暗いまどろみの中で感じるのは、寒いな、ということだけだ。
 顔に触れている床、空気も、全てが刺々しい冷たさでもって、ボッシュの身体に突き刺さってきた。
 覚えのある感触だった。
 中央省庁区のあの剣の墓場で父に稽古をつけてもらって、半殺しの目に遭って死に掛けた時に経験した、あの寒さだった。
 芯まで染み入るように、ただ痺れて痛かった。霜焼けみたいな痛み。
 体温が急速に下がって、どんどん眠気は増していく。
 身体の下には流れ出した血液で、血溜まりができているはずだ。
 殺したディクの血と混ざって、噎せ返りそうになる、あのひどい臭いが鼻につくはずだ。
 もうすぐ息もできなくなる。
 そうすればすぐに意識は完全になくなって、次は自室で包帯まみれで目を覚ますことになるはずだ――――
(……? あったかい……)
 覚えのない温かさが、身体を包んだ。なんだろう。
 こればっかりはいつもと違う。
 それは折れて錆び付いた誰のものとも知れない剣たち、父が殺害した戦士たちの亡霊がさまよっているあの部屋にはそぐわない、あたたかく、心地の良い感触だった。


 そこで目を覚ました。
 ぼやけた視界に、何かある。少しずつ、焦点を取り戻す。
 人の顔だった。
 至近距離に、リュウの顔がある。
「……ッ!!」
 気付いた瞬間、ボッシュは顔を真っ赤に染めた。
 ほとんど口唇が触れそうな間近に、いきなりリュウがいたのだ。
 リュウは目を閉じていて、意識はないようだった。
 慌てて、だがリュウを起こしてしまわないように細心の注意を払って上半身を起こした。
 周りはごつごつした岩肌で、とにかく寒い。冷え切っている。
「ここは……?」
 地下世界の地図を頭に描いて、どうやらバイオ公社の真上に広がる氷洞、氷結廃道らしいぞと見当をつけた。
 周りにディクの姿はなかった。
 身体の周りに、いくつかまだ僅かに火が燻っている金属片と、パイプが転がっていた。
 上を見上げると、真っ暗な空洞だ。何も見えないが、おそらく真上には線路があるはずだ。
 ボッシュたちはリフトから転落して、こんなところまで放り出されてしまったに違いない。
「……兄さま?」
 リュウを見ると、ちゃんと息をしている。
 ボッシュはほっとして、それからリュウの背中を見て、ぎょっとした。
 リュウの背骨のあたりに、ごつっとした赤い骨が剥き出している。
 ヒトの骨格にありえないものだ。
 察するところ、ボッシュを救うために例の能力を使ったのだろう。
「兄さま……」
 リュウの肩を抱き上げて、ボッシュはその冷たさにぎょっとした。
 氷のように冷えきっていた。
 慌ててぎゅっと抱き締めて、リュウの頬を叩いた。
 この寒さでは、眠ったまま凍死しかねない。
 どうする、ボッシュは考えた。
(こんなぺラい格好してるのが悪いんだ……くそ、どうする。着るものなんてありゃしないし、じゃあ、やっぱり、こーいう場合……)
 こくり、と唾を飲み込んで、リュウの身体を見遣る。
(人肌であっためる、とか。いや、ヘンなこと考えてねえし、下心もねえし、兄さま男だし、俺たちは兄弟だ。うん、これは必要なことであって)
 ぷつっ、とリュウの白衣のボタンを外す。
 痩せた胸が現れた。
 別にやましいことをしているわけじゃないと自分に言い聞かせながら、やっぱり後ろめたいのは、「そういうこと」だからだろうか?
 リュウは下着もつけていない。背中に大きな穴が開いている白衣を脱がせると、素っ裸だ。
 べつに俺まで脱がなくてもいいんだと思いつつも、ボッシュは上着を脱いで、リュウをぎゅうっと抱いた。
 密着したリュウの肌が、少しだけ温かさを取り戻したようだ。
(ほら見ろ、やっぱりどこもやましくなんかねえし)
 何故かほっとしながら、そう思う。
(でも兄さま、今起きたらどうしようか)
 どう説明するべきだろうか、そのまま言えば良いのだけれど、リュウは女の子ではなかったので、目を覚まして真っ赤になって大暴れなんてこともないだろう。
(くそ……やっぱ意識してるんだ。俺は馬鹿か。つーか、兄弟だし。こんなの普通だし)
 リュウが、ボッシュの体温が心地良いようできゅうと縋りついてきて、ボッシュはどぎまぎした。
(ていうか、兄さまがかわいいのが悪いんだ。じゃなきゃ俺もこんな変なふうに意識することはなかった。兄さまのせいだ、うん)
 不貞腐れ気味にそんなことを考えていると、リュウが小さく掠れた声を上げて、うっすらと目を開いた。
 ボッシュは、心臓が止まりそうになった。
「……ぼっしゅ?」
「に、兄さま……起きた?」
「うー、うん、あれ……?」
 こしこしと目を擦って、リュウはふるふると頭を振った。
「えっ? あ。 あっ、その、ぼっ」
 リュウは急に真っ赤に顔を染めて、恥ずかしそうに身体を固くした。
「ボ、ボッシュ。おれたち、なんではだかなの? は、はずかしいよ」
「な、なんで恥ずかしいんだよ、兄さま。身体を温めるには、人肌が一番なんだ。こうやってくっついてると、あったかいだろ?」
「あ、う、うん……そっか、そうなんだ」
 リュウは笑って、おれはバカだなあ、と言った。
「び、びっくりしたあ。そうだね、裸で恥ずかしいとか、変だね。おれたち兄弟なのに」
「そうだよ、兄さま」
「うん……ありがとう、ボッシュ。怪我ない?」
「ああ、平気」
「よ、よかった」
 リュウは真っ赤な顔をして、俯いてしまった。
 ここで黙られると、ちょっと、気まずい。
「あのさ、兄さま? 兄さまこそ、怪我は……」
「ひゃ……」
 肩に触れると、リュウはびっくりしたみたいで、ぴくっと震えた。
「あ、あっ? あ、うう、うん、ない……」
 リュウは俯いたまま、言った。
「あ、あんまり見ないで……は、恥ずかしい。おれ、その、痩せっぽっちだし、きたないし」
「そんなことない! 兄さまはかわいいよ。綺麗だと、思……」
 つい反射的にそんなことを言ってリュウの肩をがっと掴んでから、はっとした。
 今のは弟が兄に掛ける言葉として、かなりおかしくはなかったろうか?
 リュウはほとんど半泣きみたいな真っ赤な顔をして、目を潤ませている。
「……う、うん。やっぱり兄さま、かわいいよ」
 正直にそう思うんだから、しょうがない。
 リュウはあたふたして、そんなことない、と言った。
「お、おれっ、かわいくなんかないよ! ボッシュのがかわいいよ」
「俺は格好良いんだ。かわいいとは違うよ」
 そろそろ、我慢の限界だと思う。
 我ながらここまで良く耐えたものだ、とボッシュは考えた。
「にいさま……」
 なるだけ乱暴にならないように、リュウを白衣の上に横たえて、ボッシュは彼に圧し掛かった。
 リュウは、「なにするんだろう」とでもいうような、ちょっと不安げな変な顔をしている。
「その、冷たいから、あっためなきゃ」
「あ、う、うん」
 リュウが、こくこくと頷いた――――が、彼はすぐに全身を強張らせた。
 ボッシュが、リュウにキスをしたせいだ。
「……ん、んっ?」
 リュウは目をまんまるく見開いて、ボッシュを見返してきていた。
 抵抗はしなかった。
 いや、呆然と硬直してしまっていたので、それすらできなかったのかもしれない。
 リュウの唇は冷えきっていたが、柔らかくて気持ち良かった。
 名残惜しむようにゆっくり離れて、ボッシュはリュウの反応を伺った。
 怒るだろうか。困った顔をするだろうか。
 だが、ボッシュの予想はどれも外れていた。
 リュウの真っ赤な顔のまんまるくしたままの目から、ぼろぼろと涙が零れ始めた。
 リュウは、泣いてしまった。
「に、兄さま、俺……」
 ボッシュは慌てて、何か言い訳をしようとした。
 だがこんな時に限って、何も思い付かない。
 「ごめん」と謝れば、この場でそれで済んでしまうかもしれないが、リュウが言ったはずだ、ほんとに悪いことした時だけ謝って、と。
 悪いことをしたつもりなんて、ボッシュの中にはまったくなかった。
 したいからそうしたし、後悔もない。が、リュウが泣いている。無性に、ひどいことをしたような気分になった。
「俺のこと、嫌いになった?」
 リュウはぼおっと天井を見上げたまま、目から涙の粒が溢れて零れるに任せていたが、きゅっと目を瞑って、ごしごしと擦った。
 強く頭を振った。
「な、な、なるわけ、ないい……」
「……でも兄さま、泣いてるよ」
「こ、こ、これは、泣いてるんじゃなくって……うー、なんだろ?」
「俺に聞かれても」
 ボッシュはたいそう困ってしまって、リュウをどうあやしたものだか考えた。
 あまりうまいことは思い付かなかった。どうすれば良いだろう。
 考え込んでいると、リュウの手のひらがボッシュの頬に触れた。
「……ぼ、しゅ……い、いまの、って?」
「……キスだね、兄さま」
「き、キス、だよね? 人工呼吸とかじゃなくて? あ、挨拶じゃ、ないやつだよね、口にだし……」
「そうだよ」
 観念して、ボッシュは認めて頷いた。
 リュウはまた泣き出してしまった。そんなに嫌だったろうか?
 かなり、傷付いていたりする。
「お、おれに? キスって、なんで?」
 リュウはおずおずと顔を上げて、ボッシュの服の裾をぎゅうっと握った。
 ボッシュは奇妙に思った。
 リュウはボッシュが嫌いになってしまったんじゃないんだろうか?
「おれ、女の子じゃないし……きょ、兄弟だし、ボッシュ、婚約者のひととかその、いっぱい、いるだろ? キ、キスっていうの、ほっぺたとかじゃなくて口にするのは、一番好きな女の子にしかしちゃいけないんだよ。お、おれにそんなことして……」
「だから俺は、兄さまが一番好きなんだったら」
 ボッシュは半分自棄になって、そう言った。
「あんたにひどいことばっかりしてるけど、俺はガキの頃から、あんたが好きだったんだ」
 ボッシュは肩を竦めて、項垂れた。
「でももうしないよ。あんたが泣いちゃうくらいイヤだってのなら――――
「な、なんで! おれ、嫌がってないよ!」
 リュウが慌ててボッシュの腕にぎゅうっと抱き付いて、もう一度言った。ぜんぜん嫌じゃないよ。
「ただ、あの、いいのかなあって。おれもう少しして、ボッシュがすごく偉いひとになったら、きっといらなくなるよ。ボッシュはふつーに結婚とかして、お義父さんみたいに統治者になって、そしたら兄ちゃんにキスなんかしたら変だし」
 リュウは優しく微笑んでくれるが、まだぎこちなかった。
 無理もない、今まで中央省庁区で、ほぼ主従と言って良い関係が構築されていたのだ。
 頭では解っていても、身体にはボッシュ=1/64というハイディへの忠誠が染み込んでしまっているだろう。
 リュウは僅かに顔を曇らせて、諦めた顔になった。
「もう、約束なんてきっと無理だし」
「約束?」
 それは覚えがない。まだ何か忘れているのだろうか。
 目でリュウに訊くと、なんでもないよ、と返ってきた。
「おれ、ボッシュが好きだよ。かわいい弟だもの。ボッシュが喜んでくれるなら、きっと何だってすると思う。……キスしてもらえて、すごく嬉しかったし」
 リュウが手で顔を覆った。
 声が掠れている。
「でもおれはボッシュのために造られたんだから、使ってもらえたらそれで幸せなんだ」
 リュウは笑ってそう言った。
 なんでそんなこと言うんだよ兄さま、ボッシュはそう言おうとしたが、リュウは静かに目を閉じて、緩く首を振った。
 それで、なにも言えなくなってしまった。
「兄ちゃんって呼んでくれて、すごく嬉しい。ありがとう、ボッシュ。おれはすごく幸せ者です」
「……兄さま」
「うん?」
「俺、兄さまが好きだよ」
「うん。おれもボッシュ、大好きだよー」
「兄さまが欲しい」
「おれはボッシュのものだよ。兄ちゃんだからボッシュのそばにずーっといるし、ボッシュの言うことならなんだって聞いてあげる」
 リュウは困ったみたいに笑って、ボッシュの頭を撫でた。
「……兄さまじゃなきゃ、いらないよ。他のやつなんて、どうでもいい……」
「ボッシュ……」
 リュウが、あやすようにボッシュの背中を撫でた。
 聞き分けのない子供を相手にしているような感じだ。
「おれ、ボッシュにちゃんと釣り合う兄ちゃんならよかったなあ」
「なんにも変わらなくていいよ」
 ボッシュは、リュウに懇願した。変わらないで欲しかった。
「……省庁区に帰りたいよ。きっと全部、何かの手違いがあったんだよ。帰ったら俺の部屋においでよ。広いし、兄さまと二人でずっといられる。もうなんにもひどいこと言わないからさ」
「……うん」
 リュウの身体には、無数の傷痕があった。
 実験で付けられたものは少ないだろう。
 そのどれもが、幼い頃からボッシュに関わったせいで付けられた傷だろう。
 今ならわかる。
 リュウは転んで傷を作ったんじゃない。
 ボッシュに無礼を働いたことを――――例えば部屋に勝手に忍び込んだり、気安い口を訊いたり、単に顔を合わせたりしただけでも、屋敷の人間はそれを許さなかったのだろう。
 随分古い鞭の痕もあった。
 ボッシュに関わる度に何度も恐ろしい目に遭っただろう。
 リュウはボッシュを畏れているのかもしれない。
「俺が守る。もう二度とあんたを裏切らない。だから、そーいうのやめてくれよ。あんたが道具だっていうの」
「でもおれ……」
「兄さま!」
 ボッシュは怒鳴って、リュウを押さえ付けた。
「……それ以上、もうなんにも言うなよ。犯すよ、兄さま」
 脅し付けられて、リュウはきょとんとしていたが、やがてうっすら笑って、頷いた。
「おれ……」
 きゅっと目を閉じて、リュウはあっけなく、ボッシュに身体を委ねた。
「ボッシュがそうしたいなら……おれ」
 少し震えながら、リュウはうっすら目を開けて、でもいいの、と訊いた。
「なんだか、まだよくわかんないんだ……これ、夢なのかもしれないねえ。おれがこうだったらいいなあっていうの、夢に見てるのかも。だってボッシュがおれのこと好きだって、言ってくれるわけない……おれに、こうやって触ってくれるなんて」
「え?」
 リュウの望みが今ある現実だとすれば、そう考えて、ボッシュは胸がざわざわした。
 痣だらけの腰をすうっと撫ぜると、リュウは小さく声を上げた。
「う、ごめん、ボッシュ……おれ、こんな夢見て、ごめんね……ずーっと、好きなんだ。兄弟なのに、おれローディなのに、ボッシュが好きだ」
「兄さま……」
 ボッシュは、リュウを抱き締めた。
 あまりにも、彼が痛ましかった。
 どうしてこうも彼は、幸せを受け入れることができないのだろう。
 ローディだからだろうか。
「……そ、夢だよ。あんたの見てる都合のイイ夢」
 ボッシュはリュウをあやすように、柔らかく耳朶を食んだ。
「だからなんにも心配いらない。思いっきり俺に甘えるといいよ。この、あんたのことが大好きなボッシュ=1/64にさ」
「ボッシュ……」
 リュウはまたぽろぽろと涙を零しながら、ボッシュに縋り付いた。
「きっとおれがあんまり情けない兄ちゃんだから、ほんとのボッシュはもうおれのこと嫌いになっちゃったんだ」
「バカだね、全然嫌いじゃないよ」
「おれがもっと強かったら、あの時ボッシュに石を投げさせたり、あんなことさせなくて済んだのに」
「そりゃ、こっちの台詞」
「ごめんね、ボッシュ……おれなんでも言うこと聞くから、ちゃんと使ってもらえるようにがんばるよ。いつかちゃんとボッシュの兄ちゃんだって言って恥ずかしくないように強くなるし、なんだってするから、」
 リュウはボッシュにぎゅうっと抱き付いて、抱き締めて、震える声で、懇願した。
「また……昔みたいに、仲良く……」
「……兄さま」
 傷痕を辿って口付けをするたびに、リュウは震えて、泣きそうな顔になった。
 ひどい罪悪感を感じているような顔をして、時折恐る恐る、ボッシュに訊いた。
「……ねえ、いいのかなあ」
「いいのいいの」
 できるだけなんでもないふうに答えて、ボッシュはリュウに触った。
 リュウはあまりにも脆く見えて、今にも壊れそうで、ただそうやって慎重に触れてやることしかできなかったけれど、まだ。


◆◇◆


 遠くから足音が近付いてきて、慌てて散らばっていた服を着込んだ。
「ボッシュ、誰か来たよ?」
 リュウが、ボッシュの袖を引っ張った。
 不安そうに眉を顰めている。
 ボッシュが頭を撫でてあやしてやると、いくらか安心したようだった。
「大丈夫、兄さま。俺が守る。上まで連れてくよ。だから、その時は……」
「ん?」
「最後までさせてください。あんたの身体、俺にくれない?」
 リュウがまた真っ赤になった。
 戸惑いながらも、こくっと頷いた。
「あ、え? あ、うん。がんばります」
「頑張って兄さま」
 ぽんぽんと背中を撫でると、リュウは本当に赤くなってしまって、俯いてしまった。
(……なんで俺の兄さまはこんなにかわいいんだろ)
 理不尽だ。兄弟なのに、男なのに、リュウが愛しくて仕方がない。
 俺はおかしいんだろうかとぼんやり思ったが、いや、きっとリュウが可愛いのが悪いに違いない。
 足音の主は不安定に洞窟内部をうろうろしていた。
 ふたつ聞こえる。
 氷の空洞に、反響して響いてくる。
 どうやら何かを探しているようで、はっきりした意思があった。
 少なくともディクじゃない。
 人間だ。捜索に来たレンジャーだろうか。
 こつ、こつ……どんどん近付いてくる。
 ついに鋼鉄の扉が開き、ぱあっと光が向けられた。
「……!」
 一瞬目が眩んだところに、何か小さな塊が飛んできて、ボッシュの獣剣をすり抜けて、リュウにぶち当たった。
「にゃーっ」
「……あ?」
 ボッシュは顔を顰めて、リュウにじゃれついているモノを見下ろした。
 金髪で、背中に羽根の生えた小さな少女だ。ニーナである。
「……なんでオマエ生きてんの? しぶといな、とっくにくたばって、やっと兄さまと二人きりになれたと思ったのに」
「にゃ、るー」
「シカトかよ」
 ニーナは、リュウの胸に額を摺り寄せて、ぐりぐりと押し付けている。
 リュウはくすぐったそうに、よかったあ、と言った。
「リンが助けてくれたのが見えたから、大丈夫だと思ってたけど、探しにきてくれたの? 危なくなかった?」
「うー」
 ニーナが頷いて、扉の前で困った顔をして突っ立っているリンに手を振った。
「テメエも生きてたのか……大概しぶといな」
「……リュウ」
 少し気後れしたような見慣れない動作で、リンはボッシュには答えず、リュウと向かい合った。
「あんた、あれは一体……」
「リン、ごめんね」
 リュウはひどくすまなさそうに項垂れて、俯いた。
「……あの、おれにもよくわかんないし……今は」
「あ、そ、そうだね」
 ボッシュとニーナを交互に見て、リンは慌てて頷いた。
 こいつ嘘吐いたりごまかしたりすんのヘタだな、とボッシュは思った。
「とにかく、上がろうか。レンジャーの警備が厳しい、リフトはもう使えないよ。歩いて上がるしかないね」
「歩いて……って、省庁区まで、どれだけ掛かると思ってんだ?」
「トリニティ・ピットまでさ。なに、大したことない。あんた、もう上からお尋ね者扱いされてるよ。引っ立てると賞金も出るみたいだ。5000Zだよ」
「安ッ」
 ボッシュは顔を顰めた。
 あんまりだ。何かの間違いに違いない。
「俺がお尋ね者? しかも、剣聖に連なるこの俺が5000Zだと?! 先月の小遣い以下じゃん! なあ兄さま!」
「おれ、お小遣いないし……屋敷の手伝いをして、たまにお駄賃をもらえるけど。買い物一回で、きずセット一個」
「……兄さま」
「うわあ、せちがらい賃金格差だね……。生々しい話は聞きたくないよ」
「うー」
 ボッシュは溜息を吐いて、頭を抱えた。
「あああ、父さまは何を考えてらっしゃるのか、よくわからん……」
「ボッシュ……」
 リュウが困った顔で、ボッシュの頭をぎゅうっと胸に抱いてくれた。
「兄さま、俺省庁区に帰りたいよ」
「うん、そうだね。帰ってお義父さんに事情を話さなきゃ……きっとなにか誤解があったんだよ」
「誤解……だよな?」
「うんそう。ボッシュ、帰りたいでしょ? なら、連れて帰ってあげるよ」
 リュウが笑って、ボッシュの頭を撫でてくれた。
 それでいくらか安堵した。
 ふと、指を咥えてじっとこちらを凝視しているニーナと目が合って、ぷいっと顔を背けた。


◆◇◆


「まず兄さまの服をなんとかしなきゃ」
 ボッシュは提案した。
 それというのも、リュウの格好があんまりにあんまりだったからである。
 背中が大きく焼け焦げて開いてしまった白衣に、裸足。
 こんな姿で冷たい氷の洞窟なんか歩こうものなら、間違いなく凍傷を起こしてしまう。
 だがリュウはちょっと困ったように首を傾げて、大丈夫だよお、と言った。
「おれ、丈夫だし……それより、ニーナをなんとかしてあげなきゃ」
「にゃーっ」
 ニーナが、珍しくリュウに抗議するように、リュウの白衣の裾を引っ張った。
 リュウの方が先だと言いたいのだろう。ディクながら話の解っているやつである。
「ほら、そいつだって言ってるじゃん」
「大丈夫だよ、街にはさすがに入れないけど。とりあえず捕まって怒られることはないと思う」
「……何の心配してんの」
 呆れた。リュウはあんまりにも無頓着過ぎる。
「あのさあ、あんたが霜焼けになったり風邪ひいたりすると困るだろ? 解れよ」
「で、でもどうするの? 誰も人、いないし」
「そこが問題なんだ」
 ボッシュは腕を組んで、頷いた。
「あてもなくショップ店員を探してうろつくか、捜索に来たレンジャーを襲うかだ」
「うわあ、どっちも大変そうだね」
「あとはこれだ」
「?」
 ばさっ、とリュウにジャケットを引っ掛けてやると、リュウは目を白黒させて騒いだ。
「えっ、ええっ?!」
「俺の着てなよ。割と寒いのって平気だし」
「だ、駄目だよ! ボッシュが風邪ひいちゃう!」
「大丈夫だよ、兄さま。オラッ、クソガキ。火ィ出せ」
「うーん」
 ボッシュに命令されて面白くないのだろうが、リュウのためなら仕方がないと思ったらしく、二ーナがちょっと不満げな顔でパイロマニアの先端にぼっと火を灯した。
 これで大分暖かい。
「問題ナシ。さ、行こうぜ」
「にゃっ」
「う、うー」
 リュウはちょっと困った顔をしていたが、こくっと頷いて、ボッシュにぺたっとくっついた。
「な、なに?」
「うん、くっついてるとあったかいでしょ? ヒトハダのぬくもりで」
「ま、まあ、そうだな」
 赤くなってそっぽを向くと、 どさくさに紛れて、ニーナも一緒になってリュウにべったりくっついてきた。
「あ、テメッ」
「にゃん」
 「ボッシュだってしてるじゃない」とでも言いたげな顔をされて、かなり腹が立ったが、もうめんどくさいので放置しておく。
「後でデコピンだこの野郎」
「ううう」







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