・プライド・ 非番だというのに朝からリュウがいない。
朝というものに非常に弱いボッシュが目を覚ましたのは昼過ぎで、その時にはもうリュウのベッドが空だった。
綺麗にシーツを畳まれて、端っこに寄せられていた。
ベッドの端には無造作に制服が吊ってあった。
どうやら緊急で仕事が入ったという訳でもなさそうだ。
背筋を伸ばしてだらしなく欠伸をして、ボッシュは迷った。もう一度心地良いベッドに戻るべきか、飯でも食いに行くか。幸福な悩みである。
甲斐甲斐しいリュウがここにいれば、ボッシュはベッドに出戻り、その間に食堂から配給食を調達させて、湯気の立った朝食――――多分またハオチーのスープだろうけど――――が「はい起きて」なんて、「ボッシュはもう、おねぼうさんだねえ」なんてちょっと困ったみたいなリュウの可愛い笑顔と一緒に、こんな下層区だけど、まるで新婚みたいに――――
「……違うだろ?!」
がばっとボッシュは飛び起きた。
なんだかものすごい気色の悪い夢を見てしまったような気がする。
それがあの少女だったならどんなに良いか、だがリュウは男だ。
ボッシュのはじめての恋は、もう破れたはずだった。
とんでもなく馬鹿なかたちでもって。
まだ立ち直れてねえのかな、とぼんやりと思いながら、ボッシュはのろのろとベッドの枠に無造作に掛けてあるシャツをもそもそと被った。
「……とりあえず、俺は男に興味はないんだからな……」
あまりにも居心地が悪かったので、言い訳じみたことを口にしてしまいながら。
そしてボッシュは街に降りた。
基地内のぎすぎすとした空気はあまり好きではない。
特にあてもなかった。飯を食うくらいだ。そう言えばアイテムパックが寂しくなっていたが、買い物はリュウに任せてあるので、ボッシュが気にすることもない。
リュウはまめな奴だったので、もしかすると先に起きて行商人のところに買い物にでも出向いていたのかもしれない。
そう思って広場に顔を出すと、予想的中、リュウの姿があった。
広告塔の下に座り込んで、何をやっているのだか、ぼんやりしている。人待ち顔だ。
誰か友人とでも出掛ける約束を取り付けていたのかもしれない。
そう考えると相棒のボッシュとしては、何も言わずに出て行くのは面白くない。
声を掛けてやるべきか、放っておくべきか迷っているうちに、ほどなくリュウはぱっと笑顔になり、ぶんぶんと手を振った。
それはもう嬉しそうな仕草だ。まるで尻尾を振る犬みたいな。
「買い物、終わった?」
「ああ、リュウ。持ってくれ。大応急セット、万能薬にきつけ薬に、反応爆弾」
「ひゃあ……すごいのばっかり、うわ、大応急セットなんてホントに買ってく人見たの、初めてだよ」
リュウは驚いた顔をしながら、物珍しいふうにじーっと目を眇めて高価なきずぐすりを凝視している。
ボッシュはと言えば、正直なところ、唖然としていた。
リュウの待ち合わせ相手が、あんまりにも意外な人物だったからだ。
リュウは感嘆と尊敬の眼差しで顔を上げて、彼女を賞賛した。
「やっぱりすごいね、1stレンジャーって!」
リュウの脇に立って、珍しくにっこりと微笑んでいるのは、リュウの、そしてボッシュにとっての直属の上司、ゼノ=1/128だった。
彼女は少し気遣わしげにリュウを見た。
「重いぞ。持てるか?」
「もう、子供じゃないよ……。それにしても、うわあ、これどうやって使うの? 反応爆弾。イッコちょうだい」
「ダメだ。自分で買え」
「ケチ……」
ふてくされたリュウを見て、ゼノが笑った。
「怒るな」
「……じゃあさっきのナゲット飼ってもいい?」
「ダメだ。どこで飼うんだ、おまえは寮だろう」
「あ、じゃあ……」
「……私の部屋も、ダメだからな」
「……やっぱり?」
「当たり前だ」
それらはボッシュの知らない表情だった。
師弟揃って、仲のよろしいことだ。
何故かむかむかしながら踵を返したところで、ふっとゼノがこちらを見る気配がした。
つられたリュウもぱっと顔を上げ、そうして、あ、と意外そうな声を上げた。
「ボッシュ! 起きたの? どうしたの、買い物?」
めんどくさく振り向いて、さも今気付いたというふうに、ボッシュは返事をした。
「……オマエこそ何やってんの? 珍しい組み合わせ」
「うん、ええと……ゼノ隊長……ええと、オフだけど隊長でいいのかな……ええと、ゼノ、さん?の、お買い物の手伝い……」
「……ふーん」
リュウはちょっと顔を赤くして、ねえこれで良かったかななんてふうにゼノを見上げた。
長身の彼女と並ぶと、見た目はほとんど大人と子供みたいな感触だ。
ゼノはそんなリュウにくすっと笑って、何でもかまわないさ、と言った。
「しかし、それにしても……」
なんでオマエらそんなに親密なわけ、とボッシュは聞こうとした。
だが変に意識しているように思えて、やめておいた。
リュウなんかどうでもいい。3rdのローディだし、ボッシュのようなハイディーが気にしてやるところなんかなんでもない。
任務中にくたばらないようにだけ――――そうなればボッシュのマイナスになるものだから――――気を使ってやればいい。
男相手には、そんなものだ。
ゼノはふっと時計を見て、ああ、と頷いた。
「リュウ、私はこれから上で任務がある。先に帰るぞ」
「あ……あ、うん。はい。行ってらっしゃい、気を付けて」
「ああ……」
ふにゃっと笑うリュウに釣られるようにして、少し口の端を上げ、しっかりな、とリュウの背中を叩いて、ゼノは行ってしまった。
「うん、ちゃんと荷物、部屋に持ってっておくからね!」
ぶんぶんと尻尾みたいに手を振って、それからリュウはボッシュに向直って、どうしたの、と言った。
「ボッシュが降りてくるなんて珍しいね……1日中寝てるかなあって思ってたけど。おなかすいた?」
「……別に。オマエに関係ないよ」
「あ、うん……そっか」
リュウはまたいつもみたいにちょっと困ったふうに頷いた。
ふいに、ぐー、と音がした。
リュウは赤くなって、あ、という顔をした。
「ご、ごめん、ごはん食べに戻るよ。ボッシュは?」
「俺は……」
オマエもいっしょにメシ食いにいくか、とボッシュは言おうとして、止めた。
任務以外ではリュウなんかに関わらない。
そうしておくべきだ。ああ腹が立つ。
「用事があるよ。先帰れ」
「うん。じゃね」
にこっと微笑んで、そうしてリュウは行ってしまった。
一人になって、ボッシュはふいに違和感を覚えた。
「荷物、部屋に……持ってっておく? なんだよそれ」
ゼノの部屋に、リュウは立ち入っているのだろうか。
師弟だから?
しかしそれにしては親密すぎた。
べたっとくっついて、リュウが甘えて、そしてそれが自然なことのような――――なんにしろ、面白くない。
それが何故なのかは知らないが。
「部屋で、二人で……なーに、してんだか」
できるだけからかいの口調で絞り出すことに努力して、ボッシュは無理にいつもの馬鹿にするような皮肉な笑みを顔に張り付けた。
「あの女、ショタコンだったんだ……へえ」
知らなかったなあ隊長サマ、と肩を竦めて、なんだか自分がとんでもなく茶番めいたものに思えて、ボッシュは鉄塔のパイプを蹴っ飛ばした。
面白くない。
なんでこんなに面白くないのか、わからないことが面白くないのだ。
「あ、おかえり」
二段ベッドの下段、リュウの指定席、彼はにこっと微笑んだ。
「ボッシュ、きずぐすり、買ってきたよ。きずセット5個、きつけ薬1個」
「きつけ薬、ちゃんと2個買って来いって言ってただろ」
「え? でもボッシュ、いらないんじゃ……」
「ばあか、オマエのだよ」
「うー……」
「いっそのこと隊長の買い物に付き合ったんなら、イッコくらいパクってくりゃあ良かったのに」
「だ、だめだよ! ちゃんとチェックしてるもん、ゼノ……隊長」
「…………」
ボッシュは無言で大股に歩み寄り、ベッドに腰掛けているリュウの額を小突いた。
「いたっ」
「いやに親密だったじゃないか?」
「え?」
「『ゼノさん』とさ。部屋まで入れてもらえちゃうくらいなんだ。あの女、あれで割とモテるみたいだしさ、嫉妬に狂った恋するレンジャーとかに刺されないように気を付けなよ」
「な、なにが?」
「へえ、とぼけるんだ」
ボッシュは微笑んで――――リュウがびくっとしていたから、凶悪なものだったろう。
リュウの隣に腰掛けて、じいっと彼の顔を見た。
「な、なに? ボッシュ」
「へえ、こんなのがいいんだ、あの女……。年下好み? もう食われちゃった? リュウ」
「え?」
「どこまでしたの、ってこと。職権乱用ってやつかな、これ」
「え? えっ?」
リュウは心底困惑しているようだった。
ボッシュの言っている意味が良く分からないようだ。
ボッシュは舌打ちして、リュウの肩を掴んで、引き倒した。
「わ、わっ?!」
そしてリュウの上に馬乗りになり、唇を、奪った。
リュウは呆けていた。
「……こういうこと。もうした?」
「な……な、なっ、な、に……!! それ……!!」
リュウは真っ赤になった。じわっと涙が目に浮かんできた。
頭をぶんぶん振って、ぎゅうっと目を瞑った。
「……してないの?」
「してないしてないよっ! だ、誰とも……まだ……」
リュウは、うー、なんて唸って、静かに泣き出してしまった。
「ひ、ひどい、ボッシュ……こ、こんなの、は、はじめて……なのにー……!」
ボッシュはちょっと呆れてしまった。
まるで処女みたいな言い草だ。
たかがキスひとつだ。
なんでこんなに真っ赤になって泣く必要があるのだ?
「……なんだ。してないんだ。つまんねえの」
めそめそしているリュウの相手をするのもめんどくさく、ボッシュは彼から身体を離して、少し冗談めかして言った。
「ファーストキスがこのボッシュだっての、自慢していいことだよ、リュウ。すごいことだ」
「……ひ、ひどいよー……! ふ、ふざけてこんな、こんなこと……!」
「ふーん……ま、なんでもいいけど。じゃ」
足早にリュウから離れる。部屋を出る。
扉が閉まり際に見えたリュウは唇を抑えてぐったりしていた。
廊下を歩いて、階段を降りてそのまま先へ。
背筋はぴんと伸ばしたまま。
ファースト、セカンド、そしてサードのロッカールームへ。
誰も居ない。
足を踏み入れ、扉が閉まり、自分の名前入りのプレートの前、ボッシュはロッカーにもたれてずるずると座り込んだ。
「…………」
顔は真っ赤だ。
頭ががんがんする。
唇を思わず抑える。
さっきのリュウの感触が、あんまりにも生々しく残っているからだ。
(……どうするよ、コレ……)
キスだけで泣き出す奴なんて初めてだ。
はじめてだったのに、とリュウは泣いていた。
ほんとに初めてだったのだろう、少し震えて、初々しい、その顔はほんとに真っ赤になっていた。耳まで。
近くで見るとリュウはほんとに可愛い。
生涯愛して守り抜くと決めた少女にうりふたつの顔で、だがリュウは男で、どこからどう見ても男で、でも可愛くて、
「ああもう、わけわかんねえ……!!」
座り込んだままボッシュは隣のリュウのロッカーをがんがんと蹴った。
ボッシュの足型で凹んでぼろぼろのロッカーは、更に、ボコボコに凹んでいった。
男だ、畜生。
◇◆◇◆◇
「ボッシュ=1/64」
「リュウ=1/8192」
「以上二名、参りました!」
隊長室に出頭した。昨日の非番の残り香はなんにもない。
ゼノ『隊長』は厳しく甘さの欠片もない目でリュウとボッシュを見ていた。
リュウは緊張しきった顔で敬礼している。
ボッシュは……変わらないだろう。たぶん。
「ボッシュ=1/64」
「はい」
「顔色が、赤いようですが……熱でも?」
「いえ、なんでもありません」
「そうですか。体調管理も任務のうち。気を付けるように」
「はい」
そうしていつもと何にも変わらない日常がある。
任務を受け、こなし、報告、終わり。
いつもと変わりなく、任務の通達が済んだ後で、ボッシュは言った。
「隊長……すこし、お話が」
いつもと変わりなく、ゼノはリュウに先に退室しているように命じ、リュウも何の疑問もなくそれに従い、ただ今日はちょっと、
「――――っ?!」
ちょっと違うのは、リュウが背中を向ける前に、ボッシュがゼノの肩を掴んで、彼女の真っ赤にルージュを引かれた唇に噛みついたことだけ。
ゼノもさすがに驚いたような顔をしていたし、リュウなんかはやっぱり目を点にしていた。
その顔も、割と嫌いじゃない……いつものにこにこした誰にでも向けるものよりずっと良かった。
「……っ!」
リュウに見せ付けるように舌まで入れてやって、うんまあ悪くない、なんて思う。
オマエこんなの知らないだろ、なんて横目を流してやると、リュウははっとして、真っ赤な、泣きそうな顔でもって背中を向けて、大慌てで退室した。
扉の向こうからリフトで待ってるからねボッシュなんて言うリュウの声、積まれたボックスを倒す音。ばさばさ零れる書類の山が目に見えるようだ。
そこで、やっとゼノの肩を離した。
ぱん、と乾いた音がした。
頬に熱い痛み、顔を上げるとゼノがボッシュを鋭い目で睨んでいた。
「……何のつもりです」
「俺に逆らうの?」
珍しく生意気なことを言うゼノの肩は怒りと恐怖に震えていた。
確かにボッシュが恐ろしいのだろうが、それよりもプライドを優先したようだ。
そういうところは、まあわりと悪くない。
「リュウの前で、わざとですね、ボッシュ。彼がなにか?」
「ああ……あいつローディのくせにさ、アンタのことが大好きみたいだから、そろそろ自分の立場ってやつ? 教えてやろうと思って。生意気なんだよ」
「リュウが嫌いですか?」
「ハア? ローディだよ。俺が気に掛けることなんて、ない」
踏み台にもなりゃしないよ、ボッシュは言った。
「アンタこそ、人の相棒に手ェ出すの、止めてくれない? 年下好みなのはわかったけどさ、あいつただでさえ余裕ないんだから、余所見されると困るんだよ」
「手を……? 何のことです」
「だから、相棒の摘み食いなんて止めろってことだよ。1/128なら1/8192のローディなんて、いつでも棄てられる玩具みたいなものなんだろうけどさ。あいつ、仮にもこの1/64の相棒なんだ。浮き足立って任務に支障が出たら困るってこと。ただでさえ不器用なのに」
「ああ……」
ゼノはそこでようやく得心がいったようで、肩を竦めて頷いた。
「そういうことですか」
「そういうこと? 口の訊き方がなってないね、ゼノ=1/128」
ボッシュは顔を顰めて、張られたばかりの頬を指した。
「俺に手を出して、反逆行為だって解ってやった?」
「……ええ。私にもプライドはあります。あの子を泣かせるものは、例えあなたでも許しません、ボッシュ」
「……へえ」
ボッシュは鼻白んで、意地悪く笑った。
生意気な女だ。
嫌いではないが、遊んでやることもない。
「この剣聖に連なるボッシュ=1/64に逆らうんだ? ローディが、ハイディーに逆らうのか?」
「……それが何です?」
ゼノの声は静かだった。
それが少しばかり面白くなかった。
少し諭すような、そんな調子を含んだもの。
半分説教されているような感じだ。
ゼノは少し迷って、そうして言った。
「私の叔父は反逆者でした。……ですが、優しい人でした」
ゼノはじっとボッシュを見た。
もうあの鋭い目ではなかった。
少し悲しそうだったが、凛とした、いつもの――――あの時折リュウが見せるものに良く似た眼差しだ。
「あの子の父親です」
「は?」
ボッシュはわけがわからず訊き返した。
誰が、誰と、どういうことだ?
ゼノは静かに目を伏せ、言った。リュウのことです。
「え? てことは、つまり、ええと……」
ボッシュは柄にもなく慌ててしまった。
あんまりにも意外で、考えもつかなかった。
「……オマエら、ああ、そーいうこと?」
だから仲いいんだ、とボッシュはぽんと手を打った。
詳しい詮索はしないでおこう。面倒だし、知りたくないことはないが、任務はもう始まっているのだ。
「ボッシュ、どうかこのことは――――」
「なに、内緒話?」
「……心ない者はいます。あの子が反逆者の息子と罵られることは、できれば避けたい」
「それを俺に言うんだ」
「…………」
「ふーん。ま、いいけど。ローディのことなんて、どうでもいいし」
正直そんな大したことが出来たわけではないだろう。
配給に困って盗みを働いたとか、トリニティに入ったとか、あのリュウの血の源ができることと言えばそんなくらいだろうと思った。
ゼノはボッシュに頭を下げて、言った。
「……忘れてください。失礼を、ボッシュ」
「いいけど、報告書にプラスでも付けてくれたらなんにも言わないよ」
ゼノは少し苦い顔をしたが、顔を上げて、少し頷いた。
「そして、できるなら……あの子を泣かさないでやってください。あの子はあなたが好きだ。誰より尊敬している……」
「そんな話、初めて聞いた」
「……最近あなたの話ばかり聞かされますよ。あの子にとって、あなたはヒーローなんです」
「へえ」
聞いたことがない。
だが、悪くないんじゃ……ないだろうか?
胸につかえたようになっていた重苦しいカタマリはもう溶け出してしまっていた。
代わりになんだかくすぐったいような……これは、なんだろうか?
ゼノは安堵した表情で、良かった、と言った。
「なにが」
「……思っていたより、あなたがあの子のことを認めてあげているようだったので」
「…………」
最後は少し、面白くなかったが。
結局ローディはローディに過ぎないよ、とだけ言って、ボッシュは隊長室を出た。
リフトでリュウが待ってる。
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