朝からどこへ行ったのかと思えば、リュウはリンとニーナに囲まれて、弄り回されていたようだった。
 空色のドレスなんて着せられて、可愛らしい女そのものみたいになっている。ただあんまりに自分が情けないのか――――無理もない、男としての自尊心ってものがあれば、死んだって御免被りたいものだとボッシュは思った――――半泣きの顔でいる。
 街に降り、ボッシュとリュウ、それからリンとニーナという奇妙な顔ぶれでテーブルについた後もそうだった。
 大体にして、変な気分だ。つい最近まで殺し合いをしていた者たちが顔を突き合わせているのだ。
 ただそいつに関して疑問を抱いているのは、どうやらボッシュだけのようで、ニーナはリュウにべったりで、リンはリュウの格好について、細かく注意していた。例えば脚を開かない、パンツ見えるよ、なんてことだ。
 一人だけ気にしているのも馬鹿らしいので、ボッシュは極力無駄な方面に頭を使わないように努力して、最近また口にできるようになった甘い物をがっつくことに決めた。
 知らず、リュウの方に視線が行くのには辟易した。意識してなんかないし、どうだって良いことだ、とボッシュは考えた。
 リュウという人間がどうなろうが、どうってことはないのだ。
 落ち零れの少年だろうが、化け物になろうが、オリジンになろうが、可愛い女になろうが、何も変わりなんかない。同じだ。彼自身に変わるところがあるわけじゃない。
――――あんた、良くもそんなに甘いもんばっかり食えるね」
 ほとんどやけになるみたいにしてアナセミ卵のプリンをたいらげてしまった辺りで、リンが気持ち悪そうにぼやいた。
 ボッシュはそっけなく、俺の勝手、と言っておいた。
 いつのまにかリュウとニーナは酒瓶を空けて出来あがっていた。
 リンが慌てて止めに入ったが、時は既に遅いようだった。
 やってられるか、と辟易して、ボッシュは席を離れた。
 気に食わない人間たちと友達ごっこなんて、まるで何をやっているんだかわからない。




◇◆◇◆◇




 あまりアルコールを呑み付ける口ではないが――――呑めるが、味はあまり好きじゃない――――呑む時は、一人で静かにやるのが好きだった。
 間違っても大騒ぎしながらぶっ倒れるまで浴びるように呑んだりはしない。
 そう、今日は街のそこかしこに寝ている酔っ払いどものようにだ。
 チェトレに嫌味を言われながら、街の片隅のアルコール・バーで何杯か呑んだ後で、店を出るとリュウに出くわした。
 泥酔していて、足取りはふらふらだったが、どうやらボッシュを探しにやってきたらしい。




「うえっ、ぼ、しゅう……どっか、行っちゃうの、や……」
 依然リュウは泣きじゃくっている。
 ボッシュは溜息を吐いて、彼の手を引いてやりながら、さてどうしたもんかな、と思案した。
「もう帰る? ガキは寝る時間だものな」
「う……子供じゃない。ボッシュ、いっしょに、いる……」
 リュウはふるふると頭を振って、ボッシュの手をきゅうっと握った。
 あ、そ、と頷いて、ボッシュはちょっと赤くなった。アルコールのせいか、リュウは妙に積極的だ。
 それにあの変な、気後れしたような、ボッシュと顔を合わせることを後ろめたく感じているような気配は、今のリュウにはなかった。
「……まったく、ずうっとそんななら良いのに」
「あえ……?」
「べつに、なんでもない」
 ぷいっと顔を逸らすと、またリュウがぐずりはじめた。
 居心地悪くなって振りかえると、彼はじいっと、まっすぐにボッシュを見上げ、見つめていた。
 目には涙が溜まっていた。
「ぼ、しゅ……おれのっ、こと、やっぱり、キライ?」
「は、ハア?」
 鼻をすすって、リュウが苦しそうに顔を歪めた。
 また大声で泣き出しそうな気配があったので、ボッシュは慌てて言い返した。
「そ、そんな訳ないだろ、馬鹿。嫌いな奴に、手なんか繋いでやらない。大体それは、オマエが……」
 彼の泣き顔を見ていると、重苦しい気分になった。
 それが何故なのかは知らない。生きているリュウの反応なら、何だって構わないはずだ。
 死骸じゃなければ、何だって良いはずだ。なんでだろう?
「オマエがひどくしろなんて言うからだ、馬鹿リュウ」
「ぼ、しゅう、すき……」
「な、え……ハア? な、なに言ってんの。馬鹿じゃないの」
 腕にぎゅっと抱き付かれたものだから、さすがにボッシュは顔を赤くして、間の抜けた声を上げてしまった。
 リュウが変だ。妙に可愛い。
 こんなのアルコールのせいだとボッシュは自分に言い聞かせたが、心臓の音が急に跳ね上がったのが、解る。
 ちらっとリュウを見やると、彼は心底安堵したような様子で、微笑んでいた。
 その顔はとても幸せそうで、知らないうちに、ボッシュは微笑んでしまっていた。リュウが伝染したのかもしれない。
 リュウはボッシュが笑ったと知ると、ふにゃっと笑って、ずーっとこうしてて、と言った。
「おれのこと、殺すまで、ずっといて。どこにも、行っちゃやだ……」
「離してやらないよ。何言ってんの。今更逃がすと思うかよ」
「うん……へへ」
 意地悪い調子で言ったのに、リュウは笑って、ボッシュと繋いでいる手を強く握った。
 彼は嬉しそうに笑っていた。
 酔っ払いらしく顔を真っ赤にして、足取りは危なっかしく、何度か転び掛けてボッシュが支えてやらなければならない羽目になったが、その顔は可愛かった。
「……ほんとは、もっとちゃんと上手くやりたいんだけどさ」
「うー?」
「それでおまえのそういう顔が見れるんなら、まあ構わないよ、リュウ」
「うん、へへへ……」
 何もわかっていないだろうに、リュウは嬉しそうな顔をした。
 手を繋いでゆっくり歩いて行く。
 少し肌寒く、街の灯りが小さくなっていく度に、風が強くなってきた。
 くしゅん、とリュウが小さなくしゃみをした。
 無理もない、薄っぺらいドレスが一枚だ。風邪でもひいてしまうかもしれない。
 ボッシュはコートを脱いで、リュウに引っ掛けてやった。
 リュウはふるふると首を振って、ボッシュが寒いよなんてごねていたが、着てろとぴしゃりと言うと、静かになった。
 彼は本来従順なのだ。
 少し小さな今のリュウには、コートは大き過ぎるようだったが、彼は構い付けないようで、くすぐったそうに呟いた。
「ボッシュの匂いがする……」
「…………」
 反則だろ、とボッシュは思った。
 このまま森まで連れてって、押し倒して、襲ってやったら、リュウは泣くだろうか?
 それとも従順に悦ぶだろうか?
 考えると顔が赤くなって、また動悸が早くなった。
 何も初めてって訳じゃない。彼の身体のことは、何だって解っているという気がしていた。
 あの暗い旧シェルター跡で、時間も忘れてしまうくらい、いつまでもいつまでも彼に触っていたのだ。
 それなのに、何だ。
 まるで初恋の少女か何かを前にした、純情な少年みたいな反応は何だ。
「おれ、これ、好き……ずうっと、そう。ボッシュ、おれのこと、キライでも、おれ……」
 言い掛けて、またリュウの声にじわっと涙が滲みはじめた。
 彼は情緒不安定だった。深酒が悪かったのだ。
 リュウに振り回されているような気分になりながら、ボッシュはリュウの肩を抱いて、オマエほんともうめんどくさい、と言った。
「だからさあ、キライな奴にコート貸してやるかよ。いい加減解れよ。馬鹿の相手なんて、ほんと疲れるね。全然解っちゃいないんだ。俺はオマエのことが、ほんとに、好……」
「おれっ、バカじゃ、ないも……」
「……馬鹿だよ。くそ、大嫌いだよ、オマエなんか。人の話なんて聞きゃしない」
「う……」
 リュウは俯いて、めそめそと泣き始めた。
 ちょっと焦りながら、またボッシュは乱暴にリュウの手を引いて歩き始めた。
「……オマエ、好きなものは」
「う……う、うー?」
「だから、何が好きって聞いてるの。世界にはまだ綺麗なものがいっぱいあるって、この前オマエ言ってたろ。何、空? そいつを見せてみろって言ってんの。オマエが大好きな、綺麗なものってのをさ」
 リュウはこくこくと何度も頷いて、目を擦りながら、うん、と言った。
「ぼっしゅ、好き。きれい……」
「……だからさあ」
 ボッシュは頭を押さえて、勘弁しろよ、と言った。
「あんまり可愛いこと言わないでくれる、ローディ。この俺に我慢なんてさせるんじゃないよ。ここで襲うよ。もうわけわかんないよ、オマエ」
「ん、んー?」
――――もういいよ……」
 溜息を吐いて、ボッシュはそれ以上まともに取り合わないことにした。
 酔っ払いの相手なんて、本当に疲れるばっかりだ。
 じゃあ勝手に見に行くよ、とボッシュは言った。
「オマエが好きそうなの。空だろ、どうせ。俺にはオマエしかもうないんだから、そうするしかないんだ。オマエがもう死なないなら、俺はオマエを1000年憎んで、ここに繋ぎ止めてやるよ。ねえ、オマエはほんと幸せ者だね、リュウ。このボッシュと、ずーっと一緒にいるんだぞ」
「う、うー? うん、へへへ……」
 リュウは頷いて、ずーっと一緒にいる、と反芻した。
 彼はあまり頭が良く無いのだ。
 そこばっかり大事なものを見つけたら、後のものなんて目に入らないのだ。
 辺りには木々が生い茂り始め、ボッシュが良く見知った森の風景が現れはじめた。
 このまま歩いていこうか、とボッシュは考えてみた。
 リュウを連れてどこまでも歩いていく。世界にある、綺麗なものとやらを見に行くのだ。
 それができればどんなに良かったろう?
 だがリュウは荷物を引き摺り過ぎていた。ニーナや仲間たち、そして人類っていう、重過ぎる荷物だ。
 彼にはまっすぐな責任感と正義感があった。
 どこへも行けないのだ。街に囚われている。そして、彼は人間たちを愛していた。
 それを思うと、確かな憎しみが、ボッシュの中に存在していることが知れた。
 澱んだ固まりのようなものが、ボッシュの胸の中に生まれる。
 だが、リュウは何にも知らないまま、ボッシュの手を握って、ずーっと一緒、とすごく機嫌が良さそうに笑っていた。
「ほんと、オマエは頭が足りないんだからさ……」
 ボッシュは苦笑し、まあもうなんでもいいや、と考えた。リュウがここにいる、どこへも行かない。
 もう死骸を愛して1000年過ごすことはないだろう。
 こうやって手を繋ぎ、綺麗なものを見に行くだろう。
 そしてそれは、彼さえここにいれば、どこだって良かったのだ。
 森を抜けて空の果てまで行くにしても、人間たちの街に囚われていても、あの空気の悪い地下世界でさえも、どこでも。
「ああ、ここなら良く星が見える。街は駄目だね、明る過ぎるんだ。なあリュウ、見ろよ。オマエの言ってる綺麗なものだよ。多分ね」
「んん?」
 リュウはボッシュにつられるようにして顔を上げ、夜空を見上げ、嬉しそうに笑って、綺麗だねえ、と笑った。
 その笑顔は、ボッシュの胸にぽっと火を灯してくれるようなものだった。暖かかった。
 さて、俺は気を付けなくちゃならない、とボッシュは考えた。
 リュウを憎んで過ごさなきゃならない。そういうふうに振舞うべきだ。
 何度も彼を泣かせる羽目になるだろう。
 それでも俺はぎゅっと口を引き結んだまま、オマエのことが憎いんだと言わなければならない、とボッシュは考えた。
 それはハードな事象のように思えた。
 だがそうすれば、少なくとも1000年は、リュウはボッシュのそばにいるのだ。
 それは約束だった。
 取り引きと言ったって良かったかもしれない。リュウをこの世界に繋ぎ止めるための。
 こうして手を繋いでいくだろう。
 そして1000年が過ぎ去り、リュウを殺してやる約束の日になったなら、彼を抱き締めて、ほんとはずーっとこうしたかったんだよ、と言うだろう。
 オマエが好きだよと言うだろう。
 眠そうに目を擦るリュウをあやしてやりながら、これが最後だよ、とリュウに囁いてやった。
 リュウはまどろみながら、不安そうな顔をして、ボッシュの服の裾をぎゅうっと掴み、密着して、どこにもいかないでね、と弱々しく呟いた。ひとりにしないで、と言った。
 うん、とボッシュは頷いた。
 片割れがいなければ、どちらも世界でひとりきりのドラゴンなのだ。
 リュウの背中をさすってやって、ボッシュは静かに彼に囁いた。
「どこへも行かないよ」
 そして最後に、二人で少し微笑み合った。
 








◇END◇



 

◇あとがきへ

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