Last Resort - 1
◆虹竜がちゃ子まんがの小説版です。が、少々設定が異なります。がっちゃのようなおおらかな気持ちでご覧下さい。まんがはこちらです。 ◆前世の前世くらいの妄想です。 ◆痛いのは承知 今年の冬もひどい寒さだった。灰色の空からしんしんと音もなく雪が降り続き、一日も止む気配がない。青空が顔を覗かせることはなく、常にどんよりと濁った厚ぼったい雲が、汚れた絨毯のように空を覆い尽くしていた。 北方の雪国『レインボー・ルイン』は、古くから強固な城郭都市として栄えていた。かつては一年を通して温暖な気候で、旅人や行商人の行き交いが絶えない、活気が溢れる賑やかな国だった。 しかし数年前、国境付近の山脈に住む悪魔族を中心としたモンスター達の侵攻を機に、その繁栄に陰りが見え始める。 街が焼かれ、金品や食料が強奪され、大勢の犠牲者が出た。王国が誇る騎士団達が辛くも敵を退けることに成功するも、その頃から、王国を守護する竜の神が姿を消してしまったのである。 今レインボー・ルインに神はいない。 ◆◆◆ その夜、商店街の一角でちょっとした騒ぎが起こっていた。汚れてぼろぼろの布きれのような衣服を纏った窃盗団の少年達が、通行人を掻き分けて走っていく。彼らの腕には目一杯のライ麦パン、骨付きハムや燻製が抱え込まれていた。一仕事終わった後なのだ。 「どけどけェ! ショウ、早く来い! 置いてくぞ!」 「ま、待ってよアニキぃ〜!」 店じまいの最中だった商店の店主が怒声を上げる。薄汚い格好の子供と鉢合わせをして悲鳴を上げる女性もいる。しかし少年たちはそんなものには構わずに、王宮を中心に円の形で広がる城下町を外壁の方角へ、竜巻のように一目散に走り去っていく。 少年達が向かったのは、街を覆う外壁に面する、黒く煤けた色をした廃墟群の一角だ。その中にある焼け焦げて軸が剥き出しになった建物が、彼らの住処だった。 「相変わらずひどい所に住んでるよね、ボクたち……」 ショウは天井を見上げて溜息を吐いた。主軸は腐食し、倒壊しないのが不思議なくらいだ。家屋の屋根には穴が開き、壁もあちこち崩れている。雪が降れば家の中まで積もってしまう。 だが少年たちのリーダーのジューダイは、それらを特に気にする事なく笑っている。彼は他に類を見ないくらいに大らかで大雑把な人間なのだ。 「そうでもないさ。確かにちょっとボロいけど屋根も壁もあるし、暖炉だってまだ使える。少なくとも凍死はしないぜ。それに見た目だって、良く見りゃそんなに悪くないだろ。こういうの、オモムキがあるって言うんじゃねぇの?」 「アニキはいつからここに?」 ショウは街外れで行倒れているところをジューダイに拾われてから、まだそう日が経っていない。何故彼らは窃盗団なんかをやっているのか、どうしてここには子供しかいないのか? 何も知らない。疑問に思うことばかりだ。ジューダイが頭の後ろで手を組んで、何でもないことだというふうに屈託なく説明してくれた。 「良く知らねぇけど、生まれた時からだな、多分。ここ昔は孤児院でさ、院長さんもちゃんといたんだけど、戦争で兵隊に取られちゃってさ。そのまま何年も帰ってこない。だから一番年長のオレが預かってる。はじめはオレ入れて五人くらいだったんだけど、なんでかどんどん増えちゃって、今はこんな感じ」 ショウは辺りを見回した。今にも抜けそうな廊下で増え鬼遊びをしている者、壁に炭で絵を描いている者、屋外でせっせと雪だるまを作っている者など、どう少なく見積もっても五人じゃ済まない。十数人はいたはずだ。 目の前に困った者がいたら誰も彼も見捨てずに拾ってくるのが、ジューダイの性質なのだろう。ショウも彼のおかげでなんとか飢え死にせずに生きている。彼はショウの命の恩人だ。ジューダイも他の子供達とそう歳は変わらないだろうに、彼はすごいなとショウは考える。 少なくともショウが家にいた時分は、食べ物に困ったり、身体の芯まで凍り付くような寒さを体験することはなかった。今身の回りにあるすべてが意外性に満ち、衝撃的な事ばかりだ。 ショウは決して盗みを行うことが認められるとは思わない。正義はない。だがそうでもしなければ、皆飢えて死んでしまう。それはここしばらくで嫌と言うほど理解していた。 だがこの底抜けのお人好しであるジューダイという少年が、こそ泥のような生き方をしているのがいたたまれない。 「あー! こら、お前ら! 雪合戦やる時はオレも混ぜろって言っただろォ!」 ジューダイが雪の降り積もった外の世界へ勢い良く飛び出していく。ショウはそっと目を閉じた。ジューダイは役に立たないものを斬り捨てるということを知らないから、このままではいつか立ち行かなくなるだろう。にわか盗賊団暮らしは破綻する。 でも皆太陽のようなジューダイが大好きだ。彼の笑顔を見ていたいと願っている。ジューダイが笑っているうちは大丈夫だと思いたいのだ。 まるで春の訪れの予兆を感じさせるような、妙に生暖かい日が何日か続いた後、一転して底冷えする寒さが戻ってきた。暖炉の火は力なくぱちぱちと燃えていた。表ではジューダイが、盗んできたチーズの欠片を、迷い込んできた野良犬にやっている。 「アニキ、なんだか騒がしくない?」 ショウは気になって廃屋から顔を出し、ジューダイの袖を引っ張った。普段はまるで人気のない廃墟群に硬い靴音がいくつも響き、それらはどんどんとこの廃屋へと近付いてくるようだ。やがて厳しい顔つきをした兵士達が現れ、孤児院の周囲をぐるっと取り囲んだ。ショウは慌てて背中を向けて、ジューダイの後ろに隠れる。 「最近街を騒がせている窃盗団とは、お前達か?」 「はあ? 知らないね。なんか用かぁ?」 ジューダイはすっとぼけていたが、兵士の一人が仲間の子供の腕を乱暴に掴んだのを見て目を尖らせ、すぐに彼らに食って掛かった。 「何するんだよ!」 「とぼけるな! 『あの石』を返せ!」 「ワケ分かんねーよ!」 今更だがジューダイは本当に命知らずだ。ショウは青くなっていた。 相手は普通の兵士じゃない。彼らの腕章には、王宮付きであることを示す竜の紋章が入っている。何故そんなに身分の高い者達が、ろくに人気のない廃墟に姿を現したのかは分からないが、逆らえば即刻首を刎ねられることだって有り得るのだ。 「ア、アニキっ、ここは穏便に行こうよ。逆らっちゃダメだよ」 兵士達はどうやらジューダイが目当てのものについて何も心当たりが無いらしいぞということを悟ったらしく、しばらく値踏みするように少年達を睨み付けると、相変わらず険しい顔のまま腕を掴んだ子供を放り棄て、足を踏み鳴らして去っていく。 「何だよあいつら」 ジューダイは不満そうだ。ショウは首を傾げる。彼らが言っていた『あの石』とはなんだろう? どうやら余程大切なものらしいが、ショウもジューダイも心当たりがまるでない。 そこに仲間の少年の一人がジューダイの服の裾を掴んで、きまり悪そうに目をうろうろとさせながら言った。 「アニキ、これ……」 彼がポケットから引っ張り出してジューダイに差し出したのは、拳大の大きさの、紅色の宝石だった。ショウは息を呑む。特別に宝石に興味のないショウでも、その美しい宝玉に一体どれほど莫大な価値があるものかということを一目で理解していた。表面には傷一つなく、内に混じりけもない。自ら発光し、透き通るような赤い光を放っている。 だがジューダイの方はまるきり分かっていないらしく、不思議そうな顔をしている。 「なんだこれ? 石なんか食えねーぞ。ああ、漬け物石にでもすんのか?」 「アニキ、その宝石でパンが何個食べられるか分かる? パンだけじゃない、一生お腹一杯好きなものを食べられるよ。おまけに屋根や壁に穴が空いてない新品のお屋敷と、可愛いメイドさんも付いてくるよ。ねえ君、こんなもの一体どうしたのさ?」 「……いつも泥塗れで、僕達の為にご飯を盗ってきてくれるアニキに、綺麗な格好させてあげたかったんだ。赤い石はアニキに似合うだろうなって思ったんだけど……あいつらに見つかったらきっと首をちょん切られちゃうよ。どうしよう?」 少年は事の重大さに気付いたらしく、途方に暮れた顔だ。ジューダイはまだ良く分かっていなさそうな顔だったが、頷き、少年の頭を撫でた。 「オレの為にって気持ちは嬉しいんだけどさ、これってきっとすげえ大事なもんなんだろ。あいつら普通じゃなかったもんな。……面倒臭いけど可哀想だし、返してやるかぁ」 ◆◆◆ 兵舎の連中は運搬の途中に宝石を奪われて、随分かっかときている。ジューダイがそっと覗き込むと、兵士長が部下達を怒鳴り付けていた。 「今日が一体どういう日なのか分かっているのか? 先の戦争で我が国の王女が亡くなられた命日だ。兄君の王子がどれ程悲しんでおられることか。そのお心を気遣われて王が贈られた宝玉が盗まれたなど、我々の首がいくつ飛んでも贖いきれるものではないぞ!」 (何だかご大層なことんなってるな。おっかしいな、金持ちそうな酔っ払いのポケットからひったくってきたって聞いたんだけどなー。つまりオレはこいつを王子サマって奴にまで返しにいきゃいいのか) ジューダイは首を捻りながら、問題の赤い宝玉を目を眇めてじっと見つめた。つるつるした球体で、夜の闇の中で仄かに赤く発光している。 『ルビルビ〜?』 ジューダイは、はっとして辺りをきょろきょろと見回した。誰もいないが、確かに奇妙な声が聞こえたのだ。幻聴かなと訝っていると、手のひらの中の宝石がもこもこと動きだした。 「な、なんだぁ?」 ジューダイが唖然としていると、宝石の中から紫色の小柄な体躯の動物が顔を出す。そいつは外の世界に身体を引っ張り出すと、尻尾の先に赤い宝玉をくっつけたまま、軽やかな動きでジューダイの肩に駆け上った。 「おい、急に何だよお前。びっくりしただろ。なあ、その漬け物石返せって。持ち主んトコに返しに行かなきゃなんねーんだからさ」 少なくともそのおかしな生き物は、ジューダイが今まで見たどんな動物にも似ていなかった。全身が幽霊みたいに透き通り、まるで重さというものを感じられない。外に出られたことが余程嬉しいのか、そいつは好き勝手に跳ね回っている。ジューダイは慌ててそいつを追い掛けたが、しなやかな尻尾を無造作に掴んだところで、ふいに後ろから強い力で襟首を引っ張り上げられ、身体が浮いた。 「……お前はこんな所で一体何をしているんだ?」 振り向くと眉間に皺を寄せた兵士達がぞろぞろと輪になって、ジューダイを見下ろしてきている。どうも誤魔化しや愛想笑いが通用しそうな雰囲気ではない。どうしたもんかなと考えていると、兵士の一人がジューダイの右手の宝玉に目を留めるなり、顔色を変えた。 「それは……! お前が盗人か! 王子に贈られた宝玉に手を付けるとは、叩き斬ってやる!」 そう怒鳴って、いきなり剣を抜く。ジューダイはぎょっとして、相手を睨み付けて怒鳴り返した。 「だから返しに来たんじゃねーか! ……それよりこの動物なに?」 「言い逃れのつもりか!」 ジューダイがいまだ尻尾を掴んだままの奇妙な動物を目で示すが、兵士はまるで聞いていない。どうも彼らには、何故だかこの動物が見えていないようなのだ。 白刃が振り下ろされる。ジューダイが反射的にぎゅっと目を瞑った、その時だった。 「やめろ!」 トーンの高い少年の声が、殺気だっている兵士達を制止する。途端にジューダイの首筋にぴたりと当てられていた刃が勢いを失う。彼らは萎縮し、声の主の少年に静かに頭を下げた。 その少年は、見た限りジューダイとそう年齢が変わらないように見えた。エメラルドグリーンの美しい髪と瞳、そして繕いがない、仕立ての良い服を着ている。お金持ちのお坊ちゃんってとこだなと、ジューダイは見当を付けた。 少年はジューダイと、尻尾を掴まれてじたばたと暴れている奇妙な動物に交互に目をやり、不思議そうな顔つきになった。 「君は……君も精霊が見えるのか?」 「せいれい?」 聞き慣れない言葉に、ジューダイは首を傾げる。少年が兵士達に命じる。 「彼は宝玉を返しに来てくれたと言っている。罪に問わなくてもいいだろう」 そしてジューダイに目を向け、 「君、もう帰ってくれていい。手荒な真似をしてすまなかった」 ジューダイは頷き、奇妙な動物の尻尾を離してやった。そいつは乱暴な子供は苦手だとでも言うふうにさっさとジューダイから離れ、少年に向かって転がるように駆けていく。どうやらそいつはその少年を主人だと認識しているらしかった。 「じゃな! 金持ちにも話が分かる奴がいて助かったぜ!」 ジューダイは右手を上げて少年に礼を言い、塀をよじ登って、来た道を戻り始める。 「あ、おい! 玄関から出てけ! ……ったく、しょーがないな」 少年が呆れたように声を上げる。 兵舎を抜け出して、鬱蒼と繁る森を抜けたところで、ジューダイは街の南の空へ向かって濃い灰色の煙が立ち昇っていくのを見た。一般階級の市民が暮らす『街』から大分離れた、ジューダイ達が住処にしている打ち棄てられた廃墟群の方角だ。 火事でも起こったのだろうか? 年代ものの暖炉の火が腐った床に燃え移ったのかもしれないし、気難しい釜戸が火を吹いたのかもしれない。急いで南の廃墟群へ向かって駆け出したジューダイだったが、城下町を抜けた辺りで妙なものを見た。 まず、外壁に穴が開いている。外から乱暴に打ち崩されている。数年前の戦災で、放棄された旧市街周辺の外壁は何度も攻撃を受け、随分脆くなっていたはずだ。 そして見慣れない奇妙な姿の生き物が、くたびれた石畳の歩道の真中を我が物顔で歩きまわっている。三つ目を持った毛むくじゃらの動物だ。さっき見た猫や狐のような紫色の動物とは違って、どこか禍々しく、あまり友好的とは言えなさそうな雰囲気だった。 今日は変わった生き物ばかり見る日だ。 「あ、アニキ!」 ようよう住処へ帰り付くと、家は大きな火の中だった。ぱちぱちと火の粉を撒き散らしながら燃え上がっていた。ショウが途方に暮れた顔をして腰に抱き付いてくる。 「悪魔族の奴らが襲って来たんだ。中にまだ逃げ遅れた子達がいる……!」 ジューダイはそれを聞くなり、制止するショウを振り切って、燃え盛る建物の中へ飛び込んで行こうとする。しかしその前に立ち塞がるようにして、頭に角を生やした小鬼が数匹現れる。いつもは山脈に棲んでいるはずの、悪魔族のインプだ。 「邪魔すんなよォ!」 ジューダイは構わずに突っ込んでいくが、インプは小柄なくせ、意外に力が強い。痩せた子供一人など、苦もなく振り払ってしまう。ジューダイは不恰好に地面を転がりながら、ショウに向かって叫んだ。 「何してんだ! 早く逃げろ!」 ショウはジューダイが気になるのだろう、まごまごしていたが、再度叱責するとびくっと身体を引き攣らせて、ぎゅっと目を閉じて背中を向け、走り出した。 街まで逃げれば、あのおっかない兵士たちが皆を護ってくれるだろう。ジューダイはほっとしたが、その一瞬後、再び後ろからインプに殴り倒され、意識が白んでいった。 ――その後のことは覚えていない。 目を開くとショウの泣き顔が見えた。ジューダイは右手を伸ばし、彼の頬を撫で、首を傾げて言った。 「なに泣いてんだよ、ショウ……」 「……アニキ! よかった、生きてたんだね。呼んでも呼んでも、死んだみたいに眠ったままだったから、ボクもうアニキ起きてくれないのかと、思っ、」 ショウがジューダイの胸に抱き付き、大声を上げて泣き出した。ジューダイはショウの頭を撫でてやって宥めながら、緩慢に重い頭を動かし、辺りの光景に目をやる。 家は焼け焦げ、黒い炭へと変わっていた。抜けそうな床も落書きだらけの壁ももうどこにもない。燃え尽きてしまった。暖炉の焼け跡にもたれかかっているジューダイを心配そうに見下ろしてきている仲間たちの顔にも、いくつか欠けがある。 ジューダイはそれらが意味するところをようやく悟り、愕然とした。街を襲ってきた奴らが廃墟に火を放ち、仲間を殺したのだ。 「そっか……オレ、みんな護れなくて……」 非力な自分に腹が立って仕方ない。歳下の子供達は、リーダーのジューダイが護らなければならなかったのだ。ジューダイは零れてくる悔し涙を、焦げた袖でごしごし拭いながら、ごめんなぁ、とか細い声で謝った。普段の明るく元気なジューダイを見慣れている仲間達が、痛ましそうな目で見つめている。 廃墟はもの寂しい焼け跡に変わり、相変わらず降り止まない雪が、昨日までは『いつもどおり』が確かにあった場所を白く塗り潰していく。おかしなことに、外壁を破って襲ってきた悪魔族の姿は、もうどこにも無かった。 廃墟を蹂躙し、街へ向かったのかとも思ったが、ショウに聞くとそうではないと言う。急に空を覆う厚い灰色雲に亀裂が入り、天から白い光が射し込み、辺りを強い光で眩く照らし、そして気がついたら悪魔族の姿はどこにも無くなっていたのだそうだ。 「きっと神様が助けてくれたんだよ」 「神様ねぇ」 ジューダイは疑り深い気持ちで頷いた。 ともかく家は焼け、住む所が無くなってしまった。食べるものも相変わらず何もない。仲間達も不安そうな顔をしている。 「アニキ、これからどうしよう……」 「野宿なんかする羽目になったら、みんな凍死しちゃうよ。それに夜盗に襲われるかもしれない」 ジューダイは溜息を吐き、どうしたものかなと考え込んだ。そして悩んだ末に導き出した答えは、 「……ま、なんとかなるってぇ!」 ――という、難しいことを考えるのが苦手なジューダイらしいものだった。皆は溜息を吐いたが、まあジューダイが言うのならそういうものなんだと思ったらしく、ぱっと顔を上げて頷いている。 「あ、あの……」 そんな中で、ショウは一人気後れしたような顔つきでいる。彼は言うべきか言わざるべきか随分と迷うような素振りを見せて、やがて腹を決めたらしく、ぼそぼそと話し始めた。 「あのさ……あの、みんな、ボクんち……」 「そう暗い顔すんなって、ショウ! 大丈夫だって、住むトコないなら作っちまえばいいんだ」 ジューダイはショウの背中をばんばんと乱暴に叩いて、にっと笑って見せた。 「う、うん……」 『みんな、ボクんちにおいでよ』――裕福だが窮屈な家での暮らしに嫌気が差して、実家を飛び出してきたショウは、提案のタイミングを失ってしまって複雑そうな顔つきをしている。 ◆◆◆ かつてレインボー・ルインは、竜の加護を受け、繁栄を約束された王国だった。空にはいつも美しい虹が掛かり、変化に富んだ四季があり、人々は皆幸せに暮らしていた。――という御伽噺を聞かされても、ヨハンにはどうもぴんとこない。物心ついた頃には既に、王国は虹どころか青空すら失っていた。 数年前の悪魔族との諍い以降、この国は王女と神を失い、全てが灰色に沈んだまま停滞していた。 王女――ヨハンの妹は竜の神を宿す巫女として生まれた。そしてまだ赤ん坊の頃に死んでしまった。詳しいところは良く知らない。ヨハンが随分幼い頃に死んでしまった彼女のことは、正直良く覚えていない。 いつか大人になったら王子のヨハンは王となり、この灰色の国を統べ、王宮の玉座に座って民を護らなきゃならない。それもどうもぴんとこない。今この国の王様なんて、誰がやったって同じだろうとヨハンは考えていた。時間は停まり、なにも変化せず、ずっと冬の寒さに支配されている。 『ルビ〜?』 寝室のバルコニーの柵に頬杖を付いて、降り止まない雪をぼんやりと見つめていると、宝玉獣のルビー・カーバンクルがヨハンの様子を気遣うようにふわっと現れ、頭に飛び乗ってきた。 「よぉルビー。ここは慣れたか? 寒いし食うモンもろくにないし、雪ばっかりで辛気臭い国だけど、まぁガマンしてくれ」 ルビーは後ろ脚で首の付け根を掻いて、退屈そうに身体を丸めている。ヨハンはふと、先ほど出会った少年のことを考えていた。小汚い格好をした子供のことだ。 王族や巫女でもないのに宝玉獣が見える人間は稀だ。名前くらい聞いておけば良かったなとヨハンは考え、そしてすぐに打ち消した。彼はまるで突風のように現れ、そして去って行ったのだ。名前なんて聞いている暇はなかった。 肩を竦めて、おそらくどこかに彼が住むだろう街々の風景を眺めていたヨハンは、南の空に濃い灰色の煙が立ち昇っていることに気が付いた。火事かなと考えているヨハンの目の前に、ふいに驚くべき光景が広がる。 空を永遠に覆っているだろうと思われた厚ぼったい雲が割れ、強烈な光と共に天から神々しい虹色の竜が姿を現したのだ。 「あれは――レインボー・ドラゴン!?」 ◆◆◆ 雪だけはどこにでも限りなくあったから、山のように集めて穴を掘り、中に入ると、とりあえず身を切るような風はしのげそうだった。壊れ掛けた廃墟も雪の中もそう変わりはない。 昼前に警邏の兵士が、今日は珍しく外壁の傍までやってきた。そして廃墟が跡形もなく燃え尽きていること、外壁に穴が開いていることに目を留めると、また浮浪児たちが何かやらかしたに違いないというふうに顔を顰めている。 しかし、彼らの目的は廃墟でも窃盗団の子供達でもないらしい。 「この辺りで強力なモンスターを見なかったか?」 と兵士が言った。ジューダイは首を振る。 「オッサン、寝惚けてんの? そんなもんが街の中にいるわけないだろ」 ジューダイがあっけらかんと言う。兵士達は顔を見合わせ、素早く両側からジューダイの腕を掴んで、有無を言わせずずるずると引き摺っていく。 「な、なんだよ! まだなんかあんのかぁ?」 「それとは別件だ。お前ら廃墟で火を焚いたな。責任は追及されるべきだし、罪は罰せられるべきだ。少し牢屋でおとなしくしていてもらおうか」 「はぁ? オレ達じゃない、あれは悪魔族の奴らが……」 「言い逃れをしたいなら、もっとましな言い訳を考えておけ」 「ほんとだって!」 連行されるジューダイを見付けて、ショウをはじめとして仲間達が非難の声を上げたが、ジューダイは笑って「大丈夫だって、すぐ戻るぜ!」と彼らを宥めた。 この時はまだ、しばらくすればまたいつものように解放され、仲間たちが待つ家に帰れると思っていたのだ。 「あれ? お前……」 街の入口で、兵士に襟首を掴んで引き摺られながら、ジューダイは見知った顔を見付けた。青緑色の髪の少年だ。相手の方もジューダイを見付けて、ちょっと驚いたような顔になり、「よぉ、また会ったな」と右手を差し出した。あかぎれも霜焼けもない綺麗な手だった。 ジューダイも慌てて右手を服で擦り、握手に応じようとした――が、兵士がジューダイの手を叩き落とす。浮浪児が身分の高い少年と握手をするなどとんでもないということらしい。少年もジューダイも似たような顔でむっとする。 「悪い。なぁ、お前この辺に住んでるのか? だったら昨晩、近くで白い光と竜を見なかったか?」 「光? なんかショウがそんなこと言ってたような気もすんなぁ。悪いけどオレ、昨日のことはあんまり覚えてない。インプにぶん殴られて、そっから記憶がトんじゃってるんだ」 「インプ?」 少年がさっと顔を険しくする。兵士がごちんとジューダイの頭を殴り、「いい加減なことを言うな!」と怒鳴った。ジューダイも黙ってはいない。 「いい加減なことなんかじゃない! あいつらのせいでオレんち全部燃えちまって、仲間が何人も死んだんだ」 「じゃあそいつらはどこに行ったと言うんだ? 悪魔族を討伐したなんて報告は入っていない。奴らはぱっと現れて、同じくぱっと消えたとでも?」 「オレだって知らねーよ。ただ、周りがぱーって明るくなって、気が付いたら消えてたって……いってえ!」 兵士が、これ以上のよた話は我慢がならないといったふうに、再びジューダイの頭を殴り付けた。「瘤できたし!」と喚くジューダイの肩を、少年が強い力で掴む。 「おい、なんでその話をもっと早く言わない!」 「言ったってェ! だって誰も信じねーんだもん!」 急に顔を強張らせた少年に、ジューダイが言い返す。その頭上を、ふわふわと手のひらほどの大きさの目玉が中空を飛んで行く。 「……なんで目玉が空飛んでんだ?」 「あれは、モンスター・アイってんだぜ」 少年がすっと腕を上げて、「下がっててくれ」と言う。腰に下げた細身の剣を閃かせてモンスター・アイを斬り捨て、だが腑に落ちないというふうな表情になる。 「偵察に来たのか。兵舎に連絡して、注意して街を見回ってくれ」 「はっ」 兵士がぱりっとした動作で、少年に頭を下げる。 しかし少年が背を向けるなり、その身体がむくむくと膨れ始め、腕に、頭に無数のぎょろっとした目玉が開いていく。昨夜外壁に穴を開けて旧市街を襲った尖兵達の突然の消失の原因を探る為に、今まで兵士に化けて街に潜り込んでいた、悪魔族の大王目玉である。 そいつは正体を現すなり、猛然と少年に襲い掛かっていく。 「――危ない!」 だが咄嗟に少年を庇って、ジューダイが割って入った。大王目玉の一撃は、体重の軽いジューダイの身体をまるで木の葉みたいに弾き飛ばしてしまう。地面を転がり、ジューダイは胸を押さえて激しく咳込んだ。化物に『まとも』にぶん殴られたのだ。肋骨くらいは折れたかもしれない。 「君! 大丈夫か!?」 「騒ぐな。お前はどうやら何か知っている様子だな。一緒に来てもらおうか。こいつの命が惜しければ、抵抗などしないことだ」 大王目玉がジューダイの首を掴んで、片腕で引き絞りながら少年に言った。首の骨がみしみしと嫌な音を立てる。ジューダイは痛みと息苦しさに喘いだが、解放される様子はまるでなかった。 少年が険しい顔をして頷く姿が見えたような気がした。馬鹿、お前はオレなんかに構ってないで、さっさと逃げろ――そう言いたくても声が出ない。また目の前が白んでいく。 そして―― ◆◆◆ ヨハンは奥歯を噛み締めながら頷いた。民を見捨てる訳にはいかない。これはまた後で民衆を消耗品のように考えている城の奴らからお小言だなと苦々しく考えたが、それも生きて戻ることができればの話だ。 「……わかった。だが彼を離せ。その少年は無関係だ」 「そういう訳にもいかない。このガキは我々の姿を見た。見られたからには生かしておく訳にはいかない」 「やめろ!」 少年の首がいよいよ引き絞られる。彼の肩ががくんと落ち、目が閉じられ、意識が消えた。 その時だった。辺りに眩い光が満ち、世界を白く塗り潰した。光は天に向かってまっすぐに駆け上がり、曇り空に亀裂を生む。そして何年もの間閉ざされていた青空が現れた。鮮やかな青空を背に、神を失った王国に虹色に煌く竜が現れる。 レインボー・ルインの守護神、レインボー・ドラゴンだ。 「あれが……レインボー・ドラゴン!」 ヨハンはぽかんと口を開けて竜を見上げ、目を煌かせながら「すげー!」と叫んだ。 レインボー・ドラゴンはヨハンの興奮に呼応するかのように身を震わせ、そして圧倒的な一撃で、相対する敵を一瞬のうちに蒸発させた。 気を失っている少年の首筋には、強く引き絞られたせいで青くなってしまった痣が、痛々しく残っていた。ヨハンは彼を抱き起こし、顔を覗き込んだ。 痩せ細り、薄汚れ、泥だらけの格好をしている。手足にはあかぎれや霜焼けの痕があり、膝と腕に擦り傷と打ち身が見える。戦災で人気のなくなった廃墟――貧民街に住んでいるのだろう。盗みに手を染めなければ生きてはいけない種類の人間だ。ヨハンは申し訳なくなって彼の頬を撫で、「悪いな」と呟いた。 しかし彼の意識が消えると同時に、このレインボー・ルインの『神』が姿を現したのだ。 その少年は王族でも巫女でもないのに精霊が見える。 その身に虹色の竜の神を宿している。 彼は一体何者だ? 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