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* * *
氷漬けの青魚や身が詰まった硬い冬の果物や、蒸れた人の体皮が放つ汗のにおいが混ざりこんだ熱い空気のなかで、スピーカーがスーパーマーケットの陽気なテーマソングをがなりたてている。
店内は、つめかけた買い物客でいっぱいだ。ショッピングバッグを抱えた黒い群れのなかから、苦労して抜け出した十代は、〈ゴーゴーストア〉のロゴが入った買い物袋を片腕にまとめて下げ、空いたほうの手で折りこみの広告をひろげた。
特売品に、マーカーで印がつけられている。トイレットペーパーと電球。ボトル入りのシャンプーと洗剤、四人分の食料品。これで伯母からの頼まれものは終わりだ。
双六は、武藤家に男手が増えたことを手放しで喜んでくれた。目じりの皺を深くして、温厚そうな笑顔を浮かべている。
「ワシゃ、まだまだ力持ちじゃ。水ものの袋をひとつ持とう」
「無理すんなって。じーちゃんは腰が悪いんだから」
「それじゃ、若者の厚意に甘えるとするか」
「それにしても、じーちゃん。二年前にオレが修学旅行で童実野に来たとき、ひさしぶりだとかなんか言ってくれればよかったのに。急にほんとのじーちゃんだって言われても、まだからかわれてる気がする」
「七つの子どもを十年も見とらんかったら、ワシだってわからん」
「オレが七つのときに会ったの」
「十代や。時を待つのは大事なことじゃよ。遊戯だって、何年もの長い時間をかけて、あのパズルを完成させたんじゃから」
双六は含みのある言い方をして、片目をつむった。
かの有名な、途方もない闇の力が宿ると噂されている千年アイテムのことだろうか。
十代が、未来からやってきた男のバイク型デュエルディスクに乗って過去の世界へ飛んだときには、逆さピラミッドの形をした黄金のパズルが、高校生の遊戯の胸を飾っていた。
現在の遊戯が、あのパズルを下げている姿を見たことがない。パズルの行方を双六に尋ねると、面食らったような顔になった。
「遊戯からなにも聞いとらんのか」
「え、なにって。もしかしてなくしちゃったのか?」
「まあ、それはそれとして、どうじゃ十代。腕が痛くなければ、遠回りをして帰らんか」
はぐらかすような誘い方だが、十代はたいして気にとめずに頷いた。
「うん、大歓迎だぜ」
双六が、二年前のように、少年時代の遊戯が繰り広げた数多の決闘譚を聞かせてくれるのが楽しかった。それは子どもが寝入りばなに毛布の中で読む、希望の光が星のようにちりばめられたおとぎ話に似ていた。
しかし、話の種が武藤遊戯を巡る女性関係のゴシップに傾くにつれて、双六の声は伝説を語るときよりも張りが増して大きくなり、だんだんきまりが悪くなってきた十代にもお構いなしだ。
「さっき、アレを取りあっておる女の子たちに会ったじゃろう。遊戯もすみに置けんからの。遊戯は杏子ちゃんを想っておったんじゃが、レベッカはそんな遊戯を慕っておった。三角関係だったんじゃよ。もしおまえなら、いったいどっちを取るんじゃろうな」
「あ、いや。オレ、そういうのよくわかんなくて」
「最近の若いもんは覇気がない。杏子ちゃんもすごいが、成長したレベッカもなかなかじゃ。こう、胸のあたりがとくに……若い男には刺激的じゃったろう」
「うーん。なんか、すごいんだな。あの遊戯さんに想われるって。杏子さんは知ってるのかな?」
「とっくにふられておるよ、遊戯は」
双六が平然と言った。十代は耳を疑い、袖に引っかけていたレジ袋を取り落としそうになる。
──あの武藤遊戯が女性にふられた?
「杏子ちゃんがアメリカへ発つ日に告白してな……」
「まさか。そんなのありえないって。信じらんねぇ!」
「難しい話なんじゃが。杏子ちゃんはの、遊戯にうりふたつのもうひとりの男が好きだったんじゃよ。じゃがその人物が遠くへ旅立ってしまうと、あの娘も積み重ねた思い出を吹っ切るようにこの街を離れていった。今帰ってきておるということは、心の整理がついたのかもしれんな」
「遊戯さんは、今でもその人が好きなの」
「そりゃそうじゃ。ああ見えてワシに似て一途な男じゃから、一度惚れた女を忘れられるはずもない。ずっと待っとったのかもしれんな。さて、どうなるか。杏子ちゃんがとうとう遊戯に振り向いてくれるか、はたまた遊戯がレベッカを受け止めてやるか。ワシが生きとるうちに、ひ孫の顔が見れる日が来るといいのう」
「そっか……。そういうことなら、オレ、遊戯さんを全力で応援する」
「おお、ありがとうよ! あったかく見守ってやってくれ」
双六は無邪気に微笑みながら握り拳を掲げようとして、不自然な姿勢で凍りついた。腰を押さえて、くぐもった唸り声を上げはじめた。皺だらけの額に脂汗が滲みだしてくる。
「じ、じーちゃん。大丈夫か?」
腰椎が軋む音。ぎっくり腰だ。