・迷宮の邂逅・
「遅い」
二段ベッドの上段、枠に腰掛け脚をふらふらさせて、ボッシュはぼやいた。
「遅過ぎる……あいつは一体、何をやっているんだ?」
消灯時間は過ぎた。
いくらなんでもこんな時間まで警邏をやる馬鹿はいない。
いや、任務を終了させて、その後仲間内で騒いでいるのかもしれない。
リュウはあまりそういうものに混ざらないやつだとは思うが、強く誘われれば「断るのも悪いし」なんて言いながら隅っこのほうでにこにこしながら同僚の愚痴でも聞いているのかもしれない。
「いや……」
――――帰ってきたら、ちゃんと教えてくれる?
リュウはそう言った。
「アレ」が余程知りたかったのだろう、リュウは気まぐれを起こすやつじゃなかったし、なら直帰だ。
間違いない。
そして、「アレ」を「ちゃんと教える」とはつまるところ、そういうことだった。
(いただいちゃっても、オッケーってこと?)
ボッシュにそういう変な趣味はない。
男相手なんて気色悪いこと、想像もしたくない。
だが、それがリュウ相手だとすると、ちょっとまあいいかな、という気分になるのだった。
(ま、これはあいつから「教えて下さい」なんて言ってきたわけだし)
リュウは男だが、顔は可愛かった。
そればっかりは初恋の少女のものだ。
身体が硬いくらいは目を瞑ろう。
(ていうか、ものすごく基本的なことなんだが、男相手に何すりゃいいわけ?)
女相手なら知ってる。なんとでもなるだろう。
だが男なんか抱いてやったことはなかったし、尻を使うのだということは知っていても、それで本当に気持ちが良いものなのかは知らない。
「あーあ、めんどくさい」
いっそのことリュウが女なら良かったのだ。
そうすればこんなに面倒な悩みもなく、上まで連れて行ってやれたし、簡単に気持ち良くしてやれた。
好きだとか、簡単に――――
(ていうか、これってなんかやばくない、俺)
なんで男相手にこんな妙なふうに悶々と、いかがわしい妄想なんかも交えつつ、顔を赤らめてやらなきゃならないのかボッシュにはわからない。
(これじゃ、まるで……)
これじゃあまるで恋をしているようだ。
子供の頃下層区で会った少女への感情はそのままリュウに向けられて、いや、今やそれよりもずっと強く、大きくなっているような――――
(気のせいだろ。俺はそんな趣味はないんだ。普通に可愛い女の子が好きで、普通にハイディのエリートで、普通に出世して、普通に統治者になる。なんにも問題ない。……ローディの男相手に、まさか)
ボッシュは頭を抱えた。
それにしても、リュウは遅い。
もうすぐ日付が変わる。
じきに最下層区行きのリフトも止まってしまう時間だ。
リュウは何をやっているのだ?
◇◆◇◆◇
少し頭を冷やした方がいい。
そう思って、ボッシュはジャケットを羽織り、明かりの消えたレンジャー基地の廊下を歩いていた。
食堂は閉まっているが、オフィスのコーヒーメーカーは使えたはずだ。
オフィスにはまだ明かりは点いていたが、誰もいなかった。
隊長室にも誰の気配もない。
今日は外で厄介ごとも起こらなかったようだ。
毎日ディクやトリニティどもがこのくらいおとなしくしていてくれれば、レンジャーの仕事も楽になるのだが。
とびきり濃い目に入れたコーヒーに、砂糖とミルクをたっぷり入れて、啜る。
これで少しは頭が落ち付いた。
何を馬鹿なことで思い悩んでいたのかと嫌になってくる。
「まったく……」
ふっと目を上げると、当番表が目に入った。
自然今日の日付に目が行く。
そこで、ボッシュはふっと目を冷たく眇めた。
警邏は標準時刻1900を持って終了、メンバーは……
そこには組み分けられたはずのリュウの名がどこにも見当たらなかった。
◇◆◇◆◇
「――――あの、ストーカー野郎!」
アビーは忌々しげにがつっと階段を蹴った。
ヒューがおどおどと彼に続く。
「な、なあ、良かったのかなあ、あのままほったらかしにしてきちゃって……。あいつ、リュウ殺しちまわないかな……」
「……そこまで馬鹿じゃないだろ。もう帰ろうぜ。リュウなんか知ったこっちゃない」
「で、でもアビー、前、リュウが候補生のお守りで留守にしてた時もさ、あいつがいないと張り合いがないって言ってたじゃないか。あいつ、弱いからきっとすぐくたばっちゃうぜ」
「ここで止めてみろよ、どんな嫌がらせされるかわかったもんじゃない。あいつ、きっと俺たちの名前出して、自分はなんにも知りませんでした、みたいな顔してるに決まってるさ」
「う、うーん」
ヒューがまごついている間に、アビーは警備のレンジャー隊員に軽く挨拶をして、さっさと階段を上がっていく。
軽いエア音。ドアが開いた。
中はもう消灯時間を過ぎていて、明かりが落ちている。
非常灯だけが白く灯っていた。
人気もなく――――
「よお」
いや、一人だけいた。
入口のすぐ間近で、なんでもないふうに壁に凭れかかっている。
目が合うと、軽く手を上げた。
ボッシュ=1/64である。
「ボ、ボッシュ?! な、こんな時間にこんなとこで、何を……」
「いや、うちの相棒連れてってさ、何やってんのかなーって。お楽しみだった?」
「い、いや、へへ、あの……」
「お、俺たちは、知ら……知りませんよ! ただちょっと、その」
ボッシュは「やれやれ」と肩を竦め、腰のホルダーに無造作に触れ、そして次の瞬間にはアビーのレンジャージャケットの襟を、レイピアでもって壁に縫い付けていた。
「俺さあ、まだるっこしいのキライなの、知ってる?」
アビーとヒューは、蒼白で、涙目でこくこくと頷いた。
「そ。じゃあ手短に解りやすく30秒以内に事情を説明するか、一回死んどくか、好きな方選んでいーよ」
返事など決まっていた。
とりあえず二人の少年に解ったのは、とんでもなくやばい人間を怒らせてしまったのかもしれない、ということだ。
◇◆◇◆◇
ぐちゅっ、ぐちゅっ、と粘ついた音がずうっと聞こえる。
その身体はもうぴくりとも動かない。
弛緩しきって、ぐったりと崩れている。まるで死体だ。
あの二人は怖気づいて、抜けて帰った。
そっちのが都合が良かった。
今目の前にある光景は、自分一人だけのものであるべきだからだ。
マーク少年は部屋の隅に座り込んだまま、缶のプルタブを開け、中身を啜った。
甘ったるい匂いが鼻に抜ける。
こちらはリュウに飲ませたものとは違って、睡眠薬も媚薬も入ってはいない。
ほんの少し観察すれば缶の側面の小さな穴に気付いただろうに、やはりリュウというローディは注意力に欠けているところがあるようだ。
無条件に人を信頼したつけがこれだ。
マークはうっすら微笑んだ。
だがリュウは綺麗だ。可愛い。
ボッシュなんかが気安く触って良いものじゃない。
濡れた音が一旦止んだ。
ああイッたな、とぼんやりと考える。
今彼の目の前には大型のディクが一匹、それから同族だろう同じ形態のディクが三匹いた。
二本の足で立ち歩いて器用に道具を使うさまは、まるで人間みたいだ。
かなり興奮している。
発情期を迎えているのだ。
その上おそらく、例の媚薬に含まれる成分に煽られているに違いない。
群れのリーダーだろう巨大な化け物が、小さなリュウを玩具の人形かなにかのように軽く抱いて、腰を交えていた。
その下でお零れに預かろうと、人間の子供ほどの大きさのディクが戯れにリュウの手を引き、軽く噛みついたりしている。
リュウは相変わらずぐったりしている。ディクの巣に放り込んでやっても、目を覚ます気配もない。
やはり睡眠薬の配合は、もう少し軽いものにしておくべきだった。
ディクとまぐわっている最中に覚醒して、半狂乱で泣き叫ぶリュウというものも見たかったのだ。
腹の中にディクの精液が流れ込んで、リュウを決定的に汚していた。
噂で聞いたことがある。
バイオ公社では人間の女をディクと交配させ、孕ませる実験が存在するそうだ。
リュウが女なら良かったのに、と彼は考えていた。
ディクの子を身篭った時、潔癖症で純粋で綺麗なリュウは、一体どんなふうに絶望をするのだろうか。
気が狂ってしまうかもしれない。
目の前のディクが、また忙しなく腰を動かしはじめた。
何ラウンド目だっけ、と彼は少し呆れ果てた。
さすがディクだ、性欲に際限がない。
(もっとも、こっちだって似たようなものだっけ)
彼はどこまでも穢されていくリュウに、確かに興奮していた。
いくら自慰によって精を吐き出しても、満ち足りるところがなかった。
(そろそろ、いいかな)
ディクを片付けてしまって、最後に自分がここで穢れきったリュウを抱いて、これでお終いだ。
それが終わったら、リュウが目を覚ますまで待っていてやろう。
もしかしたら気が狂ってしまうかもしれない。
もうきっとリュウはボッシュなどに気を向けることもないだろう。
おそらく顔を見ることも叶わないに違いない。
汚れきった身体をボッシュの前に晒すこともないはずだ。
「ローディはローディ同士、仲良くやろうぜ、リュウ」
もうしばらくこうしていても良かったのだが、マークは名残惜しげに腰を上げ、そして――――
何の気配もなかったはずだが、背後から後ろ頭に重い衝撃があって、目の前が真っ暗になった。
◆◇◆◇◆
目の前にある光景は、まるで地獄だった。
少年らしいのっぺりした身体があった。
リュウの細い脚はひどい具合に無理に開かされていた。
足首を無造作に掴まれ、腹の中に真っ赤に充血した獣の性器を強引に捻じ込まれていた。
上半身はぐったりと垂れ、ディクの腰の動きに合わせて跳ねる以外は、ぴくりとも動かない。
もう死んでいるようにも見えた。
その光景を眺め、薄笑いを浮かべながらマスターベーションに耽っていた男――――名前は知らない――――を踵で昏倒させて、ボッシュはその少年の名前を呼んだ。
「……リュウ?」
当然のように返事は返ってこなかった。
髪がふわっと逆立つ感触がある――――事態を理解してまず訪れたのは、純粋な怒りだった。
「人の、相棒に――――ディクの分際で!」
近寄ってきた小柄なディクを蹴り殺すと、異変を察した仲間がもう一匹近付いてきた。
それもおんなじようにしてやる。
巣の親玉らしき巨大なディクは、まだリュウを夢中で貪っていた。
ボッシュの存在に気付きすらしない。
「……そんなにいいの、そいつ?」
背後から、獣剣で一突き。
倒れた拍子に最後の一匹を下敷きにして押し潰して、終わりだった。
ボッシュは床に転がったリュウに駆け寄って、そのほっそりした腕を取った。
脈はある。生きていた。
だが――――
INDEXTOP / NEXT>>>08:すさんだまま
|