもないんだけどね、と言った。
「た、たすけてくれてありがとうって言おうと思って……リュ、リュウの羽根、きらきらしててすごく綺麗だったし、その」
 うん、とリュウは頷いて、おれのことこわくない、と訊いた。
 メアリは首を振って、ぜんぜん、と言った。
「あ、リュウー!」
 講習室の後片付けを手伝っていたエリーナが、その手伝いをしていたジョーと一緒にやってきた。
 彼女はリュウを見付けるとぶんぶん手を振って、さっきは大変だったね、と言った。
「昨日、あれから、どうだった? お兄ちゃんと仲直りできた?」
「うん」
 リュウは頷いて、かあっと赤くなってしまった。
 仲直りは、したけど……押し倒されて、お尻を触られるのは、ちょっと行き過ぎたかもしれない。いや、ちょっと、どきどきしちゃったんだけど。
 エリーナは目をきらきらさせて、リュウにあんな綺麗なおねえさまがいたのね、と言った。
「ね、ニーナおねえさまって、どんなワンドを使ってるの? 空のショップにも置いてるかしら。得意な魔法はなあに? やっぱり魔法陣?」
 エリーナは、ニーナにぞっこんに惚れ込んでしまっているようだった。
 隣でジョーが苦い顔をしている。
 リュウは苦笑しながら、そうだねえ、と教えてあげた。
「えっと、おれはよくわかんないんだけど、ウィザードワンドって言うらしいよ。アルマのショップにはどうだろ、でも確か、使わなくなったマジカルワンドがあるって、誰か欲しいならあげるよって言ってた」
「ほ、ほ、ほんとに?!」
「うん……得意な魔法は……こないだボッシュと喧嘩した時に、夜ボッシュのベッドの下に、踏んだらふなむしがいっぱい出てくる魔法陣を置いてたよ。グランふなむしって言うんだって。あの時は次の日、朝からボッシュがすごいブルーだったなあ。もしかしたら、一番効いてたかも」
「オマエんちって、なんかスリリングだね……」
 ジョーが呆れたみたいに言った。
 話し込んでいるうちに、実戦訓練が始まった。
 中に同じ色のグミがみちっと詰まった檻が、柵の中に置かれていた。
 実戦訓練を受ける人間が、二人一組で柵の中へ入ると、三つある檻から一匹ずつグミが出てくる仕組みのようだった。
「これより、実戦訓練を始める! 各自、所持する武器の点検を怠るな! ギブアップをする場合は、担当教官に救助を要請せよ! 制限時間は5分! では、開始!」
 担当教官(さっきのアビー教官とは違う人だ)の声を合図に、グミの掃討実習が始まった。
 リュウは、新しく支給されたレンジャーエッジ――――属性メーザーは中級者向けで、新米には触らせてもらえない――――の柄をぎゅっと握った。なんだか、緊張してきた。本番はあまり得意なほうじゃないのだ。
 どきどきして待っていると、
「リュウ=××! メアリ=1/512! 中へ入れ!」
 いきなり名前を呼ばれた。なんと、リュウは一番手だったのだ。慌てて金網の扉を開けようとして、リュウはふっと気付いた。
 なんだか人が多い。
 それもサードレンジャーじゃなくて、ぴちっとファーストの隊服を着込んだリードレンジャーだ。
 五人いて、そのみんなが完全武装していた。
 どうしたんだろうと思って見ていると、彼らはさっと気をつけの姿勢を取って、敬礼した。
 リュウもつられて、慌てて敬礼した。
 リードレンジャーたちの中の一人――――隊長らしい男の人が、良く通る声で言った。
「姫様、ご武運をお祈りしております! 万一の時は我々親衛隊、姫様を命にかえてもお守りする所存!」
「……へ?」
 リュウはあっけにとられて、ぽかんとしてしまった。
 ほかのレンジャーや、教官もおんなじようだった。
「姫様をお守りすることは、この世界を守るも同じ! 総員、姫様を応援しろ!」
「姫様、お気をつけて!」
「ご立派です、姫様!」
「姫様、ご無理をなさらず……時には退くことも重要ですぞ!」
「我々親衛隊、オリジンの御印のもと、この命にかえましてもあなた様には傷ひとつ付けさせません!」
「う、うー」
 リュウは困ってしまった。
 ジョーが横で、おうちの人だね、と言った。
「オマエの兄ちゃんて、ほんと過保護だよね、オヒメサマ」
「お、オヒメサマじゃないも……」
 リュウが真っ赤になっていると、担当教官がかなり困惑した様子で、親衛隊と名乗るレンジャー隊と揉めはじめた。
「ちょっと何ですか、あなたがたは……ここは現在サードレンジャーが訓練中ですが」
「我々は、オリジン様より勅命を賜っている。オリジン様の妹君を命にかえてもお守りせよと、これは我らレンジャー隊隊員すべての最重要優先任務である。我々の任務の妨害をすると、第一級反逆罪が適用されるが、構わないのか」
「いや、まあ……なんでもいいんですけど」
 担当教官は、雲の上にいるような存在のリードレンジャーには何も言えないようで、もごもご言って引っ込んでしまった。
「リュウって、そう言えばお姫様なんだね……」
 一緒に訓練を受けるメアリが、赤い顔をしてもじもじと、素敵ね、と言った。
 なんというか、ちょっと前なら素直に嬉しかったのだが……リュウは一応これでも男なので、なんだか微妙な気分である。
「では、はじめ!」
 金網の中に入ると、グミが三匹出てきた。
 ぽよぽよん、と跳ねて、リュウたちのまわりをぐるぐる回っている。
「やー!」
 剣で切りかかろうとしても、相手の方が素早い。
 なおかつ、当たりにくい。
 グミにはあまり攻撃が通用しない。
 そのぶよぶよした身体が衝撃を吸収してしまうのだ。
 ひととおり剣を振り回して追い掛けて、リュウはどうしようという顔でメアリを見た。
「メアリ、属性魔法って、使える?」
「え? あ、いえ、あのっ、私ね、プーカだけなの、使えるの」
 まだうまくないの、ごめんねとメアリは言って、リュウとおんなじように、わたわたとグミを追い掛けている。
 二人でぜえぜえ言いながらグミを追い掛けまわしていると、たまに後ろから頭にぽよんと体当たりをされる。
 完全に、バカにされてしまっている。
「う、うー……!」
 リュウはむきになって、赤色をしたグミを追い掛けて、剣を振り下ろした。
 グミはじっとして、リュウを見上げている。
 今度こそ当たるかと思った瞬間、がきんと何か硬いものが剣の先にあたった。
 グミの檻の鍵の、取っ手に。
「う、うひゃあああ!」
 その途端、どっとグミの山がリュウの頭の上に降り注いできた。
 まんまと罠にはめられてしまったのだ。それも、グミの。
 ぽよぽよしたグミの下敷きになって、感触が気持ち良いのか息ができなくて苦しいのか、もう良くわからない。
「う、うううー!」
「きゃ、きゃあっ! リュウっ!」
 メアリの悲鳴が聞こえて、顔の上に乗っかっているグミルビーをどけて見上げると、一匹の黄色いグミが、ぱりぱりと放電しながら電撃を放っている。
 バルだ。このままじゃメアリが怪我をさせられてしまう。
 リュウはひとつ大きく息を吸って呼吸を落ち付けて、目を閉じた。
 訓練規則には、ダイブしちゃだめとは書かれていなかったはずだ。
 オールド・ディープの力を引き出して、身体全部を兵器へと変えていく。銀色の、真紅の炎の翼を持った竜へと変化し終えると、リュウは大きく吼え、鱗に覆われた拳を、力いっぱい地面に叩き付けた。
『たあああー!』
 ずん!と地震が起こった。大きく揺れて、金網の中のグミを震動が襲い、気絶させた。
 かくして、いっぱいのグミが土の上にぐったりとなることになった。
 赤と青と黄色と目玉で埋め尽くされ、足の踏み場もない。
 メアリはぽーっとした顔で、のぼせたみたいになってリュウを見ていた。
 エリーナとジョーは、これは訓練中止だね、と言い合って、エッジとワンドを仕舞っている。
 担当教官は、グミと一緒になって目を回して泡を吹いていた。
 親衛隊のレンジャーたちは、困った表情で顔を見合わせている。
「……なあ、我々が姫様を護衛する意味ってあるのか」
「そう言うな。勅命だ。だけど、俺もちょっとそう思う」
 リュウはぽつんと立ち尽くして、変化を解くと、足元に転がっているグミを一匹抱えて顔を上げた。
「あの、えっと、終わりました……どうすればいいですか?」
 辺りはしんとしていた。
 同僚はなんだか遠い目をしているし、教官は昏倒していた。
 リュウが困っていると、柵の外からジョーが言った。
「とりあえず出てきなよ、二人共。どうせこれ以上続けるなんてできやしないさ。食堂の席取りに行こうぜ」
 とりあえず異論はなかったので、リュウは抱えたグミにごめんねとひとこと言って、地面に置いて、メアリの手を取って金網を出た。





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