0 0 4: やさしさ |
抱き起こした身体は触れることに躊躇するほど、とてもちいさかった。 その女の子の背中からは、背骨の一部が突き出したかたちで、真っ赤な羽根が生えていた。 混合種の子かな、とリュウは踏んだ。 地下世界において、ヒトではない遺伝子を少なからず持った人間は少なくない。 実際に見たことはなかったが、尻尾が生えていたり、ふさふさの毛が生えた長い耳を持っていたりするそうだ。 それらの特徴を持った人間の分布は上か下かの両極端で、下層区や中層区ではあまり見ない。 それにしても翼があるヒトなんて見たのは初めてだった。 呼吸の度にぽうっとうっすら白く光る羽根は、すごく綺麗なものだった。 見とれていると、女の子の瞼が震えた。 気がついたようだ。 「――――っ!」 女の子は目を覚ますと、びくっとして、リュウからちょっと離れた。 それから不安そうにきょろきょろと辺りを見回して、さっき彼女を連れ去ろうとしたサイクロプスの残骸を見て、怯えたようにぎゅうっと目を閉じて、リュウに抱きついてきた。 「……っ!」 「だいじょうぶ、あっちは見ちゃ駄目だ。心配ないよ。もうきみをどこかに連れて行こうとする怖いディクはいなくなった」 ゆっくり、頭を撫でる。 女の子はいよいよリュウに強く抱き付いてきて、リュウはなんだか、ひどい罪悪感を覚えた。 自分は一度、臆病なばかりに彼女を見捨てようとしたのに、その女の子はまるで自分を救ってくれたヒーローにそうするように、震えながらリュウに取り縋るのだ。 「……だいじょうぶ、怖がらないで。おれ、レンジャーなんだ。もう、きみを怖い目になんて遭わせない……」 リュウは女の子が安心するように、柔らかく抱き返した。 「ごめん、おれ……」 一度きみを見捨てたんだと言い掛けて、リュウはその言葉がどうしても言えずに、俯いた。 こんな臆病者に縋ってくれる彼女のために、もう怖気づいて蹲って震えたりすることはやめにしようと思った。 「おれ、きみを守るよ。逃げやしない。きみ、迷子なの? どこの子だい?」 「……にぃ……な」 「ニーナ? それ、きみの名前かい?」 「に……」 女の子は表情のない目でリュウを見上げ、俯いてしまった。 余程怖かったのだろうか。 まだリュウをどこかで信じていないせいかもしれない。 「に……こ、しゃ。に、……な」 「こうしゃ……バイオ公社? ニ―ナ、バイオ公社の子なのか」 「…………」 どうも奇妙な感じだった。 その女の子は――――ニーナというらしいが――――なんだか決められたいくつかの単語しか、口にできないような感じだった。公社のニーナ。それだけ。 ニ―ナは薄っぺらいスモックのような服を着ていた。 まるで手術の途中に放り出されたような感じ。 もしかしたら、ほんとうに手術を控えた病人だったのかもしれない。 だとすると、早く連れて帰ってあげなきゃならないだろう。 「とりあえず、バイオ公社に戻ろうか。ここは危険だし、お父さんもお母さんも心配してるだろう?」 「こ……しゃ」 ニ―ナは、こくっとひとつ頷いた。 彼女の初めての反応だ、リュウはなんだかほっとしながら、ニーナに手を差し出した。 「…………」 「はい、手、繋ご? はぐれたら駄目だからね」 「…………」 ニーナはなんだかどうしたら良いのかわからないような顔をしていたので、リュウはあんまり力を入れて彼女が怖がらないように、やさしく手を握った。 ニーナは不思議そうな顔をしていた。 「ここは廃物遺棄坑って言うんだ。この世界の一番底だよ」 「…………」 「人も住んでないし、いるのはディクだけだ……あっ、だ、大丈夫だよ! おれが守るからね、心配しないで」 「…………」 ニーナが怖がらないように、わざと明るく話し掛けたりしてみるのだが、彼女の反応はいまひとつ薄い……というか、人の会話なんてものがどうでもいいふうで、リュウの話を聞いている素振りもない。 内心、おれはやっぱり子供には好かれない体質なのかなあ、と落ち込みながらも、リュウはせいいっぱいにっこりした。 彼女を不安にさせちゃいけない。 「えっと、おれはリュウっていうんだ。ごめんね、先に名乗っておくべきだったな。レンジャーだよ」 「…………」 「レンジャーっていうのはね、みんなを守るお仕事なんだ。ディクをやっつけたり、悪い人を捕まえたりして、街の平和を守っているんだ」 「…………」 「おれ、昔から憧れてた仕事で、それで……」 「…………」 「あの……」 「…………」 ニーナは返事もしてくれない。 リュウは困ってしまって、苦笑した。 「……ごめんね、おれあんまり話すの、上手くないから……もっと面白い話とか、できればいいんだけど」 「…………」 ニーナは俯きがちに、リュウに手を引かれて歩いている。 そこに感情の色は見て取れない。 このくらいの歳の子なら、こんな暗い坑道で、怖がって泣いたっておかしくないのに、二ーナは始終黙り込んで、ぼーっとしている。 まるで心がここにないみたいだ。 いや、サイクロプスに襲われていた時にははっきりと嫌がっていたから、単にリュウのことが嫌いなだけなのかもしれないが。 そう思い当たってリュウは更に落ち込んだが、自覚も大分あったので、自業自得だなあ、と思った。 リュウは一度、ニーナの助けを呼ぶまなざしに答えず、蹲ったままでいたのだ。 (しょうがないか……おれ、あんまりかっこよくないしなあ……) ここにいるのがボッシュなら、この子ももうちょっと安心してくれただろうか? いや、ボッシュのことだから子供の扱いがものすごい邪険に違いない。 そればっかりは、きっとリュウのほうがましだ。 ボッシュならきっとこう言うのだ、クソガキ、ついて来られないんなら置いてくぞ。俺の足を引っ張るな。 リュウに言うように、そう邪魔っけにするに違いない。 (隊長がいてくれると良かったんだけど……) ゼノ隊長は子供の扱いも上手かったし(それは子供のころ下層地区担当のサードレンジャーであった彼女に「扱われていた」リュウがよく知っている)強かったし、敵に背中を見せることもなかったし、なにせ優しかった。 訓練と任務を除いてはだけれど。 だが「そうなればよかった」なんて、思ったって仕方のないことだ。 ここにはニーナを守る人間は、リュウしかいないのだ。 「……ニーナ、安心して。おれ、あんまり頼りにならないように見えるかもしれないけど……きみは必ず、上まで連れてくよ」 「…………」 ニーナはまだぼおっとしたままだ。 手持ち無沙汰そうに抱えている杖をふらふらと揺らして、小石を蹴っている。 「あ、駄目だよ、裸足で小石を蹴っちゃ……危ないよ」 「…………」 ニーナはリュウを見上げて、怒られたと思ったのかひとつ頷いて、こおん、と小石を遠くに蹴っ飛ばした。 これで遊びおしまい、ということらしい。 「いやだから……」 足、怪我しちゃうからね、とリュウは諭そうとした。 そもそも、このゴミだらけの廃物遺棄坑を裸足で歩くこと自体、危険だ。 おぶってあげるべきだ。 そして最下層区についたら、靴を買ってあげよう。 「ニ……」 リュウがそう切り出そうとした瞬間、暗い坑道の向こうで、ぐおおん、とディクの悲鳴が聞こえた。 「え」 ほどなくずだだだ、と大きな足音、それもかなり素早いものが聞こえて、僅かな明かりの下に現れたものを見て、リュウは息を呑んだ。 ドヴォークゥだ。 大きな一つ目から血を流している。 察する所、ニ―ナが蹴り飛ばした小石が目玉に直撃して激怒しているといったところだろう。 きっと間違ってない。 そして、ドヴォークゥはリュウとニーナを見付けると、怒りで頭を真っ赤にしながら襲いかかってきた。 「う、うわわわ!」 巨大な腕の横薙ぎをシェルで受けるも、思いきり吹っ飛ばされてしまった。 サイクロプスほどじゃないが、一撃を受けるだけで腕が折れそうなくらいの激痛がはしる。 リュウはニーナを背中に押しやって、叫んだ。 「ニ―ナ、前に出ちゃ駄目だ! おれの後ろに隠れてて!」 そう言って、剣を構える。 さっきは炎みたいに輝いていた剣は、今は元のようにくすんだ錆び色をしていた。 素早いドヴォークゥ相手にこちらから向かって行ったって仕方がない、スプレッドの一閃をなんとか流しながら、剣で斬り付ける。 が、なんだか重い棒きれでひっぱたいたような手応えしかなかった。 錆びた剣は、まったく切れやしなかった。 「くっ……!」 体勢が崩れた隙に、ドヴォークゥの平手を食らった。 今度はシールドで防ぐこともままならず、もろに左肩に入った。 「ううう……!」 重たい衝撃がずしんと腹にまで伝わった。 だが、どうにか転倒は避けられた。 踏み止まった足を軸にして、ドヴォークゥの腹に蹴りを入れた。 自分でもびっくりするほど綺麗に入って、ディクはのけぞってゴミの山に突っ込み、したたかに頭を打つはめになったようだった。 「やった……わけは、ないか」 仰向けに倒れたドヴォークゥが、唐突な仕草でぐるんと頭をもたげた。 その一つ目が、徐々に真っ赤に染まっていく。 「……?」 ドヴォークゥはリュウを見ていない。 とすれば、どこを見ているのだろう? がしゃん、とありえない素早さで立ち上がったドヴォークゥが駆けて行く先には、ニーナがいた。 その手に可愛らしいぬいぐるみを抱えている。 どうやらドヴォークゥが落っことしたものを彼女が拾ったようだった。 労働用ディクは高度な知性を持ち、アイテムへの愛着を持つという。 形振り構わない様子で、ドヴォークゥはニーナに突っ込んでいった。 「怒ってるんだ……ニーナ!」 リュウは叫んで、ニーナを呼んだ。 「そのぬいぐるみを離すんだ、ニーナ!」 ニ―ナにはリュウの声は聞こえていないようだった――――いや、聞こえているのかもしれないが、届いていなかった。 彼女はぼんやりとした目をしたまま、幼子のようにぬいぐるみを胸に抱いていて、 「くそっ……!」 間に合わない。 ぴちゃっ、と血が滴り落ちた。 今まで何を話し掛けても無反応で、無表情だったニーナが、びっくりしたような顔をしている。 彼女の頬には、赤い血の滴が零れて、赤く汚れてしまっていた。 また怖がらせてしまったろうか――――リュウは不安になってしまった。 後ろ手に掲げた剣が、確かにドヴォ―クゥの喉を貫いていた。 刀身に血が伝わり、落ちて、床に血だまりを作っていく。 ニーナの目には、血塗れのリュウが映り込んでいた。 「……だいじょうぶ、ニーナ?」 リュウはせいいっぱいにっこりと――――大分引き攣ってはいたが――――ニーナに笑い掛けた。 「おれが、守るよ。怖いことなんか、もうないんだ……」 ずるっ、と急速に足から力が抜けていく。 頭が真っ白になった。 はっと気がついた時には、もう地べたに這いつくばっていた。 ニーナの前ではもう格好悪い真似なんかしないように決めていたのだが、どうも上手く行かない。 やはり、リュウはリュウだということなのだろうか。 「怪我、ない? ニーナ」 ニーナは頬の血の痕にびっくりしたように手で触り、しばらく放心していたが、やがてはっとなって、なんだか泣きそうな顔をして、リュウに抱き付いた。 彼女の目には、うっすらと意思の光が戻っていた。 「――――っ! ……う、っ!」 それでもやっぱりうまく口がきけないようで、彼女はもどかしげに何度も口を開けたり閉じたりした。 だが、言葉が出ることはなかった。 「痛い、とこは?」 ニーナはぎゅうっと目を閉じて、ぶんぶんと首を振った。 ない、という仕草だ。 よかった、とリュウは笑った。 彼女のひどく心配そうな目を見て、リュウは大丈夫だよと言った。 「心配ない、おれも怪我、ないよ。いや、ちょっとびっくりしちゃって……良かった、間に合って」 「う……!」 「あ、安心して。これ、ディクの……おれの血じゃないから」 「うー……」 ニーナはほっとしたふうに溜息を吐いて、ごめんなさいとでも言いたいふうに、ぺこんと頭を下げた。 「無茶しちゃ駄目だ、ニ―ナ」 「うう」 「でも、だいじょうぶ。おれがいるから、絶対ニーナに怪我なんかさせない」 「う……」 ニーナは座り込んだリュウの頭を、ぎゅうっと抱いた。 彼女の細い腕が、小さく震えている。 彼女はリュウを信じてくれている。 誰かにひとりのレンジャーとして信頼されるなんて初めてのことで、リュウはなんだか目が熱くなってきた。 「……ごめん、ニーナ。おれほんとは、すごく怖がりなんだ。さっき初めて遭った時だって、ほんとはおれ、きみを――――」 リュウは目を閉じて、緩く首を振った。 「もう、絶対見捨てないよ。隠れたままでなんていない。おれがきみを守る。絶対に上まで連れていく」 それからまっすぐにニーナの目を見て、リュウは言った。 「約束だ」 ニーナは頷き、少し笑った。 ふいに、涙が零れた。 リュウは目を押さえて、無理に顔を笑みのかたちに作った。 ニーナが、ちょっとびっくりした顔をして、リュウの頭を撫でてくれた。 「――――やさしいね……ね、ニーナ……きみは……」 リュウは手のひらで顔を覆ったまま、ニーナに訊いた。 「おれを……信じてくれる、の?」 ニーナはリュウの頭を抱いて、ぎゅうっとしてくれた。 肯定の仕草だった。 リュウは泣き笑いしながら目を閉じ、静かに彼女の手を握った。 「あ、ありがとう……ニーナ……」 目指す場所は、まだ遠かった。 |