0 0 3: 誰もしらない


 スティンガーミサイルの直撃を受けて、輸送車両は粉々に砕け散った。
 爆炎、閃光、それから浮遊感、ボッシュは慌てて途切れて垂れ下がった線路に掴まった。
――――づっ!」
 焼けて真っ赤になった鉄が、グローブ越しに手のひらを焼いた。
「リュウっ!」
 リュウはまだなんにも理解していなかったろう、ただびっくりした顔で、ボッシュを見上げてきた。
 何が起こってるんだろう、ねえボッシュ?――――リュウの顔はそう言っていた。
 ふわっと地底の闇の只中に浮かんでいた身体が、重力を思い出したように、落下していく。
「リュウ――――ッ!!」
 ボッシュはその少年が落ちていくさまを、ただ見ていた。
 どうすることもできなかった。
 すぐにリュウの小柄な身体は暗い闇に呑まれて消えていった。








◆◇◆◇◆







「ローディ! 能なし!」
 ボッシュは短く罵って、リュウの手首を掴み、乱雑に後ろに放り投げた。
 バランスを崩して床に顔から突っ込んだリュウを背中に回し、今にもリュウを喰ってしまおうと口を大きく開けていた邪公に突っ込んでいく。
 顎の下の柔らかい肉へ、獣剣を二度突き立てる。
 ディクは断末魔も上げず、そのままサンドバッグみたいにどさっと倒れた。
 そのまま頭を踏みつけにして、リュウに向直る。
 リュウはどうやら腰が抜けてしまっているようで、リフトの床面にぺったりと座り込んでしまっていた。
「オマエ、役立たずだけじゃ飽き足らず、腰まで抜けちゃってんの?」
「はは、あはは……ご、ごめ……」
 リュウは青ざめて、引き攣った顔で無理に笑った。
 彼が支えにしているレンジャーエッジが、小刻みにかたかたと震えている。
「そんなに怖いんなら、さっさと仕事辞めちゃえよ」
「う、うう、こ、怖がってなんか、ないよ、おれ。ただちょっ、びっくりした、だけ……」
「……あ、でかいブィーク。オマエの後ろに」
「えっ、ええええっ?!」
 リュウは慌ててじたばたともがき、座り込んだままボッシュの元へとずるずると這ってきた。
 彼が振り向いた先には、無論誰もいない。
「嘘」
「う……ううー……ひ、ひどいや……」
 リュウはボッシュの片脚に抱き付いたまま、力が抜けてしまったようで、うつむいてぎゅうっと目を閉じている。
「やっぱり怖いんじゃないか」
「しょ、しょうがないだろ……初めての掃討任務なんだからさ」
 リュウはしょげたふうにそう言って、顔を上げてボッシュを見た。
「なんでボッシュは平気なの?」
「こんなの、なんでもないだろ。ディクが束になって掛かってきたって、俺様の方が強いんだからな」
「うー……」
 リュウははあっと溜息を吐いて、かなり落ち込んだ顔をした。
「おれ、なんでこんな格好悪いんだろ……」
「ローディだからだろ」
 オマエが駄目なのはそれで全部片付くんだと言ってやって、ボッシュはリュウの膝を軽く蹴っ飛ばした。
「オラ、行くぞ」
「あっ、ま、待って、腰、抜けてっ」
「ハア?」
「た、立てないー……」
 リュウはほぼ半泣きの顔を真っ赤にして、ボッシュにごめんねと謝った。
「おれ、役に立たなくてごめんね……」
「ほんとに役立たずだな。もう少しなんとかならない?」
「い、いつか!」
 リュウはばっと顔を上げた。
 彼の顔には、悔しさと申し訳なさが同居したような、切羽詰まった色が見て取れた。
 リュウはボッシュを真剣に見上げ、必死でこう言った。
「いつか、おれもっと強くなるよ! 自分の身は自分で守れるようになるし、何でもできるようになる! レンジャーらしいレンジャーになる! もうボッシュにこんな迷惑掛けたりしないね!」
「無理無理」
「む、無理じゃ、ない……」
 リュウはしょんぼりと俯いてしまった。
 ちょっと泣いていたかもしれない。
「オマエにはD値が足りてないんだよ」
 ボッシュはそう言って、リュウのジャケットの襟を引き上げ、立たせてやった。
 支えてやることはしなかった。
 ローディを相手に、そこまでしてやることはないだろう。
「さ、無駄口叩いてないで行くぞ、ローディ」
「と、とりあえず、名前呼んでもらえるように頑張るよ、おれ」
「そう言えば名前何つったっけ、オマエ?」
「リュ、リュウだよ……」
「冗談だよ」
「今の、全然冗談に聞こえなかったよ……」
 しょんぼりするリュウの腕を乱暴に掴んで、引いていく。
 リュウは歩くのがとろい。
 前しか見ていないから、足元不注意で良く転ぶ。
 不本意だが、こうして引っ張って歩いてやるしかないのだ。
「……ほんとお荷物だね、オマエ」
「ううう」
 リュウががくっと項垂れた。







◆◇◆◇◆







「リュウ……」
 ボッシュは線路の上に座り込んで、呆然と奈落の底を見つめていた。
 リュウが落ちて行ってしまった。
 底が見えない。
 はるか遠くの地底で起こったはずの、リフトが地面に激突し、爆発する炎すら見えない。
 生きているはずがなかった。
 まずはじめに思い浮かんだのは、これはボッシュ=1/64にとって失点となるのか、ということだった。
 パートナーの欠落は大きな痛手だ。
 そんなことしか思い浮かばなかった。
 ぞっとしなかったが、ここにいるのがボッシュでなくリュウだったらどうだったろう。
 おそらくずっと座り込んだままボッシュの名を呼び続け、呼んで、呼んで、パートナーが落下したはずの地下まで降りていくだろう。
 万にひとつも可能性がなくたって、リュウはそうしたろう。
 だがボッシュが彼について考えてやれるのは、この高さから落ちたのならまあ苦しまずに死ねたんだろうなと、そのくらいだった。
 ハイディがローディに掛けてやれる感慨なんてそのくらいだった。
 例えそれがパートナーであっても。
「帰らなきゃ……」
 ボッシュはのろのろと立ち上がって、歩き出した。
 まだ膝が笑っている。
 火傷を負った手のひらの痛みが、じわじわとボッシュに染み込んできた。
 砕け散ったコンクリートとリフトの欠片を踏み付けた、じゃりっという音が、ボッシュをはっとさせた。
「報告だ……積み荷が、畜生……」
 ぼんやりしていちゃあいけない。ここはリフトの線路の上だ。
 公社を出て、大分長い間リフトに揺られていた気がする。
 反対側の発着駅にもまだ遠かったし、かなり戻らなければならないだろう。
 腰に下げたホルダーに今更に手を伸ばし、確認する。
 獣剣は無事だった。
 ふっと名を呼ばれたような気がして、振り返った。
 でも、誰もいなかった。
 ボッシュの後ろをいつだって必死でついてくるべきはずのリュウは、いなかった。








 火傷を負った手のひらでは、上手く剣の柄を握れない。
 きずセットでもあれば応急処置はできたんだろうが、あいにくリフトとリュウと一緒に奈落の底だ。
「くそっ、なんだってこんな時に……」
 今日はきっと最悪についていない日に違いないとボッシュは踏んだ。
 ブィークにでくわし、追い掛けられる羽目になってしまったのだ。
 それにしたって、行動が制限される類の傷ではなかったことは幸いだった。
 図体のでかいブィークはそう素早い相手ではなかった。
 狭い通路に逃げ込んでしまえばすぐに巻ける。
「あのトリニティ野郎……D値すら存在しないくせにこのボッシュをコケにしやがって、基地に戻ったら絶対に見付け出してぶっ殺してやる……!」
 毒づきながら、ひょこひょこと出てきたナゲットを忌々しげに蹴り上げる。
 当り散らされる対象になって、ナゲットはきっと短く鳴いて、ごちんと壁にぶち当たった。
 エレベータを降りた先の通路で二匹の邪公に出くわした。
 本当に、厄日かもしれない。
 こんな時に限って、次々にディクと遭遇する。
 相手は、器用に弓と矢を操るタイプだ。
 確か、邪公ザ・ハンターだったか。なんだっていいが。
 放たれた矢をレンジャーガードで防ぎ、踏み込んで、いつものように獣剣を繰り出す。
 剣撃は二発。
 これは注意深く相手を完全に絶命させるためだ。
 一匹を片付けた瞬間、もう一匹のハンターが放った矢が、ボッシュの耳を掠めて過ぎて行った。
 後ろへ。
 ボッシュは視線だけで振り向いて、声を張り上げた。
――――大丈夫か?! リュウっ! そのまま、俺の後ろに隠れて……」
 もう一度、剣を突き出す。ニ撃。そうすれば、断末魔もないまま最も効率良く相手を殺せる。
 動くものが他にいなくなって、ボッシュはようやっと後ろを振り向いた。
 誰もいなかった。
「……はは……」
 髪をかき上げ、ボッシュは弱々しく笑った。
「ははは、俺は、バカか……?」
 ボッシュの後ろについてくるものは、誰もいなかった。
 そうなって、ボッシュはようやく気付き、理解した。
 リュウはもう、きっと本当に死んでしまったのだ、と。
 ボッシュは今ひとりきりで、誰もいないリフトに立っているのだということを。
 理解すると、急に暗闇が重くボッシュの肩にのしかかってくるようだった。
 背中が、妙に心許無かった。少し寒い。
 暗闇の中には無数のディクが蠢いているのだ。
 ナビの光点はボッシュを示す白い中央の点ひとつきりだったが、ボッシュには闇全てが何か巨大なディクそのもののように思えてならなかった。
 今、自分はディクの体内にいるのだ――――馬鹿げた妄想である、初任務に就くサードが良く抱きがちな、そんなもの。
 普段なら鼻で笑ってやれるようなもの。
 そんなものが、何故か今は――――リフトにひとりきりでいると、奇妙に現実味を帯びて、ボッシュを苛んだ。






 そう、エリートと名高いボッシュ=1/64は、間違っても勇敢な英雄などではなかった。







「リュウっ……」
 ボッシュは駆け出した。
 闇が恐ろしかった。
 誰か守るべき、庇護するべき存在がいないだけで、こんなにもヒトは心許無くなれるものなのだということを、ボッシュは理解した。
(俺は、強いんだ……)
 ボッシュは必死で自分に言い聞かせた。
 最強の剣技がある。
 剣聖ヴェクサシオンに直々に叩き込まれた獣剣技がある。
 1/64という類稀なるD値がある。
 下層区において、こんなにも高いD値を持った人間は存在しないだろう。
 あのお偉いゼノ「隊長様」だって、1/128止まりだ。
 ボッシュには、1/64という統治者の一員にすらなれる資格と共に、「剣聖に連なるもの」という栄光の名があった。
 だが怖かった。
 ここでは誰もボッシュを見てやしなかった。
 ディクを屠ったって、あのヒーローを見るリュウのまなざしはなかった。
「リュウっ! どこだよ、ちゃんとついてこいよ、このバカ!」
 ボッシュは半ばパニックを起こしてしまいながら、もう死んだはずのリュウの名を呼んだ。
――――俺は! 俺は、ボッシュ=1/64だ……。剣聖に連なる、栄光の者……」
 だが、そんな言葉は空しくリフトの闇に反響するだけだった。
「リュウっ……!」
 背中に守ってやるものが必要だった。
 ボッシュを彼たらしめる者が。
 背筋を伸ばして、ぴんと立たせてくれるものが。
 存在する事で、それの前ではヒーローを演じることが叶う存在が。
 リュウは確かに弱かった。
 弱者である彼を守っているという自尊心が、恐怖も恐慌もどこか遠いところへやってくれたのだった。
 ボッシュ=1/64が、彼らしく強くあるために守るべき弱者を必要としていたことを、誰も知らない。
 誰にも知られてはならない。







 リュウは、もうボッシュの後ろにはいなかった。






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