下層区のジャンクヤード、スクラップとクズ鉄をリヤカーに積み込んで、少年は偽物の空を見上げてふうっと息をついた。
(つかれた……それにしても、さすが下層だな……空気、悪いや)
 地下で塵のように棄てられているものの中には、まあ大半がそのまま塵であったわけなのだが、稀に稀少な魔光塵が含まれていることがある。
 そいつを掘り起こして上層区へ持っていくことが、少年の仕事であった。
 D値はそれほど高くない。
 四桁にはぎりぎり行かないくらいだ。
 中層区に割り振られる階級だった。
 父親は生まれて少しして、D値に引き離された。今は上層にいる。
 しばらく前まで似たようなD値の母と二人暮しだったが、今は雇い主の店に住み込みで働いている。
「おいコラ、ひょろひょろメガネ! なにぼさっと突っ立ってる!」
「はーい」
 一息ついていると、思った通り同僚にどやされた。
 少年は慌ててジャンクの詰ったトレジャーボックスの蓋をしっかり閉めて、仕事仲間のジャンが引くリヤカーの後を押しに掛かった。
「今日はバッテリーパックも見付けたよ。運が良かったね」
「しっかり運べよ。前みたいにリヤカーひっくり返して、貴重な宝の山が文字通りジャンクになっちまわねえようにな」
「うん……」
 少年は懸命に、重い車輪付き荷車を押した。
 額から零れた汗が、腕に滴り落ちる。
 細い腕では満足な力もでなくて、まだ大人のようにうまくいかない。
「さっさと帰るぞ……オーナー、まあた女の尻追っ掛けてんだろうなあ……」
「そんで、まあた平手打ちでもされてんだろなあ」
「そんならまだマシだ、こないだなんかすごかったんだぜ、包丁持った女が作業場にやってきてさ。あんたを殺してわたしも死ぬ! すげー修羅場」
「またそんな恨みを買うような真似をしてたんだな、あのトンガリ……こないだだって痴漢やって逮捕されてたし」
「あれ、ローディならお縄だったけどさ、5分で釈放だって。オーナーあんなでも一応ハイディじゃん」
「世の中間違ってるよな……くそっ、重い」
「おい眼鏡、おまえレンジャー志望じゃなかったっけか?」
「志望さ。しょうがないだろ、重いもんは重いよ。あと、眼鏡眼鏡言うな」
「オーケイ、JJ。おまえレンジャーになったら、オーナーの野郎、逮捕してやってくれ。あとこの馬鹿高い通行税、ちょっとは目こぼししてくれや」
「……名前で呼ぶなったら。嫌いなんだよそれ、機械みたいでさ」
 少年、JJ=1/512は顔を顰め、息をつき、止まることなく落ちてくる汗を拭った。




◆◇◆◇◆




「いやっ、だからさ、そーいうんじゃなくって。え? マジ? 金輪際って……ちょっとオイ、メリー! 俺が何をしたってんだ?! ちょっと美尻だからってそりゃ酷すぎやしないか?!」
 店に帰ると、オーナーは電話で示談中だった。
「あーあー、まあたふられてるよ……JJ、適当に帳簿つけといてくれ。後でアレが片付いたらチェックもらって、いつも通りタペタんとこな。俺、仕分けやってくる」
「りょーかい」
「あー、だから浮気とかそんなんじゃないんだって……ただ手が勝手に! 吸い付くんだ! 俺は断じて悪くないぞ! ってオイ、もしもし? もしもーし!」
「……オーナー、もういいですか? あんたまたこっちの帳簿溜めっぱなしで……仕事してくださいよ」
 オーナーは、名をジェズイットという。
 整髪剤でつんつんに髪を逆立てている。中肉中背の男だ。
 元レンジャーらしいが、今はこうして怪しげなジャンクショップのオーナーなんかをやっている。
 おそらく素行が悪くて首になったんだろうなと、JJは踏んでいる。
 女ぐせが悪く、手癖も悪く、サボリ癖と脱走癖があるくせに、この男のD値は1/16というハイディだった。
 世の中というものは、どこかおかしい。
「……やっぱD値は絶対じゃないですね」
「そうだろう? いつも俺が言ってる通りだ。って、そんなことはどうでも良いんだよ。どうしようJJ、メリーに振られたー」
「仕事やって下さい」
 すげなく答えると、ジェズイットはこの世の終わりみたいな具合で仕事場の床にべたっと蹲り、頭を抱えた。
「あーあ、そこは「何かの間違いですよ。男の中の男のジェズイットさんがフラれるわけないじゃないですか」とか「もっと美人の方が似合いますよ」とかこう……持ち上げて慰めてくれるべきとこだろ、バイト君として雇い主を」
「仕事もしない店長が、何を言ってるんです。はい、今月の終始決算」
「ふーん。どんな感じ?」
「これでもかってくらいの赤字ですね。あんたが経費と称して、ゴースト石の指輪やらバリアブルリボンやらを不特定多数の女性に贈ってるってのが、まあ大きな理由のひとつですが」
「うーん、JJ君、お金っていうのは、可愛い女の子にプレゼントを贈るためにあるんだ。まだ子供の君にはわからんだろうがねえ……」
「一生わかるようになりたくありません。ていうか、僕ら店員が必死に働いてる横で何をやってんですか?」
「メリーにふられてた」
「それはもういいですから」
 JJは頭を抱えて、はあと溜息をついた。
 元々神経質な方なので、この職場はひどくストレスが溜まる。
「……あんた、この仕事向いてないですよ」
「レンジャーよりは向いてると思うんだが」
「……もういっそのこと、僕のいないところで賭博師にでもなったらどうです? きっと似合いますよ」
「おっ、いいねえ、それ! ナイスアイデア! 陰気な眼鏡くんも、たまには良いことを言うじゃないか」
「陰気も眼鏡も余計です。ていうか、なんでやめちゃったんですか、レンジャー。安定した職業だってのに」
「そういや、おまえさんはレンジャー志望だったな、JJ。うん、わりと向いてると思うぞ。おまえのD値なら、ファーストくらいにはなれるんじゃないか?」
「あんた、ドロップアウトした職業を自信満々でヒトに勧めるって……」
「ああ、俺はなあ」
 ジェズイットは、珍しくちょっと迷うように頭を掻いて、言った。
「やばいから」
「は?」
「ま、逃げてきたんだな。ようするに……」
 JJは帳簿を付ける手を止めて、目を丸くした。
「……あんた、まさか何か犯罪にでも手を染めたんじゃ……」
「いや違う、違うって! 何だその目、おまえは俺が何かやらかすような人間に見えるのか?!」
「……婦女暴行、淫行罪、痴漢罪、猥褻物陳列罪……」
「いやちょっと待て。特に最後の待て」
「数え上げるときりがない……ああ嫌だなあ、ほんとに仕事かわろうかなあ……」
「ちょっ、おい、人聞きのわるい! 俺は潔白だぞ。それに辞められちゃ困る、うちでまともに経理を任せられるのはおまえしかいないんだからな。他は脳味噌まで筋肉だし」
「うわあ。後でみんなに言い付けてやろう」
 淡々と返しながら、目は手元のノートである。
 いつもの遣り取りだ。
「……まあ冗談は、どうでもいいんですけど……」
「いや、今のはおまえさん、冗談じゃなかった」
「どうでもいいんですけど、あんたも仕事選んだほうがいいですよ。こんなローディのやる仕事なんかじゃなくて、1/16なんてすごいD値があるんなら、何だってできるじゃないですか。この世界最高位の――――
「ああ、それパスな。その先はもういい」
「……まあいいですけど」
 統治者にもなれるんだと言おうとしたのだが、のらくらとかわされてしまった。
「ま、あんたが道楽でこんなことやってるから、僕も職にあぶれなくて済むんです。ありがたい話ですね」
「そうだろう。おまえみたいなひょろひょろ眼鏡、そう雇ってくれるとこもなあ」
「さっきファーストまで行けるって言ったじゃないですか」
「相応の訓練は必要だろう。ん? なんかやってんのか?」
「……あんたには関係ないでしょう」
「へー。メイジ志望か? バルくらいはできるようになったか?」
「……計算の邪魔です。静かにしてください」
「へーへー」
 やれやれと肩を竦めて、眼鏡は気難しくて困る、とジェズイットが言った。
 無視に努めてノートのページを捲ったところで、表からからんと鈴の音がした。
「お、お客さんか」
 ジェズイットは、あろうことか椅子がわりにしていたカウンターから腰を浮かし、入口に声をかけた。
「いらっしゃーい」
 店に入ってきたのは、金髪の少女だった。
 綺麗な身なりをしていて、こんなジャンクショップには似つかわしくないくらいに清楚な子だ。
 JJはこっそりと見とれて、綺麗な子だな、と思った。
「こんにちは、美しいお嬢さん? 何かお探しかな? 今なら出血大サービスで、ジャンクを買うともれなく俺がついてくるぞ」
「オーナー、最悪です」
 またジェズイットの悪い病気が出た。
 美人となると見境がないのだ。
 確かに可愛い子だが、きっと上層の子だ。品のある格好をしているし、仕草も洗練されて優雅だ。
(……って、なに見てんだ、僕は。オーナーの悪い病気がうつったかなあ……)
 意識して、ノートに集中しようとする。
 だが、視線は自然そっちに向いてしまう。
 おんなじ年頃の女の子なんて、仕事柄そう見るものじゃない。
 少女はJJよりもいくつか年上のように見えた。
 ふと、目が合うと、彼女はにっこりと微笑んだ。
 JJは顔を赤くして、慌てて俯いて、帳簿に集中した。
 ジェズイットがなにやら面白そうな顔で、JJを見ている――――これは後でさんざんからかわれることは覚悟しておいたほうがいいな、とJJはげんなり思った。
「さて、なにがいりようだい」
「……貴方が」
 鈴のような音色だった。
 思わずどきっとして、JJは聞き入ってしまっていた。
 少女はうっすら微笑んで、さっきJJが拾ってきた魔光塵を手に取った。
 ぽうっ、と塵に光が灯った。
(ああ……魔力が高い子なんだ)
 ちからを持ったメイジが魔光塵に触れると、淡く発光することがある。
 また、さっきの鈴のような声が聞こえた。
「ジャンクをいただこうかしら? 貴方が共に来て下さるのですよね?」
「オイオイ、逆ナンパかい? いやあ、まいったなあ。もてる男は辛いぜ。な、JJ」
 がたん、と大きな音を立てて立ち上がって、JJは帳簿を引っ掴んで、ぽん、と肩を叩いたジェズイットを押し退けた。
「タペタの店、行ってくる!」
「お? おー、気ィつけてなー」
 手を振るジェズイットにも振り返らずに、ばん、と後ろ手にドアを閉めると、けたたましく鐘が鳴った。





◆◇◆◇◆





「あーあー、へそまげちまった……しいらないっと」
 やれやれと手を広げて、ジェズイットは少女に向直った。
「悪いね、お客さん。うちの店員は躾がなってなくてね」
「可愛らしい男の子ですのね。そう、お話を戻しますと、今日は私、貴方を迎えに上がりましたの」
「いやあ、俺ってモテモテ? 参ったなあ」
 少女は静かに、自らの胸を指し、優雅に一礼した。
「私はオルテンシア。聖女と呼ばれておりますわ。お目に掛かるのは、初めてですわね。ジェズイット=1/16」
「……統治者……ってわけ。うん、知ってる知ってる。なあ、例の話なら断ったはずだけど? 俺統治者ってガラじゃないって」
「我が主は……貴方を望んでおられます」
 オルテンシアは目を閉じたまま、小さく首を傾げた。
「今日は私、主には内緒で、こっそり来ましたの。知れたらきっと、大目玉ですわ。だから内緒にして欲しいんですの」
「うん、大丈夫大丈夫。俺は統治者になんかなんないし、上にも行かないし、だからあんたの主に俺が顔を合わせることもないからチクったりしないって」
「時間がありませんの。大切なものがおありでしょう?」
 ジェズイットは、すっと目を細めた。
「……何しようっての、綺麗なお嬢さん。言っとくけどさあ、うちの店員とかに手を出したら、ちゃんと仕返しとかしちゃうよ?」
 オルテンシアは、ほんとはこんなことは言いたくないんですけど、と言い置いてから、目を開け、じっとジェズイットを見た。
「竜が現れました」






 >>