ボッシュ=1/64の16歳の誕生日は、剣聖に連なるものに相応しく、上層区の社交界で盛大に祝われた。 「おめでとうございます、坊ちゃん」 「おうよ」 適当に返事をして、帰途につく。 正直こういう人の集まりは、あんまり好きなほうじゃない。 疲れるだけだ。 なんとか取り入ろうという腹黒そうな奴らは寄ってくるし、婚約者候補だかなんだかで何人も女が大挙して押し寄せてくるし、こんなにくたびれるのならもう永遠に歳なんて取らなくていい。 問題の婚約者は結局、決まったのかまだなのかは知らない。 どっちにしろ誰かが勝手に決めてくれるんだろう。 女なんか、顔と体さえ良ければ後は何だって一緒だ。 省庁区に帰ると、珍しくあの陰気なリュウが迎えに出てきた。 「お、おかえりなさい、ボッシュ……さま、ナラカさん、リケドさん」 「…………」 リュウはいつもどおりの、俯き加減の無表情だった。 あの書司――――オリジンに見せていた笑顔なんてどこにもない。 いつもと違うのは、リュウは小さなボストンと一緒に、胸になんだか不恰好なナゲットの人形なんかを抱いていたことだ。 「あ……あのっ、ボッシュさま、お誕生日、おめでとうございま――――」 「邪魔」 どん、とリュウを押し退けると、こんな上層にいるくせに何の訓練も受けていないリュウは、あっけなく転倒した。 「ふん……」 床に転がったナゲットのぬいぐるみを、ぐしゃっと足で踏み付ける。 あまり上等でない布地はすぐに破けて、中から綿が飛び出した。 「あ……」 「オマエ、何? 男のくせにこんな女々しいもん持ってさ。恥ずかしくないわけ?」 「ぼ、坊ちゃん!」 リケドが、なんでかボッシュを窘めた。 「俺は疲れてるんだ。薄汚いローディが、陰気臭い顔を見せるな」 リュウは踏み付けにされたぬいぐるみを拾い、恥ずかしそうに隠すと、力なく頷いた。 「はい……すぐに、そう……なります」 「ハア?」 ボッシュが訊き返すと、ナラカがリュウの代わりに答えた。 「坊ちゃん、兄上様はこれから下層に降りられるのですよ」 「下層区? ……ああ、ローディはローディの巣に帰るんだな」 「おれ……レンジャーに、なろうと思って」 リュウは顔を上げて、寂しそうにうっすらと笑った。 「……約束は……もう……」 「ハア?」 「なんでも……ないです。ボッシュさま、今まで良くしていただいて……おれみたいなローディをここに置いて下さって、ありがとうございました」 リュウは、ぺこっと頭を下げた。 「このご恩は、一生忘れません」 「いいよ、べつに。返しもできない恩なんて、ディクの餌にでもしてやれば」 『坊ちゃん!』 今度は双子に二人して怒られた。 何だというのだ。 リュウは、じっとボッシュの顔を不思議なまなざしで見つめていたが、静かに背中を向けて、扉を開いた。 その小さな背中は、空中回廊の転移陣に吸い込まれ、闇に消えていった。 ◆◇◆◇◆ 「下層区っていうところにはね、おそらがあるんだ」 にいさまは、そう言った。 「あおくて綺麗で、すっごく広いんだって。おれの生まれたとこなんだって。おれのほんとのとうちゃんとかあちゃんも、そこにいるんだって」 「にいさま……」 ぼくはちょっと寂しくなって、にいさまにぎゅうっと抱き付いた。 「にいさま、やだ……。ほんとのとうさまは、ぼくのとうさまだよ。にいさまは、ぼくのほんとのにいさまだ」 「う……ごめんね、ボッシュ。そうだね」 にいさまは困った顔をして、頷いた。 でもぼくは、にいさまの言った言葉がすごく気になっていた。 「おそら……」 「え?」 「おそら、あるの? 「かそうく」っていうとこには、えほんのおそら、あるの?」 「う、うん! おれもよくしらないけど、かっこいいれんじゃーもいっぱいいるんだって! れんじゃーの一番おっきい基地があるんだ」 「れんじゃーの?」 「うん! おれたちだって、れんじゃーの仲間に入れてもらえるかもしれないよ」 「れんじゃー……」 「おれ、れんじゃー、すきなんだ……かっこいいもん」 にいさまはそう言って、にこにこしている。 ぼくは、なんだか焦ってしまった。 「に、にいさまっ! れ、れんじゃーとぼくと、どっちがかっこい?」 にいさまは首を傾げて、変なの、と言った。 「れんじゃーは世界で一番すごいんだよ。いつもみんなを守ってくれるんだ……」 「ぼっ、ぼくは?!」 「ボッシュはねえ……かわいいから、かっこいとはちがうよ」 「うっ……ぼ、ぼく、じゃあれんじゃーになる! 「かそうく」に行って、世界一かっこいれんじゃーになるよ!」 「おれだってなるもん」 「にいさまは、だめ! ぼくが……」 「なんでダメなの? おれ、ローディだから、ダメかなあ……?」 「う……だ、だめったらだめなの!」 ぼくはまたむきになっていた。 にいさまは強くなんてならなくていいと思う。 じゃなきゃ、ぼくが守ってあげられない。 「大人になったら、「かそうく」に行って、にいさまと「カケオチ」して、れんじゃーになって、そんで、えっと」 なんだかいっぱいありすぎて、頭がこんがらがってきた。 にいさまはいっぱいたのしいねとにこにこ笑っている。 それで、まあいいや、と思った。 難しいことは、大人になってからいっぱい考えよう。 ぼくはにいさまが笑ってくれるなら、ぜんぶなんだってよかった。 ◇◆◇◆◇ 「ボッシュ、あのね、これ、あげる……」 にいさまがぼくにくれたのは、すごく可愛いナゲットのぬいぐるみだった。 「わあっ、ありがとう! なあに、これ。いつもみんながくれるのと、なんかちがう……」 「おっ、おれが、つくったの……ごめんね、へたくそで……」 にいさまはすごくはずかしそうに、顔を真っ赤にしている。 「おれっ、あのね、けんか、早く仲直りしたいって思って、それで……」 そう言えば、ここしばらくにいさまとは喧嘩をしていたのだった。 すっかり忘れていた。 理由は……なんだっけ? ぼくにはもうそれも思い出せなかった。 ただにいさまが、ぼくのためにナゲットを作ってくれたっていうことがあんまり嬉しかったんだ。 「ごめんね、ボッシュ……おれ、もっとちゃんと兄ちゃんらしいこと、できたらなあ」 「へんなこといわないでよ、にいさま。にいさまはぼくのにいさまだもん。ね、これ、どうやってつくったの?」 「えへへ……あのね、メイドさんのお手伝いしてた時に、教えてもらったの。ボッシュと仲直りできるよって、ほんとだったね」 「いじわる、されなかった? にいさま」 「うん、あたらしい人、すごくやさしかった。あ、でも、ばあやには内緒にしてねって言われた……」 「うん……ぼくも、いわないね」 「しー、だね」 ぼくとにいさまは、くすくす笑い合った。 「あ、もう戻らなきゃ……おれ、ごはんのお手伝いに行ってくる」 「にいさま、ごはんつくるの?! すごいや!」 「へへ、ボッシュのおよめさんになったら、ごはんもつくらなきゃだものね」 「にいさまっ、今日のごはん、にいさまが作ってるの?」 「お、おてつだいだけだけどね……」 にいさまは恥ずかしそうに頭を掻いた。 今日の晩ごはんはなんだろう、すごく楽しみになってきた。 部屋に戻ると、にいさまからもらったナゲットがどこにもいなかった。 「ね、あの子、どこ行ったの? ぼくのナゲット……」 「あんな汚いものでなくとも、ボッシュ様にはもっと素敵な玩具が沢山ありますでしょう?」 「あれがいいんだ!」 「我侭を言われませんよう」 誰にも相手にしてもらえなかった。 棄てられてしまったのだ。 屋敷中一生懸命捜したが、結局にいさまのナゲットはどこにも見つからなくて、ぼくのところには二度と帰ってはこなかった。 ◆◇◆◇◆ 部屋に戻ってしばらくすると、やけに外が騒がしくなってきた。 なんだろうと訝っていると、ナラカとリケドの双子がボッシュの部屋に血相を変えてやってきた。 「坊ちゃん!」 「なんだよ……オマエら」 「兄上様が……」 リケドが、言いにくそうに目を閉じ、静かにボッシュに報告した。 「兄上様の乗られたリフトがライフラインの発着駅にて、爆発し、炎上したと――――」 「トリニティの仕掛けた爆弾の仕業だと」 「ハア?」 ボッシュは、眉を顰めて訊き返した。 「それで?」 「……ヴェクサシオン様のご命令です。兄上様――――リュウ様を保護し、傷を負っているようならばバイオ公社にお連れするようにと」 「……クソ親父……」 チッと舌打ちして、ボッシュは重い腰を上げた。 「俺の剣を」 ◆◇◆◇◆ ライフラインは半分ほどが完全に陥落してしまっていて、トリニティの勢力圏内にある。 あまり長居はしたくない場所だ、命に関わるので。 金網越しに深い闇を見つめ、ここから転落すれば万にひとつも命はないだろう、とボッシュは冷静に判断した。 「あの家畜め……まったく、手間を掛けさせやがって」 父の命は、リュウを発見するまで帰ってくるなということだった。 死体でも見付けられれば良いのだが、もう粉々に砕けて散ってしまっているかもしれない。 ライフライン最下層まで降りると、レンジャーとトリニティがリフトの残骸らしきものの周囲で交戦中だった。 下手を打てば俺が死ぬな、とボッシュは忌々しく思った。 流れ弾がびゅんびゅんと飛んでくる。 レンジャーの背後には生き残ったらしい乗客たちの顔が見えたが、その中にリュウはいなかった。 やっぱ死んだか、とボッシュは冷静に考えた。 ともかく死体がリフトの中にまだ残っているのなら、引っ張り出して回収しなければ帰れない。 (めんどくせー……) 地下列車はぼろぼろに焼け焦げて、所々にまだ火が残っていた。 この地下において、火災は非常に危険なものである。 炎が酸素を燃やし尽くし、酸欠でくたばりかねない。 黒っぽい炭のかたまりが時折足元に転がっていたが、何なのかはあまり考えないでおく。 (まさか、この中にはいないよな) 身元の判別もできないくらいに死体が損傷していたとしたら、どれがリュウなのか、わかりゃしない。 (……あ、逆に適当なの持って帰って、「これがあいつです」って言えば良いんだっけ) ふと気付いた。 そうだ、それが楽で良い。 (そもそも、何だってあの家畜野郎、今更下層に降りるとかぬかしやがったんだ? 遅いだろ。ローディの巣に帰るんなら、もっと早く出てけっての) 幼少の頃、あの男のおかげで受けた屈辱を、今でも思い出すことができる。 ローディの弟と蔑まれ――――この1/64のボッシュがだ――――屋敷に帰ってリュウを責めても、彼は困ったように俯いて何も言わないままだった。 そう、きっとまともに話も聞いてやしなかった。 きっと教養のないローディだから、ボッシュの言っている言葉の意味がわからなかったに違いない。 (しかも、なんだってわざわざ俺の誕生日に? あてつけか? なんかの抗議行動とか) ローディの行動について深く考えたってしょうがない。 兄弟の情なんてものを抱いたことはなかった。 あまり話した記憶もない。 大体リュウは笑わないのだ。 あんな陰気な男と話して、何が面白いものだか。 (ま、くたばってくれたんなら……これ以上考えてやることもないな) 皮肉げに肩を竦めて車両を移ると、熱い空気が身体の周りを覆った。 最も損傷が激しかった。 だが炎はもう消え掛けている。 暗い車内には、さっきまでそこここに転がっていた炭でできた人型もない。 (いや……) なにかある。 近寄って、ボッシュは少し驚いた。 ミサイルの直撃でも受けたみたいなクレーターができていて、その中に倒れている少年がいる。 リュウ=1/8192だった。 引っ張り上げてやると、驚いたことにリュウにはまだ息があった。 怪我らしい怪我もなく、火傷の痕も見当たらない。 ボッシュはほっとして、まだ脈のあるリュウの手首を取った。 生きていた。これで父にとやかく言われることもないだろう。 傷も見当たらないので、わざわざバイオ公社まで出向かなくたって良いはずだ。 彼のほかに乗客は見当たらなかった。 さっさと先に逃げたのだろうか? (ま、そんなことはどうでもいい……さっさとずらかるか) 外ではまだ銃撃が続いていた。 時折リフトの鉄板に、銃弾がぶち当たる音まで聞こえる。 いつエンジンを打ち抜かれて爆発炎上するものだか知れたものじゃない。 割合軽いリュウを背中に担いでやって、レンジャーとトリニティに気取られないように、静かに外に出る―――― 「それを置いていきな」 失敗したか、とボッシュは思った。 すぐ目の前にはボッシュの数倍はありそうな労働用ディク、サイクロプスが行く手を阻むように立っている。 その傍らには奇妙な仮面をつけた女がいた。 「見たところ民間人だ。それをこっちに渡すんだ。そしたらすぐに見逃してやるよ」 女は静かに銃を構えている。 ◆◇◆◇◆ おそとにあそびにいくんだと言うと、嬉しそうににこにこして「おれも行く」ってにいさまは言った。 ぼくはおそとでにいさまとあそぶのはあんまり好きじゃないので、ぜったいだめ、と言った。 「だめだよ、にいさま。にいさまといっしょにおそとに行くと、ローディといっしょにいるって言われるもん」 「あ……うん」 にいさまは残念そうな顔をして、でもまたすぐにぱあっと笑って、いいよお、と言った。 「あ、おれ、そういえば、おかいもの頼まれてるんだった。あそびにいけないや」 「うん……」 にいさまも用事があったみたいだ。 ぼくはちょっとほっとした。 「あ、あのね……おうちのなかなら、いいよ。またぼくのへや、あそびにくるんなら……」 「うん、またね」 にいさまは元気いっぱいにぼくに手を振って、いってくるね、と言って、出てった。 にいさまが泣いている。 いじめっこたちに捕まって、いつものように髪を引っ張られて、ローディだ変な色の髪の毛だと囃したてられていた。 「あーっ、ボッシュがいるぞ!」 「ほんとだ、ローディの弟だ!」 「ち、ちがうよ!」 ぼくは怖くなって、逃げ出そうとした。 でもすぐに捕まえられて、にいさまのところへ連れてかれた。 「ローディ」は「なかまはずれ」っていう意味で、いっしょにいるのはすごく恥ずかしいことなのだそうだ。 「ボッシュ、このローディ、おまえのにいさまなんだろ?」 「ちがうよ! ぼくにはローディのにいさまなんて、いないよ!」 ぼくはあんまり怖くて、にいさまを見るのもいやだった。 にいさまは好きだけど、にいさまはなかまはずれのローディなので、いっしょにいるとぼくまでなかまはずれにされてしまう。 「ほんとかあ?」 「ほ、ほんとだもん!」 「これ、おまえのにいちゃんじゃないの?」 「ち、ちが……」 にいさまはすごくさみしそうな顔をしていて、ぼくは胸がぎゅっと痛くなった。 嘘だよ、にいさま、とぼくは言おうとしたけど、怖くて言えなかった。 「ほんとにちがうなら、ボッシュ、いじめてみろよ」 「ほら、石だ。投げるんだ」 コンクリートの欠片を渡されて、ぼくはどうしていいのかわからなくなって、泣きそうになった。 にいさまを見ると、ぎゅっと目を閉じて、小さく震えている。 にいさまがすごく可哀想だった。 助けてあげたかった。 でもぼくは怖かった。 なかまはずれにされて、にいさまみたいなことをされるのが、すごく怖かった。 目をぎゅっと閉じて、にいさまのほうを見ないようにして、石を投げた――――いじめっこたちが歓声を上げて、よくやったボッシュ、と言った。 ぼくは薄目を開けてにいさまを見た。 にいさまはもう泣きもしなかった。 ぼおっとした顔をして、頭を押さえていた。 にいさまの手は真っ赤になっていた。 ぼくが投げた石で、にいさまは頭に怪我をしてしまって、血が出たのだ。 「うわっ、きたない! 逃げろ!」 「いこうぜ、ボッシュ!」 「えっ? わ」 ぼくもいじめっこといっしょになって逃げた。 なんでもいいから逃げなきゃと思った。 にいさまが怖いことをするわけもなかったのに、ぼくは何から逃げなきゃならなかったんだろう? 走りながら後ろを振り返ったら、にいさまはまだぺたんと地面に座り込んだままだった。 その日から、にいさまはぼくの部屋に来なくなった。 何年も、何年も、一度も。 あの時にいさまを助けてあげられれば、ぼくはれんじゃーよりもずっとかっこいいヒーローになれたんだろうか。 NEXT>>> |