俺はゆっくりとした足取りで、その巨大な遺骸に歩み寄った。 それは朽ちて、はらわたが千切れた胴から食み出して、肉が剥げ、骨が浮き出していた。 だが、その身体を覆った鱗の感触、真っ赤な体色には、覚えがあった。 頭部だけでさえ、俺よりも数倍大きかった。 俺はそこに手を添え、そいつに語り掛けた。 「……リュウ……か?」 きっと、そいつはリュウだった。 いや、これがアジーンって奴の本体なのかもしれない。 「よお、待たせたな。お疲れさん。空、開いてるじゃん。……見えるよ俺」 リュウの返事はなかった。 ただ俺が触れている箇所の肉が、ずるっ、と零れ落ちた。 俺は慌てて手を離し、肩を竦めた。 「……悪い、痛かった?」 返事はない。 俺はリュウの隣に腰を下ろし、空を見上げた。 こうやって見ている僅かな間でさえ、それは刻々と色を変えていく。 「おまえ、これを俺に見せたかったワケ?」 俺は、今度は骨だけになってしまっている部分を、ぽんぽんと叩いた。 「バァッカ! つまんねー! 何コレ、酒もつまみもなし? そのくらい用意しとけよ、まったくおまえってどんくさい。気が利かないんだからさあ」 ばしばしと骨を叩いて、俺はリュウにもう一度、バーカ、と言った。 「バーカ。折角、おまえがここで待ちぼうけしてるとか言うから、来てやってんじゃん。またエロいことでもできるかなー、とかって、ちょっと期待してた。損した。あーあー、バッカみたい」 俺は、なんというか、泣けてきた。 まただ畜生。 リュウのやつのせいで、涙腺が上手くいってない最近だ。 くそ、責任取れよ、セキニン。 「空って言うからさあ、おまえとそれ見て、酒でも呑んで、えっちなことして、また――――」 半分涙声だ。 畜生、情けねー、俺。 「地上に出たら家でも建てて、おまえうちで飯炊き係。新婚さん。裸エプロンとかしてさ、すっげーカワイイの。そのうちニーナ呼んでやってもいいな、ガキ生まれましたみたいにさ」 冗談めかして言ってみるけど、そーいうのも結構良いな、と思ったりして。 バカだよなー、俺。 オマエのバカさが伝染したのかも。 相棒やってるうちに。 「あー、でもあっちこっち見て回ってからだな、それ。実は俺、子供の頃から結構こーいうの夢でさ。何、空。いーじゃん。わりと好きだったよ、その話」 そういう本、腐るほどあったけど、俺は片っ端から読んでた。 割と、いやすごく、憧れてた。 現実ってものが見えるようになるまで、ずうっと。 俺はその空をもう一回見上げて、朽ちた死骸へとまた戻した。 リュウ。 「でもおまえがいなきゃ、俺のプランってあんまり面白くないじゃん」 ウザイくらい近くにいたくせに、俺が初めてそーいうの許してやったのに、なに? イキナリ死んでんじゃねーよ。 アホか。 ……また一人かよ、俺。 「……好きだって、言ってやってんのに、このボッシュが」 恋をしているってリュウは言った。 どこの乙女だ、そりゃあ。 でも確かに顔を見るとドキドキするとか、可愛くてどーにかしてやりたいとか。 目の前でこんなふうになられたりすると、なんだこれ。 めっちゃめちゃに苦しい。 辛い。 胸が、痛い。 「……なあ、俺まだ好きなんだけど」 目の前の塊に、俺は泣き笑い笑いで喋り掛けた。 「そんなにデカいディクでも、腐ってるし、死んでるし。でもさあ、リュウ。俺、まだなんかオマエのこと考えて、かなり苦しいんだけど」 俺は、肉が剥がれ落ちるのも構わずに、それに抱き付いた。 「オマエのこと、こんなに好きなのに、なあ、何とか言えよリュウ……!」 熱くも冷たくももうなく、ただそこにあるだけのものに変わり果ててしまったリュウをどんと拳で叩いた。 また涙が後から後から零れてきた。 リュウは、アイツの、返事は―――― 「え?」 俺は、耳を疑った。 ディクの死骸の奥まったところから、不規則で微かではあったけど、小さな心音が、響いてきたのだ。 そして。 『ボッシュ? な、泣かないで。ねえ?』 ひどく狼狽した声が、俺の頭に響いてきた。 それはこの前、アジーンが俺に寄越したものと同じで、脳に直接震えて伝わるような、そんな種類のものだった。 「リュ、リュウ?」 俺は慌てて涙を拭い、顔を上げた。 馬鹿にでかいディクの頭の上、そこに乗って、アイツは俺を見下ろして、おろおろとしていた。 紺色掛かった黒髪は解けて肩まである。 あと、なんでか素っ裸。 なんで? リュウは俺のそばに座り込んで、どうしよう、という顔をして、俺を覗き込んできた。 俺は―――― 『ひゃああ?!』 あんまり情けない顔をしていて、恥ずかしくて情けなく、それに理不尽な怒りと苛立ち、いろんなものが混ざってひどくむかついて、リュウの股間に手を伸ばし、ソレを握り込んでやった。 リュウは面白いくらいにびしっと硬直して、間抜けで、あとちょっとやらしさも含んだ悲鳴を上げた後、何するんだ、みたいに俺をきっと睨んだ。 『いきなり何するんだよー!』 「うるさい、生意気。おまえ、何コレ。死んだかと思ったじゃん!」 『い、いや、一応死んでるんだけど……』 「死人がやらしー声上げるなよ」 『ボ、ボッシュのせいだろー?! だ、大体何でおれ、裸なの!?』 「ハア? なんで俺に聞くの」 『……おれ、ボッシュの記憶データを使って話し掛けてるんだけど。裸が一番鮮明なイメージって、どういうこと?』 「……ああ」 俺は、ぽんと手を打った。 「えっちなこと考えてたから」 『バ、バカー!!』 「できればしたいなとか」 『お、おれだって……じゃなくって! とりあえず、服!』 「うるっさいね、オマエ」 俺はあんまりにもリュウがうるさいので、しょうがなく違うコイツを想像してみた。 すると、リュウの身体はふっと変わって、 『…………』 「…………」 『ボ、ボッシュ? あの、ねえ?』 「ん?」 俺はどういうことを責められてるのかはわかってたけど、ふるふる肩を震わせてるリュウに、なんでもないふうに返事をした。 『な、なんで胸があるわけ?! お、女の子じゃないか! しかも、うわあ! また頭が白くなってる、おれ!』 リュウの身体はやわらかな膨らみを帯びて、乳房まで胸にあった。 肩まで届く長い銀色の髪と、赤い眼。 うん、キレイだ。 俺の想像力も大したもんだな。 「だってアレも捨て難かったんだもん」 『だもん、じゃなくって!』 「うん、でもリュウ、やっぱりカワイイよ」 かなりいい感じだ。 理想の女じゃん。 「胸、触ってもイイ?」 『うう……ボ、ボッシュが変態だよー』 リュウはメソメソしていたが、もっと他の普通の、と俺に懇願してきた。 「勿体無いな。カワイイのに」 『普通! 普通のだからね!』 「ハイハイ、えーっと」 そして、次に現れたのは、ほんっとうに普通のリュウだった。 頭の上で結われた、紺色がかった黒い髪。 ゴーグル、ジャケット、つまるところあの頃のままのリュウ。俺の相棒。 『フツーだ……。おれやっぱりこの格好が一番好きだよ』 「カワイイんだけどなあ」 『……ボッシュはもう……』 リュウは、はあっと溜息をついて、それから顔を上げて、空を見た。 高くて遠くて、青い空は冷たくそこにある。 リュウは巨大な遺骸を愛おしむように撫でて、アジーン、お疲れ様、と言った。 『ボッシュがおれをここに連れてきたんだからね』 リュウは俺の顔を見て、ふうっと笑った。 それは、初めて見る笑い方だった。 穏やかで、全部包み込んで自分のものにしてしまうような、そんな。 『アジーンの中からおれを引っ張り出して、消えるな、生きろって……』 俺は頷いた。 『ボッシュが生きろって言ったんだよ』 「……ああ」 リュウは、そうして俺に手を差し伸べた。 俺はその手首を掴んで引っ張って、歩き出した。 リュウの手を引いて歩くことが、俺にはもう当たり前になって、染み付いていた。 どんくさく、すぐフラフラとどっかに行ってしまう、弱っちくて笑ってばっかりで、要領の悪い、最終兵器。 俺の、相棒。 「じゃ、行こうぜ」 『うん』 リュウは、笑った。 そうして螺旋階段を昇り、俺はようやく人間らしい体温を持ち始めたリュウの手を引っ張った。 リュウの声は、もう頭に響く奇妙な感触を無くして、俺の耳に届いた。 心臓の音が聞こえる。 遠くなっていく地下を時折見下ろしながら、そこに朽ちている、しかしまだ生きている竜を視界に映しながら、俺たちはそうして、最後の階段を登った。 「キレイだねぇ」 「そうだな」 呑気な笑顔で言うリュウに、バカみたいとか突っ込むこともなく、俺はただ素直に頷いた。 生きた緑の草原の上に空が、一面に広がっていた。 果てしなく、どこまでも青く、どこまでも高く。 リュウの顔を見ると、またいつものふうににっこりした。 そして俺たちはくすくすと笑って、キスをした。 多分こうして俺たちはまた、生きていく。 恋を、していく。 − [最終兵器ローディー] / 完 −
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