Last Resort - 2
目覚めた時、まず精巧な彫刻が施された白い天井が見えた。ジューダイはまっさらなベッドの上にいた。いつも仲間達とくっつきあってぼろぼろの毛布に包まり、硬い床の上で眠るジューダイは、生まれてこの方ふかふかのベッドなんて代物にはお目に掛かったことがない。 「……なんだこりゃ? ちょう柔らけー……夢か? 天国ってヤツか? オレ死んじまったのか?」 ジューダイは首を傾げ、顎に手を当てて、どうして自分が豪奢な部屋のベッドの上で眠っていたのかということを思い出そうとした。確か全身にぎょろっとした目玉をいっぱいくっつけたモンスターに首を絞められていたのだ。そこから先は覚えていない。やっぱりあの世ってのが妥当なところなのかもしれない。 そんなことを考えているところに、例の青緑色の髪の少年が、まるで気負いのない動作で扉を開けて顔を出した。 「よぉ、起きたか」 「あ。お前……ええと、」 「ヨハンだ。ここ、俺んち。ゆっくりしてくれ。どこか痛むところはないか?」 少なくとも彼もジューダイと同じく、死人には見えなかった。ここはあの世って訳でもないらしい。どうやらオレはこのヨハンという少年に助けられたらしいぞとジューダイは思い当たり、彼に礼を言った。だがヨハンは頭を振り、「それはこっちの台詞だ」と言った。 「お前のおかげで助かった」 「オレの? ……オレ、またなんにもできなかった。情けない話だけどさ。それより、オレ帰る。さっきみたいな奴らがウロウロしてるんじゃ仲間が心配だ。それにあいつら腹空かせてるし――ともかく、サンキュな。んじゃ」 だが部屋から出ようとしたところを、廊下で見張り番をやっている二人の衛士が、それぞれさっと突き出した剣を交差して押し止める。 「な、なんだよ」 ぎょっとするジューダイの後ろから、ヨハンが責めるような視線を見張りに向けて、文句を言ってくれる。 「ちょっとくらい出してやれ。剣なんか突き付けるな。大事なお客さんなんだし、部屋に篭ってちゃ息が詰まるだろ。俺も一緒に行こう。それなら文句ないだろ」 ヨハンはジューダイの腕を引いて、「行こうぜ」と屈託なく笑った。見張りも彼の言うことならと納得したらしい。黙って道を開けてくれた。どうやらこのヨハンという少年は、ジューダイが想像しているよりもはるかに『お偉いさん』のようだ。 二人揃って中庭に出ると、ヨハンがジューダイの肩をぽんと叩き、安心しろと言った。 「お前の仲間はうちで保護してる。みんな無事だ」 「マジでか? 良かった……」 ジューダイは素直にほっとして、ヨハンに感謝した。ヨハンは頷き、「それでさ」と言い掛けたところで急に押し黙って青くなり、顔を引き攣らせた。 「……ん? どうかしたか?」 ジューダイは彼の目線の先へ顔を向け、そしてヨハンと同じように硬直した。恐ろしい形相のメイドが何人も肩を並べて、仇敵でも見付けたような目でこちらを睨み付けてきているのだ。 「ヤッベ……おい逃げるぞ……いやお前はちょっとそれ、捕まった方がいいかもだけど」 「なんだよそれ」 ジューダイが訳が分からず困惑している間にも、突風のような勢いで襲ってきたメイド達が、絶対に逃がしはしないという顔でジューダイの襟首を掴み上げた。取って食われたっておかしくはないという感じだった。これは前みたいに兵士に摘み上げられた時よりも余程おっかない。 「お、おいヨハァン! なんだこいつら!」 「ヨハン様ァ! しくじったわ、また逃げられた! 劇的に薄汚い子をデコイとして隣に並べておくなんて、あの方どんどん妙な知恵がついてくるわね」 「うっせぇなあ! 薄汚くて何が悪いって……」 ジューダイは文句を言い掛けたが、メイドに睨み付けられ、口をつぐんで目を逸らした。いかめしい顔のオバサンやオネーサンは苦手なのだ。 「……いいわ、あの方は後回しよ。先にその野良猫みたいな子を洗っちゃって」 『了解!』 「な、なんなんだよ〜!」 ジューダイは悲鳴を上げたが、誰も聞いてくれない。ヨハンは逃げてしまった。メイド達はジューダイの罵声など耳にも入れずに、ずるずると引き摺っていく。 「王子とお並びになるのに、そのようなドブネズミのような格好ではいけません」 「王子って誰だよ!?」 メイド達に嬉々として脱衣所で服を引っぺがされ、ジューダイは泣きそうになりながら止めてくれと訴えた。相変わらず誰も聞いてはくれない。だが素っ裸に引ん剥かれたところで、彼女達は皆一様に驚いた顔つきになる。 「……あら? あなた……」 「なんなんだよォ〜!」 だがそれも一瞬のことで、ジューダイはすぐに熱い湯に浸けられ、文字通り野良猫でも洗うみたいに揉みくちゃにされてしまった。 ヨハンが怖がって逃げるはずだと、ジューダイは今になって悟っていた。おそらく彼も大の風呂嫌いなのだ。 ジューダイは先ほどの白い部屋とは別の、毛足の長い絨毯が敷き詰められた天井の高い部屋に通され、つやつやしたソファに座って待つようにと、メイド達に命じられていた。人に命令されるなんて冗談じゃないが、今はもう身体が重く、ぐったりとしている。暴れたり部屋を抜け出したりする気分にもなれない。 「よぉ、災難だったな。メイド達に洗濯物みたいにされたろ?」 「あんな目に遭うんならはじめに言ってくれ!」 メイドが姿を消すなり、ヨハンが戻ってきた。彼は不憫そうな顔をしていたが、ジューダイに目をやるなりぎょっとした顔になる。 「え? お前……」 「なんだよ」 「お前、……女の子だったのか?」 「悪いかよ。ほっといてくれ」 ジューダイはお仕着せのまっさらな白いドレスが気に食わず、渋い顔をしている。ひらひらした服は動きにくくてあまり好きではないのだ。 「そうか……お前、もしかして……」 ヨハンは随分驚いたようだったが、なんだか微妙な反応だ。訝しく思って何だよと聞いてやると、「いや、何でもないんだ」と言葉を濁した。 「そう言えば、名前をまだ聞いてなかった」 「あ、悪ィ。忘れてた。オレ、ジューダイってんだ。よろしくなヨハン」 「ジューダイ……?」 また微妙な反応だ。ジューダイは首を傾げた。何なんだ? 「確かに珍しい名前だって言われるけどさ。そんなに変かぁ?」 「……ああ、いや。そうじゃないんだ。良く似た名前の娘を知ってて、それでさ。良い名前だと思う」 「まあなんでもいいけど。それよりなんか、ここで王子ってやつを待ってろって言われたんだけどさ、ヨハン知らねぇ?」 「ああ。その王子ってやつは、俺なんだ」 ヨハンがにこにこしながら胸に手を当て、頷いた。そしてポケットから無造作に、以前ジューダイが王子に返す為に兵舎に忍び込んだ、赤い宝玉を取り出す。 「ルビー、挨拶だ。こないだの、お前が見える奴だぜ」 宝玉から、例の奇妙な動物が姿を現した。どうやらルビーという名前を付けてもらったらしい。ルビーは以前尻尾を掴まれたことで、少々ジューダイを警戒している様子だ。「何もしねェって」と手を差し伸べてやると、ぴゅうっとヨハンの後ろに隠れてしまう。 「ああ……これはお前が悪いな。いきなり尻尾を掴むなんてさ」 「悪いとは思ってるって」 ジューダイはぶすっとして返した。ヨハンはにやっと笑って、それから急に申し訳無さそうな顔つきになり、「可哀想だけど」と言った。 「突然だけど、お前はもうここから出られないぜ」 「は? なんでだよ?」 「お前が虹竜の神を宿す巫女だからだ。レインボー・ドラゴンはこの国の守り神だからな。みんなの希望なんだ。だから危険な外の世界に出す訳にはいかない」 「なんだよそれ。知らねーよ。オレ、みんなにメシ食わせてやんなきゃなんないんだ」 「お前の家族なら心配ない。うちで面倒を見る。たらふく食えるように飯を用意するし、屋根にも壁にも穴が空いてない家を用意させる。お前の家族は俺の家族でもあるんだし。――そのかわり、お前はここで働け」 「はたらく?」 「何も難しいことじゃないさ。お前はここにいればいい。ただ巫女は未来の王以外の男とは口をきいてはいけないって決まってる」 「……?」 「つまり簡単に言うとだな、俺以外の男と喋るなってことだ」 「良くわかんねえけど、そんなんでみんなメシ食わせてくれて、家にも住ませてもらえんだろ。えーと、こういうのって何て言うんだっけ」 「『破格の待遇』って言いたいのか?」 「そうそれ。うん、いいぜ。なんかよくわかんねえけど」 ジューダイは理解半分だったが、頷いた。仲間が飢えと寒さから解放されるというのなら、何だってよかったのだ。 ◆◆◆ 一方残されたショウたちは、先日まで高圧的だった兵士たちに妙に手厚く保護され、食べ物を与えられ、街の孤児院に移送されていた。 もう飢える心配は無さそうだったが、何故急にこんなに親切にされるのかが分からない。ジューダイが帰ってこないのも気掛かりだ。それとなく兵士に尋ねてみると、「もうその人物はここには戻らない」というそっけない返事が返ってきた。 ショウは薄寒い心地になる。彼が帰ってこない? 「……どういうことッスか?」 ◆◆◆ 城暮らしの日々は随分退屈だった。まるで籠の鳥だ。唯一の楽しみはと言えば、ここへ来てから唯一の友達のヨハンと話をすることだった。彼はいろんなことを知っている。お前物知りだなと言うと、当たり前だという答えが返ってきた。 「馬鹿な王様なんて格好悪いだろ」 そういうものらしい。 「お前ようやくルビーに警戒されないようになったみたいだな。礼儀作法の勉強、役に立ってるんじゃないか」 「げ、勘弁してくれよ。オレああいうの向いてないんだって」 ジューダイはあからさまに顔を顰めて溜息を吐いた。ヨハンは項垂れたジューダイを見て、人の気も知らずに吹き出している。家庭教師を付けられたジューダイが、苦手な勉強から逃げ出そうと毎朝脱走を試みているという話は、どうやらヨハンの耳にも入っているらしい。 「まぁいいじゃん、その話はさ。それより今日は暇してるんだろ」 「ああ、夜まではな。なんとか解放された。ちょっとはありがたがって欲しいもんだぜ。お前が退屈してるだろうと思って、精霊学のレポートを午前中に済ませたんだ。近年稀に見る頑張りだったね、あれは」 「すげえすげえ。それよりさぁ、なんか食いもん持ってねぇ? オレ腹減ってさぁ〜」 「たまにさ、ジューダイ、お前が女だってのが疑わしくなるぜ」 ヨハンは苦笑いだ。ふと気になって、ジューダイはヨハンに尋ねた。 「夜まで?」 「ああ、なんか舞踏会があるとかでさ。俺ああいう空気苦手なんだけど、主役がいないとしょうがないだろ?」 「主役? なんかいいことあったのか?」 「俺今日誕生日なんだよね」 ヨハンはベッドに頬杖をついて、じいっとジューダイを見つめながら、ニヤニヤしている。ジューダイはふうんと頷いた。「それだけ?」と、ヨハンは不満そうだ。ジューダイは首を傾げた。何か言ってやるべきことがあったろうか? 「普通こういう時は笑顔で『おめでとう』だろ」 「なんで誕生日で『おめでとう』なんだ?」 「……そこからなのか? みんな誕生日には、生まれてきたことを喜んでお祝いするもんなんだぜ。お前だって誕生日があるだろ」 「いや、わかんねぇ」 ジューダイは顎に手を当てて考え込んだ。 「それってないとまずいもんなのかな? 例えば上手く歳を取れないとかさ。オレ孤児で、生まれた日がいつかなんてわかんねーし、そう言えば昔院長さんに『気が付いたらいた』って言われたっけな。オレの仲間達もみんなそんな感じでさ、あちこちタライ回しにされて、ほんとに気がついたらみんな一緒にいたって感じなんだ」 「お前はお前で大変なんだな。それってやっぱり、戦災で焼け出されてって感じなのか?」 「多分。まあオレの話とかはどうだっていいぜ。とにかくヨハンは今日『誕生日』で『おめでとう』なんだよな?」 「おう。あとはプレゼントかな」 「誕生日がある奴ってのは、なんかもらえたりすんのか?」 ジューダイはヨハンが羨ましくなったが、元々彼とは立場が違い過ぎるということは良く理解している。彼は王子様なのだ。この国に彼以上に特別な子供なんてものはいない。 「でもオレなんも持ってないぞ。服もオレのじゃないし、靴……はまあ新品だけど。お前履く?」 「お前な、いつも言ってるだろ。裸足で走り回るのよせって。今に怪我するぜ。ガラスの破片や小石を踏み付けてからじゃ遅いんだ」 「だって嫌いなんだって、靴。なんか気持ち悪いんだよォ」 とりとめのない話をしながら、午後のひとときは過ぎていく。 夕刻になってヨハンが出て行ってしまうと、部屋は急にしんとなってしまった。 (そう言えば、舞踏会って何だ? 美味いのか?) 他の話に夢中になっていて、ヨハンに訊きそびれていた。彼はあまり乗り気では無さそうだったが、最近変化のない暮らしを続けているジューダイにしてみれば気になって仕方がない。 「……ちょっとくらい覗いてもバチは当たらないよな」 宮廷の舞踏会場には優雅な音楽が流れ、薄いオレンジ色の光の中から、グラスがぶつかり合うカチンという軽やかな音、控えめなざわめきが聞こえてくる。窓枠を器用に伝って、木に登り、会場を覗き込んだジューダイは、壮麗な光景に目を見張り、うっとりと見惚れ――るということは決してなく、食中りでも起こしたような顔で「うええ」と呻いた。 (ヨハンの奴も大変だなァ。オレならこんなかったるくて堅苦しい『誕生日』の『お祝い』なんてぜってーゴメンだな、うん) ジューダイは、おそらくくたびれきって『やってらんない』とばかりに仏頂面でもしているだろうヨハンを見付け出して、後でからかってやろうと考えた。 しかしようよう人ごみの中から彼を見付け出してやると、予想外のことに、一際明るい光に照らし出されたヨハンは、いつもジューダイに見せる屈託ない子供みたいな顔つきじゃなかった。優美に微笑み、大人びた動作で、同じ年頃の少女をエスコートしている。そりゃ様になっていた。彼は『王子様』なのだ。 ジューダイはそれを見ていると、何故だか分からないが段々むかむかとしてきた。 (……オレにはヨハン以外の奴と仲良くしたらダメだとか言うくせに、ヨハンはいいのかよ馬鹿野郎!) まったく気に食わない。ジューダイはむくれながら、元来た道を引き返していく。 「おいジューダイ? ジューダイ……寝てるのか?」 ドアがノックされて、控えめに薄く開けられる。ジューダイは頭からシーツを被って寝たふりを決め込もうとしてやったが、行き場のないむかむかに耐えられず、勢い良く上半身を起こして、勝手に部屋に入ってきたヨハンに枕を投げ付けてやった。 「無断で女子の部屋に入ってくんな! ばーか!」 「何怒ってるんだよ? ていうか女子って、お前なあ。壁みたいな平らな体型で、泥だらけになろうがスカートが捲れようが気にしないお前が、いきなりどうしたって言うんだ」 ヨハンは顔の前で枕を受け止め、訳が分からないといった顔だ。ジューダイにも分からない。分からないから、素直に叫ぶ。 「わかんねえけど!」 「しょーがねぇな」 ヨハンは肩を竦め、後ろ手に扉を閉め、ベッドのへりに座って枕をジューダイに放って寄越した。そして兄が妹にするみたいにジューダイの頭を撫でて、「何怒ってんだ」と言う。 「お前さっき来てたろ。他の奴は全然気付いて無かったみたいだけどさ、ばればれだったぜ。また泥棒と間違われて大騒ぎになるんじゃないかって冷や冷やした。それに危ない。興味があったなら言ってくれれば良かったんだ。お前見た目はどこからどう見ても男なんだから、俺の服着せて変装させてやったのに。そうすれば絶対誰もお前を巫女さんだなんて思わない。俺が保証する」 ヨハンがジューダイの背中をぽんぽんと撫でながら言う。彼はジューダイを宥めているつもりらしいが、そこはかとなく内容がひどい。 しかし彼が言うことももっともなのだ。女物のドレスなんて柄じゃないし、舞踏会なんてもっと柄じゃない。ジューダイはふてくされて枕に勢い良く体重を掛け、「別にあんなつまんなさそーなのに興味ねーし」と言った。本心だ。 「ヨハンは随分楽しそうだったけどな。女の子と手ェなんか繋いじゃってさ」 「妬いてるのか?」 「はァ!? 何でそうなるんだよ!」 いきなり突拍子もないことを言われて、ジューダイは思わず言い返す声が裏返ってしまった。ヨハンはそれに何を思ったのか、面白がるようなにやにや顔になる。ジューダイは慌てて弁解する。 「へ、変な勘違いすんなよな! そーいうんじゃないし!」 「はいはい、巫女様」 ヨハンはなんだかちょっと嬉しそうだ。 ◆◆◆ 神を宿す巫女が現れたという話は、王宮を中心に国中へと広がっていった。それは灰色の国に僅かながら灯った希望の光だ。毎日民衆が一目虹竜の巫女を見ようと城へ押し掛けて来る。兵士は彼らを押し止める為に多大な労力を払っていた。 そんな折り、街の中心部に程近い円形の神殿で、虹竜の神に供物を捧げる盛大な儀式が行われることになった。実に十数年ぶりだ。街に住む民達は大いに沸いたが、それに渋い顔をしている者もいる。当の虹竜の巫女本人である。 窮屈な服を着せられて、ジューダイは辟易していた。冷やかしにきたヨハンを捕まえて文句を言ってやっても、「ま、諦めろ」と言う。話にならない。 「この服サイズ合わないんだってェ……胸んトコガバガバで下にずり落ちてくるし、腹は締まってキツいし、裾長いから踏ん付けて何度か転び掛けたんだぜ」 「我慢しろ。それ、職人が一番見栄え良く見えるサイズだって言ってたぜ。合わないのはきっとお前の体型がアレなんだ。洗濯板に寸胴に、尻が薄くて脚が短いんだ」 「うっせーな! ヨハンは何だってそういつもいつもオレのこと……もういい!」 ジューダイがむくれてそっぽを向くのを、ヨハンはニヤニヤしながら眺めている。彼はいつもこうだ。仲が悪い訳では決してないのだが、たまにどうも少し意地の悪いところがある。 ヨハンに手を引かれて神殿の円形の広場へ出ると、無数の民衆がわっと声を上げ、「あの娘が……」、「竜の神を宿す巫女様!」と、まるで珍獣でも見るような顔つきでジューダイをじっと見つめてくる。 「ヨハン〜、オレこういう雰囲気苦手……」 「じきに慣れる。俺は慣れた」 ヨハンはあっさりしたものだ。肩を竦めて「手を振ってやれ」なんて言っている。 ◆◆◆ ショウは最近街で噂の『虹竜の巫女』が気になって仕方がない。元々ミーハーな性質をしている上に、可愛い女の子が大好きだ。神様を身に宿す穢れなき巫女さんが、美人でない訳がない。それは漠然としたイメージではあったが、ショウの中ではもう決まりごとみたいになっていた。 そんなで、ショウは今こっそり人ごみにまぎれ込んで、街の神殿に潜り込んでいる。小さい頃に何度か見に来たことがあったように思うが、どれも簡素な儀式で、国中あげてという荘厳な行事となると、十数年ぶりになるらしい。 「どんな子なのかな〜……可愛い子なのかな、それとも美人系?」 まともに人ごみの中から覗こうとしても、背の低さが災いして何も見えない。目の前には無数の民衆の背中ばかりだ。ショウはこっそり円形神殿の裏手に回り、木々の茂みに潜り込んで巫女が現れるのを待った。ここなら儀式が済んだ後、街を巡る輿を間近で見られるはずだ。 そしてショウの狙い通り、しばらくすると神殿から巫女を乗せた輿が出て来る。薄いヴェールの向こうにいささか行儀が悪い格好で座る巫女の顔を見て、ショウは息を呑んだ。 「うわぁ……巫女さん可愛過ぎる! ど、どうしよう、一言でも喋れないかな……!」 彼女はまるでショウの理想がそのまま具現化されたような、可愛らしい顔立ちをしていた。やはり思った通りだ。清楚可憐な巫女さんが可愛くない訳がない。少しばかり胸は足りないが、それはそれで美味しい。 ショウがやきもきしていると、虹竜の巫女がふっと顔を上げた。そこで目が合う。ショウは真っ赤になる。 ――可愛い可愛い、愛しの巫女さんと目が合った! 心臓がドキドキし過ぎて、今にも爆発しそうだ。 虹竜の巫女はショウを見ると、意外な行動に出た。輿を飛び降り、大慌ての神官達を置き去りに、おおよそ似合わない素早い身のこなしで茂みに潜り込んできた。そしてショウの腕を取って、邪魔っけそうに靴を脱ぎ捨て、茂みの奥へと駆け出す。 「えっ? なに? キミ、もしかしてこのボクに一目惚れを!? 奇遇だね、ボクもだよ!」 「何言ってんだ? お前、ショウじゃねーか! 久し振りだな!」 『虹竜の巫女』がそう言って笑う……が、ショウは度肝を抜かれてしばらく声が出ない。彼女の声はショウの命の恩人の、窃盗団のリーダージューダイのものだったのだ。 「え、ええええっ? アニキ!?」 「元気そうだな、良かった。ちゃんと飯食わせてもらってるか?」 ショウが知っているジューダイは、いつも薄汚れた格好をして、顔も泥だらけだった。清潔な身なりをした目の前の美しい少女と、ショウの知っているジューダイが、どうも一致しない。 「なんで女の子の格好なんかしてるのさ! すごく可愛いけど」 「あれ。オレ女だって言わなかったっけ」 「聞いてないよ! じゃあボク今まで……今まで……!」 ショウは今までの自分の行為を思い出して真っ赤になる。ジューダイの腰に飛び付き、抱き付き、平坦な胸に顔を埋める。ジューダイが男だと思っていた時分には何とも思わなかったのだが、彼……彼女が女の子だと知った今にしてみれば、色々ととんでもないことだ。素晴らし過ぎる。 「アニキがこんなに可愛い女の子だったなんて……知ってたら、知ってたらもっと……! ボクの馬鹿!」 ショウは後悔したが、だからと言ってどうなるものでもない。 何故ジューダイが虹竜の巫女なのか? 「ああ、なんかオレも良くわかんねェけど。ヨハンって奴がさ、」 「……ヨハンって、ヨハン王子のこと? アニキ、王子に『って奴』なんて言えるのアニキくらいなもんだよ」 「そうかぁ? ともかく、あいつがオレを助けてくれたんだ。皆の面倒も見てくれるってさ。いい奴なんだぜ、ちょっと意地悪いトコもあるけど。……あ、やべ、そういや喋るなって言われてたんだけど、まいっか」 ジューダイは相変わらずあまりものを考えていなさそうな顔で頷き、遠くから名前を呼ぶ声を聞いてぱっと顔を上げ、ショウの頭を無造作に撫でてにっと笑った。 「オレはそろそろ行くぜ。顔見れて良かった。またな、ショウ」 「あ、アニキ!」 言うなりジューダイはぴゅうっと駆けて行ってしまう。ショウは彼女を呼び止め掛けて、口篭もり、力なく腕を下ろした。 ショウは理解した。今までまるで塵でも見るような目で孤児達を睨み付けていた兵士が、急に手のひらを返したように親切になったのは何故か。どうして暖かい家とお腹一杯の食事なんてものが降って沸いてきたのか。 全部ジューダイのお陰だったのだ。 「ボクも、あの人の為に何かしなきゃ……」 ショウはひとりごちる。そしてぎゅっと拳を握り締めた。その顔つきには決意が見て取れた。 ◆◆◆ ヨハンがわざわざ探しに来てくれたらしい。ジューダイは「よぉ」と右手を上げて、茂みの中から飛び出した。ヨハンは呆れた顔で、木の葉や蜘蛛の巣まみれになったジューダイの服をぱたぱたと手で払う。彼は面倒見が良いのだ。 「よぉ、ただいま。探しに来てくれたのか? 悪いな、方向音痴なのに」 「そう思うんなら勝手にどっか行くんじゃない。この前のお前の暴挙を忘れたのか? 森にこっそり遊びに行った時のことだ。ルビーが一緒なら安心だと思ってたら中々帰って来ないもんだから、心配になって俺が探しに行ったら即迷子。二日飲まず食わずで死ぬかと思った」 「悪いとは思ってるって」 ジューダイは悪びれもせずに頷いた。ヨハンが溜息を吐く。 「まあいいや。それより、さっき話してた奴は?」 「あれ、怒らないのか?」 ジューダイは意外に思って、ヨハンを見上げた。彼は肩を竦めている。 「俺もひどい話だと思ってる」 ジューダイはそれを聞くなりヨハンに飛び付き、頬擦りをして、「やっぱヨハンは分かってる!」と叫んだ。彼はやっぱり気難しい家庭教師やおっかないメイド連中とは違うのだ。 ヨハンはジューダイの背中をぽんぽんと撫でて、「はいはい」と頷いている。彼は良くこうやって兄貴ぶった仕草をする。態度もそんな感じだ。 「あいつショウってんだぜ。オレの仲間だ」 「へえ、あいつがねー」 ヨハンは頷いて、「なるほど」とか言っている。どうも見知っているような口振りだが、それについて尋ねると、「いや、初めて見た」という。良く分からない。 「本音を言うとちょっと面白くないんだけどな」 「ん? なにが?」 「……いや、なんでもない。さ、帰ろうぜ。お前がいなくなって皆大騒ぎだ」 ヨハンはジューダイの手を引いて、城へと続く石畳の道をゆっくりと歩いていく。 ◆◆◆ 彼女にのめり込んじゃ駄目だとヨハンは考える。 いい友人、いい家族、届くのはそこまでだ。 何故なら、彼女はいずれ―― ◆◆◆ 実家に戻り、騎士団の一員として城仕えをするようになってから、ショウはメイド達の雑談や噂話に注意深く耳をそばだてて過ごしていた。 なにせジューダイは王子以外の男とは一切口を利く事を禁じられた、穢れなき虹竜の巫女なのである。そう簡単には傍に寄ることさえできない。昔とは違うのだ。 しかし『王子以外の』という点がいささか気になる。ヨハン王子だけは、例外としてジューダイといつでも話をすることができるのだ。 (まさかこのままアニキは無理矢理王子のお嫁さんにされちゃうんじゃ……) ショウは青くなる。ありえない話じゃない。ジューダイはあんなに可愛いのだ。おまけに気立ても良い。傍にいて彼女を好きにならないことなんてありえない。少なくともショウが王子ならありえない。しかしたとえ一国の王子だとしても、そればかりは許せない。 ショウがそれとなくメイド達に話を伺ってみると、彼女らは意外そうな顔つきになって、「ありえないでしょ」と言う。 その理由ってものが、ショウにはまた驚きだった。 「だって、お二人は実の兄妹なんですよ?」 「……え?」 「知らなかったの? 十数年前に起こった戦争で、虹竜を宿す巫女――この国の王女様が行方不明になってしまわれたの。虹竜を宿しているのは王族の証」 ここへ来てから、本当に驚かされてばかりだ。そう言えばショウも何度か話には聞いたことがある。死んだ王女様の話だ。 でも王女様はテンだかティーンだかいう、『ちゃんと』女の子らしい名前をしていた。ジューダイなんて名前じゃなかったはずだ。 『十代』? 「……あ」 ショウはふとそれと気付き、ぱっと目の前の世界が色鮮やかに染まったような気がした。名前が意味するところはどれも同じだ。 今となっては本当のことは分からないが、それは襲ってくる敵から王女を護る為に、ジューダイを育てた孤児院の院長が付けた偽物の名前だったのかもしれない。 (まさかお姫様と仲良くなれるなんて……あまつさえスキンシップも図ったりしたよね、ボク!) 内心浮かれているショウとは逆に、メイドはふっと顔に影を落とし、「お可哀想に」と呟いた。 「あんなに可愛らしいのに、まだ小さいのに、いつかはこの国の為に身を捧げなければならないのね」 ◆◆◆ 虹竜の巫女は、来るべき日に新しき王に魂を捧げなければならない。 王は巫女の命を栄光と力に変え、王国に永い繁栄と安らぎをもたらすだろう。 分厚い辞書をジューダイの寝室に持ち込み、彼女の部屋でレポートを書いていたヨハンは、文字の羅列を見ると途端に睡魔に襲われてしまうらしいジューダイを見て苦笑した。 「良く寝てら」 だらしない寝顔だ。口はぱかっと大きく開けられているし、顎を伝ってよだれが零れている。加えて大いびきだ。これはやっぱり女の子ってカテゴリから除外されるべきだなとヨハンは考えた。 柔らかくもないし、おしとやかでもないし、鈴のような声を立てて上品に笑ったりもしない。嫁の貰い手はない。十数年ぶりに再会した血の繋がった妹は、実にワイルドに成長していた。 そう、妹なのだ。 ジューダイはまだ何にも知らない。ヨハンは何も教えていない。彼女に「アニキ」だなんて呼ばれるなど冗談じゃない。 洗濯板、寸胴、木の葉みたいな尻、――そういう言葉をいくら並べても、彼女の魅力が失われることはなかった。ジューダイは可愛かったし、他の誰よりも強く『生きている』ということを感じ取ることができた。存在感があった。まるで太陽のようだった。 実を言うと、彼女に恋をしている。 それも生半可なものじゃない。顔を合わせる度に、彼女へ魂が強く引かれていくのを感じていた。そしてその度にヨハンは随分苦労することになっている。 彼女は実の妹だ。 彼女は虹竜の巫女だ。 彼女は、あと数年しか生きられない。 いつか巫女の宿命として、その身を竜に明渡し消滅する。 彼女を好きになっちゃいけないとヨハンは考える。何度も何度も考える。まるで呪文のように、口の中だけで何度も何度も繰り返す。 ジューダイは眠っている。行儀悪く寝返りを打って、無防備に腹を晒し、むにゃむにゃと寝言を言う。 「ん、ヨハァン……なんで……いっつもオレに、そやって、意地悪ばっか……」 ヨハンはくすくすと小さく笑いを零し、静かにベッドに手を付き、そしてジューダイの唇の端をぺろっと舐めてやった。 顔を赤くしながら腕で唇を拭い、自分にこう言い訳をする。ヨダレがついてたから。 だから、なんてことはないのだ。 「……好きになっちゃ駄目だ」 虚ろな顔つきで、ぼそぼそとヨハンは口の中で呟く。 ヨハンは王になる。そしていずれ彼女をこの手で殺さなければならない。レインボー・ルインの為に。 |