灰色の煙が大気の中で一筋に纏まって、すうっと天へ昇っていく。燃えるものが無くなったせいで火はもう消えていた。白い灰の上で、死に掛けた蚊みたいな弱々しい燻りが残っているきりだ。
 冬の凍て付いた海の風が四方から島へ押し寄せてきて、身を切るように冷たかった。痛みすら感じるほどだった。冬休みのデュエル・アカデミアには相変わらず人気が無かった。生徒のいない学校ほど寂しい場所はない。
 それでも新学期が始まったら、正門も教室も購買も沢山の生徒でごった返すことになるだろう。また楽しい日常が帰ってくることだろう。購買でトメさんの手伝いをし、良く分からない数式や化学式や漢字を勉強して、何度も何度もデュエルをやるのだ。
 でもきっと僕のこの胸のもやもやは、来年になっても、再来年になっても、ずっと消えることは無いんだろう。
 そして僕はいつか大人になるのだ。十代やヨハンと同じ嘘吐きの大人になるのだ。
 日記帳を焼き捨ててしまうと、僕は立ち上がって幽霊寮へ戻ることにした。

◆◇◆

 それはその年の、夏休みを間近に控えたある日のことだった。
 明日香先生に校長室へ呼び出された僕は、そこで思ってもいなかった話を聞いたのだ。
「ヨハン・Y・アンデルセンのプロ・リーグへの復帰試合を、このデュエル・アカデミアで行うことになったの。遊城くん、学園代表として、彼のデュエルを受けてみる気はないかしら?」
「ヨハンが生きてるの!?」
 僕は驚いた。不思議でたまらなかった。暗い海の底に身体一つで放り出されて、なんで生きてるの?
「ええ……学園代表はこちらから選出しようという話になっているんだけど」
 明日香先生は僕の顔をじっと見つめて、「実力的にもあなたが適任だと思ったわ」と言った。僕はすぐに頷いた。
「やらせて下さい。僕がやります」
 僕でなければならなかった。僕は一度きちんとヨハンと向き合うべきなのだ。


 同級生達はプロ・デュエリストのヨハンと対戦ができる僕のことを大層羨ましがった。「生で宝玉獣デッキが見れる!」と同寮生が目を輝かせていたのも見たし、マリカを初めとするブルーの女子は、「生でヨハン王子様が見れる!」と、別の意味で目を輝かせていた。女の子ってちょっと良く分からない。
 ヨハンは自称僕の父親なのだが、子持ち男に『王子様』なんてメルヘンな呼び名はまだ適用されるのだろうか? ぎりぎりなのだろうか、それとももうアウトなのだろうか?
「遊城十代の方が格好良いよ。あーあ、彼のデュエルが見てみたかったなぁ。死んじゃったなんて嘘だよ」
 ツトムは相変わらず十代一筋だ。僕も彼を見習わなければならない。たとえかよわくて、もし負けたら泣いてしまうかもしれないくらいに弱虫でも、僕はいつでもあの人のファンだと言ってあげられるくらいでなければならない。
「ヨハンに殺されたってほんとかなぁ……ねぇユウキ、あれほんと?」
「……他の話をしない? あまりその話はしたくないんだ」
 僕は相変わらず楽しい毎日を送っている。でも僕自身の中でまだ折り合いをつけられないうちは、上手く何も説明ができそうになかったから、ことの始まりもことの顛末も、まだ誰にも話していない。大徳寺先生にも話していない。僕は大徳寺先生に対する信頼を半分失い掛けていたから、そのせいもあったかもしれない。翔に「あの人ほど信用できない大人はいないッス」と聞かされたこともあって、ますます僕はかたくなになっていった。先生は僕が反抗期に入ったと嘆いていた。このごろ良くファラオに向かって弱音を吐いている。ちょっと可哀想な気もするけど、「それも奴の手なんだよ」と翔が言っていた。……大徳寺先生は本当に翔の恩師なのだろうか?
 翔は以前よりも僕に優しくなったような気がする。剣山と同じく面倒見が良いし、僕のことを『フリル似』と呼んで小突き回したりももうしない。きちんと名前で呼んでくれる。良い名前だと誉めてくれる。「悪霊が憑いてたんだ」と彼は言った。
「それにしてもきみも可哀想な子だよね。似なくて良い方にひどいくらい似ちゃってさ。でもそのもみあげは最高に格好良いと思うよ、うん。もみあげだけね。アニキに良く似てるね」
 僕の良いところはもみあげだけらしい。なんだか悲しくなってくる。


 僕がアカデミア代表に選ばれたヨハンとの対戦の日は、あっという間にやってきた。同じプロとしてデュエルが気になったらしく、万丈目も顔を見せていた。聞いた話では彼は以前ヨハンに負けたことがあるらしいが、おジャ万丈目ブラックサンダーが本気を出してかなう奴なんかいる訳がない。きっとヨハンが卑怯な手を使ったに違いない。そう僕が憤慨していると、「ちび、やはりお前は良く分かっている」と万丈目に誉められた。ハネクリボーが相変わらず恨みがましげな目で僕と万丈目を見つめていた。
 万丈目はデュエル場でヨハンを待っている僕に、何か言いたそうな顔をしている。何だろう?
「しかし、その……あれだ、ちびすけ。あまり奴を嫌ってやるな」
 万丈目が僕から目を逸らしてごにょごにょと言った。
「ヨハンに言われたの?」
「いや、まあ、なんだ……」
「そう。万丈目の対戦を見て、俺達のは見てないなんてないぜ。もったいねー」
 はっとして、その声が聞こえた方を弾かれたように見ると、
「……ヨハン!」
 数ヶ月前のあの日、海の底へ消えて行ったヨハンの姿があった。本当に生きていたらしい。僕はしばらくまごまごして、それからぷいと顔を背けた。僕はまだ彼を許した訳じゃない。それに今更何を話せばいいのか分からない。
 だが僕の対戦相手であるはずの彼は、何故か随分リラックスした様子で客席に頬杖をついて座っていた。
「何故お前が客席にいる。デュエルをやるんじゃなかったのか」
 万丈目が僕の訊きたかったことを、訝しげな顔で、ヨハンに尋ねてくれた。彼はやっぱり頼りになる。ヨハンは『まあまあ』とでもいうふうに、手摺りに身体を持たせ掛けて、僕に向かってひらひらと手を振った。
「先約があるのさ。俺は二番目」
 そんな約束僕は知らない。
 ――いや、ひとつだけ思い当たることはあった。
 でもそんなはずがない。あの人はもうどこにもいないのだ。どんな未来でも果たされることのない、袋小路のような約束だ。そのせいで僕も十代も嘘吐きになった。

 そんなはずがない、のに――

 暗い廊下の向こうから、軽やかな、楽しそうな足音が聞こえてくる。
 靴の底が床を叩く、僕の知らない足音だ。僕の知っているあの人は、鳥のようなそれはそれは奇妙な足をしていて、彼の足にぴったり合う靴なんてどこにも無かったのだ。
 やがてまるで緊張のない様子でデュエル場に現れたのは、赤い服を着た、僕の一番大切な思い出の中に登場する、もういないはずの人物だった。
 彼はどうしてか『普通』の身体で、『普通』の世界の中に現れた。光の中へ。――目は痛まないのだろうか? 大丈夫なのだろうか?
 そして僕に向かってあの頃のように「よう」と微笑み掛けたのだ。それは僕の知っている、あの見ているだけで切なくなってくるはかなげな微笑ではなかった。ちゃんとした人間の笑い方だった。僕はその人の、きちんと色の付いた姿を、今初めて目にしているのだった。
「じゅう、だい……?」
「オレの方が先に約束したんだ。そうだろ、なぁ、チビ?」
 耳に心地良く響く十代の声が聞こえる。僕は夢でも見ているのかなと考えた。それとも幻覚、幻聴。僕はあんまりにも十代に会いたいせいで、おかしくなってしまったのだろうか。それともまたいつものように、僕にしか見えない透明な存在の姿を見ているのだろうか?
 そうでないことは、わあっと観客席がざわめいたことで知れた。
「ゆ、遊城十代だ……」
「やっぱり生きてたんだ! 十代さんが死ぬ訳ない!」
「嘘だろ、本物か? すっげー、初めて見たぜ……!」
 十代は今や圧倒的な生命力を持っていた。空間を、観客を、そして僕を一瞬で魅了していた。
 一体何が起こっているんだろう? わけが分からない。
 僕に分かるのは、僕らがかつて交した約束が今日やっと果たされることになるというだけだ。
 だが、それで充分だった。
 十代は大人だけど嘘吐きじゃなかった。そして僕も嘘吐きじゃない。
 十代が赤色のデュエル・ディスクを展開し、

「さあ、オレと楽しいデュエルをしようぜ!」

 すごくすごく楽しそうな笑顔でそう宣言した。





●ジュエル・ワールド● 
おしまい!



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