虹と吸血鬼
子供の頃のことだ。夜が来ると、ヨハンが一人きりで暮らす離れに主が顔を出した。 「やぁこんばんは、ヨハン。またしばらく食事を取っていないんだって?」 ヨハンの主は『王様』をやっている。 歳は二十代半ば程、『王様』をやるには馬鹿に若い男だが、ヨハンは精霊と心を通わせ、多くの人間に慕われているこの男のことを純粋に尊敬していた。 「アメジストに聞いたの? それともサファイア?」 「皆だよ。随分と心配していた。血は嫌いか?」 「……嫌な感じがするんだ、すごく」 ヨハンは正直に答えた。主は頷いて、「可哀想に」と言った。 「お前は人の命を奪わなければ生きられない生き物なのに、人の痛みを知ってしまった子だからな。でもお前は血を飲まなきゃならない。そうでなければ生きられない。背も伸びないし、強くもなれない。オレのように強い男になるんだろう?」 「……なる」 ヨハンは渋い顔で頷いた。主は笑った。笑って、その大きくて武骨な手のひらを飾りナイフで傷付け、傷口から滴った血液をティーカップに注いだ。 「味がきつければミルクを入れるといい。これなら飲めるだろう?」 ヨハンは目を伏せて頷いた。主に心配を掛けていることが苦しかった。 「ごめんなさい」 「おかしなことを気にするんじゃないよ。オレもユベルもお前のことを自分の子供のように思っているんだから」 王は人好きのする顔で、目を細めてヨハンの頭を撫でた。 ヨハンは目をぎゅっと閉じて、熱い紅茶と主の血がなみなみと注がれたティーカップを一気にあおった。血は嫌いだ。苦い、まずい、命の味がする。でも飲まなきゃならない。早く大きくならなければ、強くならなければ、そして―― ヨハンはまっすぐに主を見つめた。 「戦いたい、はやく、貴方のとなりで」 主は少し困ったような顔で微笑み、 「強くなれ、ヨハン」 ゆっくりと噛み締めるように言った。 翌年、主は戦場で散った。 ◆◇◆ 城内のバスルームに十代が足を踏み入れたところで、ヨハンの奇声が上がった。言葉にはならない、できない、本当におかしな声だった。 「****! ********!! *******!?」 ヨハンはシャワーカーテンに包まって、涙目で不明瞭な『わけのわからないこと』を大声でわめいている。ほとんど悲鳴のようだった。 「なんだあ?」 十代はきょとんとして、中空に浮かんでいるハネクリボーと顔を見合わせた。 「わかんねぇって。わかる言葉で話してくれよ。どうしたんだよヨハン。オレなんかやっちゃったか? なんも思い当たることねぇんだけど……なっ、ハネクリボー」 『クリクリ〜?』 「**********〜!!」 「だから、わかんね……ひ、っくしゅん! うー、湯冷めしちまったぁ〜」 ヨハンは何らかの強い意志をどうしても十代に伝えたい様子だったが、このままでは二人共風邪を引いてしまう。 十代は、何故か顔を真っ赤にしているヨハンの腕を引っ張った。 「**************!!!!!!!!!!!!」 「わっかんねーの、もぉ〜。日本語で言ってくれぇ」 「****!? ***! ああ、……こんな、こんなの破廉恥だぜー!!!!」 「『はれんち』ってなんだ?」 「あーもうお前っ、ばかやろー! こっち見んなよぉ〜!!」 ヨハンは裸を見られるのが、十代の裸を見るのが、そして友達と一緒に風呂に入るのが、非常に恥ずかしいらしい。 「なんだよ。男同士なんだから別にいーだろ〜? 友達同士の裸の付き合いってのはさ、日本じゃ当たり前のことなの」 十代は取り合わず、ヨハンをバスタブに引き摺り込んだ。アカデミアの真中に城を建ててしまうくらいなのだから、ヨハンもものすごい金持ちのお坊ちゃんというやつなのだろうが、しかしこの狼狽ぶりは万丈目よりも更にひどい。お坊ちゃんってのは面倒臭いんだなあ、と十代は考えた。 「だって、しょうがないだろ」 ヨハンは顔を俯かせたまま、消え入りそうな声で言った。耳まで真っ赤だ。 「しょうがないじゃないか。友達と一緒に風呂に入るなんか、初めてなんだよ」 十代は「ふうん」と頷き、バスタブに浮かんでいる薔薇の花びらを摘んで口の中に入れた。特に味はしなかった。ヨハンが呆れた顔で十代の頭を叩き、「ほんと、ばかやろぉ」と言った。 ヨハンと一緒にいる時、たまに十代の記憶は曖昧でふわふわしていて掴み所のない夜空の雲のようになる。今までふざけ合いながら風呂に入っていたり、オベリスク・ブルー寮みたいな、これまで十代が見たことがないくらいに豪華な夕食を取っていたかと思うと、次の瞬間にはベッドの中だったり、年代もののソファに腰掛けてうとうとしていたりする。前後の記憶がつながらない。そういうことがたまにある。 ヨハンに見つめられると、まるで十代の目も身体も魂も全部が、あの透き通ったエメラルド色の瞳の中に吸い込まれていくような心地になる。頭の芯がじんわり弛緩したようになって、意識がふっと途切れる。今夜もそうだった。気がつくと十代は暖炉のそばの椅子に掛けて、眠ってしまっていたようだ。腹の上から膝掛けが掛けられていて、向かいの椅子にはヨハンが座っている。銀縁の眼鏡を掛けて、長い年月のせいで紙が黄色く変色してしまっている分厚い本を読んでいる。タイトルは分からない。そもそもヨハンが読んでいる本はいつも、十代にはまるで理解出来ない外国の文字で書かれているのだ。 十代が目を擦っていると、ヨハンは人差し指で眼鏡の縁を上げて、「おはよう」と言った。 「良く寝てたな」 「今何時? オレ、いつの間に寝ちゃってた?」 「もうすぐ朝だ。夕方過ぎからずっと寝てたよ。ああ十代、口の横」 「よこ?」 「涎。拭けよ」 「よだれ」 まだ意識がぼんやりしていて定まらない。十代はヨハンに言われるままに袖で口の端を拭った。 「締まりのねぇ顔」 ヨハンが笑った。 ふと見ると、暖炉の向かいのテーブルに小さな人形が置かれていた。青い縁の入った白いコートを着た、どこかで見たことがある顔の人形だ。十代は膝掛けを引き摺りながら人形を摘み上げ、しげしげと見つめた。良くできた人形だ。結構可愛いんじゃないだろうか。 「あはは、なんだこれぇ? カイザーにそっくりだ」 そう言ってからふと十代は、「カイザーって誰だったっけかな?」と考え込んだ。そしてすぐにオベリスク・ブルー所属の三年生、翔の本物の兄貴で、物凄く強いデュエリストだったことを思い出した。十代は一度彼に負けたのだ。 何で忘れてしまっていたんだろう? ヨハンといるとそういうことが良くある。十代は頭が悪くて、物覚えも悪いが、そいつが更にひどくなるような気がする。 (まっいっか。今に始まったことじゃねぇし) 十代はあまり考えないことにした。考えるのは苦手なのだ。 「人形が気に入ったのか? ならやる。勝利を君に捧げるよ」 ヨハンが言った。十代が振り向くと、ヨハンは首から鍵をふたつ下げている。十代が眠り込む前に、いつも下げていたものと、あともうひとつは見覚えが無かった。 「あれ? ヨハン、そのペンダント、いつの間に増えたんだ?」 十代は、自分の胸の上に留まっている奇妙なかたちのペンダントを指でいじって、首を傾げた。これは確かすごく大事なものだったのだ。鍵だ。 (かぎ? どこの?) ヨハンは本から目を上げて、眠そうにあくびをした。ヨハンは朝が来る前に眠り、日が沈むと起きだしてくる。良く寝るよなぁ、と十代は思っている。ヨハンはまるで黴が生えてしまいそうなくらいに良く眠る。 「気になるのか?」 「オレも同じの持ってる」 「十代の鍵は、いいんだ」 「いいって?」 「お前はいい。お前のものは俺のもの、俺が持っててもお前が持ってても一緒だから」 首からいくつもぶらさげてると、じゃらじゃらしてうるさいんだ。ヨハンがそう言う。 「ふぅん」 十代は頷いた。 ヨハンが十代をじっと見つめている。彼の瞳は、相変わらず宝石のように綺麗なエメラルド・グリーンだ。崖の上から遥か下方の海を見ているような、草っぱらに寝転がってぽっかりとした青空を見上げているような、そんな気分になる。引き込まれる。 十代は欠伸をして、膝掛けを引き摺って、人形を掴んだまま、ソファに寝転がった。強く握り過ぎたせいか、人形が何か文句を言っているのが聞こえたが、そんなはずはないだろう。人形は普通喋らない。 「ふぁあ、ねみぃ〜」 「寝ちゃえよ」 ヨハンの声がする。十代は目を擦り、うん、と頷いたと思うと、また泥のような眠りの中に沈み込んでいった。ヨハンのことは何も言えない。十代も同じだ。黴が生えそうなくらいに、眠ってばかりだ。 ◆◇◆ ふらふらと起き出してきた十代は、またソファの上で仰向けになって、腹を出して眠っている。だらしない格好で、いびきがうるさい。ヨハンはそっと十代の顔を覗き込み、首筋のすべらかな皮膚にそっと唇を押し当て、牙を当て、慌てて身体を離した。そして、恐る恐る十代の手から膝掛けを取り上げ、身体に掛けてやる。 ヨハンは口元を押さえていた。顔は青い。 満月が近いのだ。 月の満ち欠けは、夜を生きる吸血鬼に強い影響力を持っている。月が丸く輝くと狂暴な衝動が沸き起こり、人間の血が吸いたくて、我慢ができなくなる。反対に月が真っ黒の夜空に塗り潰されて消えてしまうと、眠くてしょうがなくなる。吸血鬼とは結構不便な生き物なのだ。 ヨハンは十代に背中を向けて座り込んで、頭を抱えた。 十代の血は甘くて、どこか懐かしい味がした。 また十代の血を吸いたい。今度はあんなに少しじゃ満足ができない。身体中の血液を絞り尽くすまで、からからの干乾びたミイラみたいになるまで。 (だめだ。十代だけは壊しちゃだめだ、ともだちなんだから) ヨハンはうなだれて、何百年もの間なにも変わらずにいる城の朽ち掛けた重厚な壁に向かって、「もう勘弁してくれよ」とぼそぼそと零した。 ひとりは、疲れた。 ◆◇◆ 翌日の夜半過ぎのこと。眠っていた十代の頭の上に、ヨハンに貰った例の人形が落っこちてきた。 「んん。もー、なんだよカイザぁ人形〜……」 十代は口を尖らせて文句を言いながら、ベッドから身を起こした。 それにしても人形は本当にカイザー亮にそっくりだった。ヨハンが作ったのだろうか? 彼は手先が器用なのだ。 古城の窓からはどんよりと曇った夜空が見えた。灰色の石の壁を雨粒が叩く音も聞こえる。雨が降っている。どうりでじめじめしている訳だ。古びた城の中に湿気が篭って息苦しい。 「今何時だろ。うー、トイレトイレぇ……」 十代はあくびをしながらのろのろと寝心地の良いベッドから降りた。室内にヨハンの姿はない。ヨハンは変わった少年で、柔らかいベッドよりも狭苦しい棺桶なんかの中で眠る方が好きなのだ。そこばっかりは十代はヨハンを理解出来ない。 廊下へ出ると、広間の方から物音が聞こえる。人の声もする。それもひとりやふたりのものじゃない。この城に客なんて珍しいなと十代は思った。 ここにはいつもヨハンと十代のふたりきりしかいないのに。 「――場ががら空きだぜ。次のターンお前を守るモンスターはもういない」 ヨハンが抑揚のない声で言った。落ち付いている。その顔にデュエルを楽しんでいる様子はない。ヨハンの言う通り、対峙している万丈目を守るモンスターはいない。 十代は石造りの手摺りに体重を掛けて、今にも決着が着き掛かっている二人のデュエルに、素直に感心していた。あの万丈目を追い込むなんて! 「おーヨハンつえー! 万丈目もがんばれー! なにお前ら、なになに? みんなでデュエルやってんの? オレもやる! 次! オレも混ぜてくれ〜!」 十代が上から両手を振って大声を上げると、ヨハンと万丈目は同時にぱっと素早く顔を上げ、 『あの……バカ!』 声を合わせて、舌打ちをした。 「十代! そんな所で何をやってる!」 万丈目がいつものように十代を怒鳴り付けた。彼の後ろには見慣れた顔ぶれが並んでいる。十代を見付けた翔がはっとした顔になって、「アニキ!」と叫んだ。 「翔。お前ら、なんでこんなとこにいんの」 「アニキ! 無事だったんだね! そこの変態吸血鬼に変なことされなかった!?」 「へんたいきゅうけつき? なんだそれ」 「貞操は無事なの!? アニキの純潔がそんな緑色の蚊トンボに散らされたなんて考えたくない!」 十代には翔が何を言っているのかがさっぱり理解出来ない。三沢が興奮している翔を押し留めた。 「翔、お前がいると話が進まん。少し黙っていてくれ。十代、無事か?」 「無事って?」 「覚えてないのか? お前はそこのヨハンに攫われてこの城へ連れて来られたんだろう。奴はセブンスターズだ。お前や俺達の持っている七星門の鍵を狙っている」 「せぶん……わけわかんないこと言うなよな」 十代は面食らって、憮然とした面持ちで三沢に言った。 「ヨハンはオレの友達だ」 「目を覚ませ! 鍵を全て奪われたら、世界が滅びてしまうんだぞ!」 鍵と聞いて、十代のなかにある曖昧でぼうっとした記憶が、一瞬はっきりとした形を成して、そしてまた崩れ、消え去っていく。 「そう、お前達人間の世界は滅びる。そして俺達の世界が生まれる。愛に満ち溢れた素晴らしい世界だよ、十代」 ヨハンが静かな声で言う。 「ヨハン?」 ヨハンは十代に向かって厳しい表情で首を振り、「あんな奴らの言葉に耳を貸すんじゃない」と言った。 「それよりも、闇のデュエルは俺の勝ちだ。マンジョウメって言ったっけ。約束通り、お前には人形になってもらうぜ」 「くそっ……!」 ヨハンにデュエルで破れた万丈目は、みるみるうちに全身が透き通ってゆき、まるで氷が溶けるようにして、じわじわと消滅してしまう。見慣れた黒コート姿が掻き消えたのと同時に、ヨハンが指で摘んでいるのっぺらぼうの人形に変化が現れた。 やぶにらみの目つきに、つんつんした黒い頭、おなじみのノース校の制服。万丈目そっくりになった人形を、ヨハンは無造作に十代に放って寄越した。落としてはかなわない。十代は、慌てて万丈目人形を腕に受ける。 「それも君に捧げる。もちろん、気に入ってくれるよな」 ヨハンが、十代ににっこり微笑み掛けた。 『万丈目のアニキが人形になっちゃったわぁ〜ん!』 おジャマイエローがしなを作って中空に座り込み、噴水のような涙を流している。十代はいまや手の平に収まる程に小さくなってしまった万丈目を、じいっと見つめた。この人形は可愛くない。目つきが悪いし、見るからに意地悪そうな顔だ。持っていると何か悪いことがありそうだ。しかし、問題はそこじゃない。 (ってことは、これも、まさか) 十代は思い当たって、ポケットに突っ込んでいたカイザーの人形を引っ張り出した。 「それ、お兄さん! アニキ、ヨハンはボクのことを人質にして、汚い手を使ってお兄さんに勝ったんだ!」 思った通りだ。翔が叫んだ。しかしいくら翔の言うことでも、『汚い手』というところは、どうしても信じられない。ヨハンは少々世間知らずで、異国の人間だからか意思の疎通がうまくいかないところもあったが、それでも彼が一本芯が通った人間だということを、しばらく一緒にいた十代は良く知っていた。ヨハンは悪い奴じゃないし、卑怯な真似ができる男ではない。 「きたない手を使うなんてさ、そんなことヨハンがするはずないだろ。そいつは正々堂々としたいいやつなんだ」 翔がぐっと詰まり、悲しそうな顔になる。そこに口を出したのは、意外にもヨハン本人だった。 「嘘じゃない、十代。本当のことさ」 「へ?」 十代には理解ができない。 「なんで? きたねー手なんか使わなくたって、お前のモンスター、すっげぇ強いじゃん」 ヨハンのモンスターは美しく、気高く、強かった。皆精霊だ。ヨハンのことが大好きなのだ。それは見ていて分かる。精霊の宿るカードの使い手が、デッキの信頼を裏切るようなことを仕出かすはずがない。だから十代には分からない。 「保険だよ。勝てるかどうか分からなかった。俺は絶対に負けられないんだ」 ヨハンが静かに答えた。 「十代、お前は俺の友達だよな。だったらたとえ何があろうと俺に文句を言うな。逆らうな。お前は黙って俺の言うことを聞いてろ。そしたらお前だけは生かしておいてやる」 「それってなんか変じゃねぇ? なんでだよ、ヨハン!」 ヨハンのことは好きだ。大事な友達だ。だが彼の言い分はあまりにも横暴だ。十代がたまらず反論すると、ヨハンはエメラルド色の瞳をすっと細めた。 「俺に歯向かうのか? やんのか、十代」 あからさまに気分を損ねている様子だ。ヨハンはデュエルディスクを展開し、吐き捨てるようにして言った。 「おとなしく俺の言うことが聞けないって言うなら、お仕置きをしなきゃならない。お前も人形になって、しばらく頭を冷やしてろ」 「このわからずや!」 「わからずやはどっちだ。……いや、そうだ。お前を人形にするよりも、いいことを思い付いたよ」 ヨハンが瞳を妖しく輝かせ、舌なめずりをした。獲物を狙う猛禽の目だ。いつものどこか気の抜けたような雰囲気は、今の彼のどこにも見付けられない。そうすると目の前にいるヨハンは、まるで十代が知らない人物のように見えた。 「十代、お前はまだ知らなかったよな。吸血鬼ってさ、満月の夜が来ると、人間の血が飲みたくてたまらなくなるんだ。我慢ができなくなるんだ。俺さ、血を、お前の血管に流れてる血を、一滴残らず全部吸い尽くしてやりたくてうずうずしてたんだ。でもそこまで徹底的に傷付けたら、きっとお前は怖がってしまうだろ? お前に嫌われたら、俺またひとりぼっちになっちゃうから、ずーっと我慢してたんだけど……でも駄目なんだ。もう我慢できそうにない」 「ヨハン」 十代は、そっと首筋に手を触れた。皮膚には太い錐で穴を開けられたような傷が付けられている。ヨハンが十代の血を吸った傷痕だ。 ヨハンは吸血鬼なのだ。頭のもやもやがすっと引いていくと、そのことに、今になって十代はようやく違和感を覚えていた。ここのところずっとあった普通が、一瞬で普通じゃなくなってしまった。 ヨハンは言った。 「俺が勝ったら、お前の血を全部くれよ。大丈夫だって。お前のことも、今みたいな半人前じゃない、ちゃんとした吸血鬼にしてやる。干乾びたくらいじゃ吸血鬼は死なない。百年か、ニ百年か、そのくらい寝てれば元に戻るんじゃないか? その頃にはちょうどすごく素晴らしい世界が出来上がってると思うぜ」 「せかい?」 十代は無意識に胸元のペンダントを握り締めて、ヨハンに尋ねた。どうしてか口の中が乾く。 「そう。俺とお前のふたりきりしかいない世界だ。俺がお前の血を吸って、そんでお前が俺の血を吸うの。それを永遠に繰り返すんだ。二人で沢山やりたいことやって、楽しいことをやるんだ。愛に満ち溢れた素敵な世界さ。お前の為にもきっと作ってみせるよ。だって俺達友達だもんな」 ヨハンは何もおかしいところなどはないというふうに、いつものように、笑っている―― |