エレベータは稼動していた。
 電源を入れると、真っ暗だった空洞にぱっと光が溢れた。
 一瞬眩くて目を眇め、ボッシュはパイプに寄り掛かって、ジオエレベータが起動するのを待っていた。
 やがて、ゆっくりと床が持ち上がった。スライドしながら上昇していく。
 向かう先の天井は見えない。黒い闇があるのみで、終着点が見えない。
 どこまで上がっていくのかも知れない。
 だがボッシュは、ふいに懐かしい鼓動を聞いたような気がして、ふっと見上げた。
 その先には闇が広がっているのみだ。
(俺のこと、待ってんの?)
 ボッシュはぼんやりとリュウの顔を思い浮かべた。
 少し困った顔をしている。俯いて、何か言いたそうに、だが何にも言わずに目を伏せてしまう。
(俺、あんたの口から聞きたいことが、いっぱいあるんだ)
 何年も何年も、リュウが飲み込んでしまっていた、ボッシュに掛けるはずだった言葉が聞きたい。
 それはおそらく他愛無いことだったろう――――おかえり、おつかれさま、怪我ない? 痛いとこ、ない? ね、兄ちゃんって、呼んで。
 結局何一つ言えないまま、リュウは口篭もって、いつもと同じ言葉を繰り返す。
 ごめんなさいボッシュ様。リュウはボッシュに掛けるはずだった言葉を、いつもそれとすりかえてしまう。


 ゆるやかにエレベータは上昇していく。
 ニーナは物珍しそうに辺りをきょろきょろと見回し、パネルに腰掛けて、足をふらふら揺らしている。
 そのすぐそばで、リンがボッシュと同じようにパイプに凭れて、過ぎ去っていく地下を見つめている。
 ふとニーナが運転席を飛び降りて、ボッシュに駆け寄ってきた。
「うー、ううー、ルー?」
 リュウ、もうすぐ会える、と彼女は訊いていた。
 ボッシュは緩慢に頷いて、ああそう、もうすぐ会えるよ、と言った。
「な、オマエさ」
「うー?」
「……苔なんか生やすなよ。毎日、会いに行ってやれ。花も持ってさ。空に花なんかあるのか、知らないけど」
「うー?」
 ボッシュは、兄さまが言ってたんだよと、少し笑って言った。
「誰も来てくれないのは寂しいってさ」
「う」
「俺も兄さまと、一緒に……アレだから」
「?」
「ああ、俺がそばにいるから、兄さまは寂しくないのか? じゃ、オマエやっぱいらない」
「???」
 わけがわからないといった顔をして首を傾げるニーナの額を、ぴんと小突いた。
 ニーナは少し考えて、何か意地悪を言われたのかもしれないと思い当たったようで、ぷうっと頬を膨らませた。


 そしてエレベータは、頂上に辿り着いた。
 一度ごうんと大きく震えて、そのまま動かなくなった。
 懐かしい気配が、すぐそこにある。ボッシュには解った。
 次第に早足になる。駆け出す。随分長い間、その顔を見ていない気がする。
 実際には大したことはなかったろう。
 何年も何年もうまくリュウを見付けられなかった日々に比べれば、それはほんの一瞬に過ぎなかった。
 走り出したボッシュのすぐそばを、ニーナが裸足でぺたぺたとついてきている。
 その顔は、まるでリュウに会うのはわたしが先とでも言いたそうな、子供っぽい主張をしている。
 ボッシュは顔を顰めて、速度を上げた。
 もうすぐ会える。


 青い頭が目に飛び込んできた。


 円形に鉄柵で囲われた床の上で、ぴんとまっすぐに立って、天井を見上げている背中が見えた。
 どのくらいそうしていたのだろう。
 リュウはまるで全部わかっているみたいに、くるっと振り向いて、にこっと笑った。
「やっぱり、来た」
 それは子供の時分と、何ら変わりのない笑顔だった。
 ボッシュは頬が、耳の辺りまで熱くなるのを感じた。リュウが笑った顔は、やっぱり可愛い。
 リュウは、数日前に中央省庁区から出て行く時と同じ格好でいた。
 安っぽいジャケットに、傍らに小さなボストンを、胸には不恰好な――――ボッシュが踏み付けたせいで、腹から綿がはみ出しているナゲットのぬいぐるみを持っていた。
 覚えている、子供の頃に喧嘩をした。
 きっかけは些細なことだったと思う。
 それは仲直りの印だった。子供のリュウが、あまり器用な性質はしていないくせに、屋敷のメイドに教えてもらって自分で作ったんだという。
 正直粗末な代物だった。ボッシュの部屋にあったら、ゴミと間違えられて捨てられてしまうくらい。
 あの時どれだけ探しても見つからなかったものだ。リュウが拾って持っていたのだ。
「きみがここに来るって、わかってた。ちょっと待ってね、今度はちゃんと、やり損なわないから」
 リュウは無造作にボストンバッグにナゲットを立て掛けて、座らせ、顔を上げて、言った。
「またおれを、殺しにきたんでしょ」
 リュウはまったくの丸腰だった。
 その表情には、まるで二つの相反する感情が見て取れた。
 安堵と敵意。リュウは穏やかに微笑んで、宣言した。
「空はボッシュのだよ。きみには渡さない」
「兄さま……?」
 ボッシュは緩く頭を振って、リュウを呼んだ。
 リュウはボッシュに向かって笑い掛けてくれているのに、ボッシュを見ていない。
 リュウの青い髪が変質していく。
 色が抜け落ち、全身に赤い炎を纏い、翼が生まれた。
 リュウにはボッシュが、誰か他の人物に見えているようだった。
「じゃあ始めようか、チェトレ」
 リュウが、言った。






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