白く、どこまでも同じ景色が続く廊下は、バイオ公社のラボを彷彿とさせた。 だが決定的に違ったのは、その光量だった。 真っ白な明かりが、眩く灯っていた。 ここは公社の管轄下にある上層区のメディカルセンター、電力供給ビルの真横にある。 ボッシュも、幼い頃から何度か世話になったことがある。 メディカルセンターというものは、どんなに明るくても恐ろしい場所だった。 例えば歯科診療室から聞こえるドリルの音、夜の静かな廊下。 幼い時分は入院すれば、決まって早く帰りたいと泣き叫んだものだった。早く帰って兄さまに会いたいと。 地下の一角に、厳重に封鎖された扉がある。 関係者以外立ち入り禁止の張り紙が貼られ、警備が何人かついていた。 彼らはボッシュがやってくると、綺麗に敬礼して道を開けた。 その顔色に表情は覗えなかった。 扉を開けると、ラボと似たような実験室が続いていた。 診療台があり、小さな子供が退屈そうに腰掛けて、足をふらふらさせている。 「ニーナ」 呼ぶと、顔を上げた。 少女はボッシュの顔を見て、ちょっと驚いたようだったが、すぐに知らない大人ばかりの中で見知った人間を見付けた安堵の顔になった。 ぴょんと診療台を飛び降りて、ボッシュのもとへ駆けてきた。 「よお、クソガキ。ディク女。生意気にも暇なんてしてたわけ?」 「うーっ、う、にゃー!」 軽口を叩くと、ニーナは怒って頬を膨らませた。 一応人間並に、言葉を理解はしているらしい。 「行くぞ。オマエ、どうせここから降りても処分されるだけだろ。助けてやる。ありがたく思え」 「にゃっ?」 「……うるせえな。そうしなきゃ、兄さまが怒ると思ったんだよ。俺は嫌なんだからな」 「うー」 ニーナは首を傾げて、ボッシュの左腕を取って、変な顔をした。 これはなに?とでも言うような。 ボッシュは答えずに、実験室を後にした。 ニーナは不思議そうな顔をしながらも、そのままちょこちょことついてきた。 集積庫にレンジャー隊の後続がやってきたのは、すべてが終わり、しばらく経った後だった。 無力化された先のレンジャー隊や、アシモフの残骸はほとんど見つからなかった。 一度溶けて固まった鉄の塊や、取り落とされた剣や銃器、そんなものだけ。 すべてが焼けてしまっていた。 ボッシュはレンジャーに保護され、上層区のメディカルセンターに送られた。 ニーナもそうだった。大事な実験体、重要機密なのだそうだ。 リンは知らない。大方トリニティだから、牢屋にぶち込まれて尋問でも受けているかもしれない。 メディカルセンターで目が覚めても、リュウはいなかった。 どこにも、いなかった。 レンジャーの上層区駐屯所、その地下の拘置室にリンがいた。 腕を幾重にも拘束され、ひどい仏頂面をしている。 頬に殴打の痕があった。この女のことだ、黙秘して殴られたというよりも、余計なことを言って怒りを買ったってところだろうなとボッシュは見当を付けた。 見張りのレンジャーは階段の上にいる。 どうも面会に訪れたボッシュを怖れているようで、顔も出さない。 無理もない、とてもまっとうな人間には見えないものの二人連れだ。 ボッシュがハイディでなければ、とっくにこの拘置室に入れられていただろう。 カードキーを差して、扉を開ける。 面倒そうに振り向いたリンは、ぎょっとした顔になった。 「あっ、あ、あ、あんた、それ……」 「オマエ、解放だ。上の奴ら、なんかごねてたけど、俺を見て一発で納得しやがったよ。ハイディって得だよな」 実際の所、D値は関係なかったろう。 彼らはどうやらボッシュとニーナを、政府の暗部「ネガティブ」と勘違いしたらしい。 反逆者の解放なんてありえないことでさえ、二つ返事で了承してくれた。 「さて、このロクでも無いディク女を連れて、さっさとアジトに帰るなりなんなりしろよ、トリニティ。俺の知ったこっちゃない。好きにすれば」 「ちょっと待ちなよ! なに普通に会話を進めようとしてんだい?! あんたそれ、その腕……」 「ああ、これ」 ボッシュは気軽く左腕を上げ、振って見せた。 黒い手だ。 巨大に膨れ上がり、幾筋も奇妙な模様が光になって浮き出ている。 浸蝕は首のあたりまで進んでいた。 ボッシュは自嘲気味に笑って、俯いた。 「……ヒトゴロシだから、怖がってたわけじゃないんだ。俺だって、そうだ。親父から、上手く殺す方法を叩き込まれたよ。小さい頃から。 俺も殺されるかもしれないって思って、それが怖かったんだ。 あの優しい兄さまが、あんな姿になったのが……」 リンは目を眇めて、ボッシュを見た。 そこにはいたましさがあったが、彼女は何も言わなかった。 ボッシュはできるだけ明るく言った。 「片方だけが化け物って、おかしいじゃん。俺も化け物にしてもらったんだ。強くしてもらったんだ。だって俺らは兄弟なんだものな」 ◇◆◇ 「オールド・ディープ」「リンク」「適格者」――――調べるうちに、そんな言葉に行き当たった。 公社の実験記録だ。もちろん、公式に発表されているものではない。 携帯端末をいじって、公社のデータベースに侵入して、ようやっと見付けたものだった。 古の最終兵器、世界を壊すためのシステムなのだそうだが、ボッシュにはそんなことはどうでも良かった。 ただ、それがリュウを蝕んでいるという。 通常兵器では、傷一つつけることさえできないらしい。 それは、間近で見ていたボッシュが良く知っている。 見た限り絶望的だが、調べるうちにそれほどどうにもならないものじゃあない、ということもわかってきた。 ドラゴンはドラゴンで相殺することができるらしい。 昔竜に浸蝕されて死んだ人間の、変質した腕の移植を受けるまで、そう時間は掛からなかった。 ボッシュには、何のこだわりもなくなっていた。 リュウさえ救えれば、なんだって良かった。 「なんで俺に付き合ってついてくんの」 ボッシュは呆れ果てて、後ろをついてくる女ふたりに言った。 リンとニーナはごく当然のように、ボッシュにくっついてきた。 ボッシュは溜息を吐いて、肩を竦めた。 「……俺、兄さまを殺さなきゃ。あのまま放ってはおけないよ」 身体がふらつく。まだ癒着すらしていない。接合部分が、気が狂いそうになるほど、痛い。 そのくせ麻酔も効かない身体になってしまったので、気休めすらできない。 半身だけなら、竜の力が使える。上手く制御がきかないのが難点だが。 誰か全くの他人を、身体半分に住まわせている感じだ。気持ちが悪いったらない。 だが、もう少しの間持てばそれでいい。 「兄さま、自分で死ぬこともできないんだ。俺が殺して、楽にしてやらなきゃならない。そしたら、俺も……」 がくっと足の力が抜けた。 たまらず膝をつくと、ニーナが慌てて駆け寄ってきて、ボッシュの肩を支えた。 が、その小さな腕では支えきれず、転倒したボッシュの下敷きになって、ぺしゃっと潰れた。 「なにやってんだい……」 リンが呆れたように溜息を吐いて、ボッシュとニーナを引っ張り起こした。 リンは当然のようにボッシュに肩を貸して、さあ行くよ、と言った。 「兄ちゃんを助けなきゃならないんだろ。あんたには借りがあるし、私はリュウを気に入ってる。助けてやりたい。ああ、別にあんたのためじゃないから、もう少し借りといてやるよ」 「……バッカじゃねーの。俺、オマエらの敵の本拠地ってとこに、今から行こうとしてるわけ」 「どうせあんた、一人じゃ上まで上がれないんだろ」 「…………」 「心配ない、ニーナは私が守る。あんたは兄ちゃんのことだけ考えてな」 「うー、ルー!」 ニーナが、どうもリュウの名が出たことが嬉しいらしく、なんにもわかっちゃいなさそうな顔でぴょんぴょんと跳ねた。 「ボス、ルー、あ?」 「リュウ……兄さまは……」 暗闇に落ちていったリュウは、きっと空を目指していったろう。 ドラゴンはそうプログラムされているそうだ。 きっと空に一番近い場所で、ボッシュを待っている。そうに、違いない。 「俺たちは……空へ行くんだ」 内面から染み出してくるように、ずっと囁き続ける声がある――――世界を壊し、空を目指せ。 だがボッシュには、空なんてどうだって良かった。 もう一度リュウに会って謝りたかった。 化け物なんて言ってごめんなさい兄さまと言いたかった。 もうあんたを怖がりやしないと言いたかった。 電力供給ビルのエレベータから、真っ暗な地底に、まるで1000年前にあったという星空のように輝く中央省庁区の輝きが見える。 空は――――リュウはきっと、そこにいる。 NEXT>>> |