・臆病者の努力家・ サードレンジャー。同期の相棒。
髪は女みたいに肩より長いのを、頭のてっぺんでひとつに纏めている。
顔も性格も地味だったが、それは任務に邪魔っけになるので頭髪は短く刈っている他のレンジャーの中では、割と目立っていた。
深い紺色は暗い地下で、保護色の役割を果たしてでもいるように、彼を埋没させていた。
普通なら、相棒になんかならなきゃ一生存在にすら気がつかなかったような、そんな少年。
リュウ=1/8192。ローディ。
ボッシュの相棒。
夕食、シャワー、読書。
ボッシュがベッドに寝そべって本を読んでいる頃になると、大体の日はリュウが帰ってくる。
決まってぼろ雑巾みたいになって、あちこちにガーゼを貼って包帯を巻いた姿で、だが顔ばっかりはにこにこと笑って部屋に入ってくる。
『帰ってこない日』はただ単純にメディカルルーム送りになって、リュウは一晩をそこで過ごすのである。
「ただいまあ!」
ボッシュは能天気なリュウの声を黙殺し、読書に集中する。
今期に入る前に家から持ってきたものだ。
統治学書なんて高度な書籍は、レンジャー基地のような無教養の掃き溜めには望めなかった。
リュウはボッシュに無視されても気にも留めずにこにこして、何読んでるの、と訊いた。
「……オマエには一生わからないこと」
「そっか。おれ字、読めないもんねえ」
「…………」
「シャワー、浴びてくる……。はー、つかれた。ゼノ隊長、ほんとに手加減なしなんだから……」
リュウはボッシュと共に直属の上司である、ゼノ=1/128の弟子だ。
あの女も良くもまあこんな使い物にならないローディの相手なんてしてやるものだと思う。
皮肉に考えて、ボッシュはリュウに言ってやった。
「……相手してもらって、随分機嫌いいね?」
「うん! ボッシュ、おれさ、新しい剛剣技が!」
「いいからさっさと風呂入って来い。湯、止められるぞ」
「あ、そうだ! うん、じゃ……」
水はやだ、なんて言いながら、リュウはベッドにジャケットを脱ぎ散らかして、慌ててシャワールームに駆け込んだ。
「……オイ。全部中でやれよ。ここで脱ぐな。野郎の裸なんて見たくもない」
「そこをなんとか我慢して! 明日から気をつけるから!」
ドアから顔だけ出して、リュウはごめんね、と謝った。
ばたんと乱暴に扉を閉め、ノズルを緩める音がして、中からひゃあとリュウの悲鳴が聞こえてきた。
どうやら今夜も間に合わなかったらしい。
消灯時刻1時間前には、もう湯は出ない。水浴びをする羽目になる。
ちらっとシャワールームに目だけ向けて、ボッシュはまた読書に興味を戻した。
「でね、おれ新しい剛剣技が……」
「消灯時間は過ぎた、うるさい。明日にしろ」
「絶命剣っていうんだ! おれさ、ずうっと憧れてて、やっと……」
「うるさい」
二段ベッドの上から下に目覚ましを投げ付けてやると、ごつっと言う音、リュウのいたっと言う悲鳴が聞こえて、静かになった。
ことあるごとに、隊長が、隊長が、だ。
ボッシュはいい加減うんざりしていた。
ゼノはファーストで隊長を務めているとは言え、1/128、ボッシュよりも大分ローディである。
だがリュウにしてみれば、彼女はレンジャーの中のレンジャーであるらしかった。
彼はゼノに憧れて入隊したのだと言っていた。
下層区の施設にいた頃、担当レンジャーが彼女だったらしい。
リュウとゼノにどういう繋がりがあるのかは知らないが、なにせD値の隔たりがある。大したものではない。
だがリュウは心底ゼノに惚れ込んでいて――――もしかしたら崇拝すらしているんじゃないか、と疑ってしまう時もあった。
そういう意味で、惚れていたのだろう。
気付かないわけがない、リュウはあからさまにわかりやすい性質をしていた。
気付いていないのは本人だけだろう。
一度だけ任務帰りの夜、リュウはこう漏らしたことがあった。
彼は諦めと憧憬の入り混じった顔で、こう言ったのだ。
「……おれね、弱っちいけど、がんばったらあの人の盾くらいにはなれる気がするんだ」
ゼノはファーストレンジャーだった。
その任務はハードだった。
リュウは、強くなりたいな、とことあるごとに言っていた。
「でもローディだろ」
ボッシュがそう言ってやると、リュウはそうだねと笑った。
その寂しそうな笑顔を見た時に、ボッシュは気がついたのだった。
ああこいつあの女に惚れてる。
リュウも人並みに恋というものをするのだ。
それはボッシュにとってはありえないくらいにとても意外なことだったのだ。
◇◆◇◆◇
可愛い女の子だった。
生涯彼女のような純粋で優しく、美しい女性は現れないだろうという確信があった。
子供の頃、下層区に迷い込んだ時に、ボッシュ=1/64はその少女に出会った。
青い髪をして、おんなじ色の深く知性の宿った瞳、ぼろぼろの衣装こそ纏ってはいたが、そんなものは彼女の愛らしさをなんにも損ないやしなかった。
可愛らしい顔立ちはあどけなく、まるで天使のようだった。
その少女はひとりきりで泣いているボッシュの元に降り立ち、手を差し伸べ、見捨てなかった。
どこまでも追い掛けてきた。守ってくれたのだ。
初恋だった。
子供の時分のボッシュは幼いながらも彼女を崇拝し、愛した。
別離のその時に、もう決めていたのだ。
お嫁さんにしてあげるよ、と幼いボッシュは叫んだ。
絶対だから、と彼女は泣いた。
子供の頃の他愛無い約束のはずだった。
だがボッシュにとって、それはいつまでも鮮やかな誓いだった。
ずうっとこの子と生きていくのだ、ボッシュはその時、もうわかっていたのだ。
彼女を妻に迎える、その為に――――
12の歳に、地下世界最高層区である中央省庁区から、下層区まで降りた。
愛しい人を迎えに行った。
変わらず可愛らしい顔立ちは7年前初めて会った時よりもとても大人びて、身体も声も「相応」に成長した彼女は、
「はじめまして、ボッシュくん! おれはリュウ=1/8192!」
――――男だった。
ボッシュのことを、何にも覚えてやがらなかったのだ。しかも。
◇◆◇◆◇
「――――嘘だあッ!!」
がばっ、と起き上がり、ボッシュははっとした。
枕元の目覚まし時計は午前2時を指していた。まだ眠れそうだ。
「……また、あの夢かよ」
忌々しく吐き捨て、ちっと舌打ちをした。
下手をすれば、あの凶悪な獣剣技の訓練よりも、精神的にはきついものなのかもしれない――――なにせ迎えに行った婚約者が男だったなど、一生の恥である。
こればっかりはボッシュは誰にも知られる訳にはいかない。
黙って、『元婚約者』の寝顔を見遣ると、彼はボッシュの悪夢などなんにも知らないような表情で、だらしなく口を開け、涎なんかで寝着を汚し、夢の中だ。
「あ……あうう、おれ、食べれない……食べれないったら、もう……」
さぞかし幸せな夢でも見ているのだろう。
イライラしながら、ボッシュはシーツを頭から被って、もう一度睡眠に身を委ねようと努力した。
今度は願わくば、あんな悪夢はなしだ。
ベッド下からは、なんだか苦しそうなリュウの寝言が時折響いてきた。
「うう……たべれないよ、た、たべないで……おれなんて、おいしくない、おいしくないよ……」
「…………」
どうやら彼もかなりハードな夢を見ているらしい。
どうでもいいや、と寝返りを打ち、ボッシュは目を瞑った。
全てが悪い夢で終わればどんなにいいか。
◇◆◇◆◇
リュウは機嫌が良かった。
理由は昨晩聞いた。
どうやら剛剣技――――ゼノから指導を受けているものだ――――で新しい型を教えてもらったらしい。
だが、そんなことがあったって彼は役立たずだった。
きっとディクに遭遇するなりそんなもの頭から吹き飛ばしてしまうに違いない。
リュウは臆病で、パニックを起こしやすい性質をしていた。
そのくせボッシュに何かあると見ると、身を呈して、その時ばかりは凛とした顔つきと姿勢でもって、庇うのだった。
良く分からない。
「ボッシュ=1/64」
「リュウ=1/8192」
「以上二名、参りました!」
隊長室に出頭し、ボッシュはリュウと共に綺麗に敬礼した。
デスクに腕をついて、厳しい眼差しを向けているのは、隊長のゼノだ。
ファーストで直属の上司という肩書きこそあるが、ローディのくせにわかったふうなことを言う彼女が、ボッシュは正直なところ気に入らなかった。
どうせ、じきに追い抜かしてやる。踏み台にしてやる。
ボッシュの値踏みするような視線に気付いたのだろう、ゼノは少し居心地の悪そうな表情を見せたが、すぐに凛とした厳しいいつもの表情をかたち作った。
こんな顔ばっかりは、さすがに師弟だよなと思う。
時折リュウが見せるそれと、良く似ていたからだ。
「……今回の任務は、掃討任務、レベルD……リフト線路内部に迷い込んだディクを発見次第、排除する……問題はないでしょう」
「了解です、隊長」
「りょ、了解です!」
ディクの掃討、と聞いてリュウは顔色をなくしていたが、慌てて敬礼した。
ゼノはそんなリュウに一瞥をくれ、少し心配そうに、任務中の彼女が見せるにしては珍しい目でもって、忠告した。
「リュウ、今回は絶命剣の使用は禁止だ。通常通りでやれ。おまえは昔から、慣れないことが裏目に出ることが多い。もう少し訓練を積んでから、私の許可を待て。いいな」
「……はあい……わかりましたあ……」
しょぼくれて、ふてくされたような――――ボッシュが見たことがない顔でリュウが頷いた。
次の瞬間、思った通り、隊長の厳しい叱責が飛んだ。
「リュウ=1/8192!!」
「は、はいっ! 申し訳ありません! 了解です!」
リュウはびしっと背筋を正し、再敬礼した。
ゼノは腕を組み、厳しい目でリュウを睨んだ。
リュウは震え上がってしまって、もう一度泣きそうな顔をして、謝った。
「す、すみませんでした、隊長……」
「……いつまでも子供の気分では困る。君はサードレンジャーだ。そして、私の直属の部下だ。それを忘れるな」
「……もういいんですかあ?」
ボッシュはなんとなく面白くなくて、肩を竦めて手を上げた。
リュウははっとなって、具合悪そうにボッシュを見た。ごめんね、という例のやつだ。
ゼノは何でもない顔をして、では任務に掛かれ、と言った。それも気に入らない。
それから二人してまた綺麗に敬礼し、退室した。
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