「あれで、良かったのですか」
 ゼブルは、デスク脇の窓から、少年たちを眺めているリーダーに訊いた。
 身につけているのは政府暗部の隊服である。
 先ほどこの格好でリュウ=1/8192、並びにボッシュ=1/64を襲ったのは、今彼の目の前にいるメベトの命令によるものだった。
「せっかく手に入れた検体を手放すことが? それとも、襲撃に関してかね」
「……そのどちらもです。リンはこのことを……」
「知らないだろう。教えていないからな。彼女には彼女の役割というものがある。ゼブル、口外は禁止だ。ランチャーの的にされてはたまらないからな」
「やっぱりあなたでも怖いんですね、あれ」
 ゼブルは肩を竦め、窓の外、心配そうに青い髪の少年を気遣う少女を見た。
「口より先にすぐ手が出ますからね」
「まあ彼女は優秀だ。銃の腕で彼女に敵うものはいまいよ」
「あなたもですか」
「すでに前線を引いた身だ」
 外では何やら揉めているようだった。
 ボッシュ=1/64がリンと何やら言い争っていて、尻尾で殴られている。
 彼らはお互い相当頭にきているようで、銃と剣を抜いて睨み合っている。
 肝心の損傷した検体、リュウ=1/8192は、健気にも仲裁に割って入り――――貧血を起こしたようで、ふらふらと倒れた。
 無理もない、ひどい出血である。
 リンが慌てたようにリュウを抱き止め、それが面白くなかったようで、ボッシュが彼女からリュウを引ったくり、背負って、歩き出した。
 リンが何やら罵りながら、不満そうな顔で後に続いた。
「……何やってんですか、あれ」
「おそらく、ボッシュ君がリュウ君を背負って公社まで歩くことに対し不満を述べ、リンと交戦、だが他人に任せるのも癪なので結局背負う羽目になった。リンははじめからそうしろと呆れている。そんなところだな」
「……なんでわかるんですか?」
「まあ、なんだ。昔、何度も同じような光景を見ていたものさ」
 メベトは少し苦笑しながら、言った。
「それにしても、リンはどんどん私の若い頃に似てくるな」
「……そうなんですか?」
「育て方が悪いのかな」
「まあ、こんな環境ですし」
「それよりも――――彼女に公社行きの任務は、少々酷かもしれないな」
「……そうですね」
 ゼブルが、沈んだ顔で同意した。



◇◆◇◆◇


「貸しな! リュウは私が背負うよ、あんたなんかに任せてられない」
「ふざけるな。このローディは、トリニティなんか触っていいやつじゃないんだよ。剣聖に連なるものだ。すっこんでろ」
「うー……おれ、だいじょうぶ……ちゃんと、歩けるよ、自分で」
「できもしねえこと言うな、バカ。 オマエはもう黙ってろ」
「そうだ、あんたは黙って背負われてりゃいいんだ」
「うー……」
 おずおずと口を出したリュウはすぐにやり込められてしまって、ボッシュの背中に引っ込んだ。
「ごめんね、ボッシュ……。迷惑掛けて……重いでしょ」
「ほんとに世話掛けるよな、オマエ。ていうか俺の腕力を馬鹿にしてるのか? オマエひとりの体重でへばるとでも?」
「あ、い、いや、そーいうことじゃなくて」
「ていうか、オマエ軽過ぎ。メシ食ってる?」
「あ」
 急に思い出したように、リュウの腹が、ぐう、と鳴った。
「そう言えば、ここのとこ何も食べてなかった……」
「……俺も食ってない」
「公社に着いてからでいいだろ。もうちょっと我慢しな。この辺ろくなものがないよ。ま、アブラクイでもいいなら別だけど」
「う……ガマンする」
「食えるかそんなもん。ていうか、オマエ、お尋ね者だろ。リフト使えねえだろうが。このまま俺らだけで行く。オマエもう帰れトリニティ」
「そういう訳にもいかない。トリニティはリュウを保護しなきゃならないんだよ。さて」
 リンが部屋に繋がれているサイクロプスの錠を外して、ぽん、と叩き、振り返って、乗りな、と言った。
「どこかのバカが私のティモシーを壊してくれたから、今はもうコイツしか残ってないんだ。ま、振り落とされないようにしな。リュウの安全は私が保障するよ」
「わあ、ボッシュ、サイクロプスだ! すごいね!」
「すごいっつーか……これに、乗るわけ?」
「嫌ならあんたはそこにいな」
「ね、リン。ほんとに乗っていいの? 噛まない?」
「大丈夫、大丈夫。そっちのへタレは知らないけどね」
「……オイ」
「3人も乗って、重くないかなあ?」
「この子は力持ちだから心配ないよ。人3人くらい平気さ。おいへタレ、さっさと乗りな。置いてくよ」
「この、トリニティが……。後で絶対死刑台送りにしてやる」
「やれるもんならやってみな」
 言葉のひとつひとつに、非常に腹が立つ女だ。
 リュウは初めて乗るディクがそんなに嬉しいのか、顔を紅潮させている。
「ほら、前。ここにきな。私が支えててやるから。腕、動かないだろ?」
「うん……あ、もうわりと、平気……あんまり痛くなくなってきたから」
「そっか」
 リンはにっこり笑ってリュウに頷いて、ボッシュの頭を蹴飛ばした。
「急ぐよ、へタレ」
「テメエ、今何をしやがった……?」
 ボッシュが怒りの余りぶるぶると震えていると、リンが厳しい顔で、リュウに聞こえないようにぼそぼそと話し掛けてきた。
「あの子、神経がいかれちまってる。さっさとちゃんとした設備で治療を受けさせなきゃ」
「ならさっさと出ろよ」
「そうする」
 ぐん、と身体が引かれて、ボッシュは慌ててサイクロプスの肩に掴まった。
 リンがいきなり走らせはじめたのである。
「ってえ……舌噛んだぞコラ! もっとゆっくり行けねえのかよ!」
「さっさと出ろって言っただろ。リュウ、どうだい? 怖くはないかい?」
「うん、わ、すごいねー、リン! 速いよこの子!」
 リュウはいい歳をして、大はしゃぎだ。
 リンに腰を抱えられて、無邪気に喜んでいる。
「オイコラ、トリニティ! そいつ、変なとこ触ってんじゃねえよ、このセクハラ女!」
「ボッシュ、セクハラってなに?」
「セクシャル・ハラスメントだ!」
「せ、せくしゃ、はらー? なにそれ、魔法? 強そうだね!」
「違う!」
「リュウ、前向いてな。危ない、振り落とされるよ」
「あ、うん」
 サイクロプスが加速した。
 乗り心地は最悪だ。ものすごく揺れるし、危なっかしい。
 振り落とされれば大怪我である。
 リュウが気楽にわあっと歓声を上げている。
 あいつら絶対後でシメてやると考えながら、ボッシュは振り落とされないように必死にサイクロプスにしがみ付いて、吐き気を堪えて口を押さえた。


◆◇◆◇◆


「ええ……そうですか。検体が……」
 やれやれと博士が肩を竦めた。
「困りますよ。大事に使ってもらわなくては……あれは最後の検体で、代わりはもうないんですから」
 端末から、ぼそぼそと男の人の声が聞こえる。
 カプセルの中で、彼女はそれをなんとなく聞いていた。
「トリニティは乱暴で困りますな。え? こちらのベンチレータの調子は良好ですよ。はあ、じゃあ、整備をすれば良いのですね。了解です」
 ぶつんと無線が切れた。
 博士たちはなんだか嬉しそうだ。
 なにか楽しみなことでもあるのだろうか。
「十数年ぶりになりますか……失敗作とは言え、最も重要なプロジェクトですからね。お偉い様方のペットにするにしては、少々もったいないと思っていたところです」
「オールド・ディープの方に、何か変化は?」
「調査中です。ああ、少し波長が乱れていますね。これは……軽度の興奮状態にあります」
 博士たちが話し合っているところで、名前を呼ばれた。
 整備の時間だ。少し今日は早かった。彼女は顔を上げた。
 カプセルに充満した液体が抜けていって、ちゃんと口で吸って、息ができるようになる。
「や、ニーナ。調整をはじめますよ。今日は急な用事ができたので、少し早めになりますか」
 博士が時計を見ながら言った。



◇◆◇◆◇


 正直トリニティなんかが公社にまともに近付けるわけがないと思っていた。
 入口で警備員に捕まってお縄、それでおしまいだろうと踏んでいた。
 なにせ公社に出入りするにはD値のチェック、もしくは専用IDカードが必要で、例のトリニティの女にはそのどちらも期待できそうになかったからだ。
 なのに今目の前でリン=××はIDチェックの機械にカードを通して、あろうことか正面から堂々と侵入してしまった。
 裏口からこっそりと壁でも壊して入るものだとばかり思っていたボッシュは、拍子抜けしてしまった。
 公社のチェッカーは精密であったので、トリニティでも偽造なんてできやしないと思っていたのだが――――
「って、それホンモノじゃねーか。盗んだのか?」
「バカ、自前さ。どうだっていいだろ」
 リンは目に見えて不機嫌に、ぷいっと背中を向けて、こっちだ、とさっさと歩いて行ってしまった。
「おい……どこに行くんだ? 治療病棟は逆だぞ」
「ラボさ。まともに受付なんか行けるか。私らはトリニティなんだよ」
「……俺は違うけどな」
「さっさとしなよ。その様子じゃ、あんただって上には帰りたくないんだろ」
 図星だった。
 ボッシュは舌打ちして、リンに続いた。
「チッ……わかったよ」
「別棟に社員用のエレベータがある。それで上まで上がろう」
「なんでオマエ、そんなこと知ってんの?」
「……昔、ちょっとね。いいから行くよ、リュウ、平気かい?」
「あ、うん、リン……ね、ここがバイオ公社? 初めて来たなあ、ねえ、ナゲットとかグミとかはどこで造ってるの?」
「……こことは全然、別のとこだよ。関係者以外立ち入り禁止、多分行っても見られないよ」
「そうか……残念だなあ」
 リュウはがっかりしたように肩を窄めて、ねえ、とボッシュに同意を求めてきた。
「なんで俺に言うんだよ」
「だってボッシュも見たかったでしょ、グミ好きなんだから」
「ハア? なんで俺が」
「静かに。あんまり騒ぐと警備に怒られるよ」
「あ……ごめんね」
「この先のセメタリーを抜けてすぐだ……あんまり気持ちの良いところじゃないから、ちょっと気分が悪くなっちゃうかもしれないけど」
 リンが少しリュウを気遣わしげに見た。
「へいきだよ」
「そうかい。上に上がったら食事にしよう。ここの社員食堂、わりと味はいいんだ」
「へえ」
 とりとめのない話をしながら、リンがその扉を、開けた――――


 そこにあるのは巨大な遺骸だった。
 腐り落ち、はらわたがはみ出て骨が見えている。
 省庁区のデータベースにも、こんなに大きなディクはなかった。
 ボッシュが息を飲んでいる横で、リュウが何の気負いもなく、そのディクに向かって歩いていく。
 ただの死骸だ、噛みつきやしない――――そう思っていた目の前で、ディクの眼窩にぽうっと赤光が差した。
 そいつはまだ、生きていた。
――――おい! 戻れ! そいつ生きてるぞ!」
 リュウには何故か、ボッシュの声が聞こえていないようだった。
「こっちに来い、バカ! 食われるぞ!」
 リュウは静かにディクを見上げた。
 巨大なディクは、身体を拘束する楔をやすやすと引き千切り、咆哮した。
 セメタリーが震えた。
 ボッシュはその雄叫びで、足が竦んでしまった。
 蹲ったボッシュが見ている前で、顎を開いて金網を押し潰し、ディクが身体を乗り出した。
「リュウっ!!」
 リュウは逃げもせず、悲鳴も上げず、ただ静かに巨体を見上げていた。
 そして目を閉じた。
 そこにはボッシュに預かり知れないところで、何らかの合意があったようだった。


 ディクは


 リュウを頭から食ってしまった。


 咀嚼され、骨が砕けて、ちいさな肉の塊が喉の奥に飲みこまれていく音が、あまりにリアルにボッシュの耳に届いた。


◇◆◇◆◇


――――い、おい!」
 身体を揺すられて目を開くと、うっすらリンの顔が見えた。
「目、覚めたかい? ……リュウ?」
「……あれ? リン?」
 すぐ横で、ぽおっとしたリュウの声が聞こえた。
 寝起きみたいなぼんやりした声だ。
「急にふたりして倒れて、どうしたってんだい? どこか悪いのかい?」
「え……倒れた?」
「ハア? 俺らが?」
「そうだよ……ったく、大丈夫かい? ちょっと、二人共見てもらったほうがいいよ。きっといろいろあって、疲れちゃったんじゃないかとは思うけどね……」
「変だなあ……」
 リュウが、わけがわからなさそうに首を振った。
 ボッシュも同じような気分だった。
 白昼夢だろうか?
 あのリアルな幻覚を思い起こして、背筋が寒くなった。
 リュウが化け物に食われてしまうのを、目の前で見ていた。
 あの鮮明な映像は何だったろう?
 今も耳の奥で、彼が砕ける音が聞こえるようだ。
「……リュウ?」
 少し心許無く、そう呼ぶと、リュウはきょとんとした顔でボッシュを見て、奇妙な表情になった。
「ボ、ボ、ボ、ボッシュ?」
「……なに」
「お、おれの名前……名前っ、今……」
「……呼んだけど」
「う、うわあ、どうしよ、うれしい……」
「ハア?」
「ボ、ボッシュがっ、おれの、名前……呼んでくれるなんて」
 顔を紅潮させて、リュウがちょっと泣きそうな顔をしている。
 何がそんなに嬉しいんだかわからないが、とりあえず元気そうに目の前にいる。
 ボッシュは一応、確認しておいた。
「生きてる、よな?」
「え? うん」
「なあ、変な夢を――――
「ちょっと、さっさとしな! 上がるよ、二人共」
「うるせえな……」
「どうしたの?」
「なんでもねえよ」
 奇妙な幻覚だ。
 現にリュウはいつも通りだし、何も変わったところなんてない。
 リンの後に続いて、ボッシュは扉を潜り、


 身体を強張らせた。


 そこには、あの白昼夢に出てきた、巨大なディクがいた。
「……ッ!!」
 目を見開いて後ずさって、はっとした。
 これは夢の続きだろうか。
 幻覚がリプレイされているのだろうか?
 現実だとしたら、今度こそリュウは――――
「リュウッ!」
「え? どしたの、ボッシュ。この子大きいね、でももう、死んじゃってる……」
「バカ、そいつに近付くな! 食われるぞ!」
「……あんた、ホンモノのへタレかい? こいつ、もう死んでるよ。私が子供の頃には、もう死んだままでここにいたんだ。今更動きやしないよ」
「だけど、さっきは……!」
 ボッシュは、さっきは動いてたんだ、と叫ぼうとしたが、また馬鹿にされそうだったので、やめた。
 代わりに、リュウの腕を掴んで足早に通り過ぎる。
 心臓が、どくどくと鳴る。これは、恐怖だろうか?
 もうとうの昔に忘れたはずの感情だった。
「あんたの弟は、ほんと怖がりだねえ」
「うるせえよ!」
 ニヤニヤ笑って後をついてくるリンに怒鳴って、ディクの前を通り過ぎて、ボッシュはようやっとリュウの手を離した。
 やはり夢だ。
 ディクが目覚めることはなかったし、この上なく死んだままだ。
 まさかこいつが起き上がる事などもうできるはずもないというくらい、そのディクは腐敗していた。
 ふと、リュウがじっと、あの白昼夢でそうあったように、静かにそのディクを見つめているのに気付いた。
 リュウは不思議そうに、だが近しいものへの呼び掛けをするように、微かに呟いた。
「……アジーン……?」
 それは誰かの名前であるようだった。
 誰のものかは知らない。
 あのディクのものであるわけはない。
 リュウがそんなもの、知っているはずはないからだ。
 ボッシュはリュウの腕を引っ張って、足早にその場を離れた。
 そうしなければディクがまた起き上がって、リュウを食ってしまいそうな気がしたのだ。


◆◇◆◇◆


「てゆーか」
「……ねえ?」
「なんだい、何か不満かい」
 リンが、涼しい顔でナゲットのステーキを口に運んだ。
 その仕草は、トリニティなんて荒っぽい事をやっているがさつな女の癖に、優雅と言ってやっても良い。
 ボッシュはバイオプラントで採れたての苦い菜っ葉をリュウの皿に移し変え、かわりにその分肉をいただきながら、なんだってこんなゆっくりしてるんだよ、とぼやいた。
「さっさと帰らなくていいの? コイツの治療も済んだんだろ」
「まださ。とりあえず処置は受けたけど、まだ精密検査がある。結果待ちだね」
「ボッシュ……野菜、食べないの?」
「ああ。オマエにやるよ。肉と交換な。俺は優しいからな」
「うー、うん……」
 リュウは何か言いたそうにしていたが、結局黙ったまま、目の前の皿に緊張した顔を戻した。
 ほぼ取っ組み合うみたいにして、慣れないナイフとフォークに苦戦している。
 公社の社員食堂とやらは、想像していた大衆食堂のようなものとは全然違っていた。
 お行儀良くテーブルにつき、ナイフとフォーク、それからワイングラスとスープ皿、他にもいろいろ、とりあえずこれは「食堂」じゃないよな、とボッシュは思った。
 上層のカフェだと言ったって通るだろう。相変わらず真っ白な壁は、いささか殺風景ではあったが。
 リュウは教育もなにも受けていないローディなので、テーブルマナーもなっちゃいない。
 ディクが餌を食うみたいにがっついていた。
「……あーあー、リュウ、またこぼしたね。白衣は汚れが目立つんだから、できるだけ綺麗に食べなきゃ……」
「う、ごめん……おれ、ナイフなんていつもほとんど使わないし」
「オマエも一応、剣聖に連なるものだろうが……最上層区民がなんでそんなローディみたいな真似」
「だっておれ、ローディだもん……」
「確かに」
 ボッシュは納得してしまった。
「ふー、ごちそうさま……」
 リュウがとても幸せそうな顔で、こんな美味しいの、今まで食べた事ないや、と言った。
「……あんた、このぼっちゃんの兄ちゃんなんだろ? いつもいいもん食べてんじゃないのかい」
「おれ、ローディだから……みんなとは、食べるのも違うんだ、いつもは」
「オマエ、そういや何食って生きてんの?」
 ボッシュはふと気になって、リュウに訊いた。
 リュウはちょっと首を傾げて、そうだねえ、と指折り数えながら、
「ちゃんとなにも失敗しなかった日は、ハオチーのスープとか。コックさんのごはん、分けてもらってるよ」
「やらかした日は?」
「ご、ごはんぬき……」
 おれいつも失敗するから、良く食いっぱぐれるんだ、とリュウは照れたように笑った。
「……上に帰ったらさ」
「うん?」
「ソイツらクビにしようぜ」
「え、ええっ?」
 リュウがびっくりしたように、なんでそんなこと、と慌てて言った。
「使用人風情が、うちの家紋を馬鹿にしやがって……」
「い、いや、そういうんじゃなくてええと、あ、そうだ」
 リュウはあわあわと、話題を逸らした。
 リンにちょっと困ったように話し掛ける。
「ね、リン。おれ、いつまでこのカッコしてなきゃいけないの?」
 このカッコというのは、バイオ公社の制服のことである。
 倉庫でかっぱらってきたものだ。
「ボッシュはすごく似合ってるね」
「俺は何着たって似合うんだよ」
「あんたのほうが可愛いよ、リュウ」
「お、おれ? おれは……か、カンベンしてよ」
 リュウは誉められるなんてことに全く耐性がないと見えて、顔を真っ赤にした。
 だが、確かに可愛らしい格好ではある……ボッシュは皮肉に考えた。
 長い青い髪はふたつにみつあみされている。
 顔が割れないように、眼鏡。もちろん伊達だ、リュウは目だけは馬鹿に良かったので。
 ボッシュも大体おんなじ格好だが、リュウはなんでか――――
「そうそう、カワイイよ、リュウ。タイトスカート、似合ってるじゃん」
「たい……すか? ね、これ、変わった服だね……なんかスース―するよ。おれもボッシュといっしょの、いつもと同じのが良かったなあ」
「それしかなかったんだ、我侭言わない」
「うん……」
「脚開くんじゃないよ。行儀良くしてな。パンツ見えちゃうからね」
「うん。なんか、変なの……」
 リュウはなんでか、女性職員の格好である。
 彼の背丈と体型に合うものが、これしかなかったのだ。
 はじめは女装した男なんてガードマンの職質にでも遭うと危惧していたのだが、リュウは元々の女顔と長い髪が上手く制服と馴染んでいた。ちゃんとまともな女に見える。少々地味な。
 本人が無知なものだから、恥ずかしいと騒ぎ立てることもない。
 本当のことを知ったらリュウは半泣きでやめてくれと懇願したろう。
 今は黙っておく。後で存分にからかってやろうと考えながら、ボッシュは早食いのリュウより大分時間を掛けて食事を済ませた。
「で、どのくらいかかるんだ?」
「じきに出るよ。それまで、そうだね」
 リンは、少々迷うように視線をふらふらさせてから、リュウににこっと笑い掛けた。
「ディクでも見に行くかい、リュウ」
「え、ほんと?! 行く!」
 ぱあっと顔を明るくして、リュウが頷いた。
「ね、ナゲットは? グミもいる?」
「ああ、いるよ。出荷待ちの檻の中だけど」
「……馬鹿か? そんなもん、気楽に見てる余裕ないんじゃないのか、トリニティ」
「大きな声で言うんじゃないよ。なに、大丈夫さ。なんとでもなるよ」
 気楽にリンが肩を竦めた。
「こちらにおられるのは、剣聖さまのお子たちなんだからね」


◆◇◆◇◆


 バイオプラント近辺には一般人の出入りが多かった。
 いや、一般人じゃない――――見慣れないジャケットを着た者たちが行ったり来たりしている。
 確か、下級レンジャーの隊服じゃなかったろうか?
 あんな下賎な職業に就くなんてローディだけだろうから、ボッシュにはきっと一生縁がないものたちだ。
 だがリュウは、何故だか知らないが、確かレンジャーになりたいんだったか。
「あ……レンジャーだ」
 リュウはあからさまに頬を紅潮させ、まるでヒーローを見るみたいなきらきらした目で、薄汚れたジャケットを着た者たちを見た。
 トリニティのリンは殊更に取ってつけたような無表情である。
 こいつも分かりやすいな、とボッシュは思った。
 ふいに、どん、と肩がぶつかって振り向くと、ピンクのジャケットのレンジャーらしき女が慌ててぺこっと頭を下げた。
「あっ、ごめんなさい」
「……気をつけろ、ローディ」
「ボッシュ!」
 リュウが慌てて口を出した。
「あ、あの……レンジャーに、そーいうの、よくないよ」
「なにが?」
「ろ、ローディとか。レンジャーは、すごいんだから」
「俺のがすごいよ。格好良いだろ」
「……うーん」
「なんでそこで首を傾げる。オマエそれ、すごく無礼だぞ。このボッシュ=1/64に……」
「ろ、ろくじゅうよんぶんのいち?!」
 驚いて思わず零れたような叫びは、リュウのものではない。
 見ると、金髪にそばかすの若者が目を剥いてボッシュたちを見ていた。
「……何見てんの」
「い、いいいいや、あの、失礼ですが、貴方は剣聖さまのご子息の……」
「……だから何」
「い、いや、こ、こんなところでお会いできて光栄です!つ、連れがご無礼を……おい、謝れよ、モモ!」
「やあよ。もう謝ったじゃない」
「お、おまえなあ! このお方をどなたと心得るんだ?! 恐れ多くも、古きよりの統治者、剣聖ヴェクサシオンさまの――――
「ねえボッシュ、こっちはやくー。グミ、いっぱいいるって」
「だから何で俺がグミなんか……」
「触るときもちいから好きだって言ってたじゃないか」
「知らねえよ」
「言ったよ」
「知らねえつってんだろ。なんかオマエ、家出てこっちこの俺に気安いぞ、バカリュウ」
「だってボッシュ、怒らないもん」
「「ないもん」じゃねえよ。オマエ浅学でも俺より一応年上だろ。ガキみたいな口の訊き方するなよ」
 ほったらかしにされたそばかすは、しばらくどうすれば良いのか解らないような顔をしていたが、リュウが彼に向かってにこおっと微笑んだので、ちょっとほっとした顔になった。
 リュウの人当たりの良い表情に、安堵したらしい。
「レンジャーさん、お仕事ごくろうさま。頑張ってね」
「は、は、は、はい!」
 見た目はとても可愛い少女に、そしておそらくハイディ(だと思われているに違いない)のリュウに笑い掛けられて、そばかすは顔を真っ赤にして、びしっと敬礼した。
「は、はい! 命にかえましても!」
「何にかえるのよ。ほら、行くよアビー」
 ぎゅっと頬を引っ張って、ピンクのレンジャーがそばかすレンジャーを連れていく。
 なんだか良くわからないが、リュウはいたく感動してしまって、上気した頬でボッシュに話し掛けてきた。
「ボ、ボッシュ、レンジャーと喋っちゃった……」
「大した事ないだろ。あいつら下っ端だよ」
「かっこよかったね」
「……どこが?」
 いまひとつリュウに同意できないで顔を顰めていると、さっきのレンジャーが振り返って、女の方がボッシュたちに声を掛けてきた。
「あの、そこの子たち? そっち、今立ち入り禁止だって。ディクの仕分け作業中だから」
「あっそ。だってさ、リュウ……」
 もうさっさと戻ろうと言い掛けたが、リュウは目の前にいない。
 何故か、扉が開いていて――――廊下の向こうのほうにリンと、それを追い掛けてぱたぱたと駆けていくリュウの背中が見えた。
「あー! オマエら、ちょっと待て!立禁だっつってんぞ、オイ!」
 ボッシュは舌打ちをして、慌てて追い掛けた。
 きょとんとした顔でリュウが振り返り――――注意が逸れたその時、角を曲がってきたディクらしい小さな影が、彼に激突した。


 



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