氷の洞窟に落ちてきてから、どうもリュウとリンは気まずいようだ。
 原因はリュウのあの姿なんだろうなとは見当がついたが、それにしたって解せない。
 ちょっと強力なディクってくらいだろう。火みたいに身体が熱くなったって、元々が優しいリュウなのだ。
 人が殺せるわけでもなし、害はないだろうとボッシュは思った。
 ボッシュならまだしも、この優しいリュウが何かを傷付けることなどあるわけがない。ニーナだって見捨てなかったのだ。
「……あの女、感じ悪いな兄さま」
「も、もう、そんなこと言っちゃだめだったらボッシュ」
 こそこそ耳打ちしたらリュウに怒られた。
 面白くなくて顔を背けると、ふいに前を歩いていたリンが立ち止まった。
 聞いてやがったのかな、とボッシュは思ったが、彼女は何を考えているのか良く解らない顔で、リュウを物言いたそうな目で見た。
「なんだよ。何か文句でもあんのか」
 凄んだボッシュに構わずに、リンは見当違いのことを言った。
「……リュウ。身体のほうはどうだい」
「え? ああ、うん……へいき」
「そう。……すこし、休もうか。ニーナも疲れちゃってるみたいだし……」
 リンが、ぽんぽんとニーナの頭を叩いた。
 見ると眠そうに目を擦って、ふらふらと歩いている。
 リュウはへにゃっと変な笑い方をして、そうだね、と頷いた。


◆◇◇


「……なんっかなあ、ヘンだと思わねえ?」
 洞窟の冷たい壁に凭れ掛って、あぐらで膝に頬杖をついて、ボッシュはぼそっとこぼした。
 燐虫を追い掛けていたニーナは、首を傾げ、不思議そうに立ち止まった。
「あの女、なんか話があるとか言ってたけどさ、俺をよけて何を話すことがあるっていうんだ?」
「にゃっ」
 ニーナもそれに関しては同意したようで、「わたしも」とでも言うようにこくこくと頷いた。
「そう思うだろ? なあオマエ、なんか知ってる? わきゃないか、ディクだもんな。話も通じねえし」
「うう、ううー! ボ!」
「あん?」
 ボッシュはぱちぱちと目を瞬いて、何かしら難しい発音を試みているらしいニーナをじっと凝視した。
「ボ?」
「ボ、スー!」
「おおっ」
 思わず、ボッシュはぽんと手を打っていた。
「ディクが喋ったぞ! すごいな、最近のディクは言葉を話すのか」
「うう、ボス! いーあ!」
「ハア? 意味わかんない」
 不満そうに腕をぺちぺち叩いてくるニーナを適当に跳ね除けて、ボッシュは腕を組んで、うー、と唸った。
「兄さま、なんかヘンなことされてねーだろうな……」
「あう? ルー?」
「だってオマエ、兄さまあんなにかわいいんだぞ。ふたりっきりで話し込んでたら、絶対なんかしたくなるだろ」
「うー」
 良くわからなさそうに、ニーナが羽根を尻尾のようにぱたぱたと振った。
 なんかってなに、という仕草だ。
「例えば、そうだな……ディクにもわかりやすい言葉で言えば、ぎゅうっと抱き締めてやりたくなったり」
「にゃー」
 ニーナが熱心にこくこくと頷いた。肯定の仕草だ。
 こいつも油断ならないな、とボッシュはこっそり確信した。
「手を握りたくなったり」
「にゃー」
「チューしてやりたくなったり」
「にゃー」
「あとはなんか……」
「にゃっ?」
「いや、やめとこ。なんか生々しい……。想像して気分が悪くなってきた」
「うー」
「ともかく、いろんなことをしたくなるはずだ。兄さまはかわいいんだから」
「にゃ」
「オマエそれ、あれだろ。許せないだろ。兄さまは俺の兄さまなのに」
「あうー、あー?」
「そうだよ、兄さまは俺のものなんだ。だからオマエ、ベタベタ触るの禁止」
「うー!」
「俺に逆らうのか? オマエディクのくせに生意気だぞ、ヘンな羽根なんか生やしやがって。それはあれか? ディクの間で最近流行ってるファッションなのか? ありえねえぞ」
「あう、うー、ボス、きらー!」
「キライ、だと? 俺もオマエなんか大嫌いだよ。ていうかオマエ、喋ってるじゃねえかよ。オラッ、白状しろ。そんな可愛子ぶりやがって、ほんとは喋れるんだろ? ペラペラだろ。「はい」て言えよ」
「うー、ボス、かー!」
「ハア? 「かー」ってなんだよ。バーカ……痛え!」
 ニーナの羽根が弾けたバネのように飛んできて、ボッシュの顔面を打った。
 がばっと身体を起こし、ボッシュはすぐさまニーナに掴み掛かろうとした……が、いかんせん相手はすばしっこく、身体も小さいので、上手く捕まえられない。
「テメッ……もう許さねえ! 絶対処分してやる、このディク女!」
「ううー、う!」
 逃げまわるニーナを捕まえようとばたばたやっているところに、話は済んだのか、リンとリュウが戻ってきた。
 二人は目を丸くして、慌ててボッシュとニーナを引き離しに掛かった。
「ボ、ボッシュ! なにしてんの?! お、落ち付いて! ニーナはちっちゃいんだから……」
「ニーナ、大丈夫かい? なんにもされなかった?」
「にゃーっ」
「兄さま! 悪いのはあいつだよ! だってあいつ、俺の顔羽根で叩いたんだぜ?! 父さまにしかぶたれたことないのに!」
 リンに抱えられているニーナを指差して捲し立てると、彼女はボッシュに顔をくるんと向けて、べえ、と舌を出した。
 まったく腹が立つったらない。
「絶対ぶっ殺してやる! ディク鍋にしてやる、テメエ!」
「ボ、ボッシュう、ほらやめなよ、ね? い、いい子だから……! ニーナもボッシュ、怒らせちゃだめー!」
「ああもう、ややっこしいね……。ほらニーナ、一応謝っときな」
「やー」
「ボッシュ、ほら、ニーナにごめんなさいして?」
「絶対イヤだ! 兄さまの頼みでも、それだけは駄目だ!」
「うー!」
 ニーナも同意するように、こくこくと頷いた。
 二人でぷいっと顔を背け合うと、リュウとリンが疲れきったように、ふううと大きな溜息を吐いた。


◆◇◆


「この先の集積庫を抜けると工業区だよ」
 廃道を抜けると細い通路に出た。リンに案内されるままに進む。
 ふと思い出して、ボッシュはリンに確認した。
「おい、わかってんだろうな。俺たちはもっかいトリニティのアジトになんか行くつもりはねえからな。上がるんだ、上へ」
「その話は後にしよう。兄ちゃんと子供は疲れてるみたいだから、急いだほうがいい」
「……チッ、しょうがねえな……」
 リュウの名前を出されると弱いボッシュである。渋々リンに続いた。
「おい、ここからどうすんだ? レンジャーに見つかると厄介だろ」
「厄介だから、人気のない集積庫に潜り込もうっていうんだ」
 通路の突き当たりの扉を抜けると、広い空間に出た。
 大きなコンテナがいくつも積まれている。留置かれている物資だろうか。
「どうやら誰もいないようだね」
 ひとつ頷いて、リンが足を踏み出した。ボッシュが気だるく獣剣を担ぎながらそれに続き、ニーナと手を繋いだリュウの、二人の非戦闘員がちょこちょことついてくる。
 なんだか変だなとボッシュは思った。人の気配はあるが、姿が見えない。それに静か過ぎた。
 物資集積庫っていうものは、いつもこんなにも静かなんだろうか。搬入する車両の姿も見えない。普段見慣れていないせいで、良く解らない。
 積み重ねられたコンテナでできている十字路の真中に差しかかった時のことだった。
 突然ライトがかあっと眩しく光り、ボッシュたちの目を焼いた。
 今しがた入ってきた入口が閉まり、かわりに両脇のドアが開いて、レンジャーがなだれ込んできた。
 待ち伏せられていた。コンテナの上で待機していたレンジャーが次々と飛び降りてきて、ボッシュたちの周りを取り囲んだ。
 逃げる場所なんてどこにもなかった。
 リンが苦い顔で、やられちゃったね、と言った。ニーナは怯えてリュウに抱き付いた。
 レンジャーたちは、隊服からファーストであることが知れた。
 ファーストの大隊だ。何人かは上層区で見たことがある。ボッシュの誕生を祝して、パーティにやってきた顔も見えた。
 皆一様に無表情に銃を、剣を構えていた。ボッシュを前にしても顔色ひとつ変えない。
 彼らが注視しているのはどうやらボッシュではなく、震えるニーナを守るように両手で抱いて、不安そうな顔をしているリュウのようだった。
 百戦錬磨のファーストレンジャーたちに、異様な緊張が張巡らされていた。
 ぴりぴりして、息が詰りそうだ。
 ほどなく、指揮官と思われるレンジャーが姿を見せた。驚いたことに、女だ。
 銀髪に眼鏡を掛けているその女は、上層区で何度か見掛けたことがあった。確かD値は1/128くらい、名前は忘れた。
「ボッシュ=1/64ですね。我々はあなたを保護しに来た」
 その女はボッシュの予想とは裏腹に、意外なことを言った。
「ハア?」
 ボッシュはふいを突かれたかたちで、思わず聞き返していた。
「オマエら、俺を殺そうとしてんじゃないの?」
 女は首を振って、眼鏡を掛け直す仕草をした。
 だがそんなことを言いながらも、レンジャーを引っ込めない。
 こいつは信用ならないなとボッシュは踏んだ。
 女は剣を水平に掲げて、言った。無礼をお許しください。
「私はレンジャー隊長のゼノ=1/128です。あなたは錯乱しているのです、ボッシュ=1/64。ドラゴンに魅入られてしまっている。竜を処分し、あなたを保護するのが我々の役目です」
 ゼノが手を上げると、レンジャー達が一斉に斬りかかってきた。
 襲われているのはボッシュではない。トリニティのリンすら捨て置かれている。
 ニーナをぎゅうっと抱き締めたままのリュウだ。
 ボッシュはすぐさまリュウを庇い、振ってくる剣を弾いた。
「人の兄貴に無礼な真似すんじゃねえよ!」
「失礼ですが、ボッシュ=1/64。それはあなたの兄上様ではありません」
 ゼノの声は硬く、強張っていた。
 「それはドラゴンです。古の超兵器――――下層区の包囲網を力づくで突破し、指定地点に着いていた私の部下たちを殺害した、化け物です」
 しつこくリュウを狙ってくるファーストの剣を弾き飛ばして、ボッシュは唖然としてゼノを睨んだ。
「ハア? 頭おかしいんじゃないの? この兄さまが人殺しなんかできるはずないだろ!」
 びくっとリュウが震えたのが、ボッシュの目の端っこに映った。
 リュウを見遣ると、居心地が悪そうに俯いている。
 まさか、という思いだった。
 リュウは嘘も吐けない生真面目な性質をしていた。それはボッシュも良く知っていた。
「兄さま?」
 ボッシュが呼び掛けても、リュウは返事をしない。
 それは暗に、肯定を示していた。
「……兄さま、嘘だろ?」
「ほんとだよ」
 返事をしたのはリュウじゃなかった。
 リンがあの具合の悪そうな顔で頷いた。
「本当だボッシュ。私は見てた。レンジャーどもの包囲網、潰しちゃったんだその子」
「は……」
 ぎこちなく、ボッシュはリュウを見た。
 リュウはボッシュを見てくれなかった。
 顔を逸らして俯いて、どんな顔をしているのかも知れない。
「兄さま? こっち、見てくれよ。あいつら、あんな好き勝手なこと言って……なにか言ってやりなよ。兄さまがそんなひどいことするわけないじゃん。あんた、俺にすげえ優しいし……」
 緊張して、口の中がからからだった。
 リュウは何故何も言わないのだろう。
 そんなことないって、剣聖に連なる者になにを無礼なことを言うんだって言ってやれば良いのだ。
「なんで、俺の方見てくれないの?」
「……攻撃を止めて下さい」
 リュウはとても辛そうにボッシュから顔を逸らしたまま、ニーナをぎゅっと抱きしめて、ゼノに懇願した。
 ゼノは当たり前のことだが、首を振って言った。
「我々も仕事でここにいる。最重要任務だ。おまえを処分するまでは帰れない」
「どうしてもですか?」
「くどい」
 リュウは憔悴しきった顔を上げた。
 ボッシュは叫び出しそうになった。
 リュウの目が真っ赤に燃え上がっていた。ディクの目だ。血走った赤だ。
 だが、ひどく辛そうな顔をしているのだ。
「おれ、殺したくないです……だからできれば逃げてください。命を無駄にしないで欲しいです。おれ、なにするかわかんないし……」
 ざわざわとリュウの髪が揺れて、色を失っていく。
 得体の知れない光の模様群が身体中に浸蝕して、四肢のかたちを変えていく。
 リュウは泣きそうな声で言った。
「お願いだから、弟の前で人殺しなんかさせないで。もうほっといてください。おれは弟と一緒に、家に帰りたいだけなんです……」
 背中の柔らかい皮膚を突き破って、岩みたいに固い骨の翼が剥き出した。
 ほっそりした痩せた腕は、ごつごつとして、鱗に覆われた。
 鋭い鍵爪が現れた。
「……兄さま……?」
 ボッシュが呆然と見ている前で、以前見た光景が再現されていく。
 リュウのすすり泣きは、獣の唸り声に変わってしまった。
「見ないでボッシュ。目、閉じてて……」
 それを最後に、リュウの声は途切れてしまった。
「散開! 油断するな! メイジ、バトラーの援護を! ガンナーは遠距離から狙撃!」
 ゼノの指令が、鋭く飛ぶ。
 だが半数のレンジャー、主にリュウに接近していたバトラーは、その命令を聞いてはいなかった。
 リュウの腕の一薙ぎで、ある者は首を飛ばされ、ある者は胴を千切られて焼き尽くされた。
 リュウに殺害されたレンジャーは、骨はおろか灰も残らなかった。
 圧倒的な火力でもって、焼き尽くされたのだ。
 そして次の瞬間には、ジャンクの陰で銃を構えたガンナーが、ブースタで跳躍したリュウの爪に引き裂かれていた。
 ファーストレンジャーたちの優秀な能力は、ボッシュも良く知っている。
 彼らは秀でたD値を持って生まれ、上層区の一握りの者のみが、その苛烈な任務に着くことができるのだ。
 だが、一方的な蹂躙だった。
 まるでハオチーを踏み潰すような、簡単で、悪夢のような残劇だった。
 ボッシュは知らず、その場に座り込んでしまっていた。
 恐ろしい光景を前にして、足が竦み、腰が抜けて、かたかたと全身が小刻みに震えていた。
「に……兄さまっ……」
 リュウが最後のガンナーを屠ったところで、閉め切られていた集積庫の扉が、があっと開いた。
 そして、巨大なアシモフが姿を現した。
 ヒトの手には負えない、強力なディクを倒すために造られたロボットである。
 だがリュウは顔を上げ、目をぎらぎらと燃え上がらせて、炎を生み出している腕を掲げた。
『るぉあああああッ!!』
 恐ろしい雄叫びと共に、眩い閃光の束がアシモフへ向かって突き進んでいった。


 光で視界がいっぱいになり、見えなくなった。


 爆発のはじめの音を聞いたっきり、なにも聞こえなくなった。耳がいかれたようだ。
 耳鳴りの音が、ボッシュの頭を突き刺した。
 悪い夢でも見ている気分だ。
 目を開ければ、夢は覚めるだろうか?
 薄く視界を開くと、そこにはなんにもなかった。
(……え?)
 あの巨大なアシモフが跡形もなくなっていた。蒸発してしまったようだ。
 床面に銀色の流動物がへばりついて、ぶすぶすと煙を立てていた。
 それだけだ。
「兄さまっ……」
 リュウは今まさに、あの女隊長を屠ろうと腕を振り上げたところだった。
 ひどくゆっくりと、ボッシュの目にそれが映った。
「やめろ……」
 かたかた震えながら、ボッシュは声を絞り出して、手を伸ばした。
 だがリュウの顔には、人間の表情というものがなかった。
 ボッシュの手ももう届いてはくれなかった。
 爪の先にぼっと火が灯り、振り下ろされて――――
「やめろよ、兄さま――――ッ!!」
 ボッシュの声は、リュウには聞こえていなかった。


 血も、飛び散らなかった。


 ――――そして、リュウが少し首を傾げて、ボッシュへ近付いてくる。
「ボッシュ?」
 ボッシュはぶるぶる震えながら俯いていた。
 銀色の獣の姿から、ゆっくりとリュウの姿へと変わっていく。
 変化が済むと、そこにいるのはもういつものリュウだった。
 少し気後れしたような、自信のなさそうな顔で俯いている。
 まるで何事もなかったかのような顔でいるから、一瞬ボッシュは、今しがた目の前で繰り広げられた惨劇は、なにかのたちの悪い幻覚なのではないだろうかと訝った。
 だが顔を上げると、一振りの剣が見えた。
 刀身が真っ赤に焼けてしまっている。それは、あの女隊長が遺した剣だった。
「だいじょうぶ? 震えてるね。怖がらせちゃったね……もう、追い掛けてくるレンジャーはいないよ」
 リュウは気遣わしげに座り込んで、ボッシュの顔を覗き込んだ。
 手を差し伸べて、立てる、と言った。
 ボッシュには、リュウの手のひらが血塗れに見えた。
 実際には付着した血液は既に蒸発して綺麗なものだった。
 だがリュウは「あ」と言う顔をして、手を引っ込めて、ごしごしと服で拭った。
 そして、困ったような変な笑い方をした。
「さ、帰ろうか。屋敷のみんな、きっとボッシュを心配してるよ。おれが守ったげるから、なんにも心配ないよボッシュ」
 もう一度手が差し伸べられた。
 ボッシュは、反射的にざあっと後ずさってしまった。
「ボッシュ……?」
「こ、来ないでくれ……兄さま」
 震えながら、ボッシュはリュウを拒絶した。リュウの前から逃げ出したかった。
 リュウが、この化け物が恐ろしくてならなかった。
「ボ、ボッシュ?」
 リュウがびっくりしたような顔をした。
 がちがちと奥歯を鳴らしながら、ボッシュは懇願した。
「た、頼むから、来ないでくれ、化け物……」
 その瞬間のリュウの表情が、ボッシュの目に焼きついた。
 リュウの顔から表情というものが、ごっそりと抜け落ちてしまった。
 まるで元から感情なんて無かったのに、ボッシュのために無理をして作られていたかのような感じだった。
 ボッシュが拒絶したせいで、機械に戻ってしまったような。
 長い間省庁区で見ていたあの寂しそうな顔よりも、ずうっと絶望の色が濃かった。
 リュウはその顔で、どうしてか少し微笑んだ。
 寂しそうな目だった。
「……こ、怖い目に遭わせてごめんね。おれ、ボッシュを怖がらせようなんて、そういうの、ぜんぜん……」
 ボッシュを安心させようとしての表情らしかった。
 まだ怯えているボッシュを見て、リュウは申し訳無さそうに項垂れた。
「ボッシュ?」
 ボッシュは俯いた。顔を上げられなかった。
 リュウと目を合わせられなかった。
「ボッシュ……」
 リュウは困ったように、弱々しく、あんなに凶悪な化け物のくせに、縋るようにボッシュを見た。
 そして、何がしか理解したようだった。
 立ちあがって、その足元に転がっていた、殺害したガンナーが遺した銃を拾い、銃口を側頭部に押し当てた。
 がきんとセーフティを上げる音。それではじめて、ボッシュはリュウをまともに見上げた。はっとした。
 恐怖よりも、焦燥が沸いてきた。
「に、兄さまっ?!」
 トリガーが何の躊躇いもなく引かれ、銃弾が発射された。
 があん!と横殴りにされた衝撃で、至近距離からの銃撃を受け、リュウが倒れた。
「にいさ……にいさまあっ!」
 腰が抜けたまま、ボッシュはリュウに震える手を伸ばした。
 ふいに、さすがに鉛玉が炸裂して死んだはずのリュウが、むくりと起き上がった。
 リュウには傷らしい傷もなかった。
 不思議そうにまだ煙をたなびかせている銃口を覗き込んで、リュウは今度はこめかみに発射口を当てた。
「や、やめろ! やめろよ、兄さま!」
 ボッシュが制止しても、リュウは何の気負いもなくまたトリガーを引いた。
 銃声がもう一発。でも、リュウは死なない。
「もうやめてくれよ、兄さま……」
 涙がぼろぼろと溢れてきた。
 リュウは救いのない身体になってしまっていた。
 ボッシュはそれを理解してしまって、どうしようもない悲しみが込み上げてきた。
 リュウが哀れでならなかった。
 そして、リュウ自身もそれを理解してしまった。
 疲れきった乾いた笑みを顔に浮かべて、ぼそぼそと呟いた。
「ああ……おれもう、死ねもしないんだ……」
 ふらっ、とリュウは歩き出した。
 ボッシュに背中を向けて、さっきの爆発で開いた暗い空洞へと歩いていく。
 きっとその下は、果てのない闇だった。
「……に、兄さまっ? どこへ、行くんだよ」
 ゆっくりずるずると足を引き摺るようにして、強い風の吹き込んでくる奈落を見下ろし、リュウはゆらりと暗闇に倒れ込んだ。
――――にっ」
 ボッシュは抜けたはずの腰で立ち上がって、リュウへと駆けた。
「にいさまああッ!!」
 手を伸ばした。
 だがもう届かなくて、リュウの身体は闇の中で小さな光点に変わり、やがて消えていった。
 リュウの声はなにも聞こえなかった。強い風がびゅうびゅうと唸って、冷たい地下の空気をボッシュに叩き付けるだけだった。









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