虹と吸血鬼





 湿り気を含んだ生暖かい風が、仄かに輝く薄明るい霧を運んでくると、夜の闇はたちまち淡い白一色に塗り潰されていった。鏡のように静かな湖に、重厚なつくりの黒い棺を乗せた朽ち掛けた一隻の木の小船が、まるで旧い時代の忘れ物のようにひっそりと浮かんでいる。
 棺が、錆びた蝶番を軋ませながらゆっくりと開いた。
 かつて恐るべき存在として闇の中へ埋葬され、美しい七色の宝玉と共に永い時間を眠りの中で過ごしてきた最後の吸血鬼が、ゆっくりと身体を起こした。エメラルド色の美しい瞳が薄く開かれた。
 まだあどけなさを残した少年だ。彼は蝙蝠達が群がる船の舳先に立ち、霧の向こう、遠い夜空に浮かぶ白い三日月の果てにある彼自身の使命に、きっと鋭い目を向けた。
――ゆくぞ、しもべ達よ」
 透き通った声はまだ眠りの余韻を含んでいたが、彼自身が取り決めた太古からの決意に強張っていた。

◆◇◆

「相棒、なんか聞こえねぇ?」
『くりくり〜?』
 遊城十代が森の小道の先にある広場で、途方に暮れきった見知らぬ顔の少年を見つけたのは、ともすれば堂々廻りになりそうになる思考にくたびれきって、医務室をこっそり抜け出し、相棒のハネクリボーと夜の森を散策している時のことだった。
 その少年はこの島にはおおよそそぐわない、中世の宮廷劇にでも出てきそうな時代がかった黒いコートを着ていた。黒。デュエル・アカデミアには三色の制服があって、黒というと、思い当たるのは十代の友人の万丈目サンダーくらいのものだ。彼はしばらく在籍していたノース校の制服を気に入ってしまったらしく、未だに油虫みたいな真っ黒のコートを毎日大事に着ている。彼が制服を洗っているところはいまだに見たことがない。だからちょっと臭う。洗えよなぁ、と十代は内心考えている。
 じゃあその黒いコートの少年は、きっと万丈目と同じノース校の生徒なのだろう。顔をどこかで見た事があるような気がしたが、いくら頭を捻っても思い出せなかった。
「ここはどこだ? デュエル・アカデミアじゃないのか?」
 少年が俯きがちに、うんざりした声でぼやいている。
「どうしようお前達……このまま朝になっちゃったら、俺灰になっちゃうよ。この誇り高きアンデルセン家のヨハンが、道に迷った挙句自然消滅って、あんまりにも情けなさ過ぎやしないか?」
 十代が黒いコートの少年にわざわざ目を留めたのは、もうひとつ理由がある。彼の周りを取り囲むようにして、精霊達が集まっていた。象に猫、虎、亀、鳥に羽根付きの馬、あとは……なんだろう? 四つも耳がある奇妙な生き物だ。
 こんなに沢山の精霊がひとところに集まっているということはそうない。十代は思わずはしゃぎ声を上げた。
「う、わー! すっげえ! すっげえ! なんか動物園みてぇ〜!」
「……え?」
「なあなあ、こいつらお前の精霊? お前も精霊見えんの? デュエルやんのか? なあなあ、なあ!」
 少年はそこでやっと十代の姿に気付いて、一瞬顔を強張らせた。警戒されているのかと思えば、しかしすぐにすごく意外なものを見付けたとでもいうふうに、彼は精霊達と十代の顔を見比べて大きく目を見開いた。そして、勢い良く十代に掴み掛かってきた。
「お前、精霊が見えるのか!?」
――っつ!」
 少年に強い力で肩を掴まれた十代は、たまらず膝を折って地面に腕をつき、蹲ってしまった。
 先日、十代はセブンスターズの第一の刺客であるダークネスに取り憑かれた明日香の兄、天上院吹雪との闇のデュエルのダメージを受け、倒れてしまったのだ。外傷こそはもうないが、身体の芯の辺りが腐り落ちたかのような嫌な感覚に陥ることがまだある。闇のデュエルの後遺症は、まだ確実に十代の身体を蝕んでいた。本来ならまともに外を出歩ける身体ではない。
 少年はすぐにぱっと手を離し、恐る恐るといった調子で訊いてきた。
「あ……だ、大丈夫、か?」
「わ、わり……ちょっと待って……」
 しばらく経って、ようやく身体の不快感が消え去ると、十代は改めて少年を見上げた。
「ノース校の生徒だろ? こんなとこで何してんだぁ? 肝試しかなんかか?」
「え? あ、いや、俺は、セブン……いやその、道に迷っちゃってさ。方向音痴なんだ。生まれつき」
「ふーん。オレも森の奥なんかは自信ないけど、どこだ? 分かるとこなら連れてってやるよ。わかんないとこならオレも一緒に探してやる」
 十代はにっと笑って立ち上がり、土で汚れた膝を払った。なぜか少年はとても驚いた顔をしていた。
「お前、俺が怖くないのか?」
「オレに怖いもんなんかないぜ! ……来週の追試とレポート以外だったらな!」
 少年はそこではじめて微笑んだ。
「……あはは。おかしな奴! なあ、さっきから感じてたんだけど、なんかさ、俺達どこかで前に会ったことないか?」
「あ、オレもお前を見た時、同じこと考えてた」
「だよな。初めて会った気がしないんだ。精霊も見えるし、これって運命って奴なのかなぁ〜」
「うんめい?」
「ああ。君と俺は生まれる前から惹かれ合っていて、今この時ようやく巡り合えたんだ。そういう考え方をしたことあるか?」
「ないけど、面白いなお前」
 十代は笑った。


 少年は湖へ出る道を探していたらしい。森の中を、来た道を辿りながら、十代は頭の後ろで手を組んで少年に教えてやった。
「ここからじゃ全然反対だぜ。あのまままっすぐ行くと火山に出るんだ」
「お前に会えて本当に良かったよ」
 彼は神妙な顔をして、しみじみ言った。その顔があんまり真面目くさっていたから、十代は思わず吹き出してしまった。
「いや、お前はそうやって笑うけどさ〜、俺にとっては笑い事じゃないんだぜ、ほんとに。――綺麗なペンダントだな。お前の趣味?」
 少年が十代の首から下げている七星門の鍵を、細い指先でつんつん突付きながら言う。
「これは色々訳ありで、預かりものさ。格好良いだろ。……と、着いたぜ」
 二人が辿り付いた湖はいつもとは少し様子が違っていた。空には巨大な三日月が白く輝いていた。そして視界も一面白一色に覆い尽くされている。どこを見ても真っ白だ。
「すげぇ霧が出てる。こんなの初めて見たぜ。あれ?」
 霧の向こうにぼんやりとした黒い影が見えた。十代は目を擦ってみたが、幻覚ではないようだ。消えない。
「この島に城なんてあったっけ?」
「あれ、俺んち」
「へえー。アカデミアの中に家建てちゃうなんて、なんかお前、すっごいな」
 十代は素直に感心してしまった。そんな奴今まで見た事がない!
 少年は誇らしげに肩をそびやかし、鷹揚な態度で、「お前も遊びに来る?」と言った。
「いいのか? 行く行く!」
「まあなんにもないとこだけど。……人がうちに尋ねてくるなんて、何百年ぶりだっけ」
「へ?」
「なあお前、遊城十代だろ」
 少年は興味と好意を含んだ目で、じいっと十代を見つめている。十代は少々困惑しながら頷いた。オレって結構有名人なのか?
「なんだよ。オレのこと知ってんのか?」
「話には聞いたことがある。実際見るのは初めてだ。すごく強いデュエリストなんだって?」
「いやー、まあ、そうなんだけどさぁ〜」
 十代が得意げに後ろ頭を掻きながらにやにやしていると、一緒に微笑んでいた少年は急に真面目な顔に、いやに真剣な調子になった。
「十代、俺さ、ずっとひとりぼっちだったんだ。そんで、ずっと、ずうっと長い間、どうしても欲しいものがあったんだ。でも俺にはきっと手に入れることができないって諦めてた。――なんだけど、君を見てたら、もしかしたらって思ったんだ。まだ俺にも望みはあるのかもしれない」
 少年は迷うように一呼吸置いて、十代から目を逸らさずに言った。どこか必死さを感じさせる、胸の奥に凝り固まっている『苦しい』を吐き出すような声だった。
「俺、ずっと友達が欲しかった。俺と遊んでくれる、一緒にデュエルしてくれる、そんなかけがえのない存在が欲しかったんだ」
「……はぁ〜?」
 ――正直な話、拍子抜けしてしまった十代だった。
「なんだ、そんなのかよ」
「……俺は大真面目に言ってるんだ」
「馬鹿だなぁお前。もうオレ達は友達だろぉ?」
 その瞬間、少年の目がまるく見開かれ、瞳孔が猫みたいにきゅうっと窄まった。彼は信じられないという顔をしていた。なんでそんな顔をするんだろう? 十代には分からなかった。
「ほんとに、本当に俺と友達になってくれるのか?」
「おう!」
 まだ念押しするみたいに訊いてくるものだから、十代は明るく笑って頷いてやった。いつものように軽い気持ちだった。友達になるのに資格や『やらなきゃいけないこと』や何やかやの難しいことは必要ない。出会った。笑った。喋った。それで充分だ。あとは『一緒にデュエル』があればなおいい。
 すると少年は、苦しいのか、笑い出したいのか、泣きたいのか分からないような顔になって、十代を抱き締め、背中に腕を回したのだった。大げさな奴だな、十代はそう笑ってやろうとした。
 しかし、その試みは上手くいかなかった。首筋にぴりっとした痛みがはしり、全身が接着剤で固められた工作用の割り箸みたいに動かなくなってしまったのだ。
「よ、は……? あ」
 頭の中がかっと熱くなり、息ができなくなって、十代は喘いだ。ヨハンが犬歯……にしてはひどく鋭く尖った牙を、十代の首筋に突き立てている。――なんだ、これ?
 一度根本まで沈めてから、ヨハンはゆっくりと牙を引き抜いた。そして傷口からとろとろと滴る血液を、犬が懸命に水を飲むような音を立てて啜っている。
「大丈夫だ。怖がらなくていい。お前を失うつもりはないんだ。ただ約束の証が欲しい。指きりみたいなもんさ」
 十代は、一度大きく身体を震わせた。不思議なことに、血を吸われているなんて普通じゃないのに、ヨハンを突き飛ばして逃げなければという考えは浮かんでこなかった。ふわふわと身体が浮かんでいくようだ。
「痛くはしない。痛くないだろ?」
 ヨハンの言う通り、痛みはなかった。それどころか、むしろ、
「……ぁ……ん、んっ」
 気持ちがいい。変な声が喉の奥から零れてきたが、頭の芯のほうが熱を持ってじんじんして、麻痺したようになっていて、まるで気にならない。
 ヨハンがすっと身体を離した時に、十代はまぎれもなく空虚な物足りなさを感じていた。唇を動かしたが、声にはならなかった。そもそも何を言おうとしたのだろう?
「これでお前は俺だけの友達だ」
 ヨハンが血で赤く濡れた唇を手の甲で拭い、十代の肩を支えて背中を抱き、耳もとでそっと囁いた。
「また明日の夜に迎えに来るよ。十代」
 遠くから見知った声が聞こえてくるような気がする。誰かに名前を呼ばれているような気がする。でももう何も分からない。感じない。頭のなかはぐるぐるぐらぐらしていた。はっきりとしているのは、たったひとつきりのことだけだった。
 おれは、よはんの、ともだち。

◆◇◆

 夜半過ぎに校長室に呼び出された七星門の鍵の所持者達は、現在学園内に広まっている噂話について鮫島に語られ、揃って怪訝な顔つきになった。
「吸血鬼ぃ?」
「そうだ。他にも湖に浮かぶ怪しげな城の影を見たという者や、見慣れない顔の少年が島内をうろついていたという話も聞いている。生徒達が言うには、真っ黒の長いコートを着た――
 ここで一同の視線が、ノース校から帰って来て以来、いつも丈の長い黒いコートを着用している万丈目に注がれた。
「な、何故オレを見る!」
「いいや、彼ではないよ。宝石のような瞳をしている、エメラルド色の髪の少年だそうだ。話によるとその少年と目が合うと身体が動かなくなり、気がついたら――
「ま、まさか血を吸われていたのか?」
 万丈目が顔色の悪い顔を更に青くする。しかし鮫島は首を緩く振り、
「気がついたら、買ったばかりのドローパンを盗まれていたそうだ。パックのフルーツ牛乳ごとね」
「……それは本当に吸血鬼なんですか?」
 三沢が腕を組みながら拍子抜けしたという顔になる。パンとフルーツ牛乳で生きていける吸血鬼が人間の血を吸う必要があるのだろうか。そもそも血を吸わない吸血鬼を吸血鬼と呼べるのだろうか?
「た、大変なんだな〜!」
 隼人が、この上なく切迫しているのだが、相変わらずいまひとつゆるやかな声を上げながら校長室に飛び込んでくる。
「十代が医務室からいなくなったんだな!」
「なんだと!?」
 万丈目は目を剥いた。十代は先日の闇のデュエルでひどいダメージを受け、まともに歩くことすら難しい身体のはずだ。いくら体力馬鹿の十代でも、あの身体でまともに動き回れるはずがない。おそらく誰かが十代を連れ出したのだ。
 一瞬、『安静』や『静養』を嫌う十代が、医務室のベッドに飽きてふらふらと散歩に出たのかもしれないという考えも浮かんだが、すぐに否定する。いくらなんでもそこまで救いようのない馬鹿ではないだろうと思いたい。


 消えた十代が見つかったのは夜明け前のことだった。湖のほとりで倒れていたところを探しに出た隼人が発見し、医務室に連れ帰ってきたのだ。ベッドの上に寝かされた十代の首筋には、赤黒い、丸いかたちの傷痕がある。板に錐で穴を開けたような、小さくて深い傷だ。それが、二つ。
 十代の傍についている翔は、傷に触れるか触れないかのところへ手をやり、結局触らないまま、「これって、噛み傷……だよね」と言った。
「噂の吸血鬼にやられたんだよ。ねぇ、吸血鬼って、血を吸って仲間を増やすんでしょ? アニキもこのままじゃ吸血鬼になっちゃうのかな……」
 鋭い牙を生やした十代が、漆黒のコートを纏って、夜の闇の中妖艶な微笑みを浮かべながら翔の首筋に唇を近付け、耳もとで掠れ声で囁く。そんな光景が翔の脳裏に浮かんだ。

『翔、痛くしねぇから。お前も一緒に来いよ、なっ?』
『アニキ、ど、ど、どういうことッスか?』
『翔は永遠にオレのもんだ。そんで、オレも翔のもんだ。――ずっと好きだった。結婚しようぜ、翔』
『アニキ……! そういうことなら構わない。ボク一生ついていくッス!』

 不謹慎にも翔は滾ったが、萌えを叫ぶのは空気を読んで自重した。
「くだらん。こいつは孤高で闇に生きる吸血鬼のイメージからは一番遠い所にいる男だろうが」
 万丈目は吸血鬼になってしまった十代を想像しようと試みたが、上手くいかなかった。ニンニク入りの餃子を食って具合を悪くする、うっかり日光浴をして灰になる。間抜けすぎる。そして楽天家で紙きれのように軽い性格の十代に、高貴な黒はまるで似合わない。黒というのは万丈目のように、プライドが高くクールで知的な男にこそ相応しいのだ。
「……は……」
 十代の身体は熱かった。浅い呼吸を繰り返し、時折意味をなさないうわ言を断片的に零している。
「あ、アニキ。どうしたの? なにか欲しいものがあるの? 水?」
「よは……、――
「ヨハン? って誰? ねえアニキ。ねえってば!」

◆◇◆

――ねぇ聞いた? あの噂。この学園の湖のところにね、吸血鬼が出るんですって!
――うっそお、信じらんない!
――何でもエメラルド・グリーン色の髪の美少年なんですって。
――美少年? それはちょっと怖いけど見たいかも……。


 夜の訪れと共に、噂の吸血鬼が現れたという知らせを聞いて、鍵の所持者達が霧深い湖のほとりへと駆け付けると、異質な風景が広がっていた。巨大な月を背に佇む古城だ。デュエル・アカデミア学園の中に、巨大な城が聳え立っているのだ。
「昼間にはこんなもの無かったはずだぞ。どこの誰だ? この万丈目サンダーの許可無くアカデミアの中に家を建てる馬鹿は」
 万丈目が腕を組んで古城を睨み付けて文句を言っていると、どこからともなく生温い風が吹いてきた。背筋がぞっとするような大気の流れに運ばれるようにして、トーンの高い少年の声が聞こえてくる。
「馬鹿はないだろ〜。馬鹿って言う奴が馬鹿なんだぜ。ばーか」
 古城から万丈目達の元へ、湖の上を一直線に、赤い絨毯がするすると伸びてくる。やがて一人の少年が尊大な足取りで現れた。エメラルド色の髪、黒いコート。今学園で吸血鬼だと噂になっている、セブンスターズの少年だ。
「ようこそ、赤き闇への道へ……!」
 少年が行儀良く一礼した。
「さあ始めよう、闇のデュエルを! この誇り高き吸血鬼の血統、ヨハン・アンデルセンが相手だ。楽しませてくれよな」
「よはん?」
 翔が怪訝な顔つきになる。ヨハン。確か熱に浮かされた十代がうわ言で言っていた名だ。吸血鬼のヨハンと、十代の首筋の噛み傷。思い当たることはひとつしかない。翔はいつもの『気弱な少年』の顔を墓地に捨て、ヨハンにほとんど掴みかかって行くようにして怒鳴った。
「じゃあやっぱりお前がアニキの血を吸ったのか! ふざけるな、この変なフリル男! なんてうらやま、じゃなくて、今すぐアニキを元に戻してよっ! ボク吸血鬼のアニキなんて嫌だよ! ちょっとだけ、ほんのちょっとだけ萌えるけど! ああもう、離せ三沢くん! ボクそこの人外フリルをブッ倒してニンニク漬けの日干しにして心臓に杭を百本くらい打ってやらなきゃ気が済まない! 良くもボクのアニキを傷物にぃい〜! アニキがお嫁に行けなくなったらどうするんだ! まあその時は勿論このボクが甲斐性見せるけどさ!」
「落ち付け翔! 相手は闇のデュエルを仕掛けてくるセブンスターズだぞ! なんか、ちょっと、お前の心の闇の方が深そうだけど!」
 ヨハンは何故翔が激昂しているのか分からないという顔で肩を竦めている。
「やれやれ、人間って変だから嫌いだ。もえ?とかは良くわかんないけど、じゃあ俺を倒せばいい。闇のゲームをしに来たんだろ? ルールは簡単、勝者は鍵を手に入れる。敗者は哀れな人形になるのさ。そして俺は欲張りだから、鍵ともうひとつ欲しいものがある」
 ヨハンは胸に手を当て、大真面目に言った。
「俺さぁ、この島で運命のひとを見付けてしまったんだ」
『うんめいのひとぉ〜!?』
 セブンスターズの吸血鬼が、何がどうなったのか、デュエル・アカデミア生に恋をしてしまったらしい。ヨハンは「いやあ」と照れたような顔で後ろ頭を掻いている。子供っぽい気楽な仕草で、あまり吸血鬼らしくは無かった。
「まあそのー、俺はあの子をまだ何も知らない。ただ笑顔が可愛くて、とっても優しい子だってくらいだ。でも一目で好きになっちゃったんだ。あの子からは俺と同じ匂いがする。きっと俺達二人は良く似てるんだ。人間にしておくには勿体無い。俺が勝ったらあの子を、俺と同じ吸血鬼にする」
 ヨハンはとんでもない事を言い出した。
 三沢が「その、す、好きな子というのは誰のことなんだ?」と恐る恐る尋ねると、ヨハンはあっけらかんとした顔で、「お前達と同じ、鍵を持ってた子さ」と答える。鍵を持つ女性デュエリストと言えば一人しかいない。
「まさか……天上院君!?」
「アニキのことかっ!?」
「お前はアホか金魚の糞! なんでそこで十代が出てくる!」
 万丈目が翔を小突いた。十代はともかく(そもそもあれは男なのだ)、明日香は才色兼備のデュエル・アカデミアの女王だ。彼女なら、吸血鬼が一目惚れ、などという訳の分からない話もすぐに納得できてしまいそうだった。
 ヨハンは退屈してきたらしく、どこかソワソワした様子で、「で、誰がやんの」と言った。
「俺早いとこあの子を迎えに行きたいんだ。誰でもいいからさっさと決めてくんないかな」
「生徒を怪物にするなんて、そんなことはこの私が絶対許さないノーネ!」
 まず、クロノスが前に出た。


 明日香が医務室で意識のない吹雪と十代を看ていると、いつの間に現れたのか、万丈目のような黒いコートを着た少年がベッドの傍に立っている。背格好やまだ幼さを色濃く残した顔立ちから、歳は明日香達と同じ位だろう。現在学園内で広まっているエメラルド色の髪の吸血鬼の噂を聞いていなければ、明日香も少年をノース校の生徒だと認識していたかもしれない。
「あなたは……!?」
 明日香は咄嗟にパイプ椅子から立ち上がろうとした。しかしどうなっているのか、身体が石膏で固められたように動かない。
 少年は明日香と眠ったままの吹雪に見向きもしないまま、いまだ熱に浮かされている十代の傍に立つと、無造作に手を伸ばして彼の額に触れた。
(やめなさい! 十代に何をする気なの!)
 明日香は叫ぼうとした、はずだった。しかし口が動かない。声が出ない。少年の手が触れると、苦しげだった十代の表情が少し和らいだような気がした。
 十代がすっと目を開く。まだ意識ははっきりと覚醒していないようで、彼の瞳に光はない。
「お前……また迷子になったのかよ……しょうがないやつだぜ……」
 聞き取り難いぼそぼそ声で十代が言う。少年はゆっくりと首を振った。
「違う。君を迎えに来たんだ。俺と一緒に行こう。吸われた傷が疼くだろう? それとも、お前も俺のことが怖いか?」
 十代はふらふらと腕を伸ばし、力なく少年の手のひらを握った。一瞬少年の身体が、びくっと大きく震えた。
「湖……お前んち……また連れてってやんなきゃ……」
「だから、違うって」
 少年は少し笑った。
 そしてベッドの上の十代の身体を大事そうに抱き上げて顔を覗き込み、

「これでやっと……俺はもう、ひとりじゃない……」

 ――コートを翻して、ふっと掻き消えた。
 少年が消えると、明日香の身体も動いた。
「十代! ……なんてことなの」
 呼んでも、あのいつも元気が有り余っているオシリス・レッドの少年の明るい返事はなかった。十代はセブンスターズの吸血鬼に攫われ、いずこかへ消えてしまったのだ。

◆◇◆

 額に冷たい手のひらが触れると、今まで十代を苛んでいた息苦しさがふっと掻き消えた。焼けつくような身体の熱さもいつのまにか消えている。視線を上げると心配そうに覗き込んできているエメラルドグリーンの瞳と目が合った。ヨハン。
「大丈夫か?」
 ヨハンが言った。十代は頷いた。
 まともな意識を取り戻す前の記憶は漠然としたものだった。ただ、今十代が横たわっているベッドは医務室のものとは比べものにならない程柔らかくて大きかったし、豪奢な家具が博物館みたいに並んでいて、馬鹿に広いのに、ぽっかりと空虚な感じがする中世の城のような部屋も知らない。
「……ここどこ?」
「俺んち」
 ヨハンはそう言ってから、くすぐったそうな様子で、「いや、違うな」と言い直した。
「お前と俺んち」
「ヨハンと俺んち?」
 十代は首を傾げた。おんぼろレッド寮に住み、めざしと納豆を毎日楽しみに生きている十代には、まるで似合わない『家』だった。何かの悪ふざけだと思うのだが、ヨハンに冗談を言っている気配はない。
「そう。俺、ゲームに勝ったんだ。だからお前は俺のものになった。俺とお前はたった今から家族になったんだよ」
 ヨハンが言った。彼の胸には、十代のものに良く似たペンダントが下げられていた。
 十代はそのことに曖昧な不安感のようなものを感じたが、
(……なんだっけ?)
 頭の中に霞が掛かったようになっている。この鍵は何だっけ?



>>