0 0 2: 勇気を


 鼻の先をつんと突付かれたので、リュウは目を開いた。
 まずはじめに見えたのは、ワーカーアントの触角だった。
 小柄なアリが二匹ばかり、倒れているリュウを覗き込んできていた。
 彼らはリュウが生きているのを知ると、驚いてぴゅうっと逃げ出してしまった。
 餌だと思ったのかなあとぼんやり思いながら、身体を起こす。
 重くはあったが、とりたてて傷らしい傷もない。
(……おれ、なんで生きてるんだろ?)
 それが不思議で、リュウは首を傾げた。
 確かものすごく深い地底の底の底のほうへ落ちて行ったような気がするのだが、リュウはそう思って顔を上げた。
 見上げても真っ暗闇で、何も見えやしなかった。
 どれだけ落ちてきたのだろう。
 落ちて、なんでリュウは生きているのだろう。
 身体の周りが陥没したようになっていて、その中にリュウはいた。
 一人きりでだ。
 ボッシュはどこにいるのだろう?
―――――っボッシュ!!」
 リュウは気付いて慌てて辺りを見回したが、見慣れた彼らしき姿はどこにも見当たらなかった。
 ふっと、そおっと振り向いて後ろを見て、リュウはぞっとした。
 リュウのすぐ後ろで、暗がりがなおも奈落へと、下へ下へと続いていた。
 もしかしたら、ボッシュはリュウのように突き出した岩に引っ掛からずに、更に深くへと落ちて行ってしまったのではないだろうか。
「ボッシュ――――っ!!」
 底へ呼び掛ける。返事はない。
 ただ、リュウの声が反響を帯びて、闇の中で木霊した。
「どうしよう……」
 途方に暮れてしまいながらも、リュウは立ち上がり、不安でいっぱいになりながら、支給品のナビの電源を入れた。
 基地へ帰らなくては。
 ボッシュは強いし運も良いので、もしかすると落ちずに済んだか、もっと浅い上の方で引っ掛かっているのかもしれない。
 そう思うことにした。
 後ろを何度も振り返りながら、リュウは歩き出した。







 バイオ公社から、輸送車両の護衛依頼がきた。
 今日の朝、リュウとボッシュがその任務を受けて、バイオ公社へと向かった。
 リフトはいつものように壊れていたから、線路の上を歩いていった。
 ボッシュは不機嫌そうだった。
 無理もない、ボッシュは1/64という類稀なD値を持っていたので、レンジャーなんかにならなければ一生線路の上を歩くなんて非常識なことはしなかったに違いない。
 運悪く反政府組織トリニティの襲撃に遭った。
 奴らは、と言っても襲撃してきたのは一人だけだったが――――何故かいつもと違って、手段を顧みず、線路ごとリフトを破壊した。
 普段なら威嚇射撃だけで事足りたはずだ。
 そんなに重要なものだったのかな、とリュウは考えたが、リュウ=1/8192はサードレンジャーであったので、そう重要な積み荷はまだ預からせて貰えないはずだ。
 ともあれ、そんなこんなで廃物遺棄坑に潜り込む羽目になった。
 幸いナビは生きていて、マップもちゃんと表示される――――さすがにこんなに深いところまで降りてきたことはなかったので、役に立つかどうかは知れないけれど。
(地下1200メートル……って、どこだよ……)
 リュウは、さすがに力なく溜息を吐き、肩を落とした。
 帰るべきレンジャー基地は、下層区、地下1000メートルの地点にある。
 ここから、少なくともリフト発着駅の終点である最下層区街まで、自力で昇って行かなければならないのだ。
 これだけ深いと電力も届かないのだろう、あたりはほぼ真っ暗だ。
 時折見える弱々しい電灯が、点いたり消えたりを繰り返して、弱い光を放っていた。
(ディク、出るかな……)
 最下層区の更に下なんて、どんなディクがいるのか想像もつかない。
 棄てられて、奇妙な進化を遂げたものもいるかもしれない。
 巨大化したグミとかいたらどうしよう、とリュウは不安になった。
 相棒のボッシュがいないだけで、心底不安になる。
 しかも、彼、ボッシュ=1/64は安否すらわからないのだ。
 ぶるぶるとリュウは頭を振った。
(だ、大丈夫だよ、ボッシュ強いし、もう基地に帰ってるかも。でも、おれは運が良かったみたいだけど、もし怪我してボッシュがどこかで動けなくなってしまっているなら、ディクからおれが守ってあげなきゃいけない。ボッシュが無事に基地に辿り付いていたとしても、おれはここからひとりで上に昇って行かなきゃいけないんだ。ボッシュに頼ったりせず、ひとりで……)
 ローディ、邪魔だよ、とボッシュの声が聞こえてくるようだった。
 それは記憶の中の、いつものボッシュの自信に満ち溢れたものである。
『リュウ、オマエ前に出るとすぐボロ雑巾みたいにされちまうだろ。俺の後ろにいろ。この俺の前に出るなんて、大それたこと考えるんじゃないよ』
 ボッシュはとても強い。
 いつもそうしてリュウを背中に回し、邪魔っけそうにして、一人でディクを片付けてしまうのだ。
 一人では邪公も満足に倒せないリュウを鼻で笑う。
 そんなボッシュに、リュウは憧れていた。
 もっと強くなって、彼に対等と認めてもらえるような相棒になりたいと、リュウはいつも願っていた。
 残念なことに、リュウとボッシュの間には4桁のD値の差があったので、それは非常に難しいことだったが。
(おれ、ひとりで……)
 実はリュウは一人でリフトに赴いたことがない。
 いつもボッシュと一緒だった。
 リュウ一人じゃなんにもできやしないことは、リュウ本人が一番良く理解していた。
 ぽうっとした仄かな淡い光が、無数にリュウの周りを取り巻いていた。
 燐虫である。
 リュウがここで死んだら、この虫たちはリュウの死骸にたかるのだろうか。
 ぞっとしない。
 それにしても暗闇のそこここでディクの息遣いが聞こえるようだ。
 不安で、胃の辺りがぎゅうっと締め付けられる。
 リュウは臆病だった。
 ディクも怖いし、お化けも怖い。
「ボ、ボッシュー……」
 小さな声で呼んでみても、やっぱりボッシュがひょっこり迎えに来てくれるなんてことがあるはずはなく、リュウはおどおどと進んだ。
 このエリアにはリュウの他に動くものはいないようだ。
 ナビにはリュウを示す白い光点がぽつっとひとつきり瞬いているだけだった。
(おれも、ボッシュくらい強かったらなあ……)
 そしたらこんなに恐怖に捕われずに済んだろうに、とリュウは自分の非力さが恨めしく思った。
 ボッシュはきっと生まれた時からあんなふうに完璧で、なんでもできて、怖い思いなんか一度もしたことがないに違いない。
 だからあんなに自信満々でいられるのだろうとリュウは考えて、ああなんかおれひがみっぽくてやだなあと自己嫌悪に陥った。
 坑道で一人きりというのは、とても、かなり、ものすごく怖いことだった。
 それもただの廃屋や何かじゃない、確実にリュウを食餌と狙ってくるディクがうようよしているのだ。
 汗ばんだ手で、リュウは剣の束をぎゅうっと握りなおした。
 せめてパニックだけは起こさないでおこう。
 自分を見失っては終わりだと、ゼノ隊長が教えてくれた。
 そうだ、とリュウは自分に言い聞かせた。
(おれには、剛剣技があるじゃないか。隊長直伝の。十字剣はお墨付きをもらえたし、大丈夫、大丈夫、ディクなんかに負けっこない……)
 ぶつぶつと呟きながら、進む。
 聞こえるのはやけに大きく響く足音と、自分の呼吸音、心臓の音だけだ。
 ナビにはなにも反応はないのに、呼吸の音が反響して、そこここの瓦礫の陰にディクが息を潜めているような気がする。
(おれだって、レンジャーなんだ。こんな子供みたいに怖がってちゃいけない。いつまでも守られてばかりじゃいけない。認めてもらうんだ、隊長に、ボッシュに……)
 もう少しおれに勇気があればいいのに、とリュウは考えた。
 そして悲しくなるほどに自覚してしまうのだった。
 リュウは臆病だ。







 急にナビが反応して、リュウは驚いて、思わず心臓が止まりそうになった。
 ディクを表す緑色の光点が、それもかなり大きいものが、ゆっくりと近付いてくる。
 リュウは反射的に塵の山の陰に身を潜め、息を止めて、ディクが過ぎ去って行くのを待った。
 気付かれたらどうしよう、とリュウは怯えきっていた。
 隊長に教わった剣技も、今やまったくの役立たずだった。
 型や打ち払い方は元よりすっ飛んでしまって、ただ剣を胸に抱き、どうか気付きませんようにと強く祈る事しかできない。
 恐ろしくて、身動きすらできない。
 ほどなく、それは姿を現した。
 ずしん、ずしん、と一歩それが進む度に、地鳴りのように床が響く。
 ちらっと目の端で確認すると、巨大な体躯の緑色の体皮が目に入った。
 頭に赤い布きれを纏った、一つ目の巨人である。
 そいつの名を、リュウは知っていた。
 レンジャー基地のデータベースで見たことがあったのだ。
(サイクロプス……労働用のディク。あいつ、さっきおれたちを襲ってきたトリニティが乗ってたやつじゃ……つ、積み荷を確認しにきたのかな)
 積み荷と生存者を確認しに来たのかもしれない。
 見つかれば殺されてしまうだろう。
 リュウはぎゅっと目を瞑り、頭を抱えて、震えていた。
 怖かった。
 あんな巨大な化け物なら、リュウの首を一瞬でへし折ってしまえるだろう。
 死の感触が、ひたひたとリュウに忍び寄ってきた。
(ディ、ディクに殺されて、こんなとこで一人で死にたくない!)
 こんなに下まで、きっと同僚たちは降りてこない。
 リュウは線路から墜落して死亡、そういうことになるのだろう。
 廃物遺棄坑でディクに嬲り殺しにされ、ワーカーアントに死肉を漁られ、残骸に燐虫がたかっているさまを想像して、リュウは泣きたくなってきた。
 きっと誰もリュウがそうなったなんて知らないでいるだろう。
 こんな寂しい遺棄坑で、それこそゴミみたいに転がっているものがリュウだなんて想像もしないんだろう。
(や、やだ……おれ、ゴミじゃない。ローディだけど、ゴミじゃない!)
 死にたくない、とリュウは懇願した。
 何に対してなのかは、自分でも分からなかった。
 神様なのかもしれない。
 それとも、リュウにとって最も完璧な人間であるボッシュに対してなのかもしれない。
 俯いて震えていると、リュウはふとそれに気付いた。
――――にゃっ、にゃ……」
 サイクロプスが何かを抱えている。
 はじめは何だかわからなかった。
 何か、白っぽいカタマリを抱えているな、くらい。
 だけれどサイクロプスがほど近くなると、それはどうやら人間の女の子らしいことに気がついた。
「にゃー、にゃ……やー」
 女の子は、激しく手足をばたばたと振り回していた。
 だが、サイクロプスはまったく気にしたふうでもなく、悠々と歩いてくる。
(ど、どうしよ……誰か、助けてあげなきゃ……)
 なんでボッシュがいないんだろう、とリュウは悲壮に考えた。
 あの女の子はすごく嫌がっている。
 誰か、例えばボッシュみたいな、強いヒーローみたいな人が助けてあげなきゃならない。
(う、うわ、こっちに来る……どうしよ……)
 小さく縮こまって、リュウは震えていた。
 足音はどんどん大きくなってくる。
 近付いてくる。
 そして、ついにリュウが隠れているゴミの山のすぐ横をそいつが通り過ぎた時、







 ふっと、






 その少女と、目が合った。







「にゃっ……あー、あーっ!!」
 少女は急に激しくじたばたと暴れだした。
 リュウはパニックに陥ってしまって、頭を抱えて、ぶんぶんと首を振った。
(よ、呼ばないでっ! 気付く! そいつ、おれに気付いちゃうよ!!)
 サイクロプスが、何事だろうというふうに緩慢に首を向けて、だがリュウには気付かず、そのまま背中を向けて行ってしまった。
「あーっ! やー!」
 女の子は暴れながら、リュウを何度も呼んだ。
 サイクロプスに見つからなかった。
 リュウは一瞬安堵を感じ、それから泣きたくなった。
(しょ、しょうがないよ……おれは、弱いんだ。そんな大きなディクと戦える力なんて、ない……)
 ボッシュはオマエは前に出るなと言った。
 隊長は、あまり無理はしないように、と言った。
 誰もきっと期待なんてしてやしない。
 サイクロプスのような巨大で狂暴、強大なディクを相手に戦い、攫われた少女を助けたなんて、そんなヒーローみたいなことが、リュウにできるわけがない。
(ごめん……おれ……無理だよ……)
 このまま見送るべきだ。
 あれはきっとトリニティのディクだから、このまま食べられはしないだろう。
 きっと奴らのアジトに連れて行かれるのだ。
 トリニティだって人間だ。
 まさか年端もいかない少女を殺しはしないだろう。
 ここでリュウがでしゃばることなんて、ない。
「うーっ! うー!!」
 女の子の声が、どんどん遠くなっていく。
(……た、助けてあげられない……ごめんね。おれのほうが、助けて欲しいくらいだ。無理だ、勝てるわけ、ない……)
 臆病なリュウは、そう考えているはずだ。
 だけど、なんでぶるぶる震える手が、剣の柄を強く握っているのだろう?
 腰だって抜けてしまっていた。
 なのに、なんでリュウは立ち上がろうとしているのだろうか?
――――うっ」
 ぎりぎりと、リュウは奥歯を噛み締めた。
 勝てるわけがない。
 一瞬で首の骨を折られてお終いだ。
 いや、もしかしたら嬲り殺しにされるかもしれない。
「う……うっ、うっ……」
 このままじっとしているべきだ。








「うおおおおおおっ!!」








 何故、駆け出すのだ?







 無我夢中で、雄叫びを上げながら、サイクロプスの背中に突き立てたレンジャーエッジは







 あっけなく折れて、砕け散った。







――――っはっ!!」
 視界がぐるっと一回転して、背中からゴミの山に叩き付けられた。
 鋼鉄の筋肉に弾かれて、あっけなく剣は折れた。
 ボッシュにいつも「お飾り」とバカにされていたレンジャーエッジだ。
 視界の中の全てがスローモーションで動き、ああ、おれ死ぬんだ、とリュウはそこばっかり冷静に認識した。
 だが、最後の最後で精一杯の勇気でもって行動できた。
 悔いはない。
「逃げて!」
 リュウは、サイクロプスの呪縛を逃れた少女に向かって叫んだ。
 彼女は基地に着いたら、リュウの同僚に、レンジャーらしい最期だったと言ってくれるだろうか。
 ボッシュも少しは見直してくれるだろうか。
 サイクロプスがリュウへ向かって突進してくる。
 反応できないくらいの速度で繰り出された巨大な拳が、リュウの腹を抉った。
「ぐっ……あああっ!!」
 まず衝撃があった。
 内臓を全部吐き出してしまいそうになった。
 吹っ飛ばされてゴミの山に頭から突っ込む羽目になったが、リュウはまだ生きていた。
(嬲り殺しにするつもりか!)
 数瞬の間を置いて、激痛が訪れた。
 ごぼっ、と血の塊が喉から零れた。
 少し離れたところで、サイクロプスがリュウに背を向けて歩き出すのが見えた。
 どうやら、敵に値しないと判断したようだ。
 また少女の元へ、ゆっくり歩いていく。
「君! 逃げて!」
 リュウは叫んだが、少女はぴくりとも動かない。
 気を失ってしまったようだ。
「くそっ……!」
 リュウは激痛を押して起き上がり、慌てて辺りを見回した。
「何か――――何か、武器は!」
 かつん、と硬い感触が手のひらに触れた。
――――?」
 見ると、それはぼろぼろに錆びた、汚い、一振りの剣だった。
「これは……」
 確か、先ほどバイオ公社の巨大なディクの傍らに突き刺さっていたものではなかったろうか。
 腐食が進み、赤茶けているのに、何故か奇妙に目を引いた。
 何故ここにあるのだろう?
 なんにしろ、ないよりはましだ。
 リュウは剣を引き抜き、そして――――







『構えろ――――






 声を聞いた。
「?!」
 背後に、誰かいる。
 まるでゼノ隊長がそうするように、こうやって構えるんだと指導するふうに、リュウの手を取り、剣に掛けさせた。
 誰だろう、顔は見えない。
 見えるのは、リュウの手に添えられた、リュウよりも大きい手のひらだ。
 奇妙な模様が浮かび、発光している。
 誰だ?







『永きにわたり――――待ち望まれていたものよ。おまえは、力を得る』
「え……? おれ、でも、弱くって……」
 リュウは困ってしまって、肩を下げた。
「あの子を助けたいんだ……おれはレンジャーだから、もう逃げたりしたくない……」
『おまえが望めば、力を与えよう。1000年の世界を壊す、究極の破壊の力を――――
「良く、わかんないけど……」
 リュウは困惑しながら、頷いた。
「あの子を助けられるんなら、もう二度と見捨てずにすむなら、ボッシュみたいな勇気が持てるのなら、おれはもう死んだっていいんだ」
 背後の誰かは微かに頷いたようだった。
 気配が伝わる。
『いいだろう、小さき竜よ。我に連なるものよ――――
 ぽうっ、と視界が燃え上がった。
 赤い燐光。
 さっきとは違う誰かの息遣いが、すぐ耳元で聞こえた。
 何が起こっているのだろう?







『今一度――――我らと共に、空へ――――







 目を閉じると、見たことのないいろんな情景が浮かんできた。
 巨大なディク。
 さっき公社のセメタリ―で見たもの。
 だけどそいつはまだ生きていて、じっとリュウを見ていた。
――――いや、リュウの向こうにいる、誰かを見ていた。
 振り返った先には、奇妙な人間がいた。
 角が生えて、背中には炎でできた真っ赤な翼があった。
 人のようなかたちをしたディクだ。
 その人だがディクだかわからない奇妙な生き物は、何故かとても悲しそうな顔をしていた。
 背中から、声が掛かった。
 頭に響く、奇妙な声。
 これはあの巨大なディクのものだろう。
 リュウには解った。
 そいつは静かに、こう言ったのだった。







『さらばだ、我が友』







 何かが魂から分かたれる感触と喪失感、そして――――







 どくん、と大きく心臓がひとつ鳴った。
 錆び付いていたはずの剣は、今やその刀身が光り輝いて、炎を纏っていた。
 まるでさっきの幻視に出てきた奇妙なディクの翼のように。
 ぐっと踏み込み、駆け出す。
 あっけなくサイクロプスの背中が近くなり、再び少女を抱えたその腕を切り落とした。
 まだ気を失ってぐったりしている少女を抱きかかえ、剣を一振りし、静かにリュウはその巨大なディクと対峙した。
 先ほどまでリュウに侵食していた恐怖と恐慌は、どこにもなくなっていた。
 あんなに恐ろしかったディクなのに、今やそれはただリュウに屠られるのを待つだけの、家畜に等しい存在に見えた。
 何故だか、リュウにはそれの殺し方が、手に取るようにわかるのだった。
 誰かの、例えば遠い昔に同じディクと戦い、勝利したものの記憶が流れ込んでくるような感触。
 この世界で、ディクよりも人間よりも、誰よりも強大な生物であるという無意識の認識。
 そんなものが訪れた。
 それは錯覚だったかもしれない。
 そうでなかったかもしれない。
 ただの虚勢、精一杯の勇気であったかもしれない。
 だか確実に、リュウの身体には力が満たされていた。
 リュウは剣を構え、再び突進してきたサイクロプスに向直った。






TOP / NEXT [ 誰も知らない] >>