俺の夢はなあ世界征服なんだと友人が言った。
「あ、でも征服してそれで終わりってわけじゃあないぞ。ちゃんとみんなの面倒も見てやる。泥棒とかヒトゴロシはしない。それが悪の美学ってやつなんだ」
「ふうん」
良く解らなかったので、とりあえず相槌を打ったら、オマエわかってんのかといつものように小突かれた。
僕はちょっとまごつきながら、正直にそれを言った。
そしたらまた殴られた。だから嫌だったんだ、ちゃんと言うの。
さすがになんにも悪いことしてないのに、二度もぶたれるのは納得がいかないので、抗議した。
「メベト、殴るのはひどい。僕、なんにもしてない。わかんなかっただけだ」
「おうよ、わかんないからだ。オマエが馬鹿だからだ。殴って直してやってるんだ。知ってるか? 下層区じゃ、壊れたテレビやラジオはこうやって直すんだ」
「へー……ローディのやることはよくわかんないなあ。メベトのやることもわかんないけど」
素直に感心すると、メベトは面白く無さそうな顔になった。でもぶたれなかった。
ぶたれる前に、僕がさっと両腕で頭を庇ったからだ。
メベトは良く僕をぶつけど、いじめたりはしない。たぶん。
僕はエリュオン=1/4、ある日上層区の屋敷に連れて来られて、お世話になってる。
僕を連れてきてくれた男の人は、僕の父さんの友人だった、らしい。
でもこの屋敷へ連れて来られた日に僕は、遠い親戚の子供だと紹介された。どれが本当なのかは知らない。
屋敷は大きくて、ここへ来る前に僕が住んでいたところよりもうんと大きかった。
玄関だけで、友達みんなでかけっこができるくらいだ。
でも外に出たら駄目だと言われたし、なんだかごんごんする乗物に乗って随分と遠くから来たものだから、前にいた友達とはもう会えないんだろうなとは漠然とわかっていた。
屋敷にはおとなの人ばかりだったけど、一人だけ僕とおなじくらいの子供がいた。
幼年学校に通っているメベト。D値は僕とおんなじ1/4だった。
メベトはいきなり知らないところへ連れてこられて立ち尽くしている僕のところへ来て、よう、と言った。
「オマエなに? めっずらしい、うちにガキが来るなんて。なに、父さん。浮気相手に産ませちゃった子とか?」
「馬鹿なことを言うもんじゃない。パパは生まれた時からママ一筋だ。おまえの親戚の子だよ、メベト。今日からうちで一緒に暮らすんだ」
「こんなぼろっちい親戚なんか知らないけど。なに? ローディ? D値見せろよ」
乱暴に引っ張って、髪を掻き上げて、メベトは僕の首筋を見た。
誰にでも、個人を証明するD値が身体中に刻印されている。
メベトは僕の計られたばかりのD値を見て、ひゅうと口笛を吹いた。
「俺と、おんなじ! なんだオマエ、すごいローディの顔してるから、うちに働きに来た下層区の小間遣いかと思ったよ」
ばしばし、と背中を叩かれた。
僕は、初対面でこの無礼な子供を好きにはなれなかった。
なんにも言わないままでいると、メベトはにっと笑って、悪かったよ、と言った。
「俺メベト。オマエの友達だ。父さん、こいつ俺が貰っていいだろ? ちゃんと世話するからさあ」
「ペットじゃないんだ」
僕を連れてきた男の人は、苦笑して僕の頭を優しく叩いた。
「家族だよ」
僕を屋敷へ連れてきてくれた人は、その日から僕の父さんになった。
メベトは僕の兄弟になった。
認識票では僕のほうが年上だったけど、メベトは何でも一番じゃないと気が済まないたちのようで、俺が兄さんだと勝手に決めてしまった。
城みたいに大きな屋敷は、その日から僕の家になった。
いきなり、僕に新しい家族ができてしまった。
奇妙に思うことはあったけど、僕はその辺のことは気にしない性質なので、昔のこともすぐに忘れてしまった。
例えば、すえた廃水の臭い。天井に落書きしてある空の絵。基地に出入りする怖い顔をしたレンジャーたちだとか。
僕はわがままを言うことを許された。
毎日のごはんは涙が出そうになるほど美味しかった。
友達もひとりきりだけどいた。
何不自由なくこのまま大きくなって、僕はメベトといっしょに、父さんと同じ統治者というものになるんだという。
それが僕のするべきことなのだという。
統治者ってなあにと聞くと、未来のおまえのことだと答えが返ってきた。
それは何の答えにもなっていないような気がしたけど、僕は、ああそうなんだあ、と思った。
僕は大きくなったら統治者になっているんだ。
◇◆◇
往々にして、迷子になることがあった。
僕は世界中、どこへ行っても良かった。
みんなが閉め出されてしまう扉の中だって、僕は入ることができた。
チェッカーは僕の言うことを何でも聞いてくれた。
それは僕のD値のおかげなんだという。
人のいっぱいいるところはあまり好きではなかったので、僕は良くこっそりと家を抜け出して、チェッカーを潜り抜けて、ひとりきりになれる場所へ行った。
ライフラインやメインシャフトなんかだ。
特にメインシャフトに入り込んでしまうと、普通のひとはまず僕を見付けだせない。
レンジャーをチェッカーは締め出してくれた。
おまけに中が真っ暗で、何層にも広がっていて、とにかく広いので、僕みたいな子供ひとりを見付けることは難しい。
シャフトで昼寝している僕を迎えに来るのは、いつもメベトの役割だった。
◇◆◇
メベトは僕を良く殴る。とにかく殴る。たまに蹴る。
初めて会って、二日目にはもう叩かれていた。
僕がのんびりし過ぎているのが、どうも気に触るらしい。
一度真剣に心配になって、僕のことが嫌いなのか訊いたことがある。
答えはうやむやだった。うーとかあーとか、さあどうなんだろとか、メベトもよくわかってない感じだった。
ただ、まあキライじゃあないよ、と言われた。なんだか不安だ。
クラッシュハートを枕がわりに昼寝。屋敷のベッドと枕には遠く及ばないけど、誰も「早く起きなさい」なんて言わないので、僕はすごく気に入っていた。
でも僕が屋敷からいなくなって、きっかり二時間で、メベトはシャフトで寝ている僕のところへやってくる。
もう一直線だ。
僕はもしかしたら発信機でもつけられているんじゃないだろうかと思って、シャワーを浴びる時に念入りに身体と服を調べてみたけど、どこにもなかった。
メベトは僕を見付けるのが上手い。なんでだろう?
があっと扉が開く。いつものように、メベトが僕を迎えにきた。
メベトは蜘蛛の巣とかすり傷だらけだ。ぜえぜえ苦しそうに息をして、必ず一発僕を殴る。
「テメッ……俺の、労力とか、考えたこと、あるか……?」
ごつっと額に一発、拳で、重たいのを食らった。ほら、やっぱり殴られた。
「オマエ見付けにくいんだよ! 青い頭なんかしやがって、そりゃアレか? 保護色なのか? 暗いとこでぜんっぜん見えねえし!」
そんなことを言うくせに、メベトが僕を見付け損なったことはない。
それを言うと、当たり前だと返された。
「ガキひとり見付けられなくて、世界征服ができるかよ。俺はでかい組織を作って、総帥とかリーダーとかって呼ばれるのが夢なんだ」
今日は、メベトはかなり苦しそうだ。
どうやらナーヴマンの群れに突っ込んでしまって、命からがら逃げてきたらしい。
メベトは真面目な顔になって、もうここへは来るなと言った。
「オマエ、いつか食われるぞ。絶対だめだ、わかったな。昼寝するなら家でしろ」
「でも、怒られるし……」
「シャフトに入り込むほうがよっぽど怒られる。ていうか、食われる。オマエ、なんですか? ディクの糞にでもなりたいですか?」
「食べないよ、僕のことなんて……マズいよって言ったら、そうって言ってた」
「……ハア? 頭おかしいんじゃないの? ディクに話なんか通じないだろ」
メベトは信じてくれない。
僕はほんとだよと言って、今まで枕にしていたクラッシュハートを抱いて見せた。
「ほら、なんにもしないし」
「うわっ! ク、クラッシュハートなんかこっち寄越すなよ! ポイしろ! 捨てろ! ぺってしろ!」
「可愛いでしょ……クーちゃんって言うんだ」
「ありえねえ! 名前とかつけんな! つーかオマエ……」
メベトが頭を抱えて、急にそのまま固まってしまった。
「メベト?」
僕が呼び掛けても、返事もしない。
あんぐり口を開けて、上のほうを見ている。
「メベト? どうしたの? おなかいたい?」
「あ、ああ、あああ、あれっ、うし、うー」
「うし……? あ、わかった、カローヴァだろう」
「うし、うし、……うしろー!!」
メベトが指差している後ろを振り向くと、透き通った巨大なイキモノがいた。
縦に細長くて、大き過ぎて頭が見えない。
「ナーヴマンだ。うわあ、大きいな……僕ら何人分だろ」
「に、にげっ、逃げ……」
がたん!と大きな音がした。
積まれていた物資の箱を、メベトが倒して、落っことしてしまった音だ。
大きなナーヴマンはそれで僕らに気が付いて、指が一本もない奇妙な腕を伸ばしてきた。
僕らはあっさり捕まって、持ち上げられてしまった。
「う、わー! やっぱオマエなんか迎えに来るんじゃなかったッ! く、食われるー!!」
メベトは泣きながらじたばたしている。
僕は、ナーヴマンの顔のところへ手を持ってって、ぽんぽんと叩いた。
「それ、きっとマズいよ……食べたらきっとおなか壊しちゃうよ。やめといたほうがいいよ」
僕はポケットからビスケットを出して、ナーヴマンに差し出した。
「これ、あげる……。僕これ、好きなんだ。きみ、あんまり肉を食べる顔してないよ。こっちにしときなよ。あとメベト、離してあげて。泣いてるから」
「バ、バカヤロー! なにディクと意思の疎通を図ってますか?! 無理無理無理、やめろって、食われるって!」
うるさく言ってるメベトを放ったまま、ナーヴマンの口の近くにビスケットを持っていく――――クリームがたっぷりのやつだ。
僕はこれがとても好きだった。甘い物が好きだ。
ナーヴマンがだらっと垂れてる口を僕の手のひらの上に持ってきて、匂いを嗅ぐみたいな仕草を見せた後、つるっとビスケットを吸い込んだ。
「美味しかった?」
ナーヴマンはなんにも言わずに、僕らを離してくれた。
どうやら気に入ってくれたらしい。良かった。
「メベトが迎えに来てくれたから、僕もう行くね。ばいばい」
手を振って、僕は硬直したままのメベトを引っ張って、メインシャフトの出口へ向かって歩き出した。
ナーヴマンはそこに佇んでいる。
大きな身体がゆらゆらと揺れて、綺麗だった。
あれで「さよなら」って言ってくれてるのかもしれない。
暗闇の中を歩きながら、メベトがぽつりと言う。僕の手を引きながら。
「オマエさあ、あれ、人に言うなよ」
何のことかわからなくて、メベトが泣いたことかなと聞くと、違う馬鹿と言ってまた殴られた。
「シャフトでディクと遊んでるとか、ディクと話せるとかさ、そーいうこと。多分うるさいから、みんな」
「なんで?」
「なんでも。命令だ、オマエ、俺はリーダーだぞ。言うことは聞かなきゃならないんだ」
僕はなんだか良くわからなかったけど、頷いた。
メベトが真面目な声で言うからだ。
「あげちゃったから、今日のおやつなくなっちゃった。メベト、半分ちょうだい」
「既に胃の中だ」
「ケチ……」
僕らは出口を目指す。じきに光が見えてくる。
ネオンの光だ。
僕らはいつも暗闇の中で生きている。
本物の光はもう1000年も前に閉じられてしまって、この世界には届かない。
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