そして気が付いたのだが、その身体の感触は、なんだか妙な塩梅だった。 彼に触った感触というものは、ボッシュの中でまぎれもなく、焼き付いたようになっている、消えない記憶のひとつだった。 リュウは少し冷たく、その身体は年齢と性別に相応に硬くて、痩せぎすで、そのせいで骨ばっていて、硬い。 ボッシュはふっと違和感を覚えた。やがてそれは疑惑に変わっていった。 まずひとつ、リュウの身体はこんなに小さかったろうか? 泣きじゃくる彼の嗚咽にしたって、いつもはもう少し、ピッチってものが低くなかったろうか? そしてリュウの身体はこんなに柔らかかったろうか? 何より、この腕に触れているものはなんだ? 柔らかくて、ぷよっとしていて、触り心地が良い―――― 「なあ、リュウ?」 ボッシュはちょっと呆然としながら、リュウを見た。 彼は涙と鼻水と涎で顔中ぐしゃぐしゃにしていた。 世界中で、最もみっともなく泣ける人間のコンテストなんてものがもしあれば、かなり上位に食い込めるだろう顔だ。 リュウはその顔をふっと上げて、しゃくりあげながら、なに、と言った。 ボッシュは抱いた疑問を、正直に口にしてみた。 「ナニコレ」 言いながら、触る――――リュウの胸には、ふたつの柔らかい瘤のようなものが生まれていた。 どう見積もってみても、それは女性特有の膨らみだった。 彼の身体はいつのまにか少し縮んでいて、そのせいでぶかぶかになった紺色のコートの胸の部分だけが、はちきれそうに膨らんでいた。 リュウは、彼の頭の中はボッシュのことでいっぱいらしく――――彼はいつもひとつの物事しか受け入れられない。頭の容量が多くないのだ――――自分の身体のことには全く頓着していないらしかった。 ボッシュは何を言っているんだろうという不思議そうな顔を見せた後、ふっと視線を自分の身体に落とし、それから一拍間を置いてから、硬直した。 鈍くて注意力に問題があるリュウでも、もう気付いたようだった。 リュウは何故か女の子になってしまっていたのだ。 それも突然。 ◇◆◇◆◇ 「ど、ど、ど、どういうことなの?!」 リュウは余程恐慌状態に陥っているらしく、ほとんど泣きながらクピトに詰め寄っていた。 先代のアジーンのリンク者に常に付き従っていた少年だ、この異常についてもなにか知っているんじゃあないかとリュウは期待したようだったが、クピトは首を振って、困ったように「全然わかりません」と言った。 「に、二代目? どうしちゃったっていうんですか、それ……」 「お、おれ、わかんないよー!! なんにもしてない……あ、アジーン、女の子だったんだって。知らなかった……けど、な、なんでおれが」 「何騒いでんの。そんなの大したことじゃないだろ」 あんまりにもリュウが混乱しきっているものだから、ボッシュは呆れてしまって、やれやれと溜息を吐き、彼を諭した。 「ローディ? オマエはほんと極端だね。ほんのさっきまではものすごく静かな死体だったのに、起きると大声で喚くし、やっぱりオマエちょっとウザイよ。オマエがどうなろうと、今更なんにも驚くことなんかない。そうだろ?」 「う……ご、ごめん。そうだね。し、静かにするよ……て、あの、ボッシュ」 「うん?」 「えっと、な、なに? なんでおれの胸なんか」 気になっていたので、リュウの胸に触って確めてみると、それは本当に女性のやわらかみをしていて、弾力があり、割合かたちも良かった。触り心地は悪くない。 だが、リュウは具合悪そうに、恥ずかしそうに俯き、顔を赤くした。 「う……あ、あんまり見ないでよ……き、気持ち悪いだろおれ、こんなの」 「今更何言ってんの、化け物が?」 「う、うん……」 困惑した顔で、リュウが無理をして微笑もうとした時だった。 にやついた声が――――これはそういう意図があってのことではなく、ただ単に地声であるみたいだった――――聞こえた。 「そこは流してやれって、リュウちゃん。こいつちょっとテンパってるんだよ。おい代行、いいのか? あんなに御執心だったのに、そんなにつれないこと言ってると嫌われちゃうぞ。それで多分、ものすごく美形で仕事もできて強くて格好良い、先輩のお兄さんの方にさ、こうぐらっと来ちゃったりするんだよなあ、きっとなあ」 「う」 リュウが、急にびくっと震えた。 彼は顔を青くして、きょろきょろと辺りを見回した。が、誰もいない。 だが、何が起こっているのかを、大体ボッシュは察した。 あの男だ。ろくなことをしないあいつだ。 「……おっさん。何やってんの」 「いやあ、可愛くなっちゃってさあ、二代目。特にお尻が急にレベルアップしてる。表彰ものだぞ、これ」 いきなり何もない空間から、ぱっと男が現れた。ジェズイットだ。 べたべたとリュウの尻に触っている。 彼の消える能力は便利だとは思うが、用途が一部の方面に限定されているせいで、あまり大した事のないスキルに感じることがある。 リュウは困った顔で、なにやってんの、と言った。 「な、なんでおれの尻なんか触るんだよ! おれは男だってば! ……お、女の子でも駄目だけど、そんなのは!」 ボッシュに胸を掴まれているせいで、身動きが上手く取れないのだろう、リュウは顔だけそいつに向けて、ちょっと怒ったふうに言った。 なんだか小さな子供を叱り付けるみたいな口調だ。 あの頼りないリュウのそんなふうな反応を見慣れなかったボッシュは――――そう、例外を除いて、リュウはいつも何を言っても、ちょっと困った顔で笑って、頷いていたのだ――――正直なところ面白くなかった。 ぶすっと険悪な顔をして、リュウの胸を力任せにぎゅっと掴むと、彼は困ったように痛いと訴えた。だが、怒りはしなかった。 そう、こういうふうにだ。従順なローディ。リュウはボッシュにははっきりした感情を見せない。 「あらら、代行くんよ、嫉妬しちゃってんの?」 「誰が。それより、さっさとこいつから手、離したほうがいいんじゃない、おっさん? ローディ菌がくっついてさ、腕が腐っちゃうかもしれないぜ」 「うーん、お兄さん的には、リュウちゃんの尻に触れるなら本望かなあ」 「あの……ボッシュ、爪、立てられるのは、さすがに痛いかなあ、なんて……」 険悪なムードを感じとって、リュウがわけがわからないまま、恐ろしそうに俯いている。 そうしていると、急にボッシュの目の前に、白い、ぱちっとした光の粒が舞った。 同時に、どん、と腹の底に響く衝撃が来た。 内臓の上下をひっくりかえされるような奴だ。 またあの無礼なニーナの奴が来たのかと訝ったが、そうではない。 クピトが光る杖を掲げていた。 同時に、横にいたジェズイットの頭に、巨大な鉄拳が振ってきた。 彼はオンコットに殴り倒され、床にべちゃっとなったところを、襟首を掴まえて宙ぶらりんに持ち上げられた。 「……よおクピト、おまえさん、バルハラーなんて使えたっけ」 「ニーナに教わりました。代行にお灸を据えるにはこれが一番だって。ジェズイット、あなたもほんとしょうがないです。二人して、上司に何をやってるんですか? 判定者が二人がかりでオリジンに集団痴漢なんて」 「なんだよー、ちょっと確めただけじゃんよ。二代目がさ、ほんとに女の子になっちゃったかどうかってさ。痴漢ぐらい大目に見ろよ、なにもレイプしようってわけじゃないんだぜ」 「ほんとにやったら、そのままの意味で君の首が飛ぶわけですけどね。あんまり目に余るとオルテンシアに言いつけにいきますよ」 「え、ちょっ、それだけは勘弁だって、なあクピトちゃんってばよ!」 「代行も代行です。あんまりひどいとまたリュウが死んじゃいますよ。もう少し優しくしてあげたらどうです?」 ボッシュは、何かしらクピトに文句を付けてやろうと口を開いたところだったが、びくっとして、黙り込んでしまった。 リュウが死ぬ。またあの死骸に逆戻りをしてしまう。 触っても何の反応もせず、口もきかず、ただ目を閉じているだけの未来のない置物にだ。 思わずリュウを見やると――――ひどい形相をしていたようで、リュウはびくっと震えた――――彼は小さく、脆い生き物に見えた。 少し痛め付けてやっただけで、また動かなくなってしまう、儚い生命に見えた。それでも彼は生きているのだ。 僅かに怯えた、気後れしたような顔を見せるリュウを、本当は、抱きしめてやりたかった。 死骸だった彼にそうしてやったように。 だが、生きたリュウを目の前にすると、あの気に食わない物分りの良い顔をしている彼を見ると、ボッシュのプライドがそれを許さなかった。 リュウが、確かに愛してはいるが、ボッシュを置き去りにいつのまにか先へ歩いて行ってしまった彼が、自分はボッシュに愛されているんだと知ることが耐えられなかった。 それは羞恥だった。 全てをリュウが知って、あの子供にするような、少し哀れむような顔で手を差し伸べられることを思うと、我慢がならなかった。 だがそんな中途半端な自尊心のせいで、今こうやってリュウに怯えたような顔をさせていることに、ボッシュは苛々としていた。 「そうそう、苛めてやるなって。おまえさんは顔がいやらしい上に天邪鬼なんだ」 ジェズイットが、したり顔でクピトに同意した。 ボッシュは面白くなかったが、リュウはあの気後れしたような変な顔で笑い、大丈夫だよ、と言った。 「……おれはひどいことをされなきゃならないんだ、クピト、ジェズイット。それだけのことをしてる。おれはきっと、ボッシュにひどい殺され方をするためにもう一回こうやって起きてきたんだと思うよ。これから何度も何度もさ、おれが彼と、その、家族の人を、殺した分だけ……」 ふうっと、リュウが笑った。 その微笑み方は、ひどく透明だった。 ボッシュは一瞬その顔に見惚れ、そしてはっとして、具合が悪くなり、目を閉じて頷いて、そうかもね、と言った。 「自分がやったことってのは、ちゃんと思い出したみたいだね? そうだよオマエ、一回死んだくらいで赦されるなんてさ、思わない方がいいよ。理解したんだローディ、偉いね」 「うん……ごめんね」 リュウは微笑んだ顔のまま、ちょっと書庫に行ってくるね、と言った。 変化した身体が元に戻る方法を探すつもりなのかもしれない。 だが彼は元々まともに字も読めないのだ。 書庫で知恵熱でも出すことになるかもしれない。 ボッシュは腕を組んだまま、壁にもたれ、俯いて薄く目を閉じていた。 通り際にリュウが、ちらっとボッシュを見た気配があったが、ボッシュは努めてリュウを視界に入れないように、目を合わせないように気を遣っていた。 彼の少し縮んだ身体は柔らかかった。 胸だって気持ち良かった。 輪郭が少し和らいだ顔は可愛かったし、あの青い髪や、空なんかよりもずうっと綺麗なブルーの瞳は、そこだけは何も変わらず、綺麗なままだった。 もしかすると、衝動が生まれ、彼を抱き締めてしまうかもしれない。 情けない泣き言を漏らし、もうどこへも行くんじゃあない、と泣き付いてしまうかもしれない。 そんなふうなプライドのない真似を、それもあのいつだってボッシュよりも後ろを歩いていた落ち零れのリュウ相手にやることが、ボッシュは赦せなかった。怖かったのだ。 リュウの靴音が去っていくと、元統治者の判定者たちは揃って肩を落とし、ボッシュを見て溜息を吐いた。 「……何をやってるんですか。死んだリュウには、あんなに――――」 「おまえさんさあ、死体しか愛せない奴とかじゃあないよな? リュウがいなきゃ自分が死んじまったみたいになってたのに。それとも男じゃないと駄目なのか? なあ、なんにしろ、苛めてやんなよ。今頃泣いてるぞあれ」 「どうだっていいだろ。俺が何しようと勝手。あんな奴、どうだって良いんだ。優しくしてやってどうなる?」 ボッシュはせせら笑った。 そして、考えた。 リュウが、あの変な笑い方をして、ボッシュがおれをいつかきっと殺してくれるなんて言う。 オマエをずうっと待ってた、なんて言い出せるわけがなかった。 もう死なないって約束しろよ、と言いたかった。 次リュウに会ったら、とボッシュは考えた。 俺が殺すまでくたばるんじゃあないよと言おう。 リュウはまた困った顔をして、いつ殺してくれるのと聞くだろう。 ずうっと先、とボッシュは言うだろう。 1000年は先。 そうすれば、リュウは生きて、ボッシュに殺される日を待つだろう。 そばにいるだろう。 もう急に死んでしまったり、死骸を晒したりすることはないだろう。 彼は確かに泣くかもしれない。 だけどもう、少なくとも離れ離れになることはないのだ。 死に別たれることはないのだ。 それ以上何を望むというのだろう? リュウがまた生きているっていうのに。
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